一枚の葉書

2009年08月20日 | 日々のこと

         

すっかりパソコンの前から遠のいておりました。

みなさん夏バテされてないかな

お盆に一枚の転居のお知らせを兼ねた暑中見舞いが届いてた。

東京に住む友人親子とは、かれこれ7年くらい会ってなくてよく遊んでいた頃は

1年間くらい。

葉書を前に「う~ん・・・」と考えた。

何年会ってなくてもまた会いたくて、会えばすぐに昔に戻れる人。

一時期親しくはしても、おそらくもう会わないかなと思う人。

ず~っとなんだかんだと連絡取り合い、近況を報告し合う人。

来る人。去る人。

40数年を生きてると、いろんな距離感の人間関係ができてくる。

この葉書をくれた彼女は、おそらくもう会わないかなと思う人だった。

昨年末に年賀状を書きながら「もし先方からこなかったらこれで最後でいいかなっ」

とふと思った。

彼女からは年賀状が届き、そして今回の葉書。

疎遠に感じてたのは私の方だけだったか。

申し訳ない気持ちになった。

すぐ残暑見舞いに近況を書いて出した。

書きながら考えたこと・・・。

私の中で心の距離が近い人って・・・「ああ、そうだ。」

病気のことを話した人と話してない人。

わかりやすい。

自分でも不思議なのが、普段とても仲がいいからといっても話してはいなかったり

遠方に住んでなかなか会えないのに、すぐ打ち明けたり。

心にものさしを持ってるわけではないし、人とのご縁は大切にしようと心がけてはいたつもりだが

今回の葉書でちょっと反省したわけです


雨音にもの想う

2009年08月10日 | 日々のこと



      あんなにしてやったのに

          「のに」 がつくとぐちが出る

                        みつを


このところ、よかれと思ってしても「何故こちらの思いが通じない」と歯がゆい思いをすること度々・・・。

それが自分の親だったり、とても身近で自分の気持ちをよく汲んでくれる人だと

思ってた人ならより歯がゆい。

がっかりして、悲しくて・・・

でも、それって所詮、自分勝手な思い込みなんだろな。

こーして、あーして、こうなって・・・となるのが当たり前の流れでしょ?

と信じてた揺るぎない確信なんて、へなちょこで風に飛ばされ。

立場が変われば見方も変わる。

心のどこかに「ありがとう」って思いなさいよ

という傲慢な自分がいるからにほかならない。

さてと・・・とパソコンの前に座って、みつをの日めくりをめくってみたら

冒頭の言葉にKOされた。

「アンタ、いい人ぶってるけど、ちっともいい人じゃないですね。」と裏面に書いてないかと確かめた。

傲慢なくせに、人間ちっちゃい。


間もなくお盆がやってくる。

帰ってこられたご先祖さまに、頭ポカリとゲンコツもらおう。



がんばれ!おっちゃん!

2009年08月04日 | 日々のこと
一昨日、ずっと願っていたことが、ようやく叶った。

叔父と一泊の温泉旅行に行けた。

これは、奇跡に近いすごいこと・・・。

2年前、私が手術を終えて病理の結果が出て、放射線治療に入ろうかという頃

叔父が食道がんであることがわかった。

すでに転移もあった。

私は自分のがん告知のショックをようやく自分の中で消化し、手術で取り除いてもらい

なんとか前向きになろうとしていたその時だったので、落胆は非常に大きかった。

子供がいない叔父夫婦に付き添い初めて病院に向かった私は、淡々と病状を説明する担当医師に怒りを覚えた。

聞いてもいないのに、簡単に「余命」という言葉を使う。

「5年生存率何%」と言った後で、叔父夫婦がキョトンとした顔をしたからにしても

許せなかった。

いかにもがんの事については「あなたたち、何も知らないでしょ?」といった感じの物言いだった。

思わず「私も来週から放射線治療が始まるがん患者」だと喉元まで出かかったが

こんな人にそんなことを言っても無駄だと思い、

「先生、余命がどれくらいかなんて聞いてませんけど・・・私達。」とだけ冷静にゆっくりと言った。

叔父は「姪っ子が一番のがん友とは心強いなあ」といつも明るく笑っていたが、

私だけが、同じあのがん告知の恐ろしさと衝撃と悲しみを知っているとわかり

それまでとはまた違った間柄となった気がする・・・がん同期の桜って感じかな。


あれから2年、叔父はすさまじい頑張りを見せた。

外科医と内科医の意見が相反し、私達も混乱した。

外科医は手術でがんがはびこる食道と、転移しているリンパを出来るだけ取りたい。

内科医は嚥下が困難になる手術は避けて、抗がん剤だけでがん細胞を叩いていきたい。

どちらを選択しますか?の質問に、叔父は「両方」と答えた。

早速術前抗がん剤が始まり、それが一段落すると放射線治療に入った。

そして手術はかなりの時間を要する大手術となり、術後も大変だった。

経過は順調で、明るい叔父は病院でもたくさん友だちが出来、退院後自宅に招いて

楽しいお酒を飲んだりもしていた。

しかし、予想はしていたものの残念ながら今年の2月に首のリンパに再発。

すぐにまた抗がん剤が始まった。

正直なところ、ずっと前に言ってた温泉旅行は無理かなとふと思ってしまった。

すると見透かされたか、叔父は「この抗がん剤が終わったら皆で温泉に行く。」と言った。

最後のクールが終わって1ヶ月したころ、叔父のつるつるだった頭に黒い髪があっと言う間に生えてきた。

皆で旅行の日を楽しみに「なんとか無事に行けますように」の願いを、神様は叶えてくれた。

事前に事情を話していたので、旅館も叔父の分だけお刺身を薄つくりにしてくれたり

喉越し良くにゅう麺を用意してくれたり、心遣いがありがたかった。

心配していたけど、体調も良く好きなお酒もたくさん飲んで、帰りは名残り惜しそうで

楽しかった様子に私達も嬉しかった。

2年前に聞いてもいないのに告げられた「余命」の時はすでに過ぎた。

今月また抗がん剤で残る憎い奴を叩くとのこと。

みんなでいつも応援してるからね!

がんばれ!おっちゃん!