写真とか録音は、過去の記録ではあっても過去そのものではない。過去はすでに失われている。
SFはアシモフの『銀河帝国の興亡』とかが実は一番ファンタジーに近いのかもしれない。
空間の中での我々の存在が「延長」ならば、時間の中での我々の存在は「持続」なのだろうか。そうすると、空間自体が動くわけではないのと同様、時間自体も流れるわけではない、ということだろうか。
時間というのは私たちを乗せて川を下る船のようなイメージがあるが、船は本当は私たち自身なのだろう。あるいは私たち自身が川なのだろうか。
#Gaza students celebrate their graduation on the rubble of their University..
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近代は完成したのでも臨界に達したのでもなく、ただ消滅した。(ヨーロッパ思想を読み解く)
まあ江戸時代は感性も臨界に達しもせずただ消滅したよな。
大日本帝国も完成することも臨界に達することもなくただ敗北し解体させられた。
まあそういう意味で、完成や臨界への到達を夢見る亡霊があらわれるのもある意味仕方がない気もする。
ナチスの亡霊は現れてもフランス第三共和政の亡霊は現れない。70年も続いたのに。最初から最後まであまり期待されてなかったからだなあ。
カリフ国家の亡霊はもう亡霊ではなくなりつつある感じもしなくはない。
「神を信じるとは、生が意義を持つことを見てとること」(ヴィトゲンシュタイン)
私は民主主義は疑った(信じようと思ったから)ことはあるけど理性を疑ったことはないなあ。ということは理性を信じようと思ったことがなかったということだな。
理性信仰というのはバカバカしいと最初から思っていた。でも信じようとしたことがないと近代の深さとか危機とか無残さというものは正当には理解できないかもしれないなと思った。
告知をば。ファイヤー・ガール2巻は来週16日発売です。心の片隅に置いてください。読切りも載ってますし。 pic.twitter.com/qACWK7aG2T