杉の樹大学同窓会(杉同)

杉の樹大学同窓会では杉並区高井戸地域区民センターにて時宜を得たテーマの講演会等を開催し高齢者の方々にご参加戴いています。

デジブック 『築城名人藤堂高虎の城』

2014年08月25日 | Weblog

デジブック 『築城名人藤堂高虎の城』

日時 平成26年7月12日(土)

会場 杉並区高井戸地域区民センター 多目的室

講師 築城愛好家 岡山信孝 氏

主催 杉の樹大学同窓会

内容 1.藤堂高虎という人物

     (1)司馬遼太郎の藤堂高虎に対する見方

       ①源平時代、鎌倉時代にもなかった武士の型であった。主家を選び一家に忠誠心はなく、

               中世的な武士道の好きな家康には理解しがたい武士であった。

             ②近江浅井家の家臣の家に生まれ、近江阿閇(あつじ)淡路守、磯野丹波守秀家、

               秀吉の弟秀長につかえ主家を転々とした。主家を変えるができたわけは高虎の武勇が

               尋常でなかったことによる。

       ③家臣を統御するのに利と射俸心で釣り、みずからの処世法も利と射俸心で動いている。

               豊臣大名の中では応接、交渉ごと、祝いの使者、もめ事の調停、宴会の接待などに

              長じていたし、露骨な功利主義を覆い隠すすべも知っていた。

     (2)十人の主人に仕えた75年の人生

             ①浅井長政の軍の一員として姉川の合戦に初陣(高虎15歳)。

                高虎最後の合戦は60才の大阪夏の陣。

       ②浅井の有力武将阿閇淡路守貞征に仕える(17歳)。

       ③浅井から織田信長に降った磯野丹波守員昌に仕える(18歳)。

       ④信長から磯野丹波守に養嗣子に入れられた津田七兵衛

        (織田信澄=信長弟信勝の子17歳)に仕える(19歳)。

       ⑤羽柴秀長(のち豊臣秀長)に仕える(21歳)。

       ⑥秀長死後、秀長養嗣子秀保(13歳)に仕える(36歳)。

       ⑦豊臣秀吉に請われて下山(死者は生駒観正)、伊予宇和島7万石。

       ⑧徳川家康(将軍 慶長8年(1603)~慶長10年(1605))。

       ⑨徳川秀忠(将軍 慶長10年(1605)~元和9年(1623))。

       ⑩徳川家光(将軍 元和9年(1623)~慶安4年(1651))。高虎没 寛永7年(1630))。

     2.藤堂高虎が徳川初期政権において果たした役割

       ①関ヶ原合戦以前に徳川家康と書状のやりとりがあった。

       ②伊予国で関ヶ原合戦後家康から戦功により20万石に。

       ③江戸城の縄張り(設計)。

       ④備中国内に2万石。

       ⑤慶長14年(1609)西国大名の500石以上の船に対応、交易を統制。

       ⑥傾聴16年(1611)肥後監国。

       ⑦家康と秀忠の仲介。

       ⑧日航東照宮造営。

       ⑨徳川大阪城の縄張り。

       ⑩秀忠娘和子(まさこ)入内。

    3.藤堂高虎がかかわった主なお城

       ①紀伊和歌山城  ⑥肥前豊臣秀保陣    ⑪伊予甘崎城    ⑯丹波亀山城

       ②大和郡山城    ⑦伊予宇和島城      ⑫伊予今治城    ⑰伊賀上野城

       ③(京都)聚楽第  ⑧伊予大洲城       ⑬伏見城       ⑱伊勢津城

       ④紀伊粉河城    ⑨順天倭城         ⑭江戸城       ⑲二条城

       ⑤紀伊赤木城    ⑩近江膳所城       ⑮丹波篠山城    ⑳徳川大坂城