Feel in my bones

心と身体のこと、自己啓発本についてとつぶやきを。

「天災」としての空襲、「天罰」としての被占領

2005-08-15 13:52:46 | 雑記
戦争の記憶というのはどうも季節ものなのか、この時期になると話題になるが、しばらくするとうそのように話題に上らなくなる。大東亜戦争は昭和16年の12月から20年の8月までやっていたのだから1年365日が『戦争をやっていた日』であるのだが。

丸3年半以上、総力戦を戦う。第一次世界大戦の経験がほとんどない日本にとって、これは全く重要な出来事だっただろう。19世紀末以来、日本の戦争は大国ばかりが相手であり、清帝国・ロシア帝国のあとは新たに覇権を握りつつあったアメリカ合衆国と戦うことになった。しかし、日清日露の両役と大東亜戦争は根本的に周囲の状況が違う。例え後付けといわれようが、東亜解放を旗印にしたということは、欧米帝国主義国の事実上全てを敵に回したに等しい。ドイツやイタリアだって、本質的にはそう深い絆を有した味方と考えていたわけではない。妙な憧れが戦後の情報戦・思想戦で命取りになったことは痛々しい。

いずれにしてもこの戦争の経験が、日本にとって未曾有のものだったことだけは間違いなく、そしてそれに負けたことによって、戦争そのものがタブーとなるというきっと戦前の日本人から見たら思いがけない展開に至ったのではないかという気がする。

色々読んでいて思うのは、空襲や被災の体験が戦争という国家間の人為の行為の結果としてとらえられているというよりも、ある種の天災、つまりはある種の天罰としてとらえられているケースがかなり多いのではないかということである。これは勝者として進駐してきたアメリカ兵にもかなり意外な成功体験に結びついたのではないかという気がする。

自分たちが投下し町を焼き払った爆弾や焼夷弾を、敗戦国・被占領国の国民は天災・あるいは天罰と受け止める。戦勝国にとって、これだけ都合のいい現象があるだろうか。被支配者たちは昨日の敵の支配に従順に従っている。それもいやいやでなく自ら進んで、と見える部分はずいぶん大きかったに違いない。

アステカ帝国が滅びた理由、というのを昔読んだことがある。アステカの神話に、東の海から白い神がやってくる、というものがあり、白人の侵略者たちをその神たちと考えた、という話である。アメリカ人がどんな顔をして投下したか分からない爆弾や焼夷弾を(まじめな顔をして神に祈りながら投下したか、ジャップめ殺してやると思いながら投下したか、遊び半分で投下したか、さて)、天が与えた災害や罰としてとらえてくれる国民というのも、きっと占領軍は「日本人は実は未開の民なのだ」と考えたとしてもおかしくない。マッカーサーが日本人は12歳だと言ったというが、そのように侮られるのもそうした思想背景があったからではないかと思う。

戦災を天災と感じる観点が、もともと日本人にあったことはおそらく否定できないが、それを助長し利用した勢力は存在したのではないかという気がする。アメリカ側の戦争責任を問うことは東京裁判においては禁止され、厳しい検閲によってアメリカ側の行為は戦中戦後を通しすべて隠蔽された。結局のところ、それに多くの日本人が加担していることもまた事実だろう。

そして、その戦争を天災ととらえる感覚が、「そうしたばちの当たりそうな行為は一切だめだ」という国防恐怖症につながり、アメリカ軍が落としたことがあまりに明確な原子爆弾さえ、「過ちは二度と繰り返しませぬから」とまるで日本人が懺悔したような表現にされていることにつながっているのだと思う。

最近ようやく戦争中におけるアメリカ側の作戦行動の経緯などが取り上げられるようになり、まともに考えればいかに日本人が無法な攻撃に苦しめられたかということが理解されるようになってきたと思うのだが、その天災感覚はどうも多くの人にこびりついてもうはがせないようになっているように思う。

イラクでは、アメリカ軍の無法な侵略に対してこれだけの抵抗が続いている。抵抗しているのはテロリストだけではない。準占領下で憲法を作り「民主化」するというやり方も日本占領を下敷きにしているが、イラク人は誰が敵であるかを決して忘れない程度には聡明な国民であるように思う。

60年前、敗戦を受け入れ、占領を受け入れたことは、しかたがないと思う。戦勝国の気まぐれと復讐で多くの人々が処刑され、強制労働に駆り出されたことも、敗戦国の悲哀として憤懣やる方はないが受け入れざるを得ないだろう。しかしそれこそ、肉体は隷属させられても魂は売らないという心構えの日本人があまり多くなかったことが、私には残念でならない。軍部の圧力からの解放でほっとしてしまい、敗戦と被占領の世界史的な意味と位置づけを世界の状況を幅広く認識しながら構築し足りなかったツケが今回ってきていると思わざるを得ない。

昨日の日記に、日本がアメリカにしてやられていることを書いたら一気にアクセスが伸びたが、中国を批評する記事を追加したら急にアクセスが鈍った。そんなことを見てみると、日本人は基本的には気分としては反米なのだと思う。しかし、それが現実的でないことも良く知っているから、あまりそういうことを言いはしない。「アメリカこそが敵であった」という事実から目を逸らし、「空襲は天罰である」という妙な感覚に閉じこもったとはいえ、根本にある反米は覆い隠せないものがあるような気がする。そのあたり、ブラジルの「勝ち組」の人たちとちょうど逆の心理現象といえるのかもしれない。

「耐え難きを耐え」の詔勅から60年。今なお大東亜戦争の意味づけは、従って日本近代史150年の意味づけは、いまだに未完成のままである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

靖国神社に参拝する

2005-08-15 11:55:37 | 雑記
靖国神社に参拝に出かける。

昨年に続いて二度目なのだが、昨年は大雨だった。今年は曇りで実に暑いが、普段着で行こうという気持ちをやはりと思い直し、黒い服に黒いネクタイで出かける。強い雨が降りそうとのことだったので、早めに出かけようと9時前には出たのだが、九段下の駅はすでにかなり混雑していた。参拝の前に済ましておこうとトイレに行くと順番待ちになっていた。どうもお年寄りが多いので一人当たりの時間が長いらしい。まあしかたがないなと思いつつ、戦争といえば反射的にお年寄り、と思う日本人の感覚はいいことなのか悪いことなのか、と思う。戦争の当事国では、やはり戦争に結びつくのは若い人だろう。若い人が戦場に行くことのない国に生きているということ、をしみじみと思う。

エスカレーターは順番待ちなので階段で地上まで上がる。昨年と同様、機動隊が出ている。昨年は人出が少なかったが、今年は雨が降っていないためか仰山な人出だ。右翼の凱旋者などはほとんどいないが、いろいろなものを配っている人は沢山いる。人ごみにもまれながら大鳥居をくぐる。賛同では去年と同じく式典のテント。今年は参道自体にも沢山のバスが止まっている。そこを抜けると、乃木大将の扮装をした老人が取材を受けていたり、陸軍兵の格好をした人がラッパを吹いていたり、黒いTシャツの良く見る老人が沖縄のサンシンをひいていたり。普段はあまり目立たないが、こういう機会には沢山の取材を受けるから彼らもやりがいがあるだろうと思う。

マスコミの中継は沢山出ていたが、韓国KBSテレビの中継の横を通る。レポーターはちゃんと黒い背広を着ていたので好感を持った。ネクタイは黄色だったが。英語の話し声、中国語の話し声。手水舎で手と口を清め、中門の鳥居をくぐると、参拝客はお正月の明治神宮とは言わないが、かなりの行列になっていた。やはり八月十五日は、特に「耐え難きを耐え…」の詔勅から六〇年の今年は、特別な日、特別の年なのだなと思う。二礼ニ拍手一拝をきちんとやる隙間もない感じでしかし何とか小さな動きながらも参拝を済ませ、横に出る。缶コーヒーを飲んで一息入れ、周囲を見ようと拝殿の北側に回ると、なんだか異質な一群。行ってみると本殿参拝に来る政治家を待ち受けているらしき報道関係者の群れだった。しばらく見ていたが誰も来ないので参道に戻る。

先ほどのテントのところまで戻ると、テレビカメラと人ごみ。誰かと思ってみると、西村真悟だった。テレビの印象そのままであるが、西村塾とかいう人たちとともに参拝に来たらしい。大鳥居から九段下駅に戻ると、もっともっと続々と参拝客が神社に向かっている。やはり今日は特別の日だ。雨が降らず、お年寄りの方々も難渋しないで、無事参拝が済ませられればと思う。

八月十五日に参拝するのは、やはり英霊たちの健闘むなしく、日本が敗れ去ったということの慙愧の念を皆で共有し、中国の軍拡やアメリカの恣意的な世界支配という現代の危機に、日本を護り給えという祈りとわが国の弥栄を願い、鎮められた英霊たちと会話をしに行くところに意味があるのだと思う。過去、現在、未来が交錯する場所として、靖国神社は日本人の財産であると思う。

テレビでは、武道館の戦没者追悼式典をやっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩や絵画の流通の構造改革

2005-08-15 11:12:33 | 雑記
前後の記事と全く違う話だが。

以前に書いたようにメルマガで出していた詩を収録してまぐまぐ文庫で詩集を作ったのだが、ウェブで宣伝を書いて買ってもらうだけでなくどこか書店で置いてもらえないかと思い、ネットで幾つか調べてみたりした。

思いがけないことに、詩の雑誌としてはかなり幅広く知られていたサンリオ刊の『詩とメルヘン』が休刊になっていた。吉田戦車の『伝染るんです』では乙女チックなものの代表としてねたにされていたが、詩の雑誌の中ではかなり売れていたと思われる『詩とメルヘン』が休刊となると詩の世界も本当に厳しい情勢なんだなと思わずにいられなかった。

時々行っていた豊島区にある詩の専門書を置いている店はどうかと思いちょっとぐぐって見ると、確かに委託販売はしてくれるようだが金銭的なルーズさを告発する文章が出てきてやはり止めておこうと言う気になった。

現代詩というのは小説などとは違い売れるということがほとんど考えられない分野だから、それなりに(その世界では)知られている詩人でも自費出版であることが多い。個人的に売るのは限界があるから、委託販売をしてくれる書店は本当にありがたい。しかし、そのままでいくと、書店側が圧倒的に有利な関係が固定化してしまう。これは画家と画廊の関係などでもそうで、ずいぶん非近代的な関係が現在でもまかり通っているようである。
大量仕入れ・大量消費に向かない分野で新しいものを作り出すということはさまざまな面で大変で、不合理な構造が今でも解消されていない部分が多い。ネットの出現はひとつの可能性ではあるが、それで全てが解消されるわけではないように思う。

芸術的に良いものを作り出す土壌、そうした構造を作り出すことも、「構造改革」の課題においてもらえたらなあ、と思う。まあそれまでは、自分たちで悪戦苦闘するしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする