一昨日、ずっと願っていたことが、ようやく叶った。
叔父と一泊の温泉旅行に行けた。
これは、奇跡に近いすごいこと・・・。
2年前、私が手術を終えて病理の結果が出て、放射線治療に入ろうかという頃
叔父が食道がんであることがわかった。
すでに転移もあった。
私は自分のがん告知のショックをようやく自分の中で消化し、手術で取り除いてもらい
なんとか前向きになろうとしていたその時だったので、落胆は非常に大きかった。
子供がいない叔父夫婦に付き添い初めて病院に向かった私は、淡々と病状を説明する担当医師に怒りを覚えた。
聞いてもいないのに、簡単に「余命」という言葉を使う。
「5年生存率何%」と言った後で、叔父夫婦がキョトンとした顔をしたからにしても
許せなかった。
いかにもがんの事については「あなたたち、何も知らないでしょ?」といった感じの物言いだった。
思わず「私も来週から放射線治療が始まるがん患者」だと喉元まで出かかったが
こんな人にそんなことを言っても無駄だと思い、
「先生、余命がどれくらいかなんて聞いてませんけど・・・私達。」とだけ冷静にゆっくりと言った。
叔父は「姪っ子が一番のがん友とは心強いなあ」といつも明るく笑っていたが、
私だけが、同じあのがん告知の恐ろしさと衝撃と悲しみを知っているとわかり
それまでとはまた違った間柄となった気がする・・・がん同期の桜って感じかな。
あれから2年、叔父はすさまじい頑張りを見せた。
外科医と内科医の意見が相反し、私達も混乱した。
外科医は手術でがんがはびこる食道と、転移しているリンパを出来るだけ取りたい。
内科医は嚥下が困難になる手術は避けて、抗がん剤だけでがん細胞を叩いていきたい。
どちらを選択しますか?の質問に、叔父は「両方」と答えた。
早速術前抗がん剤が始まり、それが一段落すると放射線治療に入った。
そして手術はかなりの時間を要する大手術となり、術後も大変だった。
経過は順調で、明るい叔父は病院でもたくさん友だちが出来、退院後自宅に招いて
楽しいお酒を飲んだりもしていた。
しかし、予想はしていたものの残念ながら今年の2月に首のリンパに再発。
すぐにまた抗がん剤が始まった。
正直なところ、ずっと前に言ってた温泉旅行は無理かなとふと思ってしまった。
すると見透かされたか、叔父は「この抗がん剤が終わったら皆で温泉に行く。」と言った。
最後のクールが終わって1ヶ月したころ、叔父のつるつるだった頭に黒い髪があっと言う間に生えてきた。
皆で旅行の日を楽しみに「なんとか無事に行けますように」の願いを、神様は叶えてくれた。
事前に事情を話していたので、旅館も叔父の分だけお刺身を薄つくりにしてくれたり
喉越し良くにゅう麺を用意してくれたり、心遣いがありがたかった。
心配していたけど、体調も良く好きなお酒もたくさん飲んで、帰りは名残り惜しそうで
楽しかった様子に私達も嬉しかった。
2年前に聞いてもいないのに告げられた「余命」の時はすでに過ぎた。
今月また抗がん剤で残る憎い奴を叩くとのこと。
みんなでいつも応援してるからね!
がんばれ!おっちゃん!