Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
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No One

2021年10月22日 18時16分39秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近はどうだか分かりませんが

私が高校生だった頃

ひと昔まではいかないくらい前の話です。

国語の現代文

「哲学」に分類される評論文における流行りが

「自分とは何か」でした。

そもそも流行りなんてあるのか。

受験生当時

立場上、というのか

進路の関係で、と言いましょうか

現代文は結構な数こなしていました。

その過程の中で思った事です。

どこかのお偉いさんだったり

名物塾講師が

「いつ哲学の〇〇が流行るか。今でしょ!」

なんて言っていた訳ではありません。

あくまで私の経験則。

高校生に「自分とは何か」なんて問うなんて

大人はなかなかなことしてくれますよね。

ただでさえ思春期。

それも今後を大きく左右する試験において。

まぁ、そこに関して批判する気は更々ありませんが。

アイデンティティーは難しい問題です。

私はAIと人間の違いを聞かれた時

「唯一性」と答えますが

実際問題、自分と全く違う人しか世界にはいないのか

と、問われた時

私は「いない」と答えられない。

実際、私と全く同じ人はいませんが

隣人と私

何が違うのか。

何が優れていて、何が劣っているのか。

性別、年齢、性格。

違うものはたくさんあります。

でも、それが違うからどう優れているのか。

優しいから優れている。

もっと優しい人はいる。

文章が書けるから優れている。

所詮、素人の駄文です。

単に唯一性の議論だけするならば簡単ですが

「唯一性」が孕むオクの意味を考えてしまうと

私は黙らざるを得なくなります。

「自分って一体何なんだろう」

そんな事を考えている時に

私はふと、学芸会が好きだった事を思い出しました。

最後にやったのは小学六年生。

演技は上手い方でした。

幼稚園の頃から主役を堂々張ったり

名脇役、名悪役を務めるなど

結構活躍していたと思います。

中学生になって

都合により周りに全く知り合いがいない状況下で

私は自分を殺しました。

日常を演技しながら過ごしたのです。

大層な事を言っていますが

恐らく、大人の皆さんがいつもやっている事です。

本音を押し殺し、建前を並べ、表面上で過ごす。

12歳にして私はそれを覚えたのです。

6年後。

自分と演技の境目が分からなくなりました。

多くの大人がなっている現象だと思いますが。

現在。

何かを演じて過ごさなきゃいけない日常を送っていません。

そして、ふと思ったんです。

あぁ、他人を演じるのって楽しいことなんだなぁ。

勢いのまま書き進め

全くもってまとまりに欠ける文章

まさに駄文だったと思います。

普段から読み返すことはあまりしないですが

たまに読み返したりもします。

今回は読み返してしまうと投稿を止めそうなので

絶対に読み返さないよう。

勢いのままお届けします。

              それでは bye! Konemy