おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

入院7日目:6月13日 傷をみてみる

2017年06月16日 19時31分24秒 | 入院
入院も1週間、形成でOKが出たら退院できると聞いていた。

いざ、退院の話が出ると、日常生活不安・・・だってリクライニング機能付きのベッドがないし、自宅はシャワーがないから。

入院後、オペの日以外は快便快便~♪
オペの日は絶食しているからでないし、よかったわ。

バストバンドは日に何度も、ゆるまないよう、つけ直してねと指示。

形成の先生から、シャワーOKでる。
傷口を大事に洗ってあげてねと。

軟膏の塗り方とガーゼの当て方、テープを購入するよう指示を受ける。
ブラはアンダーが緩いものを使用するように。まだ腫れてるからと。
家にいるときはノーブラでもいいよ。出かけるときは病院で買った胸帯でいいよ。

16日に外来だから、14日15日は自分で処置してねと。。。

夕方、乳腺外科の先生と相談し14日の朝退院と決める。
本当は13日に退院できた気がするが・・・私が家に戻るのが不安で決めかねていて
14日になった。

夜、テープがかぶれて痒い(>_<)
ナースさんに氷枕で冷やすように言われた。

自分で処置することを念頭に、自宅で一人で傷口に対面するのは嫌だと思い
夜、個室トイレの鏡で、傷と対面する。

思ったよりも冷静に受け止める。
事前に本でみたとおり。
当然、もう前の右胸ちゃんはそこにはいないわけで。
注水してないお胸は、ペチャンコ。

でもね、涙はでなかった。

どんな自分でも自分は愛しい。
今の自分を否定なんて、する気にはなれない。

いつだって、案外自分の身体は自分で受け入れられるものだなぁ。
手術前みたいな、ジタバタするような、焦げ付くような気持ちはなく

夜のトイレの蛍光灯の下で、ひそやか右胸ちゃんは呼吸を打っている。
私は、これからもっと私を幸せにしていかんといかん。

そう思った夜でした。


形成外来の待ち時間に同病の方とお話しできる。
今回はシリコン入れ替えの方。
自家移植で乳首の修正の方。
いろんな方が、自分の体験を話して下さる。

きっと自分も将来話したくなるんだろうな。

話して昇華させたい気持ちと
自分の経験を参考にしてもらえればと言う気持ちと。

今回の入院で学んだことは

女って強い
女ってどこでも、輪になって助け合える。

女っていいもんだ。ってこと。


ロキソニンは1日2回になった。


入院6日目:6月12日 大胸筋のドレーンも抜ける

2017年06月16日 19時12分08秒 | 入院
朝も洗面台で頭を洗う。
病室でもカツラをつけている方を見かけるが
私はひらきなおって、人が少ない時間帯にハゲをさらしてあたまを洗う。

たまに患者さんに見られちゃうけど、洗える方がすっきりしてきもちいいもの。

体重が1週間で1キロ増加。。。

カロリー計算された食事と規則正しい生活なのになぜっ。

形成で残りのドレーン(大胸筋)も抜いてもらう。
今日の先生は、前回より上手なのか?抜くとき痛くなかった。

形成外科より:1カ月はリハビリしないほうがいいといわれる
乳腺外科H先生:「ドレーン抜けるの早いね!傷は形成の先生しか見れないから、傷見てもらってOKでたら退院できるよ」

ドレーン抜けてスッキリ♡調子に乗って歩きすぎたら、傷が痛んだ。

ガーゼが濡れた感じがしたらナースさんに報告するとのこと(実際に塗れることはなかった)
口内炎が気になっていたところ、歯科検診がある。衛生士さんに相談するも、退院が近く、自宅にくすりがあるので、そのままようすみ。

尿導カテーテルを抜いた後、数日少しの出血が気になっていた。
すぐに報告すべきだったが、そういうものかなとおもい言わなかった。
今日ナースさんに言ったら、通常出血しないものだとか。。
ほんの少しのことなので、これも様子見。段々下着につかなくなる。


ロキソニン1日2回。

実は、前日から隣のベッドに重症悪阻で緊急入院した22歳の妊婦さんが入院。
結果的に、お互いいろんな話ができるまでに仲良くなったのだが
それがわかったとき、私は自分の心の態勢を整えるため
しばらく病室から離れて、努力をしなければならなかった。
心が傷つかないように、自分自身に言い聞かせる努力。
それは、心身ともに不安定な術後の私にとって、とても懸命に行わなければならなった。

そして後日、新規入院のお向かいのベッドの方は乳癌再発で緩和ケアを受ける方。

隣の妊婦さんは昼夜問わず吐いているし、事情もあり、この方のお母さんはあまり周囲を気にしない方。。。(私の病名を知っているのですが、麻央さん大変ねとさらっと言われる)

緩和ケアを受けられる方は、すぐに部屋移動をされました。

この配置はもう少し配慮がほしかった。。

妊婦さんは妊婦さんで病室を固めてほしいし
乳癌手術を終えたばかりの私にとって、再発緩和ケアを受けられる方のお話は
身につまされる思いである。

誰も悪くないし
仕方ないし
被害者ではないけれど

どうにかしようとすれば
どうにかできたと思うのである。。。。

入院5日目:6月11日ブレストバンドをつける

2017年06月16日 18時55分23秒 | 入院
昨夜、眠れず。

起床後、自主的に歩く。
昨日より身体が楽だ。うれしい。

起床前に今後の仕事の候補を考える。

人の役に立てて、自分にもできそうな仕事

・声をかけていただいている米ぬか店で働く
・ワコールで働く
・カツラ関係の仕事
・病院受け付け
・ヘルパーの資格をとる

なんの取り柄もなく、元気なのが取り柄だったけど、それも今はないから、本当に今後どうしよう。やりがいのある仕事がしたい。

今日も形成受診。
先生がブレストバンドをつけてくれる。
きつめにまかないとダメなんだって。

きつくて、しんどいなー。
健康な胸がつぶれそうで心配。

でも、エキスパンダーが上に上がらないように抑えるため、これは必要なもの。


同室の方が、それぞれ術後回復してきたため(私も含め!)

女性同士、お話の花が咲く。

40代保育士さん
60代のお母さん
30代の私

とても気があって、それぞれの人生の深いところまで語り合う。
楽しかったし、誰も何もなくして生きている人はいないとわかる。

もうひと山、登りきってあと少し 
もう少し
頑張ろう。

よく頑張った。

追記:シャワー洗面台に頭を突っ込んで洗っていたら、面会に来た60代位の女性にじっと見られていた。
患者さんに見られるのは気にならないけど、面会者に見られるのは、嫌なものだ。

健康な人が、高みに登ったところから、のぞいているような、嫌悪感がある。
もしかしたら、これは、自分も健康だったとき(健康だと信じてた時)無自覚に
こういった視線を送っていたのかもしれない。
例えば
電車の中や学校やいろんなところで・・・。

もっと今より若く、健康で、世界に不幸や病気があることが
別世界だったころ。

自分の周りは、笑顔と面白いこと、可能性や興味深い経験にあふれていたあの頃。

世界の主人公は、自分ただ一人だとしんじてうたがわなかったあのころ。

いまでも私は私の人生の主人公だ。

でも、それは、みんなそうなのだ。

みんなが主人公なのだ。

自分以外はわき役のような、尊大な感覚は
若く美しいあの頃の時代、皆一通り経験するものだろう。

そして、ありがとうと言われる立場から
ありがとうと言い続ける立場になったときの、ふがいなさよ。

健康のありがたみよ。

シンプルに身体と心をもっといたわろうと思う。

すべての経験が、私の血肉となり栄養分になって
隅々まで行き渡りますように。


入院4日目:脇のドレーンが抜ける

2017年06月16日 18時33分39秒 | 入院
6月10日

主治医はリハビリを推奨。
形成チームはエキスパンダーが動くからNGと。
形成の先生が傷をみて、脇のドレーンを抜く。
ドレーンが2個から1個に減って、少しうれしい。
抜いた当日は、すこし、痛い・・・。

この日もロキソニンを1日3回。
別にロキソニンを飲まなくても、過ごせるレベルなのだけど
飲んだほうが、気分が楽なので、飲む。

まだリハビリはしないことにする。

私の病棟は婦人病棟なので、同室の方は私以外は婦人科の病気の人。
悪性の人もいれば、良性の人もいる。
良性の人は、着たかと思えば、すぐ退院で、その後も新しい方が入院してベッドが空くことはない。病気の人がいかに多いか・・・。

その日入院した方は、悪性か良性か境界とのこと。
局所麻酔で、円錐状にレーザーで切り取る手術だとか。
でも、早くわかってよかったねと、同室の人それぞれがいうが
ご本人は、いろいろ不安なのだろう
「でも、どうなるかわからない」
「病院の説明が不足して、パジャマの枚数が足りない」
「何日入院かはっきり言ってくれないから、嫁としての立場が~」
とか、いろいろまくしたてていた

術後間もない時期だったので、あまり内容は覚えてない。
タダ、子供が来て、大声で(術後だったからそう感じた)騒いでたのがきつかった。

よろよろとあるく練習をして帰ってきた私に挨拶をしてくださったのだが
ずっと立った状態で、彼女の病気発見の経緯と病院や義実家の文句を聞かされて閉口した・・

こちとら、術後なんだぜ。早く見つかったのがうらやましいぜ。家族がいてうらやましいぜ。
なんだか、悲劇のヒロインぶるなや。。。
と内心思うが、苦笑いの笑顔を、顔に貼りつかせたまま、うなづくしかできない。

理髪店を営んでいると聞いて、やや驚いた。。。。接客業なんだね。。。としか思えない。

こんないじけた気持ちになるのは、私が今しんどいからかしら。。。

女の嫉妬ってこういう感情なのかもしれないなぁ。私、人生はつの嫉妬を感じる。

1泊2日で退院した彼女から、「ママ友用に用意したメモなんだけど」と連絡先のメモやら
娘の情報や店の情報を書いたメモを渡された。

きっと妊婦さんがいる病棟に入院するつもりだったのだろう。

渡されたけど、きっと私は連絡を取らないだろう。

ママ友用かぁ・・・。最後まで気が付かない人だなぁ。と感じるのみであった。



15時半ごろ
両親とあねの家族がお見舞いに来る。姪が手紙を書いてきてくれた。

16時半
オペ後、初めての下半身シャワー。
おへそに血が固まってついてた。
手術したんだなぁ。
エキスパンダーの右胸と対面(まだガーゼで覆われている)
あらら意外と平ら。。。
まだ注水していなかから(これも人による。同日オペの方はすでに60ml入れてる。私は傷が開かないように、水を入れるのは6月15日は初めてとなる。この日60ml入れた)

意外と冷静に見ることができた。

この先の人生どうしようとはおもった。
あぁ結婚したい。
仕事どうしようかなぁという類の思案である。

眠剤を飲んで休むが、眠れなかった。

入院3日目:6月9日

2017年06月16日 18時27分30秒 | 入院
術後翌朝・・・。

痛みや同室の人のいびきで眠れなかったが、もう離床のOK指示がでる。
H先生より「2,3日でだいぶ楽になるからね」と。

形成の先生が、来て下さる。本当は自分から形成病棟の外来に出向くスタイルなのだが
まだ離床できてなかったので、先生が往診?に来た。

その後、放射線の先生がレントゲンを撮りに来た。(ベッドに寝たまま・・・)

この日の朝食から退院まで、食事はいつも完食!!!
すごいものである。。。。

ナースさんに付き添われて、歩く練習。
よろよろ、よぼよぼ・・・身体が歩き方を忘れている。
身体の動かし方を忘れている。
こわごわ・・・そっと。

その後身体を拭いてもらい、洗髪してもらう。
あぁうれしい。

微熱が出る。
ロキソニンは1日3回程度。
眠剤を飲んで寝る。