こっぽんおりブログ

朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋(愛称:こっぽんおり)のブログです。

学校見学会(連続講座第2回)

2013-01-01 13:54:09 | 連続講座
11月17日に、こっぽんおりの連続講座第2回として、京都朝鮮中高級学校で学校見学会がありました。当日はあいにくの雨でしたが、留学同の学生なども参加して見学者は予想以上に多く、のべ30人ほどになりました。
午前中はまず、普段どおりに行われている授業の様子を、教室を移動しながら見せていただきました。国語、英語、数学、世界史、物理……と、日本の学校でも見慣れた授業風景です。ただ一つ大きく違うのは、どの教科も朝鮮語で教えられていること。板書や生徒たちの発言も朝鮮語です。学校の案内に、「母国語教育の実践」「母国語を生活の中へ取り入れ会話力アップ」と掲げられていましたが、その意欲と成果は校舎に一歩入ればすぐに見てとれます。日本の中にある学校の、すでに日本で何世代も経た家族の子どもたちが通う学校でありながら、ここでは民族の言葉が生活の言葉として継承されている……この事実にはいつも新鮮な感動を覚えます。そして、そのために重ねられてきた多くの努力を思わずにはいられません。
一方で、日本の学校と変わらないところもたくさんありました。理科室には水道やガス栓のついた机があり、ちょうど試験管を使って実験の最中でした。朝鮮語が聞きとれなくても傍で見ていると授業の内容は案外わかり、興味がわいてきます。一クラスの人数が少ないためか先生と生徒の距離が近く感じられ、当てられる前に発言が飛び交ったり、笑いがわいたり、温かく活発な雰囲気が印象に残りました。
その後、いくつかのグループに分かれてソンセンニムのお話を聞いたり、質問をしたりする時間がとられました。私のいたテーブルは、この学校の卒業生、日本学校出身の留学同の学生、日本人の見学者などがまじっていて、さまざまな立場から感想を出しあいました。子どもたちには朝鮮人として生きることを教えたい、というソンセンニムに対し、「朝鮮人として生きる」とはどういうことですか、と真剣に問いかける在日学生の姿も。その答えの中でソンセンニムが、日本で生活していても、少なくとも名前と挨拶くらいは朝鮮語でやっていきたい、と語られていました。ささやかなことに思えますが、そのささやかなこともしばしば難しい日本社会の現状を思うと、日本人としてあらためて恥ずかしく辛いものを感じます。本名やウリマルを使って生きていきたいという願いを、日本人と日本社会の側は、それが当たり前のことになる社会をつくっていきたい、という願いとして共有し、目指していかなければならないと思います。
その後に聞いた「無償化」問題をめぐるお話では、まさにそうした日本政府の偏狭さの実例が語られていました。審査中ということでいろいろな書類を次々と提出させられるが、他の外国人学校はその十分の一も出していないのに審査に通っている、朝鮮学校だけ長引かせるためとしか思えない、ということ。匿名の日本人から刃物と脅迫文が送られてきたりするという深刻な嫌がらせ。そして今年も「無償化」から除外されたままで卒業生を送り出さなければいけないのか……。

昼食は作業所「エルファ」のお弁当をいただき、座談会の後には、民族器楽部の学生たちの演奏を聴かせていただきました。膝にのせて弓で弾く弦楽器のソヘグム、フルートのような横笛のチョッテなど、伝統楽器で演奏される朝鮮民謡の音色はとても豊かで味わいがありました。民族器楽部は人数は少ないとのことでしたが、多くの見学者を前に情感のこもった独奏を披露してくれる姿に、日頃の努力と音楽への熱意を感じることができました。
民族器楽部の皆さん、ありがとうございました。

この日はその後、三条河原町で街頭署名活動を行う予定でしたが、雨が強かったため中止。
次の日に行われた署名活動については、また別の記事で報告したいと思います。