やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

やなせたかしさん特集 その2

2021年08月19日 | やなせたかし

やなせさん特集という事で、やなせさんの詩を紹介していきます!

ぜひ、の詩はやなせさんのきれいな子供のこころと、

その中にある「ひとらしさ」の定義が曖昧になっている現代へ向けた

問いかけのような詩です。

 

幸福、の詩は、巷であふれている、

幸福だと思えばいい、不幸と思えばすべて不幸だから、という

個人の感情や気持ちを排除して、

とにかく機械的、合理的、教科書的な精神論への

アンチテーゼ的作品でもあると思います。

 

ぼく個人的には、

物事は見方や受取り方によって

幸・不幸が分かれるという事も大いにあるとは思いますが、

やはり大好きな人が亡くなれば悲しいし、

叩かれれば痛いし、

褒められれば嬉しいし、

そういう感情は感情のままで大事なのではないかと思います。

ブルーハーツの歌詞に

「叫ばなければ やりきれない思いを

 ああ 大切に 捨てないで」

とありますが、共感しています。

 

【ぜひ】

ぜひ 犬に生まれてみたかった
うれしいとき ちぎれるほど
しっぽをふってみたかった

ぜひ 花に生まれてみたかった
春になったら美しく咲いて
風にゆれてみたかった

ぜひ 鳥に生まれてみたかった
つばさをひろげて海をこえて
自由に とんでみたかった

しかし ぼくはひとに生まれた
ひとがひとらしく生きるには
どういう風にすればいいのだろう
ぜひ ぼくはそれが知りたい
ぜひ ぼくはそれが知りたい
ぜひ ぜひ ぜひ

【幸福】

幸福なんだと おもうとき
すべて なんでも幸福で
不幸なんだと おもうとき
すべて なんでも不幸です
たとえば 私が こうやって
今たよりなく生きていて
ノートひろげて泣きながら
「さみしい私」と かくことも
それも つまりは
幸福の一種なのでありますね

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バラの花とジョー

2021年06月14日 | やなせたかし

「バラの花とジョー」はやなせたかしさんが書かれた短編のお話です。

 

バラの花と、ジョーという名の犬の恋の話です。

 

 

ジョーはひとりぼっちの犬で、

美しい良い香りがするバラの事が好きになります。

 

バラの花もジョーをとても気に入りますが、

ある日、バラの花がカラス達に襲われ、

ジョーがバラをかばった際に怪我をして、失明してしまいます。

 

バラの花は悲しみ、自分のために目が見えなくなった事を謝ると、

ジョーはやさしさから、「美しい君の姿が見えるよ」と冗談を言います。

 

ジョーは失明をした状態で過ごしますが、

いつもバラの花のそばで過ごし、

毎年、バラに「今年もきれいだろうね?」と確認をします。

バラの花は「今年もきれいに咲いたわ」と返事をします。

 

ジョーは死ぬ直前までバラの花の美しい姿を思い浮かべ、

幸せそうに笑ってしにました。

 

 

ジョーは失明してから、バラの花の姿を直接見ていませんが、

実は、バラの花は、工場からの煙によって黒くみじめな姿になっていました。

 

バラの花はやさしさから、ジョーに「今年もきれいに咲いたわ」とウソをつきました。

 

ジョーが亡くなった後、バラの花も一緒に散ってゆきます。

 

 

バラの花とジョーは、花と犬で全く種類が違う生き物ですが、

こころとこころで通じ合って、

お互いのやさしさにより幸せな一生を送ることが出来ました。

 

やさしさは愛だと思います。

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コンプレックスを忘れる瞬間

2021年01月19日 | やなせたかし

人は誰しもコンプレックスを持っています。

 

他人から見るとたいした事ないような事でも、

本人にとっては、デリケートな問題なんです。

 

そんなこころが、ふっと軽くなって、

忘れてしまうような瞬間があったらいいですね。

 

やなせたかしさんが書かれたお話「クシャラ姫」

そんなコンプレックスに関する内容です。

 

 

ある国のお姫様、クシャラ姫は鼻が低いことがコンプレックスです。

ある日、クシャラ姫は家来達が陰で「クシャラ姫の鼻は低い」という話を耳にして、

ショックを受けます。

 

それからというもの、ボール紙で作った三角形の鼻を、

自分の鼻の上に乗せて生活していました。

 

コンプレックスを隠そうと、ボール紙を乗せたのですが、

それを見た人は、クスクス笑ったので、

だんだん人の前に姿を現すのが嫌になって森へ行きました。

 

 

森へ行って動物たちと楽しく遊んでいると、

恐ろしい黒い竜が姿を現しました。

 

クシャラ姫は、恐ろしいと思いつつも、

ある事が気になって、話しかけました。

 

 

クシャラ姫「なぜ、そんなにかなしそうな目をしているの?」

竜    「ぼくはこんな酷いかたちなのに怖くないんですか?」

クシャラ姫「怖くないわ。だってあなたはとてもかなしそうなんだもの。」

 

やさしいクシャラ姫はハンカチを出して、

竜の目に溜まっている涙を拭いてあげました。

 

すると竜は、ひとりの美しい王子の姿に変わりました。

 

「ありがとう。

 ぼくは悪い魔法使いから、竜の姿に変えられ、

 ぼくの涙を拭いてくれる人が現れるまで魔法は解けないところだった。

 色々な人に頼んだけど、誰もぼくのかなしみには気が付かなかったよ。」

 

こんなおとぎ話のような事が、目の前で起きたので、

クシャラ姫は、うれしくなって、鼻の上のボール紙を外しました。

竜の姿に何年も変えられていた王子のかなしみに比べれば、

鼻の低さなんて気にならなくなったのです。

 

「鼻の低いのなんて何でもない。

 大切なのは人のかなしみが分かるこころを

 持っているかどうかだ。

 あなたはぼくのかなしみを分かってくれた

 この世でたった一人のひとだもの。」

 

そう言って王子は、クシャラ姫と結婚し、

幸せに暮らしました。

 

 

コンプレックスは確かに辛いものですが、

その辛さが気にならなくなるほどの瞬間が、

いつかやってくるといいですね。

 

その瞬間まで楽しく暮らしましょう。

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アンパンマンの見つめる幸せ

2021年01月11日 | やなせたかし

みんな大好きアンパンマン。

恐らくアンパンマンを見て毛嫌いする人はいないのではないでしょうか。

 

 

そのアンパンマンの生みの親は、やなせたかしさんです。

童謡「手のひらを太陽に」や絵本「やさしいライオン」なども創作されました。

 

やなせさんの人生は、苦難の連続で、

苦難の連続にも関わらず、正義について、幸せについて考え、

「希望」の大切さを強く訴えて、アンパンマンなどを通して

世の中に平和と安らぎを与えてくれます。

 

やなせさんは小さい頃、父親を亡くし、母親に捨てられ、

親戚の家に弟と二人で預けられました。

 

青年になると戦争が起こり、中国の戦地へ赴きます。

そこで初めて飢える事の苦しみを知ります。

やっと終戦となり、祖国へ帰ると、

たった一人の愛する弟が戦死している事を告げられます。

 

天涯孤独の身になるも、積極的に漫画や詩や絵本などを

書き続けますが、なかなか売れっ子にはなれません。

歳をとるにつけて多病にも悩まされます。

 

奥さんがおりましたが、その奥さんが余命三か月と宣告された時、

ようやくアンパンマンがTVで放映され全国的な人気を得ました。

(やなせさんが実に69歳の時!)

 

そこから94歳で亡くなるまで精力的な創作活動を続けました。

 

やなせさんの人生は愛別離苦、孤独、飢え、病気、

戦争などの苦難を乗り越え、

その苦難を希望に昇華させて作品を生み出す人生でした。

 

その人生経験から生まれたのがアンパンマンであり、

アンパンマンはやなせさんの精神そのものでもあると思います。

 

アンパンマンは常に笑顔で、人を助け、人の幸せを願います。

利己のない、利他的な生き方をしてます。

 

やなせさんはインタビューで、以下のように

語っていました。

 

「今の世の中はエゴの時代だから、

アンパンマンのような利他的なキャラクターは

受け入れられないんじゃないか。」

 

アンパンマンの正義は、

悪い奴をやっつけるのではなくて、困っている人を助ける事です。

 

例えば、お腹がすいている人の所へ行って、

自分の顔を食べさせてあげたり、人の役に立つような行動をする事です。

 

アンパンマンは顔が無くなっても、

バイキンマンに顔を濡らされても、

新しい顔に取り換え、何事もなかったかのように

毎日西に東へ飛び回っています。

 

やなせさんのように

あらゆる苦しみ、痛みを経験したからこそ、

人の苦しみ、痛みや悩みを理解することが出来、

人にやさしくする事が出来るのだと思います。

 

それが習慣となって、何の考え無しに

自然に、当たり前のように人助けが出来ているのだと思います。

 

中国の思想家孔子の言葉に

 

「心の欲する所に従えども矩を踰えず」

(自分の心の思うままに行動しても、決して道徳から外れないという事。)

 

というものがあります。

これは孔子自身が70歳の時に達した境地だと言われています。

 

アンパンマンはまさに、

こころの思うように、自然に行動している事が

結果的に人を助け、笑顔にし、みんなに希望を与えていると思います。

 

貧しくて、ひもじくて、苦しくて困っていて、

誰からも見向きもされない人からアンパンマンを見た時、

アンパンマンは神様のような、仏様のような存在だといえます。

 

お釈迦様であり、キリストであり、太陽であり、希望そのものでもあります。

 

アンパンマンは、困っている人を助ける時、

その人が笑顔になると、アンパンマンも嬉しそうに笑顔になります。

 

アンパンマンの見つめる幸せは、自分自身の幸せではなく、

人の幸せ、人が喜んでいる様子、人の笑顔なんだと思います。

 

やなせさんの名言がそれをよく表しています。

 

「人生は喜ばせごっこ。人は人を喜ばせる事が一番うれしい。」

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