杉の樹大学同窓会(杉同)

杉の樹大学同窓会では杉並区高井戸地域区民センターにて時宜を得たテーマの講演会等を開催し高齢者の方々にご参加戴いています。

戦後の社寺建築の変遷

2014年05月10日 | Weblog

 

 

 演題 戦後の社寺建築の変遷

日時 2014年5月10日(土) 13:30~16:00

会場 杉並区高井戸地域区民センター

講師 内田祥哉  東京大学名誉教授  

内容 戦後の伝統的木造建築は日本の建築界において阻害され、無視され、虐げられてきたことは知られていない。日本建築の中には、社寺建築の他に城郭、校倉造、書院、数寄屋など多様であり、明治になってからは、洋風建築が多くみられ、戦後はモルタル塗りがあり「日本の木造建築」を一纏めにすることは難しい。

まず、戦後の復興については、1948年建設省が発足、翌1949年建築局が住宅局になった。そのため建築行政は住宅の中に閉じこもってしまうことになり、住宅以外では学校は文部省、病院、保育所は厚生省ということになり、建築としてとらえることができにくくなった。

1950年旧建築基準法が制定され構造解析を義務付けられた。しかし、日本の木造建築は大工さんの木材が乾燥すればこうなるという経験に依って木材を使うので構造計算には乗らない。

木造建築の戦後の大きな変革は都市防火の考え方であり、その原因は空襲の都市火災にある。「防火・耐風水害の為の木造禁止決議」が1959年建築学会の近畿大会で出席者500名の満場一致で採択された。

その結果、例えば木造で学校建てようとすると補助金がでない、鉄筋コンクリートなら補助金がでるということになり、地方の山間僻地の小さな庁舎までも木造は駄目となった。また、鉄筋コンクリート造の型枠材として内地在が大量に木材が消費され、森林資源は枯渇した。その結果、型枠用の合板を輸入せざるをえなくなった。

一方、伝統的木造社寺建築に対する需要は根強く実際にはいろいろな形で実現してきた。伊勢神宮の式年遷宮、金閣寺消失後の再建。西の正倉院などである。 

建築学会内に「日本の伝統的工法の再評価とこれからの木造建築」というテーマの研究会を発足させ、現在の「木の建築フォーラム」という組織に発展させ木造建築も様子が変わってきた。                                                                       以上