山本 博文「日本史の一級史料」光文社新書253 を読んで感じたことをとりとめなく書いておきます。
教科書などに書かれている歴史が、どのようにして明らかになってきたかの視点からの本です。前の「書物」は読み終わるのに時間がかかりましたが、この本はあっさりと読み終わってしまいました。
歴史の分野だと、こういう視点からの本も、一般書にになるのだなと感慨を深くしました。例えば、
「物質はどれも原子・分子(・イオン)が厖大な数、集まってできている。」という教科書に書かれていることが、どのようにして分ってきたのか?
を一般向けに書くというのは不可能に近い難事業だと思いますし、そもそもそんな本を買って読もうとする人は皆無に近いのではないでしょうか?
さて今、40年にわたる勤務の「古記録」を「整理」していますが、こういう本を読むと、ちょっと複雑な気持ちになります(^^;
薩摩藩政史料を鹿児島県令大山綱良が焼き捨てた話(p.140)、記録し残しておこうという気持ちと、ふっ切ってしまおうとする気持ち、その両者のせめぎ合いの中で生きているのが人間であり、人間のつくる歴史そのものなのかなと思いました。
著者が過日、腎盂がんで死去されたとのこと、読了後に知り、びっくりしました。
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