鼓事記(こじき)|プチ鼓堂 |曽和 鼓堂ブログ

自然に音を愉しんでいただける鼓堂です。

小鼓や能楽お好きでしたら‥。

心味の会解散の事

2009年12月31日 19時40分57秒 | Weblog
15年続けて参りました心味の会を発展的解散と致します事になりました。

永らく応援して下さり有難うございました。

思い起こせば15年前。二十歳そこそこのわたくしを引っ張って下さった兄貴達にとても感謝致しております。

また心新たに、新しい味わいを求め参ります。


では良い年をお迎え下さい。

京都薪能六十周年祝賀乱能

2009年12月28日 01時00分21秒 | Weblog
本日、祝賀乱能でございました。
たくさんのお客さまに来て頂き有難うございました。

わたくし安宅の強力でございまして、大変緊張して勤めさせて頂きました。

常のお舞台とは違いなるべく朗らかに勤める事に専念致しました。

しかしながら、なかなか難しいもので緊張の連続、汗だくでございました。

一首連ねましたのは‥お客さま 乱能に来てこそ笑いけれ 今日もご機嫌 スマイル スマイル でございました。いかがでしたでしょうか?

とりあえず無事に終わり安堵致しております。

小鼓を打たれた先生方は、ほとんどおじいちゃんにお稽古をして頂いた方で裏方的にも大変な一日でした。


安宅の新関より 千五郎家の親戚の方がわたくし的にはハードルの高い関でございました。

尚ちゃんお疲れさまでした。

皆様温かく見守って頂き有難うございました。



待つ

2009年12月21日 14時09分13秒 | Weblog
本日久しぶりに電車に揺られ執筆の心が湧く。あらゆる催しの納会を勤め終わり。満足なるお舞台を勤める。終わり良ければ全て良し!終わりは始まりに続く。また良き初会に続いて行きたいものだ。
しかしながら何だか達成感の後には必ず空虚感を伴う。次に来る達成感を待ちわびているのだろうか。
能の世界では待つというのは当たり前の様に付いてくる。
能を退屈だと思っている方からは何時終るのだろうかと待たれているだろうし‥。
真面目な話しシテの幽霊や何とかの精は弔いや救いを待っている。たまたま通り掛かる僧や人に出会う、そして話す。でもその出会いはたまたまで無くて必然かもしれません。ただ誰にもわかりません。
待つというのは何らかの希望や期待を得る為に待つ訳であろう。

能の世界も現代もゆるり待つという喜びを得るには至難の技や壮大な心が必要と感じる。

この拙い文章を待って頂いてる方には申し訳ございませんが、本腰を入れての執筆はまだまだお待たせ致します。
待つ!何を待ってる訳で無し。いや、わからないだけで何かを待っている自分がおります。
ホントに待つは厳しい心の行と感じるのは、わたくしだけではあるまい。