秋晴れの佳き日

2013年09月23日 | 日々のこと
今年は2月の主人の交通事故に始まって、辛いことや哀しいことの連続で・・・

2013年は我が家にとっておそらく数十年に一度くらいの試練の年でした。


そんな中ようやく今日は本当に久しぶりに明るい気持ちになった日。


うちの家を設計し、苦労して建ててくださった設計士さんの結婚式にお招き頂く



         



披露宴会場は大阪市中央公会堂~。


ここは奇しくもOL時代に制服でよくお茶してたところです。


重要文化財らしく、大正時代の趣のあるどっしりとした建物・・・


さすが設計に携わる方はこういう処を選ぶのね。

          



          



なんだか古~~い昔の校舎か図書館の匂いがする~。



          


いよいよ宴の始まり・・・。



          



新郎・新婦はかなり大人な感じで、BGMもいい選曲(とはいえ誰の曲か知らない)です。


          


スープもはーと


皆さんのスピーチも簡単で、賑やかな余興や新婦の手紙もなく、気さくでリラックスした良い披露宴でした。


場所ととても合った静かな披露宴はこのところの疲れきった私たちの心を和ませ、とてもシアワセな気持ちになりました。


お二人から「ありがとう」を何回も言われましたが、こちらこそ佳き日をありがとうございました。


どうぞお二人とも、今日の日を心に留めて末永くお幸せに



            

もうひとつの別れ

2013年09月17日 | 日々のこと
実は・・・おとうさんが亡くなる2日前に、もうひとつの哀しい別れがありました。

2010年の記事に出てくるチエミさん・・・大好きな人でした。

私はチエミさんにお化粧だけでなく、いろんな事を教わりました。

娘ちゃんからチエミさんが旅立って数時間後に電話をもらい、すでにその日おとうさんも

昏睡状態に入っていたので、もしかしたらチエミさんのお通夜も告別式も行けないかもと

主人のそれこそ「今でしょ」の言葉に押されて、すぐにお宅に会いに行きました。



チエミさんはそれはそれは綺麗でお人形さんみたいで。

春に桜の写真を携帯に送ったら、すごく喜んでくれてたのに。

私の新居の完成を楽しみに待っていてくれて「もう少しだけ元気になったら行かせてね」と

言ってくれてたのに。



チエミさんが教えてくれたこと。

「一番大事なのは、生きていること」

なんにもいらない、と言ってましたね。

「生かせてさえもらえれば」って。

なんの欲が出ましょうか。

争い事をしている人、欲にからんだ人、命を粗末にしてる人。

そんな想いがわかりますかね・・・。



想い尽きず

2013年09月12日 | 日々のこと
ぼちぼちと片付けもしていかなくてはいけません。

でもおとうさんのいた家も庭も畑も、あまりにも名残りが多すぎて。

そしてあらためて見たら、おもしろい物も多すぎて時折一人で笑ってます。

   
        


いつもおとうさんがゴソゴソ(しつれい!)していた作業部屋。

この椅子に座っていろいろ細かいことしてました・・・とは言え具体的には何してたんだろ。

ガレージの隣に作った小屋ですが、農機具やら工具やらいろんな物の中に造花があったり

掛け時計が4つ、しかもどれも時刻はバラバラ。


        


窓枠近くにはネジをサイズごとにこんな風に分けてたり・・・。

蓋を板に取り付けて、ガラス本体をくいっと回してはずす。

これが出来たときは私を呼んでかなりのドヤ顔してました。

「おお~おとうさん!すごいですねえ」とちゃんと賞賛の言葉を忘れず返す嫁です。


        


天井には孫が使ってたお菓子入れ・・・捨てずにこんなところにい

あ、中は何が入ってるんだろ。見るのを忘れた。




こんな様子だけ公開したら申し訳ないので、おとうさんがこよなく愛した庭も・・・。


        


毎朝、毎夕いつもここの掃き掃除からが日課でした。


        


この奥に来年は茶室を設けるんだと張り切っていました。

春になると梅や桜が見事で、お花見に行く必要もないくらい綺麗です。


どこを見ても笑ってたたずんでいるおとうさんがいます。


さよなら、おとうさん

2013年09月10日 | 日々のこと
まるで映画のワンシーンのように、私の手を握って3回大きく深呼吸して、

コクリとそれは安らかに・・・眠るように、おとうさんは逝ってしまいました。

静かな夏の夜、これ以上ないくらい穏やかな最期でした。



私にとっては義理の父、舅ともいう人だけど。

その呼び名はかなり違和感がある。

なぜかものすごく気が合って、軽トラで田舎道を二人で走るときは話が尽きなくて。

おとうさん。

楽しくて、元気で、明るくて、周りの人を惹き付けて、話題が豊富で、ウィットに富んでて、面白くて・・・。

もうこの世のどこを探してもいない。


誰よりも元気だったおとうさんは、4月になんとなく食欲が落ちて5月10日にお腹が痛いと言い、

とにかく病院嫌いで怖がりなのに、この日は診てもらうと言った。

少し脱水気味とのことで、点滴をしてもらう前にCTを撮った。

点滴の最中に私は医師に呼ばれ、画像を見せられた。

素人の私が見てもはっきりと「それ」がわかった。

約10センチの肝臓がん。肩の骨にも転移してそれもすでに骨を溶かしていた。

昨年から肩こりがひどいと言ってた。

頭が真っ白になりながらも聞いてみた。

何の手立てもないことは見てとれたので、単刀直入に。

「あとどのくらいですか?」

「人にもよりますが・・・」 (そんな決まり文句はいいから)

「年は越せないと思います。」

「秋?」

「う~ん・・・」

そりゃ答えられないよね。私がもうわかったって顔をしてしまったのか、医師は

「ご本人には告知しますか?」

「それは家族と相談しますので、とりあえずは今日はやめてください。」

その後、皆で相談してもうほんの数ヶ月ならば告知はせずに望むことは出来る限り叶えてあげることに決めた。

それから私はまるでマラソンのスタートをきったかのように、可能な限り私の時間をおとうさんのために費やした。

痛み止めと称して10日後からモルヒネの投与が始まった。

気分がいい間に行きたいところへ行き、食べたいものを食べた。

畑が気になると言えば畑に入り、筍がまた林に残っていると言えば掘りに行き、

土を反したいと言えば耕運機に乗り・・・話がしたいと言えば語り合い。

3ヶ月の間に入院したのは3回で計20日ほど。

大好きな家で過ごせたのが何よりよかった。

6月末、家の裏の小川には毎年蛍が飛び交い、今年も見に行った。

いつもおとうさんと「ほ、ほ、ほーたるこい!」と呼びかけると不思議と蛍が出てくる。

今年もおとうさんは少し出にくくなった声で呼んでいた。

私は・・・多分おとうさんも、おそらくこれが最後なんだなと思いながら。

7月、モルヒネの量も少しずつ増えてきて、痛みはおさえられてもだるい日が多くなる。

たくさん話をした。

ものすごくたくさん。


「ありがとう、感謝してます。」一日に何度も口にするようになってきた。

「何を言ってるの、おとうさん、また頑張って復活しなきゃ」と握手してから一日を終える。

帰りの車で毎回、信号が見えないくらい、涙が出る。

また明日、おとうさんの前では泣かなくて済むように、いっぱい出しておく。



いつもどんな時も、いてくれて当たり前だと思っていた。

用事がなくても朝電話して、笑いあってた。

どうしてもおとうさんがあの家にいないこと、私の心が認めようとしない。

会いたいなあ。やっぱり今日も。


これから当分、自分勝手な回顧録になってしまいそう。

ずっとブログにもこれなかった間にも、毎日覗いてくださってたみなさん、ありがとうございます。