あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

育てる

2008-03-16 22:11:26 | テレビを観る
今朝、アイロンをかけながら『エジソンの母』の最終回を観ていた。

確かに、「万が一のことがあったら…」という親たちの心配は、子がいない僕にも理解できないわけでもない。だが、子供たちにとっての危険はそれ以外にもたくさんあるし、そのために親が四六時中付きっ切りでいる訳にもいかないだろう。ましてや、それは子供の成長にとっても良くないだろう。
一旦は「転校」の道を選んだ賢人親子だが、結局再び文部小学校に通うこととなって、何はともあれ良かったと思う。一人公園で泣いている顔や、転校が決まったとき、「人を幸せにするマシン」を作り、それを学校に置いた後、クラスの仲間の呼びかけに「ありがとう」とこたえて去っていく後姿、そう、腕で涙を拭っているように見えたあの後姿がとても悲しかった。

それにしても、何だかまったく観る気がなかったにも関わらず、熱心に見続けた。観ていて何となく、「子供を育ててみたい」とちょっぴり思った。まあ、もともと子供が嫌いなわけでもないし、それよりも子供を授かる手段を持っていないのが原因なのだが…
単に楽しいドラマでもあったが、いろいろと考えさせられた。その1つは、子供を育てるのは親や学校だけではなく、社会全体であるということだ。工事現場のおじさんや焼き芋屋のおじさんも、子供たちにとっての先生なのかもしれない。そう言えば、最近の子供は『はたらくおじさん』のような番組を見ているだろうか。
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行く先

2008-03-16 20:35:40 | 立ち止まる
川沿いの道の白線のその上に、丸い球のようなものがあった。
栗ではないし、一体なんだろうと思いつつ、「どうして?」という疑問が湧かないまま何となく見つめていた。今思うと、一体どこから来たのか。なぜ白線の上に止まっているのか。ここからどちらに行くのだろうか。それは誰が決めるのか…と、あれこれ考えてしまう。何だか、方向を見失ったままの自分に向けての「自問」のような感じがする。
「自分の行く先は自分で決める」と、言葉で言えば当たり前のように聞こえるが、実際はそのようには行かない。時には納得のいかない道に進まざるを得ない場合もある。それでも、いつまでも愚痴をこぼしていたところで前へは進めない。しっかりと折り合いを着けなければと思った。

池尻大橋に着くと、目黒川はここから先が暗渠になっていた。川沿いを歩く楽しみがなくなったのと体力の問題から進路を変え、渋谷駅まで歩くことにした。そんな風に、進路を曲げる場合もいくらでもある…
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秒読み…の前

2008-03-16 15:29:48 | つれづれ
家でじっとしているのに耐えられず、カメラを持っていて出た。行き先は決めていなかったが、ただ「春を探そう」という気持ちを携えていた。
そうはいっても、もうそこかしこに春は訪れていて、改めて何を探そうかと迷ったが、結局、中目黒の駅から目黒川沿いに歩いている。
川沿いの桜はたくさんの芽を付け、わずかに桜色をのぞかせ、花開くきっかけを待っている。そんな桜の姿を楽しむのも、何となく粋な感じがする。
さて、もうしばらく歩いてみよう。
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