2023年8月20日放送のポツンと一軒家の後半は、宇和島市津島町上畑地の生家(地図A地点)を両親の没後、通って維持している清家さんの紹介です。
恐るべきことに、道行の最初から StreetView のない範囲なので、Google Map 上の推定位置を示すことにします。
恐るべきことに、道行の最初から StreetView のない範囲なので、Google Map 上の推定位置を示すことにします。
最初の映像はB地点で、正面に田んぼの中の一軒家、左手の山すそに何軒かの家が見えています。
少し進んでC地点で道が分岐し、右の道の前方に作業中の人影が見えます。
D地点で作業していた西谷さん(90歳)に伺ったところ、小島さんの家だろうとのこと。
西谷さんが先導して下さることに(E地点)。
F地点で立ち寄った橋本さんによると、小島さんの先の森田さんの家だろうと。
さらに先、G地点で山中さんに先導を交代することに。
山中さんの先導で探索再開ですが、進んでいる方向が逆?(H地点)。
Google Map で○で示した2本の鉄塔のドローン映像の見え方から、I地点付近上空からと思われます。
家がありましたが、通り過ぎました(J地点)。
K地点の小島さんの家で伺うと、目指す一軒家は森田さんではなく、この集落からは離れた清家さんと判明。
再び山中さんの先導で、少し戻ったL地点で左折してA地点に向かいます。
視界が開け、田植えされた田んぼが見え、奥の方にやしの木のある家が見えてきました(M地点)。
少し進んでC地点で道が分岐し、右の道の前方に作業中の人影が見えます。
D地点で作業していた西谷さん(90歳)に伺ったところ、小島さんの家だろうとのこと。
西谷さんが先導して下さることに(E地点)。
F地点で立ち寄った橋本さんによると、小島さんの先の森田さんの家だろうと。
さらに先、G地点で山中さんに先導を交代することに。
山中さんの先導で探索再開ですが、進んでいる方向が逆?(H地点)。
Google Map で○で示した2本の鉄塔のドローン映像の見え方から、I地点付近上空からと思われます。
家がありましたが、通り過ぎました(J地点)。
K地点の小島さんの家で伺うと、目指す一軒家は森田さんではなく、この集落からは離れた清家さんと判明。
再び山中さんの先導で、少し戻ったL地点で左折してA地点に向かいます。
視界が開け、田植えされた田んぼが見え、奥の方にやしの木のある家が見えてきました(M地点)。
2023年8月20日放送のポツンと一軒家は、帰れマンデーとのコラボスペシャルでした。前半は2019年9月22日と2020年3月29日放送のビフォーアフター合体スペシャルで放送された静岡市葵区諸子沢の黄金の茶の間(地図A地点)に、路線バス(静鉄バス藁科線)終点の日向(地図B地点)から徒歩で向かいます。
最初に降りたバス停はC地点の「杉尾入口」です。すぐ前の「ごほうぴ cafe」はお休みでした。
教えて頂いた「そば処 眞心」に少し歩いて着きました(D地点)。
そこで在来そばを頂いた後、すぐ前の「坂ノ上中」から再びバスに乗ります。
終点「日向」に着きました(B地点)。
バス停近くのお店で道を聞きました。1時間ほどかかるそうです。
E地点を進みます。
集落が終り、道が細くなります(F地点)。
右折して諸子沢方面へ(G地点)。
H地点を上って行きます。
I地点では、野生の鹿を見かけました。
J地点で、前方に見える道の勾配にびっくり!
さっき見えていた坂にさしかかる(K地点)。
黄金みどり茶園(佐藤さんの自宅)の入口に着きました(L地点)。
受付後、黄金の茶の間に向かいます(M地点)。
ヘアピン状に折り返す狭い道をA地点に向かって登って行きます(N地点、StreetView はここまで)。
E地点を進みます。
集落が終り、道が細くなります(F地点)。
右折して諸子沢方面へ(G地点)。
H地点を上って行きます。
I地点では、野生の鹿を見かけました。
J地点で、前方に見える道の勾配にびっくり!
さっき見えていた坂にさしかかる(K地点)。
黄金みどり茶園(佐藤さんの自宅)の入口に着きました(L地点)。
受付後、黄金の茶の間に向かいます(M地点)。
ヘアピン状に折り返す狭い道をA地点に向かって登って行きます(N地点、StreetView はここまで)。
2023年8月13日放送のポツンと一軒家は、岩手県山田町船越の山中(地図A地点)の漉磯さん一家の紹介です。当初は地図B地点の鈴木さんの一軒家を目指していました。
最初の映像は、山田湾岸沿いの山田町道 長林・大浦線のC地点を大浦に向かっているところです。
大浦漁港と大浦の家並が見えてきました(D地点)。
南側の家並を遠望しながら、工事中の大浦漁港周辺を進みます(E地点)。
少し進んでその少し北側の家並。
F地点で見かけた方(伊山さん)に伺ったところ、目指す一軒家は鈴木さん、もっと奥にも伊山さんの同級生の一軒家があるとのこと。
伊山さんの先導でG地点を進みます。
山田湾を左手に見ながら、H地点を進みます。
この先のI地点の分岐を右に進みます。
細くなった道を林の中を進みます(J地点)。
砂利道になりました(K地点)。
L地点を進みます。
ぬかるみの先の分岐を右に進みます(M地点)。
荒れた谷沿いに登って行きます(N地点)。
急坂が続きます(O地点)。
電柱があるところを曲がって進みます(P地点)。
再び舗装されているところに出ます(Q地点)。
B地点の鈴木家に着きましたが、鈴木さんは親の代に開墾して移住したので、伊山さんの同級生の漉磯家の方が古くからいたので、そちらを訪問するのが適当だと思うとのこと。そこで伊山さんに漉磯さんのところまで案内してもらうことになりました。
と、いうことで漉磯さんの一軒家へ向かいます(R地点)。
S地点を通り、
T地点を経てA地点の漉磯家に向かいます(途中、分岐して砂利道になるところからは、StreetView はありません)。
漉磯さんの長男の奥さんが育てた野菜を、三陸沿岸道路、山田IC近くの道の駅「やまだ」 に納品します(U地点)。
納品後と言っていますが北向きに進んでいるので、納品前?(V地点)。
大浦に戻って来て、W地点で左折します。
X地点の作業小屋では、義父の漉磯さんが雲丹の殻割り作業をしていました。
大浦漁港と大浦の家並が見えてきました(D地点)。
南側の家並を遠望しながら、工事中の大浦漁港周辺を進みます(E地点)。
少し進んでその少し北側の家並。
F地点で見かけた方(伊山さん)に伺ったところ、目指す一軒家は鈴木さん、もっと奥にも伊山さんの同級生の一軒家があるとのこと。
伊山さんの先導でG地点を進みます。
山田湾を左手に見ながら、H地点を進みます。
この先のI地点の分岐を右に進みます。
細くなった道を林の中を進みます(J地点)。
砂利道になりました(K地点)。
L地点を進みます。
ぬかるみの先の分岐を右に進みます(M地点)。
荒れた谷沿いに登って行きます(N地点)。
急坂が続きます(O地点)。
電柱があるところを曲がって進みます(P地点)。
再び舗装されているところに出ます(Q地点)。
B地点の鈴木家に着きましたが、鈴木さんは親の代に開墾して移住したので、伊山さんの同級生の漉磯家の方が古くからいたので、そちらを訪問するのが適当だと思うとのこと。そこで伊山さんに漉磯さんのところまで案内してもらうことになりました。
と、いうことで漉磯さんの一軒家へ向かいます(R地点)。
S地点を通り、
T地点を経てA地点の漉磯家に向かいます(途中、分岐して砂利道になるところからは、StreetView はありません)。
漉磯さんの長男の奥さんが育てた野菜を、三陸沿岸道路、山田IC近くの道の駅「やまだ」 に納品します(U地点)。
納品後と言っていますが北向きに進んでいるので、納品前?(V地点)。
大浦に戻って来て、W地点で左折します。
X地点の作業小屋では、義父の漉磯さんが雲丹の殻割り作業をしていました。
近代科学の誕生 上 (講談社学術文庫 288)
市民エコワークの古本リサイクルで貰いました。上巻については、訳者まえがきの中の次の言葉を具体的な事例をもとに説明していると受け止めました。
市民エコワークの古本リサイクルで貰いました。上巻については、訳者まえがきの中の次の言葉を具体的な事例をもとに説明していると受け止めました。
科学の画期的な発展はしばしば、従来と同じ一連のデータを用いながら、それを「新しい思考の帽子をかぶって」見直したことによって、つまり「科学者の精神の内部に起こった意識の変化」として招来されているのである。(p.8)
「いきおいの理論」というものは初めて聞きました。また、「血液循環の発見」が、近代科学の誕生に重要な役割を果たしていたというのも知りませんでした。
ベイコンの帰納法とデカルトの演繹法というよく語られるパターンも、具体的なことがらを踏まえて理解できます。
以下、例によって印象に残った箇所を抜き書きしておきます。
ベイコンの帰納法とデカルトの演繹法というよく語られるパターンも、具体的なことがらを踏まえて理解できます。
以下、例によって印象に残った箇所を抜き書きしておきます。
十六世紀の著作家たちの中には、自分の眼でものを見ることの重要性を説きながら、自身は、木や風景を観察しても古代の学者たちが示したものしか見ることのできない人々がいた、とということが明らかにされている。(p.74)
しかしここで、人間の頭というのは、過去においても現在においても、事実を集めていくにあたって何と柔軟性に欠け、思考の枠組を改めるのに何と手間がかかるものかということを、もう一度思い起こしてみる必要がある。(p.85)
仮説という仮説はすべて捨て去って、いっそう正確な観測結果の集成に取りかかるべきだという意見さえ出てきた。これに対してティコ・ブラーエは、何らかの仮説による手びきなしでただ観測することなどできない、と反論している。(p.105)
十七世紀前半にファン・ヘルモントは気体の研究を行い、ガス(気体)という用語を作り出し、空気以外にも種々の気体が存在することを発見した。しかし彼には大きな障害があった。研究の対象にしようとする特定の気体だけを集める手段がなかったからである。(p.152)
ベイコンは、人が何か新しいことをやりとげようとするならば古い方法に頼っていたのでは無益で、どうしても新しいやり方が必要であるという考え方を、固く保持していた。とりわけ、ただやたらに実験するのではなくて、実験を方向づけていく必要性を強調した。(p.161)
デカルトの総合には、高度に凝集した演繹的体系が備えている無駄のなさがあった。その精密な構成は、将来物理学がとるべき機構を予示するものであった。ところが、数学的方法と実験的方法との結合を見たイギリスでは、十七世紀の幕がまだ閉じないうちに、そのデカルトの自然科学を追い落としてしまうことになるのであった。(p.183)
仮説という仮説はすべて捨て去って、いっそう正確な観測結果の集成に取りかかるべきだという意見さえ出てきた。これに対してティコ・ブラーエは、何らかの仮説による手びきなしでただ観測することなどできない、と反論している。(p.105)
十七世紀前半にファン・ヘルモントは気体の研究を行い、ガス(気体)という用語を作り出し、空気以外にも種々の気体が存在することを発見した。しかし彼には大きな障害があった。研究の対象にしようとする特定の気体だけを集める手段がなかったからである。(p.152)
ベイコンは、人が何か新しいことをやりとげようとするならば古い方法に頼っていたのでは無益で、どうしても新しいやり方が必要であるという考え方を、固く保持していた。とりわけ、ただやたらに実験するのではなくて、実験を方向づけていく必要性を強調した。(p.161)
デカルトの総合には、高度に凝集した演繹的体系が備えている無駄のなさがあった。その精密な構成は、将来物理学がとるべき機構を予示するものであった。ところが、数学的方法と実験的方法との結合を見たイギリスでは、十七世紀の幕がまだ閉じないうちに、そのデカルトの自然科学を追い落としてしまうことになるのであった。(p.183)