もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

新しい木は燃えない

2022年04月22日 16時07分07秒 | タイ歌謡
 息子が生まれるまえのことで、まだ妊娠の兆候もない頃だったな。友人が離婚することになり、引っ越しの準備で荷物を仕分けて段ボールに詰める手伝いをしてくれないかというので、夫婦で助っ人に赴いた。引っ越して出て行くのは友人の元妻の方だ。彼女は、その街に知り合いがおらず、別れる旦那が手伝うのを嫌がっていた。本当に申し訳ないのだけれど、お手伝いいただけますか、と言われ正直面倒だったが、うちの奥さんにそのことを話すと、目を輝かせて「行きたい!」と言った。「面白そう」
 あとで聞いたら、それが日本の慣例だと思ったらしい。そんな風習があるものか。
「行くのはいいけど、あんまり楽しそうにしちゃダメだよ。離婚なんだから」
 รู้แล้ว(ルーレオ - わかってます)そう言っていたが、顔はウキウキだった。
「じゃあ、台所をお願いします。台所の物は、こっちの段ボールに入ってる物以外は、全部わたしのだから」友人の元妻の人が言う。
 てきぱきと物を箱に詰めていくんだが、うちの奥さんがとても楽しそうだった。「ねえ、これは何?」
 それはニンニクをつぶす器具だよ。
「わあ。日本って何でもあるよね」
 箱がいっぱいになると、油性ペンで「台所」と書く。ふたつ目の箱も出来上がり、これにも油性ペンで書き込もうとしたら、「ขียนได้ไหม(キアンダイマイ – 私が書いてもいいですか)」とワクワクしている。へえ。簡単な漢字なら書けるのは知っているが、「所」って漢字も憶えたのか。すげえな。ペンを渡した。
 得意そうな顔で書いた。
「キッケン」
 惜しい。
 キッチンって書きたかったんだな。「นี้เป็น Kicken(これじゃキッケンだよ)」と言うと、あー、と言って肩を震わせて笑った。ペンのキャップを再び取って「ケ」の字を「チ」に無理矢理直したが、どうにもヘンな字になってしまった。
 ふたりでくすくす笑いながら肩をぶつけ合っていたら、友人と離婚する女性と目が合った。悲しいような怒っているような、見たことのない表情をしていた。
 台所の物を片付け終えて、次に何をしようかと訊いたら、もういいと言う。そうですか。ではまた、と言って帰ってきたんだが、その人とは、それっきりだ。

 文具店に習字セットがあったので買ってみたことがある。うちの奥さんは墨と硯に感じ入って「実物を見るのは初めて」と細部に亘って観賞していたが、罫線のあるフェルトの下敷きと細長い文鎮にも大いに感心していた。おれが何と書いたか、もう忘れた。ひと通り使って見せたが、「あとで書く」と言って自分で書こうとしない。書くこと自体にはあんまり興味を持たなかったのかな、と片付けた。
 翌日、仕事から帰ると、半紙に大きく平仮名で「かっぱ」と毛筆で書いた作品があった。左の空白に名前を書こうと言うと、「あー!」と嬉しそうに片仮名で自分のあだ名を書いた。その下にシャチハタの苗字を捺すと、まるで何かの作品みたいだ。何だろう、これは。決して巧い字のわけもなく、芸術的にバランスが良いということもないのに、ひどく感動した。額を買ってきて飾ったんだが、なんだか嬉しそうだった。
 半年ほど飾っていただろうか。ある日、唐突に額がなくなっていて、作品は捨てたと言う。見飽きたんだって。そうだった。こういう人なのだった。
 
 小学6年生のとき、習字の時間に教諭が「今日は、何でも好きな文字を書きなさい」というようなことを言った。たぶん見本の準備を忘れたとか、そういうことだったのだと思う。
 12歳頃の男子である。これから5年間ほど生涯でも一番ばかな時期にちょうど差し掛かる頃合いで、「好きなように」などと言われたら、お許しが出たのだと思い込み、ここぞとばかりにふざけるに決まっている。
 さっそくTくんが「しりをふく」と書いて周りに見せて、でも周りの子たちも一応爆笑したら叱られるだろうとは想像はつくので、我慢して下を向いて肩を震わせるのだった、
 もうそうなったら誰にも止められなくて、「はなをかむ」とか「むぐす(東北・北海道弁で、大小便を漏らすこと)」とか「ぱんつ」とか「はなくそ」とか、もうやりたい放題で、そういうことを書いた奴は下を向いてくつくつ笑っていた。こういうとき女子はふざけない。「ひまわり」などと無難なことを書いて、つまらない。
 ばかだなぁ。おれは一応優等生だったし、担任の覚えもめでたく贔屓されていたので、「そういうのはイカンのではないか」と思った。なんでこいつらはばかなのか。しかもみんな平仮名だし。おれなんか漢字で書いちゃうもんね、と決意した。イヤなガキだったんである。
 よし。墨痕鮮やかに一気に書き上げた。
「鉄の爪」
 どうだ。フリッツ・フォン・エリックだ。漢字遣ってるし、カッコいいもんね。
 終わりの時間が近づき、教諭が見て回り、激怒した。
「ふざけた人がいます」
 だよな。
 教諭は、ふざけたテキストを書いた者の名を挙げた。「◎◎くん」しりをふく、と書いた紙を高く掲げた。「なんだ、これは」
 全員が笑った。
「わらいごとではなくて」やばい。目が怒っている。「ふざけて良いとは、言ってません」
 えー。好きに書いていい、って言ってたのに。
 教諭は、それからもふざけたテキストの主を名指しで怒り、自分の怒りの排気でさらに怒りが加速する憤怒ターボのモードに突入していた。なんだかなー。このセンセイ、こういうとこダメだよなー、と思っていたら、とつぜんおれの名を呼んだ。
「▲▲くん」おれだ。「きみまでふざけるとは」
 えー。
 おれ、ふざけてないのに。つうか、あんた、いつもおれを贔屓してんのに、ちゃんと責任持てよ。てか「鉄の爪」だぞ。カッコいいだろ。鉄の爪が嫌いな奴なんていないのに。
 コドモだからね。料簡がコドモ。
 とはいえ、今でも「鉄の爪」は悪くなかった、とは思っている。問題など、ない。
 
 書道と言えるものがタイにもあるかと言えば、ないと思う。ラテン文字を美しく書く「カリグラフィー」を書道とするなら、同様のものはタイにもある。でも、あれは書道と言うのとは違うと思う。レタリング文字って、デザインの範疇で完成形があって、それの複製だよね。
SATISFYING CALLIGRAPHY VIDEO COMPILATION ( The Best Calligraphers )
 間違いなく書道と呼べるのは、漢字文化圏の書とアラビア・ペルシャ書道のふたつじゃないか。中央アジアやアフリカ大陸についての知識がないので、他にもあるかもしれないが、もうそれはいい。そんな細かい話ではないから。
 どっちもカリグラフィーとは違って、書そのものの鑑賞だ。中でも漢字の書は形の鑑賞だけでなく、その文字が持つ意味が大きく干渉してくる。書のバランスを絵画の鑑賞みたいに高めてるし、一応の手本があっても、その複製だとつまらないというか、個人的な手癖を個性として楽しむ姿勢がオトナじゃん、て料簡だもんね。
 だからタイ文字はつまらないって話でもなく、長江を追われた頃、上流階級の人は漢字を遣っていたはずなのに、雲南省辺りに辿り着いた頃から漢字を捨てている。あ、いや。文字だけなんだよね。言語の文法や語彙群が大きく変わったってことはないと思うんだが、じゃあタイ語を漢字で書けるってことか。
 たとえば「新しい木は燃えない」をタイ語にすると、「ไม้ใหม่ไม่ไหม้(マイマイマイマイ)」ってことになって、それをさらに漢字で書く。「木新不燃」てことで、「木(マイ)新(マイ)不(マイ)燃(マイ)」と読めばいいってことだ。いいのか? いいことにする。
 じゃあ否定のマイ(ไม่)は「不」と訳したから、「マイペンライ(ไม่เป็นไร)」は「不係意」かな。なるほど。通じるな、これで。よし。ペンをBe動詞のisみたいな「係」としたから、「おれは日本人だ」は「ポムペンコンイープン(ผมเป็นคนญี่ปุ่น)」で、これを漢字にすると「我係人日本」だ。日本人は中華の言葉でも日本人だが、タイ語にすると順序が変わって「คนญี่ปุ่น(コンイープン)」。人が先に来てから国名。その順序に忠実に書くと「人日本」になる。まあ、そのくらいの違いはしょうがないね。
 日本語文と中文では文法が違いすぎで返り点(レ点)打ったり一点・二点とか番号振ったりして無理矢理なんだが、それに比べりゃタイ語はタイ・カダイ語族で、シナ・チベット語族に近い。どっちも声調があるし。タイ語の方が五声あって多いけど。
 タイ文字が作られたのは13世紀で、ラムカムヘン王がクメール文字を下敷きにしたことになっている。追われた民だから、憎き征服者の遣う漢字なぞ遣ってやるものか、と思うのは無理もないかもしれない。また、長江を追われて1000年ほど経ってるわけで、その間に漢字なんて忘れちゃったよ、ってことなのかもしれない。
 ←スラー
 さて、今回は先週の続きで、アジアの音楽はプリサイスな音程ではなく、スラーで音を取りに行くって話だったんだが、そういえば雅楽の音の取り方がそうだな、と思ったのだ。
 まあ雅楽が日本の音楽かと言うと、あれは今で言うならオーケストラとか、ロックの演奏をしている高校生バンドみたいなもんで、日本人が演ってるから日本の音楽だと言われれば返す言葉がないが、有り体に言って当時の洋楽だよね。
 まずは聴いてもらおうか。
雅楽 管絃 平調 「越殿楽」 Gagaku Kangen Hyojo 【Etenraku】
 めっちゃスラーじゃん。隙あらばスラー。
 管楽器では笙を除き、龍笛という横笛と、篳篥(ひちりき)というリード楽器がスラーを作りやすい。ていうか油断すると音程が定まらず、スラーで音を取りに行く。西洋楽器の管楽器はベンドという技法でスラーの音を作るが、アジアの横笛やリード楽器はスラーが難しくない。息の強弱だけで音程が高くなったり低くなったりするんだそうだ。とくに篳篥なんかは指のポジションを動かさずに息の強弱だけで3~4音の音域を上下するので初心者泣かせの楽器だというのね。篳篥はダブルリードだからだろう。チャルメラとかムエタイの試合まえに舞を奉納するときのビャーって鳴ってるタイのピー (ปี่)っていう笛も2枚リードで、ベンドなんかしなくてもスラーが容易だ。西洋楽器だとオーボエやファゴットがそうで、正確な音程をいきなり鳴らすのは難しいので西洋音楽的には「音色は良いけど技術的にはチョー難しいんだよなぁ」と言われちゃってる。
 篳篥のリードも葦から作るんだけど、昨今のコロナ騒動で葦の栽培が滞っていて存続の危機が叫ばれているそうで、他のリード楽器の葦じゃダメなのかね。いざとなったらタイのピー (ปี่)もダブルリードの楽器だから、ピーに使う椰子の葉のリードを流用するってのはどうか。ビャーって音色が変わるだろうから無理かな。宮内庁方面の楽団は、少しくらい変わったっていいじゃねぇか、ってわけにもいかないのか。
 雅楽ってのは中国だけじゃなくてシルクロードの国々の音楽や朝鮮半島の音楽もミックスされて、当時のアジア音楽の坩堝みたいなもので、スラーは、その各国に共通の要素だったんだろうね。
 そんで、三管の内のスラーのないのが笙なんだが、笙は複音だ。なんだ複音って。和音じゃないのかよ、と思うが、西洋音楽で言う和音とは全く違うから、そんな言葉があるかどうか知らないが複音と言ってみた。要は複数の音を同時に鳴らしてんのね。
 雅楽の楽器にも音階はあって、龍笛は「口・ン・〒・五・丄・夕・中・丅・六」という具合に楽器によって音の名前が微妙に違うのも謎なんだが、古代のアジア音楽には和音という概念がないと言うか、和音の概念が違うようだ。
 西洋音楽の和音は、倍音が基本になってるフシがあって、そう言うと「なーに言ってんだか。倍音ってアレだろ。440Hz(ヘルツ)がラ(A)の音で、その倍音が880Hzで、やっぱりラじゃん」とか言われそうだが、もう一声だ。3倍音ってことになると1320Hzで、これがミ(E)の音になる。で、4倍だと1760Hzでまたラなんだが、5倍だよ。5倍だと2200Hzで、それはレ♭(D♭)になる。3つ同時に鳴らすと「ラ・ミ・レ♭」で、これを展開・移調すると「ド・ミ・ソ」と同じだ。倍音が和音として響くってのは、理屈としてもわかりやすいよね。
 ヴァイオリンでも何でもいいんだが、電子楽器ではない昔ながらの楽器で単音の「ラ」を吹いたり弾いたとする。そうすると耳に聞こえるラの音は440Hzかというと、まあそうなんだが、それだけじゃない。倍音もそうじゃない周波数の音も一遍に無数の周波数の音が鳴っていて、その中でも最も強く聞こえるのが440Hzってことなんだって。器楽の音が豊かだってのは、そういう理由で、昔のヴィデオゲームのBGMが「ピーポーポー」って薄っぺらいのは単音だからだ。
 ところで笙だ。笙は一遍に複数の音を鳴らすが、そこに倍音の音を含むということをしない。それって、どんな和音解釈なの? と思うだろうが、じつは和音解釈ではないのよ。無理に和音という説明で進めると、主旋律ってのがあるでしょ。雅楽の場合、主旋律って考えも西洋のそれとは違ってるんだが、まあ主旋律ってのは、ある。その主旋律の一音一音を根音(ルート)と考えて、その根音に装飾して別の音階の音を鳴らして豪華にしちゃうもんね、というのが雅楽や古代アジア音楽の複音だ。和音て言いたくないのがわかるでしょ。
 また話は飛んで、クロード・ドビュッシーってフランス人の阿羅漢がいて、この人の和音解釈が独特で、とくに減5度の音の遣い方が特異だったものだから、後年ジャズ野郎が「♭5! ブルーノートじゃん! ジャズじゃん!」と短絡的に思い込み、「おれなんかドビュッシーの和音解釈を参考にしちゃったもんねー」とか威張っちゃったりするんだが、同時に7度や減9度も鳴らしちゃったりして、「あれ? キーはどこになるの?」と混乱するが、そこは口をつぐんでしまう。キーの特定が難しくて、そんなら無調ってことで良いじゃんと思うんだが、ジャズ野郎はフリージャズではない場合に無調では困るのだった。
 でもドビュッシーはジャズ野郎ではないので無調でも困らない。いやしかしそれまでのクラシックで無調って、ナシじゃないか。
 まあそうで、それまではナシだったが、アリになり始めたのが、この頃だ。
 1889年、パリ万博ってのがあって、それは先週紹介したチュラロンコン大王が王女に「クメールサイヨーク(เขมรไทรโยค)」って曲を贈った翌年なんだが、ここでドビュッシーは日本の雅楽を聴いて衝撃を受けている。とうぜん笙の複音も聴いた筈で、「なにこれ!」状態だったのは想像に難くない。和音解釈って言葉じゃ解釈できない。だって西洋の和音の概念じゃないんだもん。
 で、Wikipediaのせいかどうか知らないけど、ドビュッシーはパリ万博でインドネシアのガムランを聴いて衝撃を受けたってことで、あの特異な和音をガムランの影響みたいに解説する人が多いんだが、ガムランで、あの和音の発想が出るか? Wikipediaには雅楽を聴いたエピソードは出てこないからね。
Debussy: Prélude à  l'aprés-midi d'un Faune | François-Xavier Roth & London Symphony Orchestra
 この辺からクラシックはロマン派の美しい旋律から、まだ誰も聴いたことのない和声や旋律を探す旅に出る。
 ここでまた笙のことになる。主旋律の一音一音に装飾の複音を付けると、ざっくり書いたが、たとえば根音がドならド・ソ・レ・ラみたいな音を一遍に鳴らして、そういう音の塊が各音ずつ決まってる。で、西洋音楽だったら各音全てが一つのキーに属するようにするのが鉄則なのに、アジア古典音楽では、そんなことはお構いなしで根音がこの音なら、この複音。根音が変わったらこの複音というように、根音が変わる度に機械的に決まった複数の音が鳴らされる訳で、そこにキーとか和音の整合性を求めるということを全くしない。最初から、そんな発想はない。だから西洋音楽の常識で考えると「不協和音!」とか「無調!」ってことになってしまう。その笙の複音を合竹(あいたけ)って言うのね。
日本 笙(雅楽) 合竹の名前
 雅楽の元になった中国や他の国の古代音楽のスタイルは、とうに絶えて日本の雅楽が「現存する世界最古のオーケストラ」扱いであるので、古代アジア音楽を聴くというなら雅楽しかないのが残念だ。このスタイルを一発で理解して換骨奪胎したのがエリック・ドルフィーで、この曲の5:40過ぎ辺りからのエンディングは雅楽なしにはありえない音の重ね方だ。
Eric Dolphy - Something Sweet, Something Tender
 すごいね。和声からフリーへの過渡期のうつくしさ。エンディングのまえのリチャード・デヴィスとのユニゾンの緊迫はただ事ではない。ユニゾンてのは、こうやるんだぞってお手本で、ジャズの到達点の一つだと思う。名曲にして名演だ。
 
 さて、今回の曲は先週の曲「クメールサイヨーク(เขมรไทรโยค)」とセットになっている曲で、「ラオドゥアンドゥアン(ลาวดวงเดือน)」という。意味は「ラオスの月」って感じだが、本来は別のタイトルがあったらしい。しかし歌詞の一番と二番の冒頭が「ラオドゥアンドゥアン」だったので、いつの間にかそれが定着したという。
 オリジナルは20世紀初頭。チュラロンコン大王の4番目の息子であるクロム・ムエン・ピチャイ・ヒンタロドム王子(กรมหมื่นพิไชยมหินทโรดม)のために書かれた曲なんだが、オリジナル曲に後年アップテンポなBパートを後半に繋げたのが1931年のことで、これが完成形となって今に歌い継がれている。取って付けたようなBパートなんだけれど、これがなかなかにドラマチックで楽曲として、ぐっと洗練された。
ปุ้ย ดวงพร เพลงลาวดวงเดือน ลูกเอื้อนสะเทือนเวที จากรายการเพลงเอกนอกรอบ
 先週も述べたが、「ンー」と歌声を鼻で抜くときにマイクを鼻に向けているんだけれど、そのアクションがわかりやすいね。タイ人歌手でしか見たことのないマイクテクニックだ。
 歌詞の元になったのは王子の悲恋物語で、ヒンタロドム王子は、チェンマイのチョムチュエン姫と恋仲になる。父のチュラロンコン大王に結婚の許しを求めたが、18歳未満ということで反対されてしまう。結局ふたりの仲は引き裂かれてしまうのだが、お互いに慕い合ったまま、数年後の1909年に王子は結核で、姫も23歳の若さで別々に召されてしまう。
 タイ国民が涙した悲恋なんだけどね。プライバシーの欠片もない。今でもタイのゴシップは子細までも詳しく、「そんなことまで?」ってことも知れ渡ってしまう。
 歌詞の抄訳だ。前半が王子、後半が姫で、男女で歌うことも多い。

(前半)ああ 私の月 大王はカムドゥアンの花嫁を お許しになりません
ああ もう遅い ごめんなさい 月を見るばかり
さようならあなた この私はあなたを こんなに愛しているのに
クワン・タリアム 月の主はどこに?
花粉 花粉の匂い いい匂い その香りはいつまでも

(後半)ああ 私の月 あなたをとても愛しています 
ああカルマ(業)は去るのでしょうか 月の王を悼みます
衰える月が見える 空を見て 闇が苦しむのを見る
苦しみで息が詰まりそう
鶏の鳴き声 甘い声 とても甘く 甘い 甘いのに
ねえ なぜ甘いの? 言葉もない ああ私の月

 抄訳で意味はわかるだろうけれど原文は格調高い美文調で、ニュアンスを伝えられないのが悔しい。
 そんな古典的な歌だったのが去年、知的障害者のためのキャンペーンソングとして遣われた。歌詞は少し変えてあって、同じ月の下、夜空は刻々と変化するけれど、月は世界中の創造にインスピレーションを与えてきた。空は毎晩違うかもしれないけれど、月はいつも同じ。というような歌詞になって蘇った。
MV ลาวดวงเดือน 2021 Under the Same Moon
 タイでは有名なこの曲だが、30年くらいまえに電脳界で世界的に有名になったことがあって、1991年5月に発見されたコンピュータウイルスだ。その名も「Lao Duang Virus」といって、これに感染するとコンピュータを起動する度にスピーカーから「ラオドゥアンドゥアン(ลาวดวงเดือน)」が自動的に鳴り響き、128回のアクセスでハードディスクが破壊されるっていう、ITの黎明期を飾ったしょうもないウイルスだったそうだ。

 先週はモン族の歌を紹介したんで、ついでに今週はアカ族とリス族の歌も紹介しておこう。ただ、先週ほど素晴らしいものではなく、歩いてないけどフィールドワーク的な意味での資料だ。
 まずはリス族。
เพลงลีซูดำหัวอบต.บ้านหนองตอง2563
 やる気あんのか、って言いたくなるが、実生活では朝から晩までこれを延々とやってる訳だから気合いなんか入れてられないんだろう。楽器のチューニングくらい合わせりゃいいのにね。歌詞は何言ってんのか全然わからない。タイ語じゃないし、遣う文字もアルファベットを元にした見たことない文字だし。リス族は人口も多いから「リス歌謡」みたいのが確立されてて、西洋楽器のバックバンドを従えた「リス・ポップ」みたいなヘンな歌謡なんだが、たくさんあるにも関わらず、どうにもたいしたことないんで興味があれば自分で調べていただければ。
 
 最後にアカ族。
เพลงอาข่าโบราณจากประเทศจีน
 こんな感じなんだね。それにしてもアカ族にまでスマートフォンが普及してるんだな。撮影がスマフォだよね。このおばさんの衣装が民族衣装じゃないのは、たぶんこの服が勝負服なんだろう。新品ぽいし。なけなしのオシャレだよね。アカ族の民族衣装は、こんな感じ。
อาข่า
 スラーの多さはもちろんだが、アカ族の歌はヴィブラートがかかるね。やっぱり意味はわかんない。どの辺の起源の言葉なんだろう。
 遠く広西チワン族自治区まで行ったタイ人の旅番組があって、それを見てると最初は通訳さんを通して英語で話をしていたレポーターが、「食文化が同じ! どうなってんの? あれ? 何だか言葉が似ているよ」と言いだし、やがて通訳なしでチワン族の人と会話が成立してしまうという動画があって、たまげたんだが、それもそのはずで、どっちもタイ・カダイ語族で言語学上の分類でも非常に近いってことになってた。さすがに文字は違ってて、古壮字はもう遣ってないがアルファベットに似た文字を遣っているようだ。声調もタイ語より一つ多い6声だ。
หมู่บ้านชาวจ้วง เป็นคนจีนแต่พูดภาษาไท? I กู๊ดเดย์ ฮ่องกง EP24 I Zhuang and Thais
 まあチワン族は廣東省・貴州省・雲南省にもいて、まんまタイ人が長江から追われた足跡と一致するわけで、似ていても不思議はないのかもしれないが、やっぱり不思議だよ。
 そこへいくとモン族・アカ族・リス族ともに近くに棲んでいるのに、言語形態がまるで違ってて、だから文化が混ざりにくいんだね。そりゃ言語が違えば、料簡も違ってあたりまえだ。新しい木は燃えないのだ(←伏線回収に失敗した例)。

この記事についてブログを書く
« 19世紀の歌曲から | トップ | ぼうけんのしょは きえてしま... »

タイ歌謡」カテゴリの最新記事