憧れの人

2012年04月22日 | 日々のこと
その人は今年85歳。長野県安曇野に暮らしている。

私がバブル期の後半に、商社勤めをしていた頃お昼休みに通った喫茶店のママだ。

ママとその娘さん(とはいえ既にアラフォーだったかな)二人でこじんまりと経営され、

店は小さくても嫌味のないアンティークにまとめられ、清潔で居心地のいい空間だった。

時代は華やかで私達OLは毎日好きなように楽しく・・・そう、お金にも少し余裕があって・・・

そんな時がずっと続くような勘違いをして誰もが過ごしていた時代。

ママの店もいつも賑やかで、私達は上司の悪口やバカ話しでママを笑わせては喜んでいた。

でも、度を越すと時折ママは「そんなこと言っちゃダメよ、あなたたちいつか可愛いお嫁さんになるんだから。」

とさり気なく諭してくれたり。

ママが作る絶品のロイヤルミルクティーと、ママの言葉に癒されていた昼下がりだった。

その後私が結婚を前に退職し、ママの店にももう行かなくなってしばらくしてから

ママは店を閉めたと同僚から聞いた。

あわてて手紙を書いたら、もう一人の娘さん夫婦が長野でペンションをすることになり

その近くで老後を過ごすことにしたとのこと。

それからも年に数回は必ず手紙をやりとりし、妊娠中や子育てのことなどたくさん相談にのってもらった。

いつも「だいじょうぶ、子供が親を育ててくれるのよ。」と美しい文字で優しい言葉が並ぶ手紙を送ってくれた。

昨年の夏に、ある事で電話をかけた。20年近くぶりでママの声を聞いた。

昔と全く変わらず、優しい声でものすごく喜んでくれた。

「あの子は今どうしてるの?店があったあの街の様子はどう?」と一時間以上たくさん話した。

「ママ、いつか会いに行くね。安曇野に。」

「ええ、来てね、でもわたし、すごくおばあちゃんになってて恥ずかしいわ。」

電話を切ってから、昔店で過ごした時間がよみがえったようでほっこりした。

それから一ヶ月ほどして、ママから手紙が来た。

中には私が娘の成長を知らせるために、時折送っていた写真が同封されていた。

手紙には「先日は電話をくれて本当に嬉しかった。あの楽しい日々を思い出し懐かしい思いになりました。」

そして後半「写真をいつも眺めてました、楽しい思いをさせてくれて本当にありがとう。

実は私、認知症の気配ありで、今のうちと身の回りを整理しています。

大切な写真だからこそ、お返ししますね。どうぞお気を悪くなさらないでね。

今はまだ特に不自由はないので、どうぞご放念くださいね。

いつまでもお幸せでいてくださいね。」と・・・。

ビックリしたけど、いつも凛としていたママらしいと、写真を大切にしてもらってたことの

お礼と体を大切にしてねと、いつものように返事を書いた。

そして年が明け、毎年欠かさず年賀状をくれたママのそれは、旦那様の文字だった。

「妻がアルツハイマーの認定を受けました。」

あの昔話しに花を咲かせて電話で語り合ってからまだ半年にもならないのにと

信じられず・・・。

「安曇野へ会いに行きたい。」と思わず主人に言うと「それは望んではれへんやろ、

そっとしといてあげな。」

そうなのかな・・・そうなんだろな。

私のことを忘れてしまったと、言わないで済むうちにとあの手紙をくれたんだろな。

手元に残るママからの手紙たちは大事な宝物となりました。

緑深い安曇野の地で、きっと今も草花を愛でて時を紡いでいるママ、どうぞ元気でいてください。