加藤健一事務所 25周年記念公演『審判』
劇場:京都府立府民ホール・アルティ
作:バリー・コリンズ
訳:青井陽治
演出:星充
出演:加藤健一
過酷な演目だと思う。観る側にここまで緊張を強いる舞台を、他には知らない。
以下ネタバレ考慮しません。相当な再演であることと、伏せると物事が語れないためです。
1980年。加藤氏は、この作品を上演するために加藤健一事務所を設立したという。その後、定期的に再演を重ね。今回は、記念公演を締める演目として再演される。
観劇のきっかけ(初見時)は、フライヤーに書かれた文章だった。「たった一人で七万語という膨大な量の台詞をしゃべる(←不正確)」という、芝居の高度さに惹かれて迷い込んだ。展開された内容は、苦手の一言につきたのに。今も苦手なはずなのに。たぶん、これからもかかるたびに行くのだろう。
舞台装置は、黒幕前に証言台のみ。小道具は、小さな証拠品がひとつだけ。役者が、たったひとりピンスポットに照らされて。60日の期間の出来事を語り続ける、2時間半の舞台。
時は第二次世界大戦下。ロシア人の将校7人が、ドイツ軍の捕虜となる。食料も与えられず、衣服すら剥ぎ取られ。脱出不可能な修道院地下室に収監され。戦況の変化によって、置き去りにされてしまう。2か月後。彼らは味方によって発見される。生存者は、ふたり。あとの5人は・・・。
加藤氏演じるヴァホフが、軍事法廷の裁きの席に立っている。唯一、証言の可能な生存者として。おそらくは、軍部内にセンセーショナルに走り抜け。同時に、嫌悪感を生んだ一大事。水さえない状況であったはずなのに。彼は、同胞に食事の世話をしていたと言う。食べるものなど他にはありはしない。彼らは、互いを食べあって生き残ってきたのだ。生き残ったもうひとりは、すでに狂気の世界の住人となり、もの言えぬ状態で。なのに。彼は、平静そのもので証言台に立つ。ヴァホフの第一声。「嫌われているようですね。私は」
世の中と完全に断絶されたところで、生き残るためだけに組み立てられた驚愕の秩序を。そこで。誰が何をし、何をしなかったのかを。彼は語り始める。
最高将校が、飢えと渇きの極限状態で立てた作戦は。髪の毛による公平なくじ引きで、肉体の提供者を選出すること。結果は、張本人が提供者になるというもので。やはり公平に、皆によって絞殺され食糧となる。これらの手段は、彼らの手元になにひとつの道具もないことをも物語る。60日間のなかで、順に少なくなっていく同胞。抵抗しつつも、続けて提供者となった彼。それら、すべてを否定して自殺した彼。祈りのなかで自然と神に召された彼。病に冒され殺害されるに至った彼。すべてを正面から受け止め続け、とうとう狂気のなかに沈んでいった彼。それらを記憶のなかに綿密にとどめる彼。
いったい、誰がいちばん不幸でなかったのか。出来事のなかに、少しでも好転する「もしも」はなかったか。けれど。加藤氏の圧倒的な演技力は、それらすべての希望すら打ち消してしまう。次々と暴かれる事実の前には、仮定など無意味でしかなく。悲しみに泣くことは欺瞞でしかなく。いっそ、彼を憎んで終わりにしてしまおうかと揺れる。
劇場:京都府立府民ホール・アルティ
作:バリー・コリンズ
訳:青井陽治
演出:星充
出演:加藤健一
過酷な演目だと思う。観る側にここまで緊張を強いる舞台を、他には知らない。
以下ネタバレ考慮しません。相当な再演であることと、伏せると物事が語れないためです。
1980年。加藤氏は、この作品を上演するために加藤健一事務所を設立したという。その後、定期的に再演を重ね。今回は、記念公演を締める演目として再演される。
観劇のきっかけ(初見時)は、フライヤーに書かれた文章だった。「たった一人で七万語という膨大な量の台詞をしゃべる(←不正確)」という、芝居の高度さに惹かれて迷い込んだ。展開された内容は、苦手の一言につきたのに。今も苦手なはずなのに。たぶん、これからもかかるたびに行くのだろう。
舞台装置は、黒幕前に証言台のみ。小道具は、小さな証拠品がひとつだけ。役者が、たったひとりピンスポットに照らされて。60日の期間の出来事を語り続ける、2時間半の舞台。
時は第二次世界大戦下。ロシア人の将校7人が、ドイツ軍の捕虜となる。食料も与えられず、衣服すら剥ぎ取られ。脱出不可能な修道院地下室に収監され。戦況の変化によって、置き去りにされてしまう。2か月後。彼らは味方によって発見される。生存者は、ふたり。あとの5人は・・・。
加藤氏演じるヴァホフが、軍事法廷の裁きの席に立っている。唯一、証言の可能な生存者として。おそらくは、軍部内にセンセーショナルに走り抜け。同時に、嫌悪感を生んだ一大事。水さえない状況であったはずなのに。彼は、同胞に食事の世話をしていたと言う。食べるものなど他にはありはしない。彼らは、互いを食べあって生き残ってきたのだ。生き残ったもうひとりは、すでに狂気の世界の住人となり、もの言えぬ状態で。なのに。彼は、平静そのもので証言台に立つ。ヴァホフの第一声。「嫌われているようですね。私は」
世の中と完全に断絶されたところで、生き残るためだけに組み立てられた驚愕の秩序を。そこで。誰が何をし、何をしなかったのかを。彼は語り始める。
最高将校が、飢えと渇きの極限状態で立てた作戦は。髪の毛による公平なくじ引きで、肉体の提供者を選出すること。結果は、張本人が提供者になるというもので。やはり公平に、皆によって絞殺され食糧となる。これらの手段は、彼らの手元になにひとつの道具もないことをも物語る。60日間のなかで、順に少なくなっていく同胞。抵抗しつつも、続けて提供者となった彼。それら、すべてを否定して自殺した彼。祈りのなかで自然と神に召された彼。病に冒され殺害されるに至った彼。すべてを正面から受け止め続け、とうとう狂気のなかに沈んでいった彼。それらを記憶のなかに綿密にとどめる彼。
いったい、誰がいちばん不幸でなかったのか。出来事のなかに、少しでも好転する「もしも」はなかったか。けれど。加藤氏の圧倒的な演技力は、それらすべての希望すら打ち消してしまう。次々と暴かれる事実の前には、仮定など無意味でしかなく。悲しみに泣くことは欺瞞でしかなく。いっそ、彼を憎んで終わりにしてしまおうかと揺れる。
今回はもうチャンスがないんですけど...「加藤健一の年齢を考えると もう 次はないかもしれない」って...
早く言ってよ!
というか、逃げていました…。
だって、どこをどうひねっても明るい内容って出てこないように思えて。
でも、今回、観ることが出来てよかったです!
次が又、実現した時も行きます!!
こやまさん>
>悲しみに泣くことは欺瞞でしかなく。いっそ、彼を憎んで終わりにしてしまおうかと揺れる。
ここ、すごく解かります!
そう出来てしまえたら楽なのにと、私も思いました…。
mayumiさん>
観劇を希望されている、ご主人のためにも、加藤さんにはゼヒ又、上演の機会を作ってもらいたいですよね!
p(^^)q
地方公演で 近所(シアター1010とか、かめありリリオホールとか、松戸森のホール21とか)に 来ないかな...と 調べてみましたが ×でした。
> 又、上演の機会を作ってもらいたいですよね!
一票です。
期待させるだけになってしまうと申し訳ないですが。。
たぶん、まだ終わりにはならないと感じました。そのときには、ぜひ!
「逃げて」いた、というの。すごくわかります。
こやまも、先に知識があったら観ていなかったんじゃないかと思います。
過去作品についてのリクエストありがとうございます。ちょっと書きたくなったので、3回連載にしてみました。もう少々お待ちくださいませね。