2009年6月11日
警察、法務局人権擁護課への告白 ~白鳥決定を受けて劇的な展開となった
国家賠償請求訴訟と再審請求
「高知白バイ事件」という呼び名で通していますが、この事件は警察・司法史上特異な事件として後世に語り継がれることになるとみています。
すでに国賠訴訟が始まっていますが、再審請求にしても絶対的アドバンテージをもっている片岡さんサイドですから是が非でも実のある結果を得たいものです。過去にあった再審請求を調べてみても「高知白バイ事件」が異質であるとわかります。証拠のねつ造があったとか偽証があったとかいう他に、警察が直接の関係者になっていたことが決定的に違います。そのためその部分がどう作用するかを考えなければならず、その意味でも難しさがあるのだろうと思います。
難しい反面、心強い味方が大勢いらっしゃることは嬉しいことだと思います。果敢に証人になってくだっさた人には敬意を表したいですし、まだ証言までは至ってないが何かの拍子で証言してくださるかもしれない人もいます。そのような人たちに、またこの事件を応援くださってる全国の皆さん方にもいい結果をお知らせしたいものです。
で、再審請求を考えてみます。
何はさておき、「白鳥決定」です。
し・か・し、なんで判決文ってこうもダラダラと長いんでしょうか。どこが主語で述語はなんだといわれてもピーンときません。最低でも3つぐらいには分割できると思いますが、なんとかならないものでしょうか。
裁判員の皆さんもこんな長文を読まされることになるんでしょうか。迷惑なことですw。
白鳥決定
同法(註 刑事訴訟法)四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠と総合的に評価して判断すべきであり、この判断忙際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきである。
昭和50年05月20日最高裁判所第一小法廷決定
で、要約されたものが秋山賢三著『裁判官はなぜ誤るのか』の中に書かれています。その第三章から引用します。
一九七五年五月二〇日、最高裁第一小法廷は、白鳥(しらとり)事件(一九五二年の警部射殺事件で、無期懲役刑が確定していた)の再審請求について、請求自体は棄却したが、再審法理に関する重大な判示をした。すなわち、
①再審の場合においても、「疑わしいときは被告人の利益に」との刑事裁判における鉄則が適用される。
②その判断のためには、新しい証拠と旧証拠の両方を総合して判断するとする総合評価説を採用すべきである。
と提唱したのである。
「疑わしいときは被告人の利益に」はどこまでいっても通用するし、新しい証拠だけでなく、すでに提出された証拠も合わせて判断するよという判決で、従前にあった東京高裁の決定「開かずの門」を少し広げた格好となりました。
それを受けて「徳島ラジオ商殺し事件」の第五次再審請求へと続きます。
この事件は32年かかって決着しました。再審請求が4回出されましたがことごとく棄却されました。5度目で請求が認められましたが、悲しいことに判決の日には被告人は亡くなっていました。その姉弟妹四名に対し「被告人冨士茂子は無罪」の判決が言い渡されたと、担当した秋山裁判官が著書『裁判官はなぜ誤るのか』のなかで書いています。
見込み捜査だった検察、杜撰な一審、二審そして、隠された6枚の写真。
検察はどうして、この写真を隠匿したまま茂子さんを犯人として起訴し、訴訟を進めたのか。
と書いています。
高知白バイ事件を彷彿とさせます。
第四次再審請求のときの出来事が書かれています。
刑事訴訟法四三五条六号(再審請求は、有罪となった者が、明らかに無罪と認められる新しい証拠を提出したときに認められる)に該当する事由なしとして棄却した。
この間、NとAに対して偽証罪による告訴がなされたが、徳島地検は不起訴としていた。この不起訴処分に対して徳島検察審査会は「起訴相当である」との裁決をなし、検察に対して起訴するように勧告したが、徳島地検はそれでも起訴しなかった。
もし二人を偽証罪で起訴し、二人が有罪になれば、刑訴法四三五条二号「原判決の証拠となった証言……が確定判決により虚偽であったことが証明されたとき」には再審を開始すべしとする規定により、茂子さんに再審が開始されることになってしまう。
つまりは、検察は検察審査会の勧告を無視してまで、茂子さんの再審請求への道を徹底的に妨害したのである。
これまた高知白バイ事件を思い起こさせます。
まとめてみると、
この事件が劇的な展開になったのは、
1.白鳥決定が出たこと
です。が、その前に実は偽証をした二人があいついで
2.徳島東警察署、徳島地方法務局人権擁護課という公的機関に対して告白していた
ことが重要なポイントになりました。
話が前後し恐縮ですが、「偽証罪による告訴へ」とすぐ上の話につづきます。
第三章の終りのほうでこうかいています。
しかし、たとえ検察官の起訴が誤っていたとしても、審理する裁判官さえ慎重に科学的・合理的に判断する構えで審理をし、「疑わしきは被告人の利益に」との憲法上の原則に従って判決をしたならば、茂子さんがこれほどまでに苦しむこともなかった筈である。この事件における裁判官の事実認定は、通常、要求されている科学的・合理的判断というレベルからはあまりにも逸脱している。
著書では「
科学的・合理的に」という言葉が随所にでてきます。
昨日のエントリーで第六章をとりあげ「60年前の最高裁判例」を引き合いにだしました。裁判の現場でたとえ科学的・論理的証明が蔑ろにした判決を出したとしても、それだけで最高裁からはお咎めがないのは経験的にわかっていて、だからそれでいいんだと思って杜撰な判決を繰り返すことになっているのではないかと思われます。著者はそこに警鐘を鳴らしたく主張されているのだろうと行間を読んでそう思います。
事実、最高裁はそれら判決を支持していますし、上告をことごとく棄却してくれていますから、やっぱ最高裁の判例どおりにやっていれば大丈夫、と思い違いをしているものがいたとしても不思議はない、と。
彼らにしてみれば最高裁の判例は絶大なわけで、その通りにやっていてどこが悪いの!?というぐらいなことではないでしょうか。
実際にカタタヤスシ裁判官とシバタヒデキ裁判官に会ってここら辺を問い質してみたいものです。
事態が思わぬ展開になることも予想され、過去の事例が何かの参考になるかもしれないと思い取り上げてみました。