戦争の記憶というのはどうも季節ものなのか、この時期になると話題になるが、しばらくするとうそのように話題に上らなくなる。大東亜戦争は昭和16年の12月から20年の8月までやっていたのだから1年365日が『戦争をやっていた日』であるのだが。
丸3年半以上、総力戦を戦う。第一次世界大戦の経験がほとんどない日本にとって、これは全く重要な出来事だっただろう。19世紀末以来、日本の戦争は大国ばかりが相手であり、清帝国・ロシア帝国のあとは新たに覇権を握りつつあったアメリカ合衆国と戦うことになった。しかし、日清日露の両役と大東亜戦争は根本的に周囲の状況が違う。例え後付けといわれようが、東亜解放を旗印にしたということは、欧米帝国主義国の事実上全てを敵に回したに等しい。ドイツやイタリアだって、本質的にはそう深い絆を有した味方と考えていたわけではない。妙な憧れが戦後の情報戦・思想戦で命取りになったことは痛々しい。
いずれにしてもこの戦争の経験が、日本にとって未曾有のものだったことだけは間違いなく、そしてそれに負けたことによって、戦争そのものがタブーとなるというきっと戦前の日本人から見たら思いがけない展開に至ったのではないかという気がする。
色々読んでいて思うのは、空襲や被災の体験が戦争という国家間の人為の行為の結果としてとらえられているというよりも、ある種の天災、つまりはある種の天罰としてとらえられているケースがかなり多いのではないかということである。これは勝者として進駐してきたアメリカ兵にもかなり意外な成功体験に結びついたのではないかという気がする。
自分たちが投下し町を焼き払った爆弾や焼夷弾を、敗戦国・被占領国の国民は天災・あるいは天罰と受け止める。戦勝国にとって、これだけ都合のいい現象があるだろうか。被支配者たちは昨日の敵の支配に従順に従っている。それもいやいやでなく自ら進んで、と見える部分はずいぶん大きかったに違いない。
アステカ帝国が滅びた理由、というのを昔読んだことがある。アステカの神話に、東の海から白い神がやってくる、というものがあり、白人の侵略者たちをその神たちと考えた、という話である。アメリカ人がどんな顔をして投下したか分からない爆弾や焼夷弾を(まじめな顔をして神に祈りながら投下したか、ジャップめ殺してやると思いながら投下したか、遊び半分で投下したか、さて)、天が与えた災害や罰としてとらえてくれる国民というのも、きっと占領軍は「日本人は実は未開の民なのだ」と考えたとしてもおかしくない。マッカーサーが日本人は12歳だと言ったというが、そのように侮られるのもそうした思想背景があったからではないかと思う。
戦災を天災と感じる観点が、もともと日本人にあったことはおそらく否定できないが、それを助長し利用した勢力は存在したのではないかという気がする。アメリカ側の戦争責任を問うことは東京裁判においては禁止され、厳しい検閲によってアメリカ側の行為は戦中戦後を通しすべて隠蔽された。結局のところ、それに多くの日本人が加担していることもまた事実だろう。
そして、その戦争を天災ととらえる感覚が、「そうしたばちの当たりそうな行為は一切だめだ」という国防恐怖症につながり、アメリカ軍が落としたことがあまりに明確な原子爆弾さえ、「過ちは二度と繰り返しませぬから」とまるで日本人が懺悔したような表現にされていることにつながっているのだと思う。
最近ようやく戦争中におけるアメリカ側の作戦行動の経緯などが取り上げられるようになり、まともに考えればいかに日本人が無法な攻撃に苦しめられたかということが理解されるようになってきたと思うのだが、その天災感覚はどうも多くの人にこびりついてもうはがせないようになっているように思う。
イラクでは、アメリカ軍の無法な侵略に対してこれだけの抵抗が続いている。抵抗しているのはテロリストだけではない。準占領下で憲法を作り「民主化」するというやり方も日本占領を下敷きにしているが、イラク人は誰が敵であるかを決して忘れない程度には聡明な国民であるように思う。
60年前、敗戦を受け入れ、占領を受け入れたことは、しかたがないと思う。戦勝国の気まぐれと復讐で多くの人々が処刑され、強制労働に駆り出されたことも、敗戦国の悲哀として憤懣やる方はないが受け入れざるを得ないだろう。しかしそれこそ、肉体は隷属させられても魂は売らないという心構えの日本人があまり多くなかったことが、私には残念でならない。軍部の圧力からの解放でほっとしてしまい、敗戦と被占領の世界史的な意味と位置づけを世界の状況を幅広く認識しながら構築し足りなかったツケが今回ってきていると思わざるを得ない。
昨日の日記に、日本がアメリカにしてやられていることを書いたら一気にアクセスが伸びたが、中国を批評する記事を追加したら急にアクセスが鈍った。そんなことを見てみると、日本人は基本的には気分としては反米なのだと思う。しかし、それが現実的でないことも良く知っているから、あまりそういうことを言いはしない。「アメリカこそが敵であった」という事実から目を逸らし、「空襲は天罰である」という妙な感覚に閉じこもったとはいえ、根本にある反米は覆い隠せないものがあるような気がする。そのあたり、ブラジルの「勝ち組」の人たちとちょうど逆の心理現象といえるのかもしれない。
「耐え難きを耐え」の詔勅から60年。今なお大東亜戦争の意味づけは、従って日本近代史150年の意味づけは、いまだに未完成のままである。
丸3年半以上、総力戦を戦う。第一次世界大戦の経験がほとんどない日本にとって、これは全く重要な出来事だっただろう。19世紀末以来、日本の戦争は大国ばかりが相手であり、清帝国・ロシア帝国のあとは新たに覇権を握りつつあったアメリカ合衆国と戦うことになった。しかし、日清日露の両役と大東亜戦争は根本的に周囲の状況が違う。例え後付けといわれようが、東亜解放を旗印にしたということは、欧米帝国主義国の事実上全てを敵に回したに等しい。ドイツやイタリアだって、本質的にはそう深い絆を有した味方と考えていたわけではない。妙な憧れが戦後の情報戦・思想戦で命取りになったことは痛々しい。
いずれにしてもこの戦争の経験が、日本にとって未曾有のものだったことだけは間違いなく、そしてそれに負けたことによって、戦争そのものがタブーとなるというきっと戦前の日本人から見たら思いがけない展開に至ったのではないかという気がする。
色々読んでいて思うのは、空襲や被災の体験が戦争という国家間の人為の行為の結果としてとらえられているというよりも、ある種の天災、つまりはある種の天罰としてとらえられているケースがかなり多いのではないかということである。これは勝者として進駐してきたアメリカ兵にもかなり意外な成功体験に結びついたのではないかという気がする。
自分たちが投下し町を焼き払った爆弾や焼夷弾を、敗戦国・被占領国の国民は天災・あるいは天罰と受け止める。戦勝国にとって、これだけ都合のいい現象があるだろうか。被支配者たちは昨日の敵の支配に従順に従っている。それもいやいやでなく自ら進んで、と見える部分はずいぶん大きかったに違いない。
アステカ帝国が滅びた理由、というのを昔読んだことがある。アステカの神話に、東の海から白い神がやってくる、というものがあり、白人の侵略者たちをその神たちと考えた、という話である。アメリカ人がどんな顔をして投下したか分からない爆弾や焼夷弾を(まじめな顔をして神に祈りながら投下したか、ジャップめ殺してやると思いながら投下したか、遊び半分で投下したか、さて)、天が与えた災害や罰としてとらえてくれる国民というのも、きっと占領軍は「日本人は実は未開の民なのだ」と考えたとしてもおかしくない。マッカーサーが日本人は12歳だと言ったというが、そのように侮られるのもそうした思想背景があったからではないかと思う。
戦災を天災と感じる観点が、もともと日本人にあったことはおそらく否定できないが、それを助長し利用した勢力は存在したのではないかという気がする。アメリカ側の戦争責任を問うことは東京裁判においては禁止され、厳しい検閲によってアメリカ側の行為は戦中戦後を通しすべて隠蔽された。結局のところ、それに多くの日本人が加担していることもまた事実だろう。
そして、その戦争を天災ととらえる感覚が、「そうしたばちの当たりそうな行為は一切だめだ」という国防恐怖症につながり、アメリカ軍が落としたことがあまりに明確な原子爆弾さえ、「過ちは二度と繰り返しませぬから」とまるで日本人が懺悔したような表現にされていることにつながっているのだと思う。
最近ようやく戦争中におけるアメリカ側の作戦行動の経緯などが取り上げられるようになり、まともに考えればいかに日本人が無法な攻撃に苦しめられたかということが理解されるようになってきたと思うのだが、その天災感覚はどうも多くの人にこびりついてもうはがせないようになっているように思う。
イラクでは、アメリカ軍の無法な侵略に対してこれだけの抵抗が続いている。抵抗しているのはテロリストだけではない。準占領下で憲法を作り「民主化」するというやり方も日本占領を下敷きにしているが、イラク人は誰が敵であるかを決して忘れない程度には聡明な国民であるように思う。
60年前、敗戦を受け入れ、占領を受け入れたことは、しかたがないと思う。戦勝国の気まぐれと復讐で多くの人々が処刑され、強制労働に駆り出されたことも、敗戦国の悲哀として憤懣やる方はないが受け入れざるを得ないだろう。しかしそれこそ、肉体は隷属させられても魂は売らないという心構えの日本人があまり多くなかったことが、私には残念でならない。軍部の圧力からの解放でほっとしてしまい、敗戦と被占領の世界史的な意味と位置づけを世界の状況を幅広く認識しながら構築し足りなかったツケが今回ってきていると思わざるを得ない。
昨日の日記に、日本がアメリカにしてやられていることを書いたら一気にアクセスが伸びたが、中国を批評する記事を追加したら急にアクセスが鈍った。そんなことを見てみると、日本人は基本的には気分としては反米なのだと思う。しかし、それが現実的でないことも良く知っているから、あまりそういうことを言いはしない。「アメリカこそが敵であった」という事実から目を逸らし、「空襲は天罰である」という妙な感覚に閉じこもったとはいえ、根本にある反米は覆い隠せないものがあるような気がする。そのあたり、ブラジルの「勝ち組」の人たちとちょうど逆の心理現象といえるのかもしれない。
「耐え難きを耐え」の詔勅から60年。今なお大東亜戦争の意味づけは、従って日本近代史150年の意味づけは、いまだに未完成のままである。