Kumaのトライアスロン・シニアライフ My Big Challenge, Road to Kona

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MY TRIATHLON MEMORY Vol. 9- 1985年 初トライアスロン レース・ラン編 

2012-05-06 01:40:34 | 昔の思い出・レース備忘録 1983-2007

(初トライアスロン・バイク編からラン編へ、更新しばらく忘れていました。 申し訳ありません)

(随分昔のお話なので、記憶をたどりながら。。。)

 

バイクを無事フィニッシュし、やっと最後のランへ

ここまで9時間16分以上かかっているが、

制限時間17時間、24時まで残り時間7時間44分も残っているので、歩き倒しても制限時間内フィニシュできる。

なんて計算する余裕なんか全く無く、椅子にどかっと腰かけ、ランに移るべく着替え開始。

立っている体力がもったいない、温存していたい。。。疲労困憊。

足にはマメ防止のためワセリンをしっかり塗り、靴下を履き。。。。

格好はマラソンを走るときと同じ。  今のようにトライスーツなんて世に出ていない時代。

皆、ランパン、ランシャツ姿。 DAVE SCOTT  も SCOTT MOLINAも。

 

一分、一秒を争うような雰囲気もあまりなく、皆和気あいあい、、のようなのんびりトランジット

 とにかく時間をかけてラン仕様に着替えて、トイレへも寄って、やっとランスタート、

間違いなく15分以上、20分くらいのトランジットタイムだったのでは。

 

ようやく走り出しました。

手にはペンライトを持たされて。

間違いなくゴールする頃は真っ暗ですから。

左手にペンライト持っています。

ゼッケン243、この写真で見るかぎり、しっかりした足取りで走っています。

まだこの頃はトライアスリートというよりランナー的走りだったと思います。

鋭い、切れのある走り、でも粘りがありませんでした。 (今とは逆)

 

ランの写真はこれ1枚です。  この大会、なぜかゴールでの写真を撮ってくれませんでした。

少なくとも僕のゴールの写真はありませんでした。 非常に残念。

 

走り出しは小雨、そしてペースも初めてにしてはまずまずのペース、怖いもの知らず、

その後どうなるのかも知らず、快調なペース、おそらく最初の10kmは50~55分くらいだったかな?

 

ところが10km過ぎに突然、身体の異変、局地的異変、足が完全に止まってしまいました。

少し前まで快調だったのに、、、いきなり足が動かなくなってしまいました。

そして、小雨だった空も急変、土砂降り、目も開けていられないほどの大雨に。

 

ここらは歩きとスロージョグの繰り返し、100m歩いて100m走るみたいな、とにかく続けては

走れなくなっていました。  周り、前後には同じような人が、、とぼとぼ

 

幸いにも内蔵、身体は元気、意識も確か、、、元気がないのは足だけ。

エイドステーションで何を食べるか、それだけが楽しみ、次のエイドステーションまで、

ゴールまであと何キロ、そればかり、、何十回も思ったね。

 

周りではゴミ袋のようなビニール袋を寒さ対策でかぶっている人も多くいたなあ~

まだ若かったので歩くようなスピードでも身体の中はしっかりと燃えていたんだね。

大雨でも寒くなかった。

 

エイドで疲れて寝転んでいる人、道端に坐り込んでいる人、気持ち悪くなって食べたものをもどしている人

それを思うと元気な方だったんだなあ。

 

田んぼ路をくねくね走らされ、どう走ったのか、やっとびわ湖が見える湖畔道路に出てきた頃にはすでに薄暗く、

記憶定かではありませんが、25kmくらいで関門があり、遅い人は先に進めなくなります。

余裕で通過。

そして真っ暗になった頃、ようやく長浜を通過、、、ここからまだゴールまで10km以上

土砂降りですが、もうどうでもいい、それどころではない状態。

足はもうビッコ状態です。  左足のヒザ関節を完全に痛めてしまいました。

レースでなければとっくに止めています。

びわ湖沿いの路を南下、彦根を目指します。

とぼとぼ、、多分とぼとぼ、、時速7~8km?

そしてやっと彦根市内に、湖岸道路からそれて左折すると、どこからか

「あと2km! 泣いても笑ってもあと2kmだよ!頑張れ!」の声援。

土砂降りの真っ暗な中を傘をさして応援をしてくれる、それだけで元気が出ます。

 

そう、ここらはゴールとなる彦根城内に向かう道路、そこに入ったことを知り、

急に元気に。 

それまで足を引きずっていたのに、ウソのようにしゃんとした走りに変わった。

今でも信じられない。 

火事場の馬鹿力的走り、キロ8分がいきなりキロ5分台に

残り2キロで少なくとも5,6人は抜いてしまった記憶あります。

抜こうと思った訳ではなく、急に足が勝手に動きだした感じでした。

 

そしてやっとゴールとなる彦根城の敷地内、野球場のゴール地点のあかりが目に飛び込んできて、、

ゴールゲートが大風で大きく揺れていたのを覚えています。

ゴールゲートは風船のようなものでできていました。

このころ台風6号が接近中で風速は10m以上、瞬間的には20m近くあったとか。

 

そしてゴールゲートをくぐり野球場に入って残りは200mほど。

野球場内はもう田んぼ状態、大雨でぬかるんでいましたが、ゴールできる喜びで

200mをあっさり走りきってしまいゴールしてしまいました。

 

ガッツポーズでもしてゴールしたのか、その記憶さえありません。

ホッとした記憶、もう走らなくていいんだという解放感。

とにかく大雨の中のゴ-ルだったので、その余韻を楽しむ余裕もなく、

夜の10時頃だったので、早く眠りたいという思いからか、ゴールしてすぐに急いで

宿泊先の長浜行きのバスを目指して歩いて行ったのを覚えています。

 

後で冷静になって思いだすと、ゴ-ルの手前100mくらいのところで僕の前を走っていた選手が

突然しゃがみこんだような記憶が蘇りました。 

なのに声をかけるでもなく気づかないかのように抜き去った。 なぜ?

余裕が無かったことは確か。 一秒でも早くゴールしたかったことも確か。

ちょっと冷たいよね。

今だったら声をかけて一緒に手を繋いでゴールしていただろうなあ、という思いです。

全てが初めてのことだったから必死、余裕なんて無かったんだね。

その後、その方、KINOSEさんとは何年も一緒にびわ湖のレースを楽しみ、戦友のような仲間、友達になりました。

(当時の最強女性トライアスリート、今ではマーク・アレンの良き奥様です)

ゴール地点はこんな感じ。

 

 (初トアイアスロン、レース後、記録編へと続きます)

SEE YOU NEXT TIME!

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