Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

冷たく重く、温かく軽い。

2021年02月03日 22時04分23秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

今日は節分……

もとい

昨日は節分でしたね。

割とそういった行事はやる方でして。

程々にですが。

なのでしっかりと恵方巻と相応の豆を頂きました。

玄関で豆も撒きましたよ。

常識の範囲内で唱えながら。

「鬼は外、福は内」

鬼といえば嫌でもよぎってしまう存在が

目の上のたんこぶのようにありますね。

嫌なんでよぎらせたままで。

詳細は書きませんが、私は嫌いな方です。

そもそも、節分で払う鬼は

所謂「鬼」ではなくて

「姿形が見えない恐ろしい何か」であったり

「害を成す邪悪な何か」であるので

角も牙もありませんよ。

あんな赤いお面なんか配るからいけないんです。

仮に角や牙があるからって滅して良いかと言われれば

必ずしもそうとは言えません。

安全を脅かす存在の排除は確かに必要ですが

まず対話を試みるべきです。

排除はその後の手段として。

最終手段です。

害獣相手に対話しろとは言いませんよ。

害獣相手なら、ね。

『存在してはいけない生き物だ』なんて

まるで自らが正義と勘違いしたような事を言う惨殺者を尊敬する

現代の小学生の倫理観が心配でなりません。

ただでさえ最近は二次元下でバタバタと逝き

現実世界ですら数字で表されて

ひどく軽いものになりがちですから。

私が初めて「死」というものに触れたのは2歳か3歳の頃でした。

正直、覚えていません。

身近な人を失った訳ではありませんが

決して無関係な人を失った訳ではありません。

ただ、覚えていないのですから思うことはありません。

記憶の中での最初は小学5年生の頃でした。

こちらはよく覚えています。

二親等の方でしたから。

その後

友人の親、親族、同級生二名

同年代の中では特に多いとは言えませんが

決して少なくないと思います。

ペットが旅立った時

その身体を抱き上げて感じたんです。

冷たく重たい、と。

肉体ってとても冷たくて、とても重たいんです。

そして思ったんです。

「命」って姿形は見ず、感じられないけれど

とても温かく、とても軽いものなんだ、と。

ここで言う「軽い」は価値の軽重ではなく

「儚い」と捉えてもらえると助かります。

人も鬼も害獣も

生物は遍く

冷たく重く、温かく軽い。

両者があって初めて「丁度良い」訳ですね。

はぁ。

分かっています。

権威ある者の言霊ならまだしも

背景のない凡人の言葉に価値なんてないのでしょう。

私の感じた事です。感情です。想いです。

そんな事、言葉にするもんじゃないですね。

ただ豆を投げるだけなのに

流石に考えすぎです。

              それでは bye! Konemy



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