叶効果・・・2009年ありがとね。

2009年12月30日 | 日々のこと
いよいよ明日で、今年も終わりです

前回の記事で、コメントいただいたほとんどの方から

「叶美香のドレスでおっちゃんを笑わせるんだ~!」

との指令を受け、一昨日の付き添いの日にその指令を果たしました

さすがにあのド派手なオレンジのドレスを着て、病院の廊下を歩いたら

途中でどなたかに通報されて、おっちゃんの病室までたどり着けないので

バッグにしのばせて、おっちゃんがウトウトしてる間に・・・

ジャジャーン!! 



へんしーん

あ、もちろん、素肌に着る勇気とナイスバディはないので

ユニ○ロのレギンスと、ヒート○ックの上から~

おっちゃんが私を見るまでに、叔母がお腹をかかえて涙を出して大爆笑!! 

その気配におっちゃんは目覚め、「おっちゃーん!」と呼びかけると

本当にこの絵文字 →   通りの顔をしてから

こちらも大爆笑 

ディナーショーの様子を話すと、「それはすごいなあ、元とったなあ」と。

皆さんの期待を裏切ることなく、間違いなく免疫UPしてもらうことができました。


おっちゃんは、明日から二日だけ、念願の自宅に帰れることになりました。

自分の家で新年を迎えれそうです。

そっといつも応援、そして見守ってくださっている皆さん、本当にありがとう


今年も一年ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

どうかみなさん、よいお年を~! 

2009年聖夜 (追記あり)

2009年12月24日 | 日々のこと
みなさん、メリークリスマスです

前回の記事でコメントを閉じて、かえってなんだかとってもご心配をおかけしていたようで

ごめんなさい

あれから叔母たちや私の母と交代で叔父の付き添いに通い、一時は北海道の私の妹も

日帰りで急遽会いにくるぐらい厳しい状況でしたが、ドクターいわく「お薬が今はぴったりきてる」らしく

痛みがひき、穏やかに過ごしています。

先日は私が車椅子を押して、病院下にある大きな公園の陽だまりでゆっくりと二人で話しました。

叔父が繰り返し「がん友」の私に言うのは、「人生好きなように生きなあかん、わかるよな?」

私は阿吽の呼吸で「わかる、わかる。」

カルテの隅に「終末期」とはっきり書かれた文字に思わず涙が落ちそうになりましたが

かけがえのない時間、泣いてる暇はありません。


おっちゃんから「クリスマスはどないすんねん?」と聞かれ

「びっくりやで、おっちゃん、今年は叶姉妹のディナーショーに行ってくる。」

おっちゃんは大笑いで「そうか!でかい乳見てきてや。」


で、今日行ってまいりました~。



生で見る叶姉妹は、始めべラかと思うほど恐かったけど次第に目が慣れてきて

ゴージャスさはやはりすさまじいものがありました。



コースもとても美味しく頂き、ショーの最後に二人からプレゼント

300名のお客さんの中から、このクジ運の全くないアタクシが!(←叶風)

な、なんと!

叶美香の着たウンガロの80万円のイブニングドレス

引き当ててしまいました~  

あまりのビックリに娘をひっぱってステージにあがり、二人からハグをされ

サインまで頂いてしまいました。

間近で見る叶姉妹はこの世の人とは思えないくらい光輝きと~ってもいい香りでした。

娘は姉の恭子さんから「とっても可愛いお顔」と言われ大喜び。



これが今夜のラッキーカード


夢のような時間は過ぎさきほど帰宅してゆっくりドレスを眺めて・・・



娘と「これってどうやって着るんやろね・・・

ま、サインと一緒に家宝にするか~

取引先の忘年会の最中の主人に電話すると、びっくりの大爆笑でした。

そんなこんなで、このところ沈みがちだった気持ちがかなり上がりました。

ああ、今夜のことを早くおっちゃんに話したいな。


みなさん、どうぞステキな聖夜を・・・

メリークリスマス



(追記)

ショーの最中に「ブログに載せたいので、客席の写真を撮らせて頂いてもよろしいかしら?」とのことで

どんな写真かと思いきや、暗くてよく見えないものでした。

ショーの様子が少し見れますので、よかったら叶姉妹のブログを見てくださいね。

                 ↓   ↓   ↓

         ABUBAI SISTERS

お着物のおばさまは、叶美香さんのゴルフバッグが当たりました。

このおばさまは漫才の「まえだまえだ」のおばあちゃんだとか。

「まえだまえだ」も客席に来ていて、ステージにもあがりましたが、めちゃ可愛い

ゴルフバッグの次は美香さん愛用のブルガリのサングラス、そして、私のテーブルNO.が呼ばれた次第です



今日という日

2009年12月10日 | 日々のこと
いつもと同じように朝がきて、いつもと同じように時間は過ぎていく。

「今日」という日は二度とこない。

そんなこと、知ってる。

なのに大事に時を過ごさないのは、明日もあさっても来週も来年もきっと当たり前のように

自分にやってくると信じているから。


(末期がんのお話です。今が辛い方はスルーしてください。)

8月4日の記事「がんばれ!おっちゃん」の叔父が

今日の午後、入院することになった。

主治医から部屋をあけておくのですぐ入院するようにとのこと。

8月にみんなで温泉に行って、また抗がん剤治療が一段落したら次の旅行の計画を立てようと

頑張っていたけれど、先月からは抗がん剤ではなくモルヒネを投与してもらっている。

自力ではもう立てないので、入院の際には私が車で送ると申し出ると

「それはいいから、翌日来て欲しい」と・・・。

叔母が言うには、「(入院に)なかなか首を縦に振らないのは、もう二度と家には帰れないと思っているから。

家を出るときの様子を見られたくないからだと思う。」

叔父と私はお互いが、初めてのいわゆる「ガン友」だった。

今は叔父も私も仲間がたくさんいるけれど、私の告知からちょうど2ヶ月後に

叔父は「食道がん」を告知された。

心の中はどん底で、頭は真っ白だったはずなのに、私に電話で報告してきたとき

「先輩!あとをついていきますんで、よろしく!」と明るく笑っていた。

60キロあった体重は今では30数キロ。

できる治療は全てこなしていっていたけれど、10月に会ったときに

「抗がん剤はもうイヤやなあ」と初めて弱音を吐いていた。

叔母も「もういいかと思う」と言っていた。

奇跡が起こることを望みたいけれど、それはもう残酷なことなのかもしれない。


     

いつもと変わらない今朝の空。

忘れてはいけない日のような気がして、携帯を空に向けた。

おっちゃん、明日会いに行くよ。




(勝手ながら、コメント欄は閉じさせていただきますね、ごめんなさい。)

ほのぼの・・・島の旅 Part 2

2009年12月01日 | 日々のこと
前の記事に引き続き 小豆島の旅 二日目です。



朝の満潮時のエンジェルロードはもうすっかり道も海の中です。

朝風呂に入って浴衣姿の主人と娘が眺めているところ。

ちなみに前の記事にもUPしましたが、干潮時のエンジェルロードを比べてみると・・・

      

      自然は時に人間の小ささを思いしらせますね。


朝食を食べて荷造りしたら、今回一番楽しみにしていた岬の分教場へ向かいました。



      

      こちらは昭和46年に廃校になるまで実際に使われていた校舎です。



     

           

         大切に島の方々が保存されているのがわかりました。

         でも入り口には「私たちの通った学校です。土足であがらないでください。」の張り紙。

         ちゃんとスリッパも用意されてるのに、どこにでも不届き者がいるんですね

         今にも子供たちが走ってきそうな空気漂う校舎をあとにして

         別の場所に作られた映画村へ移動しました。
      
                      




映画で使われたボンネットバス

        

        子供が掘った落とし穴に落ちて足を怪我して学校を休んでいる大石先生に会うために

        12人の6歳の子供たちが、三里の道を泣きながら歩いて

        ようやく先生に会えたあとの記念の一枚

        この写真が最後まで涙を誘います




映画村の中では、こんな学校給食も食べることが出来ましたが、なんと 890円!

でも懐かしの揚げパンは熱々で美味しかったです

牛乳かコーヒー牛乳かをチョイスして・・・

みかんはもちろん冷凍みかん

時間はあっと言う間に過ぎていき、フェリーの時間を気にしながら・・・



マルキン醤油記念館へ・・・

入場料210円でお醤油付きでした 

無事二日間の小豆島の旅を満喫し、帰りのフェリーへと乗り込んだのでした~

お醤油の香ばしいかおり漂う、ゆったりと時間が流れている小豆島。

是非ともまた・・・う~ん、今度は夏に来たいなあと青い波を見ながら思ったのでありました。