クニアキンの日記

日々、興味を持ったことなどを調べたりして書いていきます。
旧日記の復元については7月13日の日記をご覧ください。

中山 茂「野口英世(同時代ライブラリー239)」岩波(1995)

2024-02-28 15:42:57 | 読書
中山 茂「野口英世(同時代ライブラリー239)」岩波(1995)

例によって百均本です。
著者はクーンの訳者として知られており、細菌学パラダイムからウィルス学パラダイムへの移行期という視点から英世の時代を捉えて書かれています。

最初の猪苗代の生家あたりの描写とか、横浜検疫所の話とか、Google map や StreetView を併せ見たりしながら興味深く読みました。

後半、きちんと外国人の人名を記憶して読めば、人間関係などもっと興味深く読めたろうなと思います。

以下、例によって印象に残った部分を書き抜いておきます。

最低線から国際的権威に駆け上って行った清作には、一つの固定した社会集団の社会意識の中に発生する羞恥心をゆっくり醸成するいとまはなかったし、またこの羞恥心の欠如が彼の生涯のバイタリティーの源泉ともなっている。(p.62)

栄養によって二世とふつうの日本人の体位の差を説明するのは俗説だ。実は明治のころ、日本に移民を募集に行った白人が、身体のよい青年ばかり選んで連れてきた。だから彼らの子供が平均の日本人よりも体位がすぐれているのは当然だ(p.103、シュワンテス博士による)

異郷のきびしい環境下で生き残った身心ともに強健な移民の子だから、二世は体位がよいのだ(p.104、在ロス日系一世の長老による)

もしいかさま師があらわれて、病原菌を見つけたなどと宣言し、科学界がそれにだまされたとすれば、そりすいかさま師の罪ではなく、そのいかさまを評価したことになった科学界の罪である。(p.219)

古風な功名争い式の学問観を持つ英世は、このチームワークが嫌いであった。チームワークでは良い仕事は出来ない、と常日頃信じていたし、またそう公言していた。(p.238)

研究というものは、それが未知の探究であるかぎり、決して工場生産のように計画的に生産されるものではない。(p.244)
コメント
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