おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

そして告知

2017年01月22日 15時06分07秒 | 告知と治療方針
運命の日。

2016年12月3日(土)
母にもついてきてもらった。

外来に入室したとたん先生の手元の紙には「乳腺炎」と。
少しほっとしたのもつかの間。

「乳がんですね」さらっと。

やっぱりというか、信じられないというか。

乳腺炎と書いてあるのは、その疑いで病理解剖に出したから。
そこを私がみたらしい。

先生からいろんな説明がなされる。
HER2陽性だから、大丈夫とか・・・。
全摘になると思うとか。
そのあとシールタイプの乳房があるとか。シール!!!

再建したい希望を伝える。母は身体に負担だから反対と。

採卵したい意思を伝えたと思う。これまた母反対。
でも先生は。「ご本人が望んでるならやるべきですよ」と言ってくれた。

途中で、私は胸がドキドキしてくる。

先生「どうした?癌についての勉強してきた?」
私「本で読んだ程度ですが・・・」
先生「落ち込んでいても、治らないからね」

そのあと、今後の治療に必要な身体検査に行った。

当時の日記
大切にしてきた胸。彼がいつも褒めてくれた胸。
下着もたくさん用意して。
ケアしてきたのに。どうして。もっと大事にできなかったんだろう。
会いたい。


その日、姉に報告、夕方姉が来てくれた。
この時点で、私は主治医をココと決めたわけではなかった。
ズバッというタイプの先生なので、いちいち驚き、落ち込んでしまう気がして
セカンドオピニオンも受けようかと思っていた。

その日のことは、録音して何度も聞いたのに、いまだ思い出すことができない。

独りになると、いつも泣いていた。



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