昨日は午前中に靖国神社に参拝し、午後はものを書いたり本を読んだり。夕方に出かけて、地元の文教堂、神田の三省堂、東京堂、東京堂ふくろう店などを物色。当初はどこも置いていなかった『マンガ嫌韓流』が、どこの書店でも置かれているようになった。丸善本店でノンフィクション部門4位くらいだったし、三省堂でも2位だった気がする。
以前も書いたが、題名はやや刺激的だが内容は冷静でさまざまな情勢を分析し事実を述べているもので、もちろんあまり広く一般に知られている内容とはいえないが、それだけに勉強になる内容だといっていいだろう。しかし、『嫌韓』の語に引っかかってどの書店でも扱わなかったためにアマゾンなどネット書店で爆発的に売れ、結局「売れる」ということが錦の御旗になってどこの書店でも扱われるようになったのだと思う。
もちろん、売れれば扱う、というのが正しい資本主義のあり方なのだろうが、当初は思想内容を問題にして売らなかったわけだから、その原則を貫かないのはなんだか今度はこっちが引っかかる。どんなに売れてもこの本は売らない、という姿勢の本屋がないということは逆にちょっと危険な気もしてしまう。
しかし、現実はそんなたいしたものではなく、おそらくは不穏当な題名の本の取り扱いに難色を示していたのが、売れているという現実に押されて行っちゃえということになっただけなのだろう。正義やら原則やらの重い問題ではなく、もっと軽いノリでゴーが出たととらえる方が当たっているのだろうな、とも考え直す。しかし、もっと本来の意味での、つまりレイシズム的に嫌韓的な書籍が出、それが売れた場合、いったいどういう対応を取る気なのだろうという危惧は残る。一部メディアに伝えているところによれば、韓国や中国では日本に対するそうした書籍が町に溢れているとはいうけれども。
結局、ふくろう店で鄭銀淑『韓国の「昭和」を歩く』(祥伝社新書)を買い、日本橋COREDOの地下で夕食の買い物をして帰る。
以前も書いたが、題名はやや刺激的だが内容は冷静でさまざまな情勢を分析し事実を述べているもので、もちろんあまり広く一般に知られている内容とはいえないが、それだけに勉強になる内容だといっていいだろう。しかし、『嫌韓』の語に引っかかってどの書店でも扱わなかったためにアマゾンなどネット書店で爆発的に売れ、結局「売れる」ということが錦の御旗になってどこの書店でも扱われるようになったのだと思う。
もちろん、売れれば扱う、というのが正しい資本主義のあり方なのだろうが、当初は思想内容を問題にして売らなかったわけだから、その原則を貫かないのはなんだか今度はこっちが引っかかる。どんなに売れてもこの本は売らない、という姿勢の本屋がないということは逆にちょっと危険な気もしてしまう。
しかし、現実はそんなたいしたものではなく、おそらくは不穏当な題名の本の取り扱いに難色を示していたのが、売れているという現実に押されて行っちゃえということになっただけなのだろう。正義やら原則やらの重い問題ではなく、もっと軽いノリでゴーが出たととらえる方が当たっているのだろうな、とも考え直す。しかし、もっと本来の意味での、つまりレイシズム的に嫌韓的な書籍が出、それが売れた場合、いったいどういう対応を取る気なのだろうという危惧は残る。一部メディアに伝えているところによれば、韓国や中国では日本に対するそうした書籍が町に溢れているとはいうけれども。
結局、ふくろう店で鄭銀淑『韓国の「昭和」を歩く』(祥伝社新書)を買い、日本橋COREDOの地下で夕食の買い物をして帰る。