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2013-06-28 21:54:00 | 漫画、アニメ
旧ドラえもんの全てが否定された?
takaokuyukiさん

旧ドラえもんの全てが否定された?

ちょっと難しい日本語の話になりますが…

旧ドラえもん(大山版)末期~終了までの流れについて話題になった時、
「末期ドラを見たF先生の遺族がアニメ打ち切りを提言した」という話になりました

その中である人(旧ドラアンチ)が「大山ドラは遺族から全否定された」と言い出したので
「否定されたのはあくまでも「末期部分(=当時の現状)」だけであって、過去の功績までは否定されていないのでは?」
と返したのですが、その人は
「最終的な部分(=当時の現状)への否定は、過去を含めた「全体の評価」であり「=全体への否定」と解釈するべきである」
と言い張って譲りませんでした

自分が考える「全体の評価」という言葉の意味は、
あくまでも「過去の得点+現在の得点=プラスマイナス含めた総合点」であって、
「現在点の低さによって、過去に獲得したプラス点そのものが否定され、無かった事になる」
というその人の解釈には全く同意できませんでした
(「君のテストの得点は最近低いから、昔取った100点も取り消し。昔から低得点ばかり取ってたってことにするからね」と言ってるようなものですから)

アンチ側の主張は
「最終的に迎えた結果は、それまでの行いの全ての価値や功績や得点を覆し、決定するものである」

こちら側の主張は
「最終的な結果がどうであれ、それまでの行いの価値や功績や得点自体は消えることはない」

この場合に使われる「全体の評価」という言葉の意味について、
日本語としてより正しい解釈が出来ているのは一体どちらでしょうか?

このスレでは終了間際ということもあって駆け足な書き込みとなってしまい、
こちらの意図が正確に伝わらず結論が出ないまま終わってしまいました(3~4ページ目です)

質問を要約すると
「末期を否定することは、全体を否定することと同意なのか否か」
「末期を否定されても、そこまでの功績は残るのか否か」
です
公正な目線でよろしくお願いします

質問日時:2013/6/27 18:07:23



komasaram

野茂英雄や松井秀喜の例で言えば、彼らの現役時代の功績は誰もが認めるところですが、引退寸前では実力も落ちて、どこの球団も採らなくなったのは当然です。ただ野茂英雄がメジャーで記録したノーヒットノーランや松井秀喜の日米通算本塁打記録まで記録から削除されたらそれは別の問題です。

さてドラえもんの場合、明らかに存在が抹殺されているのは日本テレビ版の方で、藤子F氏=藤本弘氏が日テレ版を不服と思ったとしても没後17年が経とうとしており、40周年でDVDすらも出る気配がないのは遺族の意向かどうかわかりません。

藤本弘氏の遺族がテレ朝大山ドラえもんの末期に不満だったかどうかわかりませんが、もし遺族が8年前の時点でドラえもん終了を望んでいたとしたら、実際は声優交代で存続したのですから、遺族の意向は却下されたことになります。
何より映画ドラえもんの累計動員数1億人突破で藤本氏の妻が祝福コメントを寄せているくらいです。

もともと大山のぶ代は21世紀に入って病気がちになり、降板を申し出て、自分の代でドラえもんが終わるのだけは避けたいと思って、次の世代に声優をバトンタッチしようとしていたようです。
よく大山ドラ世代が「ドラえもんは作者が亡くなった時に終るべきだった」とか「大山さんが降りた時に終るべきだった」などとバカを言って(書いて)いますが、もしドラえもんが大山ドラで終わっていたら作者没後の大山ドラ末期どころか大山ドラの26年間がズべて失敗作扱いされる恐れがあります。
それにもしドラえもんが大山ドラの代で終わっていたら、原作者没とほぼ同時期に終った「キテレツ大百科」や、声優交代の3年前に事実上終わった「ザ・ドラえもんズ」と同じように、知らない世代が徐々に増える結果となっていたでしょう。

これで思い出すのが「水戸黄門」です。
終了の原因について、東野・西村・佐野黄門のファンだった人たちは、石坂・里見黄門になって「水戸黄門」がつまらなくなったと考えているでしょうが、いざ終わってみると、世間的には42年続いた「水戸黄門」全体が時代に合わなくなったという結論になりますし、権威主義の象徴としてシリーズ全体が批判される場合もあります。

現在のドラえもんは1979年に始まったテレ朝とシンエイ動画のアニメが世代を超えて受け入れられているという風に見なされており、もはや「大山ドラ末期」がどうのこうのと騒ぐ人はネット掲示板を除くとまともな場ではまず存在しません。

私は大山ドラ末期はほとんど見ておらず「ザ・ドラえもんズ」もリアルタイムでは見ていないのでどうとも言えません。

ただ一部大山ドラ世代が相変わらず、藤子F氏が大山さんをほめた「ドラえもんはこういう声だったんですか」という趣旨の台詞をイスラム教のコーランのごとく(水戸黄門の印籠のように)ふりかざしているのは無様ですね。
原作者が生前、声優をほめたからって、そんなものは今では何の意味もありません。
もはや大山ドラ世代はドラえもんファンでなく大山さん個人のファンか、藤子F氏個人の信者と化しているのでしょう。

今は小学館と藤子プロがF氏の代理であり、それが作っているドラえもんが今の正式なドラえもんです。
前の声優にしがみついて「大山さんのドラえもんの声は藤子先生が認めた声だったのに」などとわめいている大山ドラ世代は自分の頭で判断できないのでしょう。

回答日時:2013/6/28 02:53:05