もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

柳よ泣いておくれ

2023年09月16日 16時36分29秒 | タイ歌謡
 そういう名曲がある。アメリカンのアン・ロネルという御婦人が作曲したもので、原題は「Willow Weep for Me」という。Willow Weep with Whiskey(ウィスキーと共に泣く柳)だったら頭韻の踏み方が素晴らしいんだが、残念ながら意味がわからない。でも初期のトム・ウェイツあたりに歌わせたいタイトルではある。そんなことより、この作曲者はディズニー映画の最初の大ヒット曲「狼なんか怖くない(映画・三匹の子ぶたの劇中歌)」の方が有名だ。作風が全然違うけど多作な人で、スコアも担当してるから、音が塊になって湧き出てくるタイプの人だったんだろう。この曲を発表したのはジョージ・ガーシュインと付き合っていた頃で、この作品はガーシュイン作なんじゃないかと陰口を叩かれたそうだ。まあ確かにガーシュイン作と言われれば(そうかな)と思うような作風ではある。当時ブルーノートスケールでの作曲は珍しかったから。乱暴に説明するとペンタトニックスケールに♭3度・♭5度・♭7度を加えるだけだから、ブルーズ感覚を醸すだけなら簡単なんだけどね。それよりもブルーノートスケールで美しい旋律を生み出すのが腕ってもんだろう。
 タイトルの和訳も、まあいいんじゃないか。名曲「You Don't Know What Love Is」は今でこそ英文をカタカナ表記しているが、おれがジャズを聴きだした頃は「恋の味をご存知ないのね」という邦題だった。大きく間違ってはいないが、ちょっとダサい。「Out of This World」なんて「浮世離れて」だぞ。これも今じゃカタカナ書きだ。そりゃそうだよね。都々逸の題目じゃないんだから。
 ところで「柳よ泣いておくれ」だが、1932年に作曲されたものだから、ざっくり90年ほどまえのことで、世界恐慌がまだ新鮮だった頃だ。この説明でピンと来なかったら、タイ(当時はシャム)ではラッタナコーシン王朝が終焉を迎え、立憲君主制になった年だ。ラッタナコーシン朝はラーマ6世(タイの音楽に西洋音楽を取り入れた人。『王様と私』のモデル。)の統治で、立憲君主制はラーマ7世だと思えば良い。とはいえラーマ7世の統治は短く、クーデターに次ぐクーデターで統治に嫌気がさし、立憲君主制になった3年後の’35年にはラーマ8世(当時9歳)に王位を譲っている。そのラーマ8世も第二次世界大戦終戦の翌年に額を銃弾で撃ち抜かれ事故死されているが、これによってタイの戦争責任を問うべき者がいなくなった、ということを指摘する文献は見つけられないので、無関係かもしれない。責任なんて取らされてないのかもしれない。そんなことを言うタイ人は、いないし、そう訊いても話をはぐらかす。ヘタすると不敬罪で逮捕されちゃうからね。まあ元凶は日本という国なので、日本人が追及しちゃイカンわな。ただ暗殺の実行犯が辻政信だという説もあって、ウソくさい。たしかに辻はロクデナシだが、なんていうかロクデナサさ(ヘンな日本語を作ってしまった)のベクトルが違う。王位は先代のラーマ9世(プミポン国王。国民の尊敬を集めた名君)に移行した。
 とはいえ、ふつうの日本人ならタイの歴史で説明されてもピンと来ないだろうから日本の歴史で言うと1932年は満州事変の翌年だ。関東大震災から9年後、太平洋戦争までの助走に加速がついた頃と言っていい。最初から、こう言えば良かったのか。
 ところで「柳よ泣いておくれ」を、このエントリのタイトルにはしてみたが、じつは本文とは関係ないという、このブログでは珍しくないケースだ。でもすんごくカッコいい曲で、だから紹介しようと思うが、ふつうは4/4拍子の所を3/4拍子で演奏すると面白い感じになって、そっちの方を紹介するのも、どうかしてるんだが、これがいい。
Willow Weep For Me
 フィル・ウッズというと、「あー。パーカー派の」なんていうふうにまとめられちゃうことも多くて、それで大きくは間違いない。チャーリー・パーカーの未亡人と結婚してパーカーの子供たちを育てている。ただゴリゴリのバッパーではなく、どんなスタイルでもこなす。フリージャズに近づいた時期さえあった。信頼できるサックス職人て感じで、年寄りならこの人のサックスは聴いたことがあるはずだ。ポール・サイモンの「Still Crazy After All These Years」のサックスのソロやビリー・ジョエルの「Just the Way You Are」のサックスもそうだ。
 仕事を選ばないで、何でもバクバク吹いちゃうタイプの「プロ」だったんだが、晩年に恐ろしい演奏を幾つか残していて、「People Time」っていうアルバムはガチで凄いから、機会があったら聴いてみるといい。過小評価っていうか、知名度が低いんで、これを褒めるジャズファンがいたら、もしかするとメンド臭い奴かもしれない。同調せずに「へえ、そうなんだ」って興味ないフリしたほうがお互いのためだったりして。と書いて「?」と疑問に思った。ググったら「People Time」はスタン・ゲッツじゃねぇか。ピアノのケニー・バロンも凄いよ。でもフィル・ウッズ関係なかったね。似てないのに、何で混同したんだろう。相変わらずテキトーで申し訳ない。
 
 おまけにタイトルとはカンケーないと言いつつ長々と書いてしまった。長々ついでに「柳よ泣いておくれ」のスタンダードな演奏も併せて紹介しておこう。
Willow Weep For Me
 いいね。ピアノが、これでもバド・パウエルだ。もう晩年だからそれまでの不摂生のツケが回ってボロボロのはずで、かつての稲妻みたいな指遣いはない。ただ、片鱗が随所にあって、聴いていて切なくなる。かつてはただの凄い人だったのが、ダメだけど凄い人になってる。晩年のパブロ・カザルスのホワイトハウスでの演奏みたいな、耄碌と肉体の衰えと崇高な音楽性が三つ巴でバトルしてるような鬼気迫るものではないが、音楽表現にドキュメンタリー要素やシチュエーション設定が絡むと、ちょっとヘンな感情が引き出されて、良かったり悪かったり、ただ圧倒されたりするよね。

 いや、カンケーないのは理解したが、なんで「柳よ泣いておくれ」なのか、というと、たんに柳の連想で、そもそもは洗濯物を干すときの、うちの奥さんの服や下着が小さくて、なんか切なくなっちゃうというのが、あったからだ。どう考えても洗濯物と柳に関係はない。ハナから無関係だと言っているだろ。威張ることはないが。
 タイ人って小さな人が多い。うちの奥さんも小さい。あんな小さなアタマだから、脳も小さいはずなのに、アタマが良いんだよな。ちょっと不思議。
 妊娠がわかって産婦人科に通ったんだよね。やがて、「骨盤が小さすぎます。帝王切開ですね」と言われたのは妊娠4ヶ月くらいの頃だったか。ああ、そうですか。と簡単に納得した。
 そうですか。まあそうでしょうね。タイ人って、帝王切開で産む人のほうが多いんだけど、みんな骨盤が小さいんですよね、と言うと、医師が「ええーっ! そうなんですか!」とひどく驚いていた。いや、カンボジアなんか男が子供を産むんですよ、くらいのほうが驚くかもしれんが、さすがにウソだとバレるだろう。
 うん。そうなんです。タイの女の人って柳腰が多くて、と答えると「はぁー。柳腰ねぇ」とオウム返しに繰り返していた。「やなぎごし」なんていう古めかしい日本語がツボに入ったようで、「柳腰ねぇ、うん。柳腰……」とニコニコしていた。まあたしかに想定しない答だったかもしれない。小さい人が多い国、ねえ。お伽噺かよ。
 医師の言うことをタイ語に通訳して聞かせていると、医師は「奥さんは日本語がわからない?」と失礼なことを言った。
 いえ。第二外国語は日本語を取ってたんですけど、おれのタイ語の方が良いというので。テレビ観て笑ったりしてるから簡単な日本語なら聞いて理解するのは問題ないようです。と答えておいた。だって病院だぞ。どう痛むのですか、と訊かれて「しくしく痛む」とか「差し込むように痛む」とか「ずぅーんと痛む」を外国語で遣い分けろと言われたら、なかなか難しいでしょ。
「あー。タイの方は、なん人かいらっしゃっていて、妊娠しないんで人工授精の相談ばかりだったんですが、そういえば皆さん小柄ですねぇ。それにしてもタイ語を話すダンナさんは初めてですよ」
 あ。そりゃ、結婚して欲しかったのが僕の方だったから、真剣にタイ語を憶えたんです。
「え……。あー……」
 おれがタイ語をガチで憶えた経緯を説明すると、だいたいこういう反応になる。そういえば食洗機を選ぶときに電気屋のひとが、若い人だったのに「え。奥さんに洗わせりゃ良いのに」と言うので、黙って店を出たこともあった。洗わせないために買いに行ったのがわからないのだろうか。タイ人は水仕事が好きな人が多く、それはたぶん暑い国だからかもしれないが、洗い物を溜めておくということをせずに洗剤ジャブジャブ染みこませたスポンジでガシガシ洗う。日本人とタイ人は食器洗いの際、すすぎを蛇口からの流水で行うばか国民の双璧で、水が豊富でタダではなくてもタダみたいな値段なんで、まあそれはいいんだが、うちの奥さんはゴム手袋を嫌う。なんか、まるでゴムでできた手袋でもしてるようだと。やっぱりか。わかるけどね。素手だと洗剤のエチレングリコールなんかが皮膚を通して染みこみ放題で、そんなものがうちの奥さんに染みこむのはイヤだったのだ。だって世界でいちばん綺麗な手なんだぞ。たぶん今年こそタイの人間国宝に指定されると思う。
 でも、そんなの説明するのもメンド臭い奴ですって言ってるのと同じだから説明は端折って食洗機が欲しいとだけいうと、「そんなものは女に洗わせろ」とか「尻に敷かれてるのか」とか、おれの予想もしなかった言葉が返ってきて、(あー。ここは日本だったなー)と思い出すのだ。

 柳腰の連想が転がったのは、それを思い出させる記事を読んだからだった。
 最近読んだ陽城晩報の記述に、「スリムな身体を目指してダイエットや体重を減らす習慣は現代人だけでなく古くから存在していた。古くは春秋時代、楚の霊王は腰が細いことが一種の美しさであると信じていたため、楚国の臣民も男女問わずこれに倣い、誰もが細い腰を求めて意識的にダイエットをした」というようなことが書いてあったのだ。そんなふうにときどき中文の記事を読むのは、中文って、勝手に意味が押し寄せてくるでしょ。あれが楽しい。高校の頃、古文・漢文だけはぶっちぎりの学年トップで、勉強法を訊かれて「いや。勉強なんてしたことないす。意味が勝手に飛び込んでくる」と答えたら、前世が漢学者だな、と言われた。そんなわけない。うちの奥さんに言わせると、おれは前世でも奥さんと結婚してたはずだ。てことはタイ人だろう。あ。それともタイの日本人町に居た日本人だったのか。
『戦国政策・楚政策』では、“灵王好小腰 楚士约食 冯而后能立 式而后能起 食之可欲 忍而不入”とあり、「霊王は小さい腰が好きなので、楚の士君子は食事の制限をする。馮(ひょう・速く走る馬)は立ち上がる姿が美しい。人もそうあるべきで、そのように美しい立ち姿でいられるのなら、いくらでも食べたいものを食べても構わない」みたいなことが書いてある。続いて『墨子・兼爱中』では“楚灵王好士细腰 故灵王之臣 皆以一饭为节 胁息然后带 扶墙然后起 比期年 朝有黧黑之色”、“同样是说 - 楚灵王喜欢士人拥有细腰 臣子们因此都投其所好而节制食量 一天只吃一顿饭 - 为了让腰围变细 往往做先收紧气然后才系腰带的动作 - 因为吃得少而没有力气 于是要靠扶着墙才能站得起来 经过一年时间 朝廷上的臣子都因挨饥受饿而变得脸色黄黑”とあり、「楚の霊王の優れた士君子は腰が細く、霊王の臣下は皆、祭事のように日にいち度の食事をとり、それを守れぬ者は脅して外へ連れ去り、(痩せ細って体力も落ちるので)壁を支えにしないと立ち上がれなくなる。宮廷は暗黒である」と。また、こうも書く。「楚の霊王は士君子の腰が細いのが好きなので、廷臣たちはみな自分の思いつくままの減量で食事の量を管理し、1日1食しか食べなかった。腰帯(の胴周り)が細くなるように。そして食べる量が減り、体力が落ちたため、立ち上がるためには壁にもたれなければならないほどだった。1年後、宮廷の廷臣たちは飢えのために、全員(肌の色が)黄色と黒に変色した」
 また、『晏子春秋·外篇』では“楚灵王好细腰,其朝多饿死人“―つまり「楚の霊王は柳腰の者が好きで、宮廷中に多くの人が餓死した」と簡潔に述べていて、楚の霊王の統治は紀元前 540年から紀元前529年の間だ。これは文献に記録されている世界史上最古のダイエットだそうで、楚国の人々と、その末裔は伝統的に2500年以上にわたってダイエットを続けてきた、と記事は結ばれている。
 えー。
 楚国の人々の末裔って、ほぼタイ人じゃん。
 まあ長江流域から今のインドシナ半島中央部まで2000年以上かけて辿り着くまでに異民族が合流したり、混血したりしただろうから、楚人イコールタイ人ってことにはならないが、楚人≓タイ人くらいは言っても大丈夫だろう。
 それでかー。
 それでタイ人って痩せることにこだわるのか。食後にトイレに駆け込み、指を喉の奥に押し込んで吐き出すということをするタイ人娘は多い。実際にそうしていた娘も、その冷ややかな周囲の態度も知っている。一応軽蔑はするようだ。(あたしなんか、そんなことしなくても小食だもんね)ってことか。そういえば妙齢と言われる年頃のタイ人は痩せているか、そうでなけりゃ、もうだめだー、というように腕白に太った者の二者が大半で、どっちつかずの小太りの者は少ない。だいたいが病的に肥満をイヤがるのだ。うちの奥さんも肥満をイヤがり、結婚したあとで「どうしよう。太っちゃった」と言ったときは(えー。そこまでじゃないだろ)と思いながらดีใจ ที่รักเพิ่มมากขึ้น(嬉しいな。愛する者が増量した)と答えると、「ハァ?」とひと言漏らしたあとで、モジモジして嬉しそうだったから、気にせず増量するのかと思ったら、また戻しやがった。
 結婚まえのガリガリ具合に比べると、少しはマシにはなったが、もうちょっと肉を付けてもいいのに。
 まあ、そんなわけでタイ人の多く(特に若い娘と警官や軍人)は肥満を嫌い、小食だ。タイに行って食事をしたことのある人ならわかるだろうが、食堂でも屋台でも、一食の量が少ない。「え。タイ人ってこれで足りるの?」と思うに違いないんだが、確かにタイ人は小食の人が多い。しかし、(これで足りるの?)という疑問は、ちょっと違ってて、バミー(タイのラーメン)はいかにも少量ではあるが、よっぽどビンボーでない限り、バミー一杯だけという食事のタイ人は珍しい。殆どはなにがしかのサイドオーダーも注文するのが普通だ。理由は簡単で、バミーだけだと、最初から最後まで、ずぅーっと味が同じだから。刑務所の飯じゃねぇんだよ、って感じか。まえに詐欺師を警察に捕まえさせて、留置所にぶち込んだとき、刑務所とか留置所の飯って、ひどいの? って訊いたら、うちの奥さん(当時は婚約者)が「ข้าวผัด!(炒飯よ!)」と嬉しそうに答え、他のタイ人に訊いても例外なく「ข้าวผัด!(炒飯!)」と嬉しそうに教えてくれた。炒飯しか出ないのか? というより、なぜ嬉しそうに言うのだ。謎は尽きないが、体験して確かめようとは思わない。
 ていうか、タイ人が独りで飯を食うってことは、よっぽどのことで、どこを見ても連れ立って食事してるタイ人ばかりだ。そういった場合、バミーや白飯は自分の物としてキープするが、料理はテーブルの中央に幾つも並べて、それをシェアする。「あのひと肉ばっかり食べるのよ」みたいなのを聞いたことがないが、これは付き合うタイ人の水準が良い方だからか。それとも、ばかで下品な集まりでもそうなのか、その辺はわからない。そのへんはいいとして、そういう食べ方だから、最初から最後まで同じ味ってことはない。ありがちなのは、食べたい物をずんずん頼んで(そんなに食べきれるのか?)と思ったら、案の定食べきれずに、残して帰るということになる。英語世界だと「ドギーバッグ(doggie bag)ちょうだい」か何か言って持ち帰るんだが、言われたほうも言い分を信じて「へえ。犬の餌にするのか」とは思わない。「お花を摘みに」と言われて「んー。じゃ隣町がいいな! 案内しよう」って答える奴はいないでしょ。タイでも「เสียได้(適当な日本語がないが、もったいない、が近いのだろうか)」と言って持ち帰る人はいる。どっちかというと高学歴とか育ちの良いタイ人が持ち帰るようだ。店の方も心得たもので、弁当用の簡易容器に入れてくれるか、「袋しかないけど、いいかい?」みたいな感じだ。で、持って帰っても完食しないどころか、ヘタしたら「あー。冷蔵庫で古くなっちゃったね」って食べずに捨てちゃうのがタイ人で、おい、もったいない(เสียได้)んじゃなかったのかよ、と思うが、もう、そういうものだ。
 それよりも、日本人が牛丼とかカツ丼とか、最初から最後まで同じ味の物を、しかも大量に食うというのがタイ人には解せないようだ。カツ丼食べて「おいしい」って言ってたのに、ぜったいに単品では頼まない。蕎麦とミニカツ丼の小鉢と漬け物と味噌汁付きというドリームセットなら大喜びで頼む。「あのセット・システムの文化は素晴らしい。これが日本の文化なのね。多くて食べきれないけど」と褒めていた。ただ、セットを頼んだ日本人が料理をシェアし合う光景を見たことがないので、そういうものだと諦めていたようで、おれが別のセットを頼んで「これも少し食べてみるかい?」と訊くと、すっごく嬉しそうに「คนไทยแล้ว(あなたって、もうタイ人ね)」と言った。もちろん褒め言葉だ。タイでの日本料理ブームは、このセット料理かもしれない。
 タイ人が単品だけで済ませるというのは、よっぽどな事で、独りで歩いていたら、たまたま旨そうなバミーを見つけてしまったとか。ちょっと小腹を満たしておくかというやつで、そうでなけりゃ、(あー、腹が減ったけどカネがねぇ。しょうがない。一品だと物足りないから大盛りにしてもらうか)と「พิเศษ(ピセー。直訳だと、特別って意味だけど、こう言うと麵の量が増える)」って頼むぐらいの場面しか思いつかない。
 さらにガチなビンボー人で屋台飯すら厳しいのなら、帰って袋のインスタントラーメンになっちゃうんだろうか。タイのインスタントラーメンを食べたことのある人は知ってることだろうが、量が少ない。麵が60gくらいかな。日本の袋麺で80g以上でしょ。100gまではないのが普通だよね。タイの袋麺が少ないのは、やっぱり単品で食べるということが少ない食生活と、本来一日の食事回数が五回が普通だったってのも要因の一つだろう。最近は3食に近づいてきてるけれど、40年ぐらいまえは一日五食のタイ人ってのは普通にいた。(何かこの人たちって、しょっちゅうチマチマ食べてばっかりいるよなあ)という印象だった。それなら一食の量が少ないのも道理ってものだ。一日の食事量を同量として、その回数を多くして一回分の量を少なく分けた方が太りにくいっていうから、楚人の血を引く者には好都合ではある。
 もうタイ人が太りたがらないってのは、さすがに遺伝子には組み込まれてないにしても、民族のスティグマみたいに心に刻まれて、連綿と受け継がれているとしか思えない。
 なんでそんな食生活なんだ、って文句言われましても、2000年以上これでやってきてるもんで、って感じで、たしかに冷静になって考えたら、同じ味で大量に食う、ってのはヒトとしてより、どうぶつみたいで下品じゃんか。
 ずいぶんまえのことだが、ヨメがどこでどう知ったのか「牛丼屋の牛皿と鮭がセットになったのが食べたいな」というのでチェーン店に連れて行ったら、近くに座った人が牛丼単品に生卵を併せて頼んで、割った卵をかつかつ、と溶いたら、でろーん、と牛丼にぶちまけるのを見て「イーッ!」って言いながらブルブルっと身震いさせて、まるで拷問だな、と思った。あれで食い方が汚い人で、ズルズルと啜り食いでもされたら、泣き出したかもしれない。野蛮な国でごめんな。
 話がズレたが、とにかく若い娘のダイエットにかける情熱は凄まじく、その辺の思慮などより痩せることの方が大事だから、それは危ないというやせ薬にも簡単に手を染め、毎年なん人も亡くなっている。が、「ばかねえ。その一歩手前で止めないからよ」くらいの感想であるようだ。うちの奥さんは「あれはダメよ。毒だもん」と言っていた。
 なるほどなあ。昔からタイの人々の身体が小さいのは謎だったのだ。長江から移動してくるにあたって、片時も稲作を忘れず、飢えたことのない民なのだ。タイ人の常として「大体は小さいけど、裕福な育ちの人と、最貧民層は背が高いというのがあって、カネモチは食事が異次元の豪華さで成長に拍車がかかるのはわかりやすいんだが、とてつもないビンボーだと、食事を買うのも大変で、子供たちはその辺に生っているバナナをもぎ盗って食べるから成長著しいという。それにしても普通のタイ人が小さいのは、決して飢えのせいではなく、一体なぜなんだろう? と不思議に思っていたんだが、まさか春秋戦国時代の楚王にその理由があったとは。そもそも「我慢」ということを嫌うのに、それ以上に肥満を嫌うのが解せなかったんだが、そういうことだったのね。
 ところで、タイ人とくにタイ娘と書いてきたが、そうなんである。だいたい40歳を境にタイ人娘は女であることを放棄してもいい、という不文律があるようで、40くらいから太るのはアリなんだそうだ。同様に40くらいから酒も煙草も解禁だったが、21世紀くらいからその解禁も消滅していて、喫煙はタイ人に嫌われる。飲酒は酔いつぶれたりしなければ若いうちからでも大目に見て貰えるようになった。その頃から40歳を過ぎても女を放棄しなくてもいいのよ、という風潮も大きくなり、うちのヨメみたいに50歳でも美人の病気が治らない人は増えた。同時に柳腰ではなく、グラマラスを目指すタイ娘も増え、なんだか見た目を気にする傾向は衰えないようだ。

↑カロリーって粵文で卡路里と書くんだね
 とはいえ、現代の華人は楚人についてなど興味はなくて、教養のある人でも「あー。楚人って、古(いにしえ)に滅んだ、あのヘンな人たちだよね」くらいの認識みたいだ。楚人に関しては中文でググってもヒットする記事が少ない。楚人ってタイ人だよね、という簡単な記述はあっても詳しい考察などは、ほぼない。
 まあ、これは日本人に対しても似たようなもので、教養のある華人は「あー。日本人(りーぺんれん)か。徐福の末裔だろ?」と言う。大きく間違ってもいない。徐福というのは秦の始皇帝の命令で「蓬莱(日本の)にあるという不老不死の薬を採ってきてちょーだい。ついでに良い所だったら領地にしよう。種籾持ってけ。職人や小作人を配下に3000人つけてやるから。な。行ってこい」と送り出された法師みたいな呪術師で、胡散臭い事この上ないが、当時の法師はインテリの先生だからそんな話もあったんだろう。じっさい秦の始皇帝は、この命令のあとで崩御してて、徐福は旅に出たのか出なかったのか、出たとしても日本に着いたのかそれとも別の国に流れ着いたのか、ハッキリしない。それでも徐福が関係なくても長江の民が種籾と職人と小作人を従えて日本に辿り着いたのは事実で、のちに彼らは弥生人と呼ばれる。50年くらいまえまでは種籾と渡来人は朝鮮半島から来たという主張が強くて、声が大きいから「はあ、そうっすか」という風潮だったが、種籾のDNA鑑定で「朝鮮半島じゃないです。長江南部っす」というのが証明されて、「日本人の起源は朝鮮半島!」という主張が下火になった。弥生人の持つ遺伝子はハプログループO1b2といって、日本人全体のおよそ30%っていうんだけどね、朝鮮半島にも5%くらいはいたんじゃないかな。あ、でも朝鮮半島は元寇で在来の民が虐殺されまくって民族が入れ替わった状態に近いから、種籾は長江南部だとしても、民は朝鮮半島からのルートも否定できないんだけど、それ言われるとイヤがるので言わない方がいいよ。平安時代くらいまでは日本人と朝鮮半島の民は通訳なしで話が通じたってよく言われるのは、そういうことなんだろうか。
 学者先生によっては日本人の70%が弥生人系という話もある。昔おれが読んだ本では弥生人も縄文人も、どっちも4割くらいで拮抗してる、って書いてあったけどね。このへんのことがあんまり大っぴらにされるのを嫌うのは、支那人が「な。日本って中国だろ? てことは日本も中国のものだよな!」と主張されるのがイヤなので、大声で言ったりベルカント唱法で美しく歌ってもいけない。日本史でも空白の4世紀とか言われてるけど、中国の属国だったみたいな証拠が出土したら「ほら、な!」って言われそうで隠してるかどうかは知らない。国宝の金印にしても畑だか田圃から出土したって言ってるけど信じがたい。古本の通販ふうに言うと、状態が「非常に良い」わけで、同様の証拠が出土して、うっかりニュースにでもなったらヤだなと思ってるかもしれないね。宮内庁方面とか。
 まあ昔の華人や、今でも一般の華人は「中原の華人こそニンゲンであって、辺境の国々は夷狄(野蛮人)。まあ、どうぶつだよね」としか思ってない。中原の華人で、中華。おれたちがお花畑なの。おまえたちは荒れ地の住人だな! そこでひもじく震えてろ! というのが中華思想だ。楚人も野蛮人なら倭人も辺境の未開人だ。そもそも倭人なんてのも華人の命名で「従順な奴ら」くらいの意味でしょ。かわいそうなのは朝鮮で、あれは朝が鮮やかなんじゃなくて、「朝貢が鮮(すくな)し」つまり貢ぎものが少ないケチな野郎共だとばかにしている。だめだぞ、そんなんじゃ。中華・朝鮮・日本は「東アジア3兄弟」って西洋世界で認識されてんだから、仲良くしないと。メンタリティーも似てるんだし。そりゃ、この3兄弟が手を組んだらメンド臭いから分断工作をしたいのはわかるが、タイ人に比べたら、華人や朝鮮半島の人の方がわかりやすいもんね。
 いっぽう、おれも属する縄文人の遺伝子はハプログループD1a2aで、日本人全体の32-39%っていうんだけど、日本人としては肩身が狭いわけだ。熊襲(くまそ)か蝦夷(えみし)か琉球人かアイヌと蔑まれた血だからね。

 さて、ここからが面白い。現代の華人が考える「楚人ということ」みたいな考察というか論文が面白かったんで、ここからはその話だ、と思ったが、なんだかメンド臭く感じてきた。気がつけば、ここまでの文章量が多い。このブログはいつも長文だが、その中でもかなり長い方だ。メンド臭くなるわけだ。
 というわけで、続きは改めて書くことにした。このブログをたくさん読んでいるという人がいれば「いや。いつもそう言って続きなんて書かねぇじゃん」と言われそうだが、続くと言ったときでも、3割くらいは続きを書いてんじゃないか。根拠のない印象での判断だが。残り7割だって、そのうち書くし。たぶん。書くかもしれない。

 つうことで、さっくりタイ歌謡を紹介して終わろう。
 タイの柳の歌を探してみたが、ない。そもそも柳を意味する純正のタイ語がなく、วิลโลว์(ウイロー)っていうんだけど、そう。外来語(英語)そのまんまだ。なんでかと思ったらタイには柳が殆どない。殆どってのは、日本なんかの枝垂れ柳みたいなものがない。見たことないな、とは思っていたが、タイ国内にはどこにもない。中国原産で近いのにね。ほんの少しあるのは、ネコヤナギだ。中国語で言う柳じゃなくて「楊」のほう。こっちの方はちゃんとタイ語があって「ยาง(ヤン)」という。いやいや。こっちも中国語からの外来語じゃねぇか。しかもゴムという意味のタイ語も同じスペルで、普通にยางと言うと(タイヤのことかな?)と思われる。
 ネコヤナギは太陽暦の方の年末年始頃にチェンマイから北の方で咲いて、売られる。昔その時期にチェンマイの市場で「へえー」と思って買ったんだが、うちの奥さんはネコヤナギを知らず、だから名前も知らなかった。店の人に訊いて名を知ったが、その日のうちに忘れたと言う。昔から花よりも枝モノのほうが好きだから、持ち帰ってバンコクの自宅に飾っていた。水を与えなくて乾燥しても色も見た目も変わらず、なん年でも飾っていた。
 柳(วิลโลว์)で探してもないんだから、楊(ยาง)ならどうかと思ったが、タイヤの歌なんていう奇っ怪なものはあってもネコヤナギの歌はない。あたりまえか。北部の人でも知らない人が多いんだから。で、どういうわけかタタ・ヤンの歌をレコメンドしてきて、何で? と思ったがยาง(ヤン・楊)と、タタ・ヤンの苗字のヤン(ยัง)か。スペルがちょっと違ってて楊の方はヤーンと少しだけ母音を伸ばすが、タタ・ヤンの苗字はヤン、と伸びない。これは父親がアメリカンで苗字がYoungだったとか。と思ってググったら、そうだった。
 タイトルのรบกวนมารักกัน(ラックゥンマーラッガン)はカタカナにし難い音で、実際にはこれじゃ通じない。直訳だと「イライラして愛し合おう」みたいな意味になるが、話し言葉で「ちょっと付き合って」くらいの意味。
 タタ・ヤンが若い。ていうか子供だ。2ndアルバム出して人気絶頂の頃だ。このあと「女性の自立」みたいな事を言い出して、ほとんどのタイ人にソッポを向かれる。日本でデビューした頃は甲状腺の治療で太ったあとで、それでもセクシーなオトナ路線で訳がわからないことになってた。このMVは、売り出し中の最盛期だ。当初、楽曲がお洒落すぎて「これファラン(白人)さんに作って貰ったよね」と言われていたが、作曲編曲ともにสมชัย ขำเลิศกุล(ソムチャイ・カムレックン)というタイ人で、บัตเตอร์ฟลาย(バタフライ)というバンドのメンバーだ。バンドと言っても音楽家ギルドみたいな集団で、メンバーが40人以上いる。
 今となっては、ありきたりな楽曲だけれど、1997年当時は、斬新だった。
【เกิดทัน】รบกวนมารักกัน - ทาทา ยัง
 さっそく、歌詞だ。

(愛し合おう) 誰かのものになってもいい
(愛し合おう) 長い間 あなたを見つめていたの
(愛し合おう) お互い 良い人が欲しいよね
一人で毎日を過ごす 誰もいないのって 怖い

(これでいいの?) 迷ったら どうすればいい?
(大丈夫?) ひとりだと どんな夢を見ても不安
(これでいいの?) 退屈を紛らわせるには どうすれば?
それって大変なことよね

もし迷惑でないのなら
私を愛するように あなたを誘っちゃおう
私が長い間 あなたを好きだったって 知っているの?
もし邪魔されるのがイヤなら
ハートを繋ぎましょう
少しは 役に立つだろうと思うのよ

(愛し合おう) よく見ていてね
(愛し合おう) あなたも同じように 思うでしょ
(愛し合おう) 推測なんて ダメよ
お互いに 優しく伝えましょう ひとには心があるんだから

(これでいいの?) 迷ったら どうすればいい?
(大丈夫?) ひとりだと どんな夢を見ても不安
(これでいいの?) 退屈を紛らわせるには どうすれば?
それって大変なことよね

 柳の仲間というと、柳と楊の2種類あることは書いたが、あとポプラも柳の仲間だっていうのね。ぜんぜん違うのにね。英語だとコットンツリー(cotton tree)とかコットンウッドって言う奴で、春に雄蘂(おしべ)の綿毛が飛ぶでしょ。あれがコットンなんだね。あー。ネコヤナギのネコ部分に似てるといや似てるか。むかしはあの雄蘂はタンポポのフワフワだと思ってた。子細に観ると違うんだよね。
 コットンウッズといえば「タミー」で、デビー・レイノルズが素晴らしい。ハリウッド映画史上に燦然と輝くワルツだ。映画はつまんなそうで観たことないけど。娘(スターウオーズでは両耳にトグロを巻いた姫役だった)は可哀想な人生だったね。ブルースブラザーズのキチガイ女の役はハマってて、やっぱり可哀想だったよね。
Tammy 1957 DEBBIE REYNOLDS Lyrics
 
 すんげー。むっちゃ長くなったぞ。もう限界突破の新記録で、さらに同じくらいの分量を書こうかとも思ったけど、いよいよメンド臭い。やっぱり続きは、そのうち。
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