地震直後の奥州市内、旧水沢地区。
かつて胆沢と呼ばれた土地であり、アテルイたちの暮らしていた土地である。
まずは、胆沢城跡にたつ埋蔵文化財調査センターへ。
http://www.oshu-bunka.or.jp/maibun/index.htm
ロビーには胆沢城の模型があり、そのまっすぐ正面が正殿の建っていた場所。城の外側土塀の一辺は670mもの広さだったとか。
以前、歴史民俗博物館でお会いした悪路王の首と再会。
展示品のスケッチ。
・蝦夷の冑や刀→当時すでに高い製鉄技術を持っていたことがうかがえる。
・首飾り→勾玉やヒスイのほかに、トンボ玉まである。
トンボ玉は日本にはなく、古代オリエントの技術らしい。
海外と交易をしていた証だろうか。
・他に、胆沢城の鬼瓦、祭事で用いた人型など。
ってことで、僕も貸衣装・付け髭をしてコスプレを。
・・・ウソです。
城の鬼門に建つ、鎮守府八幡宮。
鬼門の鎮護と言えば、京都なら比叡山、江戸なら神田明神だ。
このお社は、802年、田村麻呂の創建というからかなり古い。
宇佐八幡宮からの勧請なので、社格としては石清水・鶴岡よりも上だとか。
以前はもう少し北側にあったらしい。
これは、この近隣の蘇民祭で配るお札「きゅうり」。
そのかたちから、通称「カラス」と呼ばれてるそうだ。
蘇民祭は、スサノオを祭る神事。
この辺の仏像は薬師如来が多いけど、昔は薬師如来とスサノオを同一視していたせいかと思う。
なぜか?
それは、神代の大昔に出雲を制圧し、オオクニヌシを服従せしめたのがスサノオだから。
朝廷が蝦夷を支配下においたことを、その故事になぞらえているんだろう。・・・多分。
僕はそう勝手に想像している。
いただいたご朱印。
日付が違ってるのはご愛嬌。
(蝦夷のあしあと その3)
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