Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
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「こども」とは。

2019年08月24日 18時22分34秒 | 日記
おはようございます。

私事ですが、先日無事に成人いたしまして

何かやらかすと実名報道されるようになってしまいました。

お祝いの言葉と同時にそんな忠告を受けた話はさておき

「もう子供じゃないんだから。」

なんて言葉を両親や近所の人、学校の先生などの

身近な大人に言われた事はありませんか?

一度もないという方。

立派です。

一度でも経験のある方。

一般的だと思います、気にせずに。

それでも親に

「もう子供じゃないんだから。」

なんて言われてしまうと何だか悲しくありませんか?

だいぶ前。

祖母を亡くした際に憔悴した親を見て思った覚えがあります。

幾つになっても子供なんだ、と。

そう言えば日本語で子供と書くとき

三通りの書き方が主流として存在しますね。

「子供」・「子ども」・「こども」

文字の”義”の観点から「子供」を考えると

「子供」とは複数であるように感じます。

現在、単数だろうが複数だろうが「子供」とされますが

言われ当時は違ったのではないだろうか。

そんな文字の”義”の観点で考えた結果

「子ども」表記が増えた。

これで大勢を指す”義”が消えた。

しかし、ここで語るのは「こども」である。

果たして「こども」とは。

”義”を有する「子供」・「子ども」は実子のニュアンスが強く感じる。

対して。

”音”と”形”のみ有する「こども」は決して実子のみを指す言葉ではないように思う。

年下や幼稚な人物が「こども」とされるように感じる。

実際はそんな事ないのだろう。

何故なら

「子供」・「子ども」・「こども」は

全て同じ”音”を持つものだから。

いや。

そう考えるのも早計か。

簡単な実験をしよう。

「あめ」だ。「はし」を使って「こうしょう」しよう。

あなたにはどんな風景が浮かんでいますか?

「雨だ。橋を使って交渉しよう。」
「飴だ。箸を使って高笑しよう。」
「天だ。端を使って高昇しよう。」

無茶な感じだろうか。

その点は数秒で考えた故に許して欲しい。

言いたかったのは同音異義語の存在である。

口語では意味の違いが分からないこともある。

という事だ。

いつの間にか「子供」の話から外れてしまったが

こちらもそろそろ時間切れ。

タイトル放棄の禁忌を犯そう。

いずれまた。

              それでは bye! Konemy





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