病名変更だー(´д`)

2014年05月31日 | 治療の経過
毎日徒歩5分の病院通い…あとは自宅にて安静の一週間を過ごした。

当初「突発性難聴」であろうとの診断だったが、その時に先生からの説明で

「もし症状が変動するようならば突発性ではないので、これから一週間の様子をじっくり見ましょう」

との事だった。

一回目のステロイド投与終了後、ほとんど聴こえていなかった右耳に聴こえを感じた。

突発性難聴はスパッと治るか、ある音域または全ての音域が聴こえないまま症状が固定してしまうか

そのどちらかのよう。

聴こえがうまく戻ったので勝手に「これは突発性難聴で回復が見込める良いパターン」と

自分で決めつけた。

ステロイド投与3回目を終えた翌日、再び右耳の閉塞感と耳なり。

先生に告げて聴力検査の結果、

「急性低音障害型感音難聴」との診断。

内耳リンパ水腫のために起こる病気でいわゆるメニエール病の一種とのこと。

突然回転性の目眩が起こる可能性があるのでしばらくは気をつけてと言われたが

耳の閉塞感と耳なりだけで特に心配はしてなかった。

ところが…昨日の早朝、トイレに立とうとしたら回る!回る!回る!

それもしっかり時計回りに自分を中心として。

でも予見できた事だったのでしばらくはじっとして

転んで頭を打たないように注意した。(なんと落ち着いてるワタシ)

その後強い睡魔に任せてぐっすり眠って次に起きたら目眩は収まっていた。

でも車酔いのあとみたいな感じ。

最後のステロイド投与終了。

これからは利尿剤の服用がしばらく続く→これがめっちゃくちゃ苦くてマズい!

メニエールの厄介なのは、今回治ってもこれから繰り返す「かも?」しれないこと。

それが半年後か数年後か全く予測出来ない。

何より原因の最たるものは「ストレス」だと考えられているらしい。

ストレスを排除せよと言われても出来ないことが多いからストレスになるのだよな。

一週間で気心しれたか「大ざっぱで気にしない人になれ」とのこと。(耳鼻科先生談)

一日中寝てると、早く街へ繰り出して気の合う仲間と美味しい物食べて笑い転げたいとか

思いっきりテニスしたい!とか…いやいや贅沢はいわないから目眩も耳鳴りもなく普通に過ごしたいとか

そんなことばかりフツフツ考える。

昨日は夕方調子が良かったのでリクエストに応えてしゃぶしゃぶの食べ放題に連れて行ってもらった。

食い気は衰えず。

かなり美味しく大満足。

食べるの忙しく、最後のデザートのみ写真撮る。



元気でた。





突発性難聴になりました (><)

2014年05月24日 | 治療の経過
木曜日の朝、なんとなく右耳に閉塞感があり。

お風呂で水でも入ったかなあとやり過ごしていた。

ところが・・・数時間後。

事務所のスタッフとランチをしてる最中、彼女の声がほとんど聞こえない

気づかれないように無難な話だけして、事務所の前で別れて帰宅。

実家の母が数年前に同じようにある日突然、片耳が聞こえないと思いつつも

当時飲み始めた血圧の薬の影響か何かかと一週間放置して、治らないから耳鼻科を受診すると

すぐに県内の医大に行くように紹介状を渡され、やはりそこで「突発性難聴」の診断。

その日からステロイドの投与を10日間ほどしたけれど、遅かった


そんな母の様子を目の当たりにした過去があったので、今回は即病院へ!

・・・・・しかし、あいにく木曜日、知ってる耳鼻科はどこも休診日。

ネット検索した耳鼻科は市内だけど、遠いし電話すると数時間待ち。

混んでるからか受付もイライラ「何時になるかはわかりませんよ。」

心の中で「誰が行くかい!」と言いつつ「わかりました」と諦める。


やっぱりステロイド投与に通うには近くて知ってる先生の方がいいなと

その晩は壊れかけのラジオならぬ冷蔵庫のような「ブーーーーーーン」という

頭の中の音と付き合いながらやり過ごした。

翌、金曜日受診すると、先生から「よくぞこんなに早く受診してくれました」と

お褒めの言葉の後に「突発性難聴と思われます。」

予想はしていたもののやはりショック~~~

しかしすぐに立ち直り、聞こえないと感じてから30時間以内にステロイド投与って

かなり優秀  完治の可能性もすごーーーーく高い

聴こえなくなる可能性が何割であろうと、私は絶対に治るのだ。

点滴の準備がされてる間にもうすっかり前向きになった。

約一時間かけての投与のあと「お疲れ様でした」と言われて立ち上がると

少し立ちくらみはあったけど、「ん?ん?聴こえる?冷蔵庫のブーーンもかすかにしかない。」

先生に言うと「何百人も突発性を診てきたけど3人くらいの方が一回目の投与後に聴こえるといわれました。」

じゃあ、もしかして4人目かしらん

とはいいつつ、やはり数日前と全く同じではないしまた悪化することもあるらしいので8回の投与は予定通り。


久しぶりの病院通いですが、俄然張り切ってます。

何より心強いのは先日の女子会で笑い転げたお仲間たちからの強~い励まし。

ありがたかった~。


絶対がんばるど~~~! 



悩んでいます・・・。

2010年02月18日 | 治療の経過
昨日の↓↓↓記事の「くりりんの法則」で、実は一番書きたかったホンネのことがありまして・・・。

書いたらそれを認めてしまうことになりそうなんで、わざと自分の中で知らんぷりしてたのでした。

それは・・・

はりきって何かを始めると、体のどこかに不調が現れる

若い頃からそういうことが何回かありました。

乳がんになる直前も、ママ友に誘われて当時流行ってたサーキットフィットネス?だったか

お試しレッスンに連れて行ってもらって、「楽しいから始めようかな~」と思った矢先でした。

実は最近20年ぶりくらいにまたやり始め、と~っても楽しくていつまででもやっていたいことが

    テニスです。

家族全員でスクールに入り、市のコートを予約して友人達ともこれから楽しむぞって時に。


先週あたりから、左の卵巣が痛み(はっきり卵巣とわかります。)15年来でお世話になってる

婦人科の先生に診てもらったところ、やはりかなり腫れてると・・・

ノルバディックスを飲み始めて2年半、確実に子宮内膜も厚くなり、いよいよ体がんにも

要注意となりつつありますが、婦人科の先生いわく

「卵巣がとても元気で自分の役割を果たそうととても頑張っているところに、ノルバがそうはさせないぞって小競り合いしてるのね。」

とのこと・・・ああ~なんと健気な私の卵巣ちゃん

とにかく乳腺科の主治医に状況を話して相談してきてと言われ、本日予約なしで主治医のもとへ。

婦人科の先生も主治医も一番避けたいのは、このまま卵巣の腫れがおさまらずに捻転を起こすこと。

それはそれは、卒倒するくらいの痛みらしいのです

で、主治医からの提案は「ノルバディックスを休薬しようか」

私としてはそれはゴール目指して走ってる途中のマラソンを(それも折り返し地点で)止められるのと同じこと。

主治医は1、2ヶ月休んでも大丈夫と言いますが、これまで2年半頑張ってきたのに

「金メダル取らなくてもいいんやで・・・休んでも完走することに意義があるんやし。」

と、タイムリーな話し方でなだめようとする主治医でしたが

また週明けに婦人科の先生に今日の主治医の話を持って行き、どうするか決めることになります。

休みたくない・・・でも痛い・・・捻転恐い・・・テニスしたい・・・

卵巣ちゃん、もうそんなに頑張らなくてもいいんだよ





いい事聞いた!

2009年07月17日 | 治療の経過
ちょっと前になりますが、主治医とゲストの乳腺外科医の講演がメインの

市民フォーラムがありました。

今回3回目になり、ちょうど放射線終わってしばらくした頃に第1回目があったんですが

今回は先生も認定看護師さんも随分リラックスしたお話ぶりでした。

テーマは「閉経前ホルモン治療について」で、まさしく私向けだったので

直前の診察でも「まるでくりりんさんのための講演やし~」と先生。

ホルモン治療は外から見てその辛さがわからないのと、長期にわたる治療による副作用の変化のこと

また常につきまとう不安感イライラ落ち込み動悸やだるさなどのお話に

みなさん「ある、ある~、わかる、わかる」って顔をされてました。

やはり薬のせいで気持ちの浮き沈みの振幅が大きくなるのは明らかで、イライラの末、家族にぶつけてしまっても

落ち着いてから「八つ当たりしてごめんね~」と言えばいいんですよ。との事。

これ、先月まさしく我が家であったことなのでした

相手はもちろん主人。

は~私だけではないんだと安心。

そして、今回一番肩の力を抜けたお話は・・・。

イギリスでのデータで、患者を4つのグループに分けて各々の予後についての研究で

①治療を受けない

②主治医の言うことをしっかり守り、きちんと治療を受ける

③私はがん患者だと、ずっとくよくよしながら治療を受ける

④以前と変わらず元気に、ときおり治療のことをすっかり忘れてしまう

以上で、一番予後がよかったのはだったとのことです。

あと②、③、①と続くんですが、

たまに薬の数が合わなくて「いつ飲み忘れたんだろう・・・」と考えこんでしまう私は

非常に気持ちが楽チンになりました。

そっか~、忘れてもいいのね~

今回のフォーラムの収穫はこれでした~。






ご意見ください

2009年04月24日 | 治療の経過
先日、ずっとお世話になっている専門看護師さんの方から依頼がありました。

来る5月16日に関西労災病院にて乳がん看護研究会というのがあるらしく

今回5回目となる研究会のこの度のテーマが


                         

   「精神的なケアについて:まずは患者さんの話を聞こう!」

   その時私(患者)はどんなことを思い、感じたのか~患者さんから話を聞こう

そして、ディスカッションでは日ごろ「こんな時、患者さんはどう思っているんだろう」
「どんな風に接したり、声をかけたりしたらいいんだろう」といった疑問を整理し乳がん看護場面で
ケア出来ることの可能性を探ることが出来れば・・・。


                         

という趣旨が案内状にありました。

私ともうお一人の方が患者として参加することとなりました。

始め「私なんかに出来るでしょうか・・・・。」とためらいましたが

横にいた主治医から「気負わず、感じたまま話してくれたらいい

の声があり、受けることにしました。

がん看護に携わる看護師さんは多忙でもあり、なかなか率直な患者の気持ちを知る機会がないそうです。


で、こちらを覗いてくださる皆さんのご意見もいただけたら幸いです。

今回はお医者さまではなく、看護師さんへの要望や不満や期待の声がもしあればご意見是非ください。

先日依頼があった際に、「仲間たちの声も・・・」と言うと「是非!」とのことでしたので

よかったらお聞かせくださいね。

よろしくお願いします

行って来ました。

2008年11月12日 | 治療の経過
ようやく・・・行って来ました。

10月29日の記事「言えずにいる言葉」に書いたフィルムを返しに。

昨年2月にどん底の気持ちで出た検診センターのビルを仰ぎ見て

「よっしゃ」と気合入れてエレベーターに乗りました。

受付のおねえさんが「検診ですか?」と結構大きな声で言われ、待合いの人が一斉に

私を見たとき一瞬ひるみましたが事前に連絡してたので、名前を告げると

奥から看護師長さんが出てこられました。

横の小さな部屋でフィルム返却が遅くなった事情を話し、お礼と告知の日の悪態を詫びると

「とんでもない・・・お辛いことだったでしょう。この頃乳がんがすごく増えて毎日のように

呼び出しのお電話をしないといけないので、先生も私達も心苦しいんですよ。

でも元気なお顔で来ていただいて、ほんとよかった。」

と涙をこぼされたので、つい私もホロリ

告知をされた先生にもお礼を言いたくて、事前に担当日を聞いてましたが

あいにくどうしても席をはずせないとの事。

(診療はしていないので、もしかしたらこの日も新たに見つかった方に

辛いお知らせをされていたのかも・・・

ブッチ猫さんからアドバイスいただき、手紙を書いて行ってたので看護師長さんに

預けて帰りました。

「先生にちゃんとお伝えします。」と優しく見送って下さいました。

これでやっと黒く塗りつぶされたようだった私の2007年2月5日が

大切な人生の一日として復活できた気がします。

「頑張って行っておいで」と背中を押してくださったみなさん、本当にありがとうございました。







言えずにいる言葉

2008年10月29日 | 治療の経過
     

1年半前に乳がんを告知され、手術、治療を順調にこなし、多少の副作用と再発の不安はあるが

告知前とほぼ変わらない暮らしが戻っている。

もしかしたら、無駄な時間を過ごしたくない思いが強く、告知前より活発になっているかもしれない。

本当にありがたいことだ。

手術から1年を過ぎたころ、主治医から人間ドックを受けて乳がんが見つかった際の検診センターのフィルムを渡された。

「もうこれはセンターに返却してもらっていいからね。」

その瞬間、あの悪夢のような一日がよみがえった。

乳がんなんて他人事と信じて疑わずに、例年のように検診センターでマンモを撮影した。

翌日の朝、センターの医師から直接電話があった。

すぐに来るようにとのことだった。

「乳がんですか?」咄嗟にたずねると、「お越しになられてからご説明します。」

あいにくその日ははずせない用事があり(何だったか今は思い出せない)、金曜日だったので

土日をたまらない不安と戦いながら過ごした。

またよりによって、その土日は義父も一緒の旅行だった。

食事は何が口に入ったのかも記憶になく、露天風呂では「一体この胸のどこに腫瘍があるというのか」と

まじまじと胸を見て、自分で出した結論は・・・「あるはずない。」

月曜日までの長い長い時間をやり過ごし、何故か就職活動中の学生のような服でセンターへと向かった。

「一緒に行こか?」と言ってくれた主人には「大丈夫一人で行ける。」と言った。

なんせ「あるはずない。」と信じてたから。

そのつい数日前、主人と何かのイベントのような気分で検診をうけに来たセンターの建物がやたら無機質で冷たく感じた。

案内された狭い部屋には既に私のものらしいフィルムが4枚、照らされていた。



医師 「今回撮影した中で2方向ともに明らかに腫瘍と思われる物があります。」

私 「・・・・・・。」

医師 「このフィルムと紹介状を持って出来るだけ早く専門医に行って下さい。」

私 「・・・・・・。」

医師 「○大病院と○○市民病院ならどちらが都合がいいですか?」

私 「あの~・・・乳がんってことですか?」

医師 「ほぼ9割、そうだと思われます。」

私 「昨年、石灰化って言われたので、それなんじゃないですか?」

医師 「これは石灰化などではないです。全く違うものです。」

私 「じゃあ、どなたかのフィルムと間違えてませんか?」

医師 「いえ、それはないです。」

私 「しこりなんて、さわってもどこにもないんですけど!」

医師 「とにかく専門医に診てもらってください。」


以上のようなやりとりのあと、私は憮然とした態度でフィルムと紹介状を受け取り部屋を出た。


そしてあれから一年が過ぎ、主治医からその時のフィルムを渡された。

主治医に一年前の私の「悪態」とも呼べるくらいだった様子を話したら、主治医は笑って

「そんなのふ・つ・う、普通やで~。誰だってあなた癌ですって言われて平常でいれるわけないやん、
そんなの気にしなくていいよ。」

主治医とのその会話からすでに半年が過ぎ、センターに返すべきフィルムはまだ私の手元にある・・・。

早期に見落とすことなく腫瘍を見つけてくださった命の恩人に、ありがとうも言わず悪態をついた私。

フィルムは普段目がいかない場所に仕舞いこんでしまってた。



    

今朝、快晴の空の下、「やっぱり行ってこよう。」と突然思った。

フィルムを持って、「見つけてくださって本当にありがとうございました。」と

ちゃんと言ってこなくっちゃ。

ここで、皆さんに宣言します。必ず近いうちに行って来ます。









診察で・・・

2008年07月16日 | 治療の経過
暑い中、月一の診察に行ってきました。関西は本日梅雨明け

ホルモン治療に入って一年と間もなく2ヶ月・・・

主治医とは時にボケと突っ込みをからめながら世間話したり、真面目にフォーラムの感想を述べたり
先生のブログにある論文のことを話したり・・・

その中で、今の副作用の状況を聞いてもらっていろいろ薬を処方してもらってきました。
そう、持病の喘息薬、放射線の皮膚炎の薬、胃薬、背中が痛いといえば湿布薬。

もうなんでも来いって感じです

珍しく今回(初めてかも)「元気です!」と診察室に入っていくと、

「そう、それは良かった。では、これまた見て感想聞かせて。」と手渡されたまだゲラ段階の一冊の冊子

タイトルは、「ご家族にも知ってほしい ホルモン療法って思ってるより・・・」

先生と乳がん専門の精神看護師(めっちゃ美人)さん二人の共著で、某薬品会社と作られたものでした。

以前に「家族向けの冊子を作ろうと思ってるから、また見てね。」とおっしゃってたものが、いよいよ完成とのことで私もワクワクしながら家でじっくり目を通しました。


内容はとてもシンプルでわかり易く、
「乳がん治療は手術をすれば終わりではありません。」
「ホルモン療法の副作用は一見わかりにくい。」
「主な副作用、ホットフラッシュ、肩こり腰痛、だるさや集中力の低下、気分の落ち込みやイライラといった症状があります。」

その中で、「今までできていた毎日の家事や仕事、予定していたことの半分もできません。決して怠けているわけではありません。」

「術後、何年たっても病気のことが心配になり、精神的に不安定になることもあります。」など、各項目に簡単な注釈が入ってます。

いつまでも「病気、病気」というのは自分が一番イヤですが、この長帳場の治療を乗り切るには、やはり家族の理解は欠かせないですよね。

主治医もこういった冊子を作ろうといういきさつには、「家族に理解してもらえない」という患者さんの声がとても多かったからだそうです。

完成したら頂けるそうなので、また写真でご紹介します。

・・・ところで、何でも話せる主治医なんですが、どうしてもをお願いします、と言い出せないでいる小心者の私です。
(まこつまさんも確か・・・。)


第2回市民フォーラム(6月21日開催)

2008年06月24日 | 治療の経過



昨年の10月に続き、「知ることから始まる乳がん治療」、箕面市第2回市民フォーラムに参加してきました。

第一部は「検診による乳がん退治」大阪府立成人病センター名誉総長の小山博記医師
続いて、私の主治医(相原病院 相原智彦医師)による「何から始める いつまで続ける ホルモン治療」と題した講演がありました。

第二部は「乳がん、そこが知りたい」をテーマにパネルディスカッションで、
パネリストは小山医師、相原医師、専門看護師の早川さん、あけぼの大阪の中田さんでした。

ホルモン治療に関して非常に関心を持って耳を傾けましたが、他の講演でもそうですが、どうしても「閉経後」の治療についてに重きがおかれてるような気がしました。
アロマターゼ阻害薬による主に関節痛、筋肉痛、骨量を減らして骨折の可能性を高めるなどの副作用のことなどに質問も偏っていたように思いました。
アロマターぜ阻害薬の副作用が酷い場合は、タモキシフェンに切り替えるそうですが、それによる再発リスクはほとんど変わらないとのこと。
タモキシフェンは、骨を強くする効能もありで、それなら骨折も防げていいですよね。

私としては、閉経前にタモキシフェンを服用の場合の副作用の対処の仕方などをもっと聞きたかったところです。

司会の牧野エミさんは、術後3年でとても親近感が持てる方でした。
3年たっても気持ちが下がってしまうときもあるということで、「みんな一緒なんだなあ」と・・・。
でも、さすが舞台女優、よく通る声で、楽しく進行されてました。



お土産は、ノバルティス社の便箋、エコバッグ、ピンクリボンのピンバッチ、そしてボールペンでした。

いつもは白衣の主治医のネクタイ姿を拝見するのも、なかなか楽しみなフォーラムでした。
次回はどんなテーマかな・・・。



桜がつなぐ縁

2008年05月26日 | 治療の経過
乳がんを告知されて1年と3ケ月・・・。
それ以前と変わったことは、傷がついた左の乳房と、腋のリンパ節が2つ減ったこと。
そして、ホルモン治療によって、時々心身ともにしんどい日があること。
考えてみればマイナーなことって、たったそれだけ。

得たものはいっぱい。
朝目覚めて、また新しい一日が始まる喜び・・・そんな当たり前のことが
当たり前ではないことを知ったのは、
「いつか朝が来ないときがくるのだろうか」とふと思ったあの恐怖感を体験したから。

季節が巡り、自分が咲くべき時をちゃんと知ってる草や花や木々や、
また生きているもの全ての命の尊さを知ったこと・・・。
本当に「命の輝き」というものがあることなんて知らずにいた。

家族や周りのみんなが健康であることの有難さ・・・頭ではわかっていたつもりだった。

そして、乳がんにならなかったら巡り会うこともなかっただろう大切な仲間達との出会い。
昨年の3月30日、リンクにもある「乳がんホームページ」の掲示板に初めて書き込みなるものをした。
それまでは、パソコンはあるものの、時折メールしたり、検索する程度で、
どちらかと言うとアナログ人間だったから、ネット社会の恐ろしさばかりが頭にあり、
とても書き込んだりする勇気などなかった。
でも、HANAさんの掲示板から漂う、「あたたかさ」にどんどん惹きこまれ、
私も「はじめまして」って、書いたらどんなだろう・・・などと思い、
どうせ名前も顔もわからないし、え~い!と書いてみると、「ようこそ!」と
それこそあたたかく迎えてもらえた。

そして、辛いときはいつも必ず誰かが励ましてくれて、「わかるよ~」と言ってもらえて。
名前も顔もわからない私なのに、心から慰めてもらえて、共感してもらえた。
こんなことって、あるんや~と、本当に感動した。

みんな「乳がん」と戦う仲間たち。

「桜の木の下で・・・」まるで合言葉のように秘密の暗号のように、その意味を知る私達の中で息づく想い。
乳がんになって、悪いことってあったっけ?
そう思えるくらい、有意義で、楽しくて、大切な毎日。

      


HANAさんが掲示板をもう10年以上も続けてくださってることに、心から感謝です。
その間、乳がんの治療や研究もすすみ、以前からはかなりの進歩もあるのでしょうが告知の辛さや、治療の間の孤独感は消えることはないのです。
そんなとき、この掲示板で「勇気」をもらって再び立ち上がることが出来る
多くの人たちのためにこれからもずっとこの場所があることを願います。

私の拙いブログを、25年来の親友2人が、シンガポールと富山県から見てくれてます。
昨年の告知のときからすごく心配をかけてしまいました。
自分たちの知りえない辛さを、私が体験していると思ってそっと見守って
くれてる彼女たちに、
こんな素晴らしい仲間たちと、「明るい乳がんライフ」を過ごしていることを、
今日ちょっと知らせたくて・・・。

全然、孤独な戦いじゃないんだよ。安心してね。