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Re: 追悼 阿久悠さん>一つの時代の終り 2007/ 8/ 4 10:11 [ No.22793 / 22815 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
>一つの時代の終り。
阿久悠はテレビ時代の作詞家でしたが、今はネットやワンセグ(携帯受像)の普及で、「一家に一台のテレビ」が過去のものになっています。
阿久悠が生きた「テレビの時代」は終わったか、または終わりつつあるといえます。
阿久悠の曲は「居酒屋」や「北の宿から」など、当時、子供だった世代でも知っている場合が多いのですが、もう、今では「一家、国民共通の歌謡曲」はなくなっています。
「レコ大」、「紅白」も今では必要なのか疑わしいほどになっています。
また、既に15年前ないし20年くらい前から阿久悠は「歌が空を飛ばなくなった」と言っています。
昭和が終わるあたりから、歌を作る側にとっては作品が賣れているという情報が傳わってくるだけで、街を歩いても賣れているという実感がない。
ひょっとするとレコーディングから実際の鑑賞まで、歌が(音波または電波として)一度も空を飛ばずに聴き手の耳に入っているのではないかということ。
ウォークマンの普及が大きく、今なら i-Pod と携帯でのダウンロード(取り込み)がある。
これはもう歌を聴くというより、歌の注射、歌の点滴に近い。
今や、歌は一つ一つの点に吸収されているだけで、決して線にはつながらないし、ましてや面にはならない。
阿久悠は以前からそういう時代の流れを感じていた。
それから「津軽海峡・冬景色」は夜行列車と青函連絡船があって、北へ行くのは哀しくて南へ行くのは希望を持っているような時代だから通用した歌で、今のように交通が便利になって数時間で到着できると、ああいう歌の情緒の定番がどんどんなくなる。阿久悠は「書き下ろし歌謡曲」でそう書いています。
これは メッセージ 22789 sleetblue_desu さんに対する返信です
Re: 追悼 阿久悠さん。 2007/ 8/ 4 9:59 [ No.22791 / 22815 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
>人一人亡くなったくらいで「時代」が終わるってのはあまり好きでない表現なんですよね。
>「この人の出現が時代を変えた!」というのならわかるんですが、それでもそれに該当する人物はそうは多くないし。
「好き嫌い」など全く意味がないし、どうでもいい話です。
なかにし礼はラヂオ、ジュークボックス中心で「テレビはいい歌を作ったら結果として出られるもの」程度の認識だったらしい。
これに対して阿久悠の場合、「スタ誕」は言うまでもなく、ピンク・レディーの子供向け路線や振りの真似など、いかにもテレビ向き。
阿久悠は「歌作りと新人發掘、プロデュース、映像メディアの一体化」という時代を作ったし、その意味では秋元康、小室哲哉、つんく♂の先輩と言えます。
昨日の「日経」などいろいろなところで阿久悠の「先見性」と「懐かしさ」を解説しています。
山本リンダの「この世は私のためにある」のような横柄さやヘソ出しルックは今の女のコに普通に見られるとか、以前の沢田研二のような中性的な男は今の日本では普通だが沢田研二に感じたような個性は今の若者にはなくロボットのようだという評も。
また、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」のように男女が話し合って納得して、再会を約束して別れるパターンは当時の日本にはなかったと阿久悠が著作で書いています。
>いかんいかん、最近のサッカーカテに書き込んでばかりいると精神が荒んでくる。
「サッカーカテ」の「カテ」って何ですか。糧のこと?
これは メッセージ 22790 junk_jak さんに対する返信です
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70~80年代の阿久悠について 2007/ 8/ 3 9:50 [ No.525 / 525 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
阿久悠はピンク・レディーの「UFO」や「モンスター」などの異色路線を作った人であり、企画、審査員として関わった「スター誕生」からは森昌子、山口百恵、小泉今日子などのスターを輩出した。
つまり、阿久悠は作詞に留まらず、プロデュースやオーディションまでやる意味では、小室哲哉やつんく♂のような綜合的プロデューサーの先駆けではなかろうか。
なかにし礼は「テレビは歌が良かったら出られるもの」という認識だったが、阿久悠はテレビ向けの歌を作る方向に行った。
その阿久悠も「歌が空を飛ばなくなった」と嘆くように時代の流れに懐疑的になっていたようで、今のようにテレビの歌番組事態が音楽の情報としては附属的になった時代では、阿久悠も「古き良き昭和」の象徴となるのだろう。
これは メッセージ 522 bjsrc165 さんに対する返信です
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阿久悠著「書き下ろし歌謡曲」 2007/ 8/ 1 23:31 [ No.523 / 525 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
おすすめの本です。
1967年から1994年までの阿久悠の作品が並んでいます。
「スタ誕」の審査員もやっていましたね。
阿久悠は前々から「歌が空を飛ばなくなった」、「一つ一つの点に吸い込まれているだけ」、「歌の点滴に近い」ということを嘆いていたようです。
ウォークマンの普及で歌が個人個人にダイレクトに届き、皆で共有するものでなくなり、今なら携帯や i-Pod でそれが加速されています。
尾崎豊や坂井泉水にしても、大ヒットしながら少し上の世代は全く知らなかったりしました。
今ではワンセグ(携帯受像)でテレビの趣味すらも「点に吸い込まれる」ということになるでしょう。
阿久悠によると山本リンダ、フィンガー5の場合は普通の流行歌ではない路線で、ピンク・レディーの場合も空飛ぶ圓盤でも透明人間でも野球場でもネタを持ってきて自由にやっていたようです。
その他では、桜田淳子の「わたしの青い鳥」と森昌子の「せんせい」があります。
また、阿久悠は沢田研二、ザ・タイガースにも歌詞を提供していますね。
石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」で描いた情緒なども、交通機関の変化、加速化で通用しなくなったそうで、これには同感です。
八代亜紀には「舟唄」、「雨の慕情」、「花束(ブーケ)」を提供しています。
1981年の西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおるの「鳥の詩」も阿久悠の作詞のようです。
珍しいところでは「ウルトラマンタロウ」と「宇宙戦艦ヤマト」もあります。
「青春時代」は最近、CMでも流れましたが、私が小学生のころ、はやっていました。
これは メッセージ 522 bjsrc165 さんに対する返信です
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投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
作詞家の阿久悠氏が亡くなりました。
「宇宙戦艦ヤマト」、「真赤なスカーフ」、「デビルマンのうた」、「今日もどこかでデビルマン」、「ウルトラマンタロウ」、「ザ★ウルトラマン」などを作詞したようで、改めて彼の作品を続けて聴いてみたい気がします。
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これは メッセージ 1 tamedas360613 さんに対する返信です
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阿久悠いわく「歌が空を飛ばなくなった」 2007/ 8/ 1 22:56 [ No.3431 / 3456 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
「書き下ろし歌謡曲」(97年、岩波新書)にある阿久悠の作品リストを見ると、1967年から1994年までの大ヒット曲が並び、改めて驚かされます。
阿久悠は「歌が空を飛ばなくなった」と前から嘆いていたようで、「書き下ろし歌謡曲」の前書きでも書いています。
曲が賣れているという情報は入ってくるのだが、実感がない。
下手をすると、レコーディングから鑑賞まで歌が一度も空気を飛ばずに(イヤホンから鼓膜までの外耳道の空気があるだろうが)聴き手の耳に入っているのではないか。
これは歌を聴くというより歌の注射に近い。
歌は空気を流れるものを皆で味わうのでなく、一つ一つの点に吸収されているだけではないか。
20年近く前、本で阿久悠のこういう嘆きが紹介されていたのを読んだ記憶があります。
昔、海岸では皆がスピーカーから流れる「砂に消えた涙」などを聴いていたそうですが、それが20年くらい前には砂浜で各自がラヂカセやウォークマンを持参してヘッドホンやイヤホンで聴くようになっていたようです。
これは メッセージ 1 tentitenmei さんに対する返信です
Re: 追悼 阿久悠さん>一つの時代の終り 2007/ 8/ 4 10:11 [ No.22793 / 22815 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
>一つの時代の終り。
阿久悠はテレビ時代の作詞家でしたが、今はネットやワンセグ(携帯受像)の普及で、「一家に一台のテレビ」が過去のものになっています。
阿久悠が生きた「テレビの時代」は終わったか、または終わりつつあるといえます。
阿久悠の曲は「居酒屋」や「北の宿から」など、当時、子供だった世代でも知っている場合が多いのですが、もう、今では「一家、国民共通の歌謡曲」はなくなっています。
「レコ大」、「紅白」も今では必要なのか疑わしいほどになっています。
また、既に15年前ないし20年くらい前から阿久悠は「歌が空を飛ばなくなった」と言っています。
昭和が終わるあたりから、歌を作る側にとっては作品が賣れているという情報が傳わってくるだけで、街を歩いても賣れているという実感がない。
ひょっとするとレコーディングから実際の鑑賞まで、歌が(音波または電波として)一度も空を飛ばずに聴き手の耳に入っているのではないかということ。
ウォークマンの普及が大きく、今なら i-Pod と携帯でのダウンロード(取り込み)がある。
これはもう歌を聴くというより、歌の注射、歌の点滴に近い。
今や、歌は一つ一つの点に吸収されているだけで、決して線にはつながらないし、ましてや面にはならない。
阿久悠は以前からそういう時代の流れを感じていた。
それから「津軽海峡・冬景色」は夜行列車と青函連絡船があって、北へ行くのは哀しくて南へ行くのは希望を持っているような時代だから通用した歌で、今のように交通が便利になって数時間で到着できると、ああいう歌の情緒の定番がどんどんなくなる。阿久悠は「書き下ろし歌謡曲」でそう書いています。
これは メッセージ 22789 sleetblue_desu さんに対する返信です
Re: 追悼 阿久悠さん。 2007/ 8/ 4 9:59 [ No.22791 / 22815 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
>人一人亡くなったくらいで「時代」が終わるってのはあまり好きでない表現なんですよね。
>「この人の出現が時代を変えた!」というのならわかるんですが、それでもそれに該当する人物はそうは多くないし。
「好き嫌い」など全く意味がないし、どうでもいい話です。
なかにし礼はラヂオ、ジュークボックス中心で「テレビはいい歌を作ったら結果として出られるもの」程度の認識だったらしい。
これに対して阿久悠の場合、「スタ誕」は言うまでもなく、ピンク・レディーの子供向け路線や振りの真似など、いかにもテレビ向き。
阿久悠は「歌作りと新人發掘、プロデュース、映像メディアの一体化」という時代を作ったし、その意味では秋元康、小室哲哉、つんく♂の先輩と言えます。
昨日の「日経」などいろいろなところで阿久悠の「先見性」と「懐かしさ」を解説しています。
山本リンダの「この世は私のためにある」のような横柄さやヘソ出しルックは今の女のコに普通に見られるとか、以前の沢田研二のような中性的な男は今の日本では普通だが沢田研二に感じたような個性は今の若者にはなくロボットのようだという評も。
また、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」のように男女が話し合って納得して、再会を約束して別れるパターンは当時の日本にはなかったと阿久悠が著作で書いています。
>いかんいかん、最近のサッカーカテに書き込んでばかりいると精神が荒んでくる。
「サッカーカテ」の「カテ」って何ですか。糧のこと?
これは メッセージ 22790 junk_jak さんに対する返信です
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70~80年代の阿久悠について 2007/ 8/ 3 9:50 [ No.525 / 525 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
阿久悠はピンク・レディーの「UFO」や「モンスター」などの異色路線を作った人であり、企画、審査員として関わった「スター誕生」からは森昌子、山口百恵、小泉今日子などのスターを輩出した。
つまり、阿久悠は作詞に留まらず、プロデュースやオーディションまでやる意味では、小室哲哉やつんく♂のような綜合的プロデューサーの先駆けではなかろうか。
なかにし礼は「テレビは歌が良かったら出られるもの」という認識だったが、阿久悠はテレビ向けの歌を作る方向に行った。
その阿久悠も「歌が空を飛ばなくなった」と嘆くように時代の流れに懐疑的になっていたようで、今のようにテレビの歌番組事態が音楽の情報としては附属的になった時代では、阿久悠も「古き良き昭和」の象徴となるのだろう。
これは メッセージ 522 bjsrc165 さんに対する返信です
トップ > エンターテインメント > 芸能人、タレント > 全般 > 70~80年代のアイドルについて
阿久悠著「書き下ろし歌謡曲」 2007/ 8/ 1 23:31 [ No.523 / 525 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
おすすめの本です。
1967年から1994年までの阿久悠の作品が並んでいます。
「スタ誕」の審査員もやっていましたね。
阿久悠は前々から「歌が空を飛ばなくなった」、「一つ一つの点に吸い込まれているだけ」、「歌の点滴に近い」ということを嘆いていたようです。
ウォークマンの普及で歌が個人個人にダイレクトに届き、皆で共有するものでなくなり、今なら携帯や i-Pod でそれが加速されています。
尾崎豊や坂井泉水にしても、大ヒットしながら少し上の世代は全く知らなかったりしました。
今ではワンセグ(携帯受像)でテレビの趣味すらも「点に吸い込まれる」ということになるでしょう。
阿久悠によると山本リンダ、フィンガー5の場合は普通の流行歌ではない路線で、ピンク・レディーの場合も空飛ぶ圓盤でも透明人間でも野球場でもネタを持ってきて自由にやっていたようです。
その他では、桜田淳子の「わたしの青い鳥」と森昌子の「せんせい」があります。
また、阿久悠は沢田研二、ザ・タイガースにも歌詞を提供していますね。
石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」で描いた情緒なども、交通機関の変化、加速化で通用しなくなったそうで、これには同感です。
八代亜紀には「舟唄」、「雨の慕情」、「花束(ブーケ)」を提供しています。
1981年の西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおるの「鳥の詩」も阿久悠の作詞のようです。
珍しいところでは「ウルトラマンタロウ」と「宇宙戦艦ヤマト」もあります。
「青春時代」は最近、CMでも流れましたが、私が小学生のころ、はやっていました。
これは メッセージ 522 bjsrc165 さんに対する返信です
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投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
作詞家の阿久悠氏が亡くなりました。
「宇宙戦艦ヤマト」、「真赤なスカーフ」、「デビルマンのうた」、「今日もどこかでデビルマン」、「ウルトラマンタロウ」、「ザ★ウルトラマン」などを作詞したようで、改めて彼の作品を続けて聴いてみたい気がします。
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これは メッセージ 1 tamedas360613 さんに対する返信です
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阿久悠いわく「歌が空を飛ばなくなった」 2007/ 8/ 1 22:56 [ No.3431 / 3456 ]
投稿者 : starr_pegasus_of_the_giants
「書き下ろし歌謡曲」(97年、岩波新書)にある阿久悠の作品リストを見ると、1967年から1994年までの大ヒット曲が並び、改めて驚かされます。
阿久悠は「歌が空を飛ばなくなった」と前から嘆いていたようで、「書き下ろし歌謡曲」の前書きでも書いています。
曲が賣れているという情報は入ってくるのだが、実感がない。
下手をすると、レコーディングから鑑賞まで歌が一度も空気を飛ばずに(イヤホンから鼓膜までの外耳道の空気があるだろうが)聴き手の耳に入っているのではないか。
これは歌を聴くというより歌の注射に近い。
歌は空気を流れるものを皆で味わうのでなく、一つ一つの点に吸収されているだけではないか。
20年近く前、本で阿久悠のこういう嘆きが紹介されていたのを読んだ記憶があります。
昔、海岸では皆がスピーカーから流れる「砂に消えた涙」などを聴いていたそうですが、それが20年くらい前には砂浜で各自がラヂカセやウォークマンを持参してヘッドホンやイヤホンで聴くようになっていたようです。
これは メッセージ 1 tentitenmei さんに対する返信です
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