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栗太郎のブログ

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陸奥の旅 蝦夷のあしあと(2) 埋蔵文化財調査センターと鎮守府八幡宮

2008-06-18 14:18:20 | 見聞記 東北編

地震直後の奥州市内、旧水沢地区。
かつて胆沢と呼ばれた土地であり、アテルイたちの暮らしていた土地である。

まずは、胆沢城跡にたつ埋蔵文化財調査センターへ。
http://www.oshu-bunka.or.jp/maibun/index.htm




ロビーには胆沢城の模型があり、そのまっすぐ正面が正殿の建っていた場所。城の外側土塀の一辺は670mもの広さだったとか。




以前、歴史民俗博物館でお会いした悪路王の首と再会。




展示品のスケッチ。



・蝦夷の冑や刀→当時すでに高い製鉄技術を持っていたことがうかがえる。
・首飾り→勾玉やヒスイのほかに、トンボ玉まである。
     トンボ玉は日本にはなく、古代オリエントの技術らしい。
     海外と交易をしていた証だろうか。
・他に、胆沢城の鬼瓦、祭事で用いた人型など。


ってことで、僕も貸衣装・付け髭をしてコスプレを。



・・・ウソです。





城の鬼門に建つ、鎮守府八幡宮。

   

鬼門の鎮護と言えば、京都なら比叡山、江戸なら神田明神だ。
このお社は、802年、田村麻呂の創建というからかなり古い。
宇佐八幡宮からの勧請なので、社格としては石清水・鶴岡よりも上だとか。
以前はもう少し北側にあったらしい。


これは、この近隣の蘇民祭で配るお札「きゅうり」。



そのかたちから、通称「カラス」と呼ばれてるそうだ。
蘇民祭は、スサノオを祭る神事。
この辺の仏像は薬師如来が多いけど、昔は薬師如来とスサノオを同一視していたせいかと思う。
なぜか?
それは、神代の大昔に出雲を制圧し、オオクニヌシを服従せしめたのがスサノオだから。
朝廷が蝦夷を支配下においたことを、その故事になぞらえているんだろう。・・・多分。
僕はそう勝手に想像している。


いただいたご朱印。
日付が違ってるのはご愛嬌。




(蝦夷のあしあと その3)



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