リゾートホテル社長になった(地位保全仮処分申立中)脱原発活動家のブログ           ~街カフェTV/藤島利久~

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竹林の清談をやってみたい・・

2015年04月29日 | 世界に拡げよう I am not Abe

選挙関係の動きは一段落した。。

今後、街カフェTVは営利企業を目指し、テレビ番組に伍する企画を打ち出してゆく。その構想の中でやりたいモノがある。。。以前から考えていたのだが、「竹林の清談」をやってみたいのだ。

とてつもなく世知辛い安倍政権下で、浮世離れした正論をブツ事からはじめる。。。キッチリとした街カフェTVのスタンスを打ち出す。日本社会にとって肝要な事は正論をぶつけ合い。それを拡散する事だ。


 

(以下、ウィキより)

竹林の七賢(ちくりんのしちけん)とは、3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した七人の称。

阮籍(げんせき)
嵆康(けいこう)
山濤(さんとう)
劉伶(りゅうれい)
阮咸(げんかん)
向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)

阮籍が指導的存在である。

その自由奔放な言動は『世説新語』に記されており、後世の人々から敬愛されている。七人が一堂に会したことはないらしく、4世紀頃からそう呼ばれるようになったとされる。

隠者と言われることがあるが、多くは役職についており、特に山濤と王戎は宰相格の高官に登っている。日本では竹林の七賢というと、現実離れしたお気楽な発言をする者の代名詞となっているが、当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、事実、嵆康は讒言により死刑に処せられている。

彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨(憤り)と、その意図の韜晦(目くらまし)であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明と賞される。

 

 

清談(せいだん)とは、古代中国における知識人たちの哲学的な談話のこと。

中国思想史において、儒教思想全盛の漢代から、魏の時代になり、知識人たちは常識的な儒教道徳を超えて、主に老荘思想を題材とする幽玄な哲学的議論を交わしていた。清談とは、世俗を離れた清らかな談話、という意味である。

いわゆる竹林の七賢の清談はこの代表例である。

ただし、竹林の七賢の逸話にもうかがえるように、世俗を離れた老荘的談話を展開した背景には、後漢から魏、魏から晋へと興亡相次いだ乱世にあって、儒教に忠実であること、世俗に関与することが政治的な身の危険に繋がったという事情も存在する。

なお、当時において知識人とはすなわち貴族であり政治家であった。その知識人がもっぱら世俗を離れた清談に終始していたことは、西晋の滅亡の大きな要因となったといわれる。