新聞でふと見つけたミステリーツアー。
と言っても、場所は日光東照宮だと。
日光に行くきっかけが欲しかった僕は、早速申し込んだ。 ←資料が届いた。
ツアーは昨日の土曜日だった。
ガイドは禰宜さんの高藤氏。
ミステリーとは言え、行く先の知らないどこかに連れて行かれる訳ではない。
その意味は、建物や彫刻に隠された謎解きにあった。
まずは参道。 ←下から緩い登り坂。
石鳥居までの真っ直ぐな道なのだが、これにはちょっと仕掛があった。
手前(南側)と奥(石鳥居側)とで、道幅が8mも違っているのだ。
あとで歩数で確かめてみたら、手前が14歩、奥が25歩。
奥に行くほど広がっている、細長~い台形になっていた。これではまんまと距離感が狂わされてしまう。
つまり、参道下から見た石鳥居は近くに感じるのだが、着いてみてふと振り返ると歩いてきた参道がやけに長く見えるのだ。
「あぁ、随分と来たもんだ」と感じて、ありがたみが増す。見事な演出。 ←来た道を振り返る。
※写真では、ちょっとわかりづらいようですね
また、この参道の方位にも訳がある。
真正面が天帝の座す北極星で、真後ろが将軍の居・江戸城なのだ。
つまり、日光は江戸から真北にあたる。
このラインを宇宙軸と言うそうで、徳川家が将軍になるべく天命を請けたとする「天道思想」に繋がるのである。
千人枡形と呼ばれる10段の石段は、石鳥居の手前にある。
その一番上の真ん中あたり、斜線で色分けされてるような石がある。 ←この石。
これは天気予報の石と言うそうだ。
色の違いが石質の違いで、湿度によって濡れ加減が違ってくるとか。
つまり、雨降りの前触れが分かるのだ。
そこから見上げれば、石鳥居。これは黒田長政の寄進。
額だけでも畳一枚分もある、日本一の石鳥居だ。 ←この額が畳一枚の大きさ!
←「黒田備前守藤原長政」と刻まれている。
15のパーツで組み上げてあり、重さを軽減する工夫として中が空洞になっている。
昭和24年の今市地震の際、石燈篭が軒並み倒れたのにこの鳥居はズレたくらいで倒壊しなかったツワモノだ。
そのズレも、余震の最中に元に戻ったと言うのだから恐れ入る。
その隣には五重塔。こちらは酒井忠勝の寄進。
←五重塔。
←スケッチ。
朱色はもとより青.緑.黄の彩色は華やかで、かつ精緻な彫刻が軒下をぐるりと飾ってあり、塔全体が工芸品の趣がある。
4層までは算木が真っ直ぐの和様なのだが、5層だけは放射状の、いわゆる唐様になっている。これは大工が間違えたんじゃなくて、もちろん意図的なもの。
そのわけはこう。
物事は「完成」してしまえば、あとは衰退・崩壊が始まる。
それなら、「未完であれば滅びない」という考え。だからわざと完成させないのだ。
話はかわるが、女性も「未完」の方が魅力的だと思う。
実際にも、顔立ちが左右正対称では整いすぎて美人に見えないらしい。
よく見れば、誰しも目の大きさが違ってたり、鼻が微妙に曲がってたりするもの。
意外とそんな隙に、心が惹かれるのかも知れない。
と、そんなことを考えながら、日記は続く・・・・。
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