もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

世界の車窓から

2024年02月22日 14時15分37秒 | タイ歌謡

 先日のことだが知人と話していて「どうせテレビなんて見てないんだろ」と言われたので、なんか悔しくなって言い返した。いや。見てるよ。世界の車窓から、と答えたら、「あれ、とっくに終わってるよね。なん年もまえに」と言われたので、あ……、そうなの? と言うよりなかった。そういえば、しばらく石丸謙二郎のナレーションを聞いてない。絶妙な存在感で、主張し過ぎるということがない。就寝まえに耳元で新しいお話を囁いて欲しいとは思わないし、サイゼリヤのメニューを読み上げて欲しいとも思わないが、ベンチの隣に座って般若心経を朗読されても(うっせえな)とは思わせない平穏な声だ。悪意を煮詰めたみたいな、つかこうへいの脚本を演じても、それを気付かせ難くした演技の実績があるもんね。
 ググってみたら、あの番組は北海道ではもう放送してないだけで、まだ地方によってはやってんじゃん。どっちにしても観てないから北海道ではテレビ放送で観られないということを知らなかった。まあ番組じたいも地味ではあって、「有名になって世界の車窓からに出演したい」と思う者は「大島てるに載って、地元で有名になりたい」と思う者と同じように希少だろう。そんな番組だからか、知人は「まーたテキトーなウソを」と言うだけだった。普段からテキトーなことを言っておけばウソをついても責められることはないよ、という教訓が言いたい訳でもない。ただテキトーなだけだ。
 なんで、そんなテキトーなことばかり言うのですかと問い詰められることもない。そんなことばっかり言ってるのは、楽しいからで、少なくともうちの奥さんは、それを聞いて笑ってるからそれでいいんじゃないかな。余生があとどれくらいあるのか知ったことではないが、今さらマジメに更生しようとも思わない。だってそんなのつまんなそうだし。
 ただ、「世界の車窓から」が好きだっていうのは本当で、テレビのプログラムとして優秀な番組だと思う。台本なし。ヤラセなし。たいしたドラマもない。見終わったあとに何も残らない感じもいい。今なら好きなときにアマゾンプライムで観られるよ。
世界の車窓から ~ルーマニア~
 乗り鉄というほどのマニアには程遠いが、列車に乗るのは好きだ。通勤電車は面白いものではなかったが、往復での読書は好きだった。浦安に住んだときは恵比寿までの往復で標準的な長さの文庫本をあと少し残して1冊読み切れないので、原木中山に引っ越したら丁度良かった。この話をすると「えー……」と言ったきり返答に窮されることが多かったが、他人の返答のために本を読むやつはいないので好きな所に住めばよかろう。ページ総数に合わせて読む速度を調節することもできないではないが、速読なんかするくらいなら読まない方がいいよね。タイパとか言うのはバカだとまでは言わないが敵だ。よさこい踊るような奴と同じレヴェルの敵だ。タイパのガチ勢は音楽を聴かせてもイントロを飛ばすとか言うんだが、器楽曲やオーケストラの交響曲なんかは、どこを飛ばしているのだろう。聴かないのかな。そういや、おれがガキの頃からリーダーズダイジェストなんていうアタマの悪い雑誌があったから、「運命」のだだだだーん、とかバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」のちゃららー、なんかを集めたダイジェスト集を作ったら売れるんだろうか。著作権切ればかりで作るのがいいかもしれないが、おれはそんなの聴きたくない。
 存在するものに無駄なものなど何もない、という唯物論は始祖が阿羅漢ヘーゲルだったっけ。そこまでは思わないが、無駄なもののどこが悪い、とは思う。無駄なもののうち、これはなくてもいいな、というのを排除すりゃ良いだけの話だ。取捨選択はじぶんでやるから勝手に切り取らないでくれ。あ? じゃイントロ飛ばすのもアリなんじゃないの? って話になるが、おれはそういうのがイヤなんで敵認定しているが、殴りかかったりはしない。(こいつらは敵だ)と思うだけにしている。
 電車の話だった。
 若い頃は仕事と関係なく、休みの日や仕事帰りなんかに(今日は別方向に乗ってみようか)などと列車に乗り込み、でも列車を偏愛してる訳でもないので、飽きてくると下車してみるというようなデタラメな時間潰しも好きだった。そういう、行き先が隣町だろうと距離に関係なく未知の場所を訪れるのが「旅」である、みたいなことを言う人がいるが、そんなの旅なわけない。徘徊の類いだ。ときどきトルコのラジオを聞いたりして(うっわー。何言ってんのかわっかんねぇー)というのが楽しかったりするが、そういうのも旅とは言わない。
 若い頃は、ヘンな感じの奴を見つけると尾行してみたりするよね、と言って「あ。やるやる」と答える人は滅多にいないが、こいつはやってそうだな、という人に訊くと「あー。若い頃はやったよね。面白いよね、あれ」という返事が返ってくる。だいたい100人に一人くらいの割合かな、と根拠のないパーセンテージで思う。不穏とワクワクが両立するんだが、べつにどうということなくターゲットが自宅に着いたり駅に入ったりして、あっけなく尾行は終わる。尾行に気づいて振り向く奴なんていなかったが、まえにも書いたことがあって、おれは周囲の不審者を捜す癖があるので、尾行されたら気付く自信はある。でも急に振り向いたりしても尾行されていた経験がないので、じつは尾行されても気付いてないのかもしれないね。

 ところで車窓といえば、こないだの入院時同室の爺様たちとの与太話で「そういや昔、汽車がトンネルに入るまえ、みんなで協力して窓を閉めたよね」って話になって、「そうだそうだ。そうだったねー」と盛り上がり、一人40代の坊やは「????」と話に着いてこられなかったのだった。
「そうそう。あれ、知らない同士なのに、一斉に連帯するんだよな」
「窓がシワくて(歪んだために錠・扉・窓などの立て付けが固くなった時にも遣う北海道弁。主に固い肉の時などに、この肉シワい、などと言う。津軽弁の“しない”が訛ったものか)動かなくてさ。そんで閉め遅れっと、煙(けむ)が入ってきてよぉ」
「そう! くっさいんだわ。アレ」
「そうそう! くっさい! くっさいのさ!」
「すんげぇくっさいのな! 煙!」
 と、ジジイがくっさいくっさいと盛り上がっていたんだが、ちょっと待て。ジジイ1959年生まれだったよな。蒸気機関車走ってないだろ。年齢詐称か? SLは1950年代から順次姿を消しただろ、と思われるだろうが、北海道だけは1970年代まで在来線で普通に走ってた。観光用じゃなくて通常使用。理由は簡単で、辺境だから近代化が後回しになっちゃうということと、石炭が近所でなんぼでも採れたってことだ。だから60歳台くらいまでなら蒸気機関車は普通に知ってるし普通に乗ってた。煙が臭いのも知ってる。なんか臭いという水準ではなく、強烈にイヤな臭さだった。激臭だった。
 とはいえ石炭ストーブも普通に知ってるお年頃だから、(いや。でも家庭のストーブの石炭が燃えても、あんな激臭はなかったな)と思い当たって、同室の爺様たちにその旨を話すと「あ。そういやそうだな。なんで汽車のは臭いんだろ」と半世紀を経て不思議がってた。これはググっても誰もそんな疑問を呈する者はなく謎だった。推測ではあるが(何かの添加剤を一緒に焼べていたので臭かったのかな)ということしか思い当たらない。そうだとしても、その添加剤の正体は何かってことは謎のままだ。ふつうに思いつくのはシリカの粉でも石炭に塗したのかな、ってことだが、シリカで臭くなるなんて話は聞いたことがない。さいきん流行のアンモニア混焼も、多分違う。あれはCO2排出量が減るだけで、燃焼効率が良くなるわけではないし、最近の技術の筈だ。けっきょく何だか不明だってのは、このブログで時々あるやつだ。何だったんだろうね、で終わっちゃう話。間違いないのはこの先、正体が判明したとしても、役に立つことのない知識だ。
 同室の爺様の中には一人、満州からの引揚者もいて、大連の近くで終戦を迎えたというんだが、それまでも中国人の子供たちと遊んでいて、その親にも可愛がられていたから、危ない目に遭うこともないどころか、中国人の母が饅頭(まんとう)をいっぱい作ってくれて「これを一個20円で日本人に売りなさい。売れた金額を折半しよう」と箱を渡されたという。言われた値段で飛ぶように売れて、たまに売れ残ると、それはタダでくれたから売れ残ると嬉しかったが、そんなことは滅多になかったんだよな。あと中国語が達者だったのに、もう忘れちまったよ、と遠い目をした。
 へえ、肉まんですか、と訊くと、「いや。肉も餡もない小麦だけのやつなんだ」と答え、ああ花巻ですか、と言うと「へ? 東北の?」と訊くから、いえ。皮だけで中身のない饅頭を「ハナマキ」と言うのです、と言いながら(あれ? カクマキだっけな)と自信がなくなってスマフォで密かにググったら、やっぱりハナマキだった。カクマキは昔の北海道の婆様たちが風呂敷よりも大きな厚手の布を半分の三角形に折って首に巻き付けて寒さを防ぐやつだ。春巻も石巻も違う。そういえば東日本大震災の津波で石巻あたりは沖に堆積していた重金属が巻き揚げられて、真っ黒な海水が押し寄せて陸に残されてて、(これはひどい)と思ったが、石巻の重金属を英語でヘヴィメタル・オブ・ロックンロールと言いたくなっても、それは間違ってる。石巻は固有名詞だからイシノマキのままだ。

「引揚のことは思い出したくもないが、北海道の汽車の窓から見える街が空襲で荒らされてなくて、わー。良いとこだなー、って思ったン。そのあと季節が変わって、なんだ、ここも雪降るのか、ってガッカリしたけどな」と笑っていた。わかる。雪が好きな道民なんていない。
[HD] THE LOCOMOTION (Live on Dancing With The Stars) - Kylie Minogue
 すごいね。21世紀の人が考える70年代の再現ステージだ。野暮ったさが全然足りてない。

 そういえば今週、日本のGDPがドイツに抜かれて世界第4位になったと嘆いてるふうのニュースで、(何言ってんだ。来年にはインドに抜かれて5位じゃん)と思った。試算によると、このままの成長率だと十数年後にはタイにも抜かれる。まあ元々四流国が頑張って二流になろうと努力したけどダメだったねゴクローさんって話で、無理はよくないから三流か四流でいいよね。いち度ピークは迎えたんだから、いいじゃんね。イタリアや連合王国みたいにピークアウトした国を「終わっちゃった国」って思わないでしょ。まあ日本の問題を言えば、洗練のピークをまだ迎えたことがないってことなんだけど、考えてみたらアジアの民で洗練のピークを迎えた民族なんてタイ民族を除けばいないじゃんね。向上心にも繋がるみたいだから多少の欲しがりは必要かもしれんが、分不相応は良くない。
 まあね。SNS界隈でもコンビニで英語の受け答えもできないなんてダメじゃないすか、と書き込んだ人に「日本に来たんだから日本語喋れ」とか「外人なんて来なくていい」とか夥しい反論がついて、相変わらずだなと呆れた。
 義務教育で6年間英語を勉強させて、それで英語の読み書きができるどころかキライになる人が多くて、実はあれは国策なんじゃないかと勘ぐってる。日本の言論界で「外国ではこうだ」と紹介される話が全部は本当ではない。「そんなの聞いたことも読んだこともないぞ」ってのはけっこうあるし、ニュースでも日本のと英語世界では言ってることがぜんぜん違うってことも、よくある。もう8年もまえのことになるのかと驚いたが、英語世界のニュースを読んでいて「米大統領選、トランプになりそうですね」って言ったら、何言ってんの? って言った顔が(まーたデタラメを)って顔だった。ただ、ウクライナやガザ地区のニュースを英語や日本語で読むと公正ではないような気はする。タイ語のほうが中立だけどね。そんなことのためにタイ語を憶える奴はいないよね。
 外国、とくに英語世界のニュースなんて読んで理解されるとウルサい国民になっちゃうでしょ。国民は愚民の方が御しやすいんだから、そういう愚民を増やす教育になってる。戦争に負けて国民から牙を抜くような躾をされて70年も経ってるから、そりゃ「平和のためには自衛隊なんか不要」って理屈に(そうなんだ)と思っちゃう人も多くなる。自衛隊なくせば平和になるの論法で言えば、警察なくして犯罪がなくなるか、と言えばなくなる。だって捕まる犯罪者なんていなくなるんだもん。犯罪みたいなことは横行してても逮捕される犯罪者がいないってことは犯罪そのものがない、って理屈だ。そうだよな。自衛隊がなくなれば攻め込まれることはあっても戦争にはなりようがない。
 コンビニで英語が通じるわけないだろ。ここは日本だぞ、って話だが、タイだったら少なくとも日本よりは英語がつうじるようになってる。昔はどっちも同じくらい通じなかったが、単語のぶつ切りみたいな英語だったらタイ人は返すようになってきてる。というのも、大学進学率が日本では下がってきているが58%くらいだっけ。いっぽうタイでは進学率が年々あがってきて今では51%を超えた。しかもまえに書いたようにアジアの国々では専門用語が英語という国ばかりで、だからタイでもよっぽどのばか大学でなければ授業は英語だ。従って普通のタイ人は、タイに来る日本人が英語を話せないのは、学歴のない者がタイに来たがるのかと思っているようで、これはどう弁解したものか困るので、一切の弁解は放棄している。
D GERRARD - รถไฟบนฟ้า (Galaxy Express) [Official Music Video]
 D Gerrardという歌手で、この曲は先月のリリースにもかかわらずもう2300万再生越えで、これを書いてる時点でYoutubeの世界ランキング25位だってんだからすごい。
 しっかしD Gerrardって。タイ人顔フルスロットルじゃねぇか。と思ったら本名がไบรอัน เจอร์ราร์ด อุกฤษ วิลลีย์ บรอด ดอนกาเบียล (Brian Gerrard Unkrit Willy Brod DonGabriel) といってタイ語要素はอุกฤษ(Unkrit)だけで、しかもその意味は「英国の」だ。それもそのはず、母はタイ人でも、父がポルトガル系スリランカなんだって。英国カンケーねぇ。とにかく、この名前が本名。生まれたのはバンコクだけど、その後パッタルン県の祖母と暮らし、学校に入学する頃にバンコクに戻ってきたという経歴で、マヒドン大学の音楽学部を卒業したあとでチュラロンコン大学理学部で地質学を修めているというから出来が良い。2017年のファクター・タイに出場して自作の曲で勝負したものの優勝は逃し、しかしその後立て続けに他のミュージシャンに提供した曲を含む作品を連発。ヒット曲は10曲ほど。2021年に映画「4 kings อาชีวะ ยุค 90's」の出演で、さらに人気を博した。現在28歳。
 苦労知らずのトントン拍子で何よりだね。
 MV再生で日本語の字幕が出るから、今回の訳詞は要らないね。出てこない場合は歯車を右クリックから設定よろしく。
 歌詞はどうってことないんで補足も要らないね。タイトルรถไฟบนฟ้าは「空を飛ぶ列車」くらいの意味だ。正直そんなに良い曲かぁ? とも思うが、こういうのが今のタイのトレンドなんだね、ってことで。

 あとね、旧統一教会が盛山文科相・林官房長官・岸田首相なんかの岸田派を写真なんかで狙い撃ちして「ツケは高くつく」と恫喝めいた捨て台詞を残したみたいで「許すまじ」みたいな論調なんだけど、それ旧統一教会が「おれたちと付き合いがあるって、けしからんですよね」と言ってるのと同じな訳で、それだけでおかしい。「こいつパンツ一丁ですよ!」って告発してる奴が全裸だったみたいな話でしょ。
 普通に考えたら、もっとマズい証拠握ってっから、わかってるよな、と言ってそうだけど、あいつら生まれたてのウスバカゲロウの幼虫と同じくらいばかだから、たんなる仕返しとか腹いせだったりする可能性も否定できないよね。だいたい解散命令も確定したわけじゃないし、あれこれ考えたら無理っぽい。ていうか民法や商法で締め付けた方が簡単だし、効果的だと思うんだ。だったら、こんな嫌がらせやってないで資産を移すとか証拠隠滅とか、やることはいくらでもあるだろうに。って、おれが旧統一教会の心配することはないんだけれども。つうかそもそも安倍政権のときのチャンスに公明党切り捨ててりゃ話は簡単だったのにね。
 この一連の騒動で「写真もあるじゃないか!」って言ってるけど、政治家だもん。誰とでも写真くらい撮らせるよね。ちいかわと同じくらい登場人物が漏れなく全員ばかだ。などと思っていたら文科省が旧統一教会を「指定宗教法人」に、というわけで、そんなことしたら否応なしに思い出すのが安倍晋三の暗殺だ。あれ、いろいろがおかしいよね。整合性というものが、どこにもない。どこがどうおかしいか、ってのはおれが生きてるうちに書いても良くなるかどうか。安倍晋三は大嫌いだったけど、あれは無念だし、ひどい。因果応報と言えばそれまでかもしれんが、やっぱダメだよ、あれは。なんとなく想像できることはあり過ぎるけど、辺境北海道に居るジジイが憶測で言って良いことなんてない。
 頭の良い人が政治家を目指さないっていう傾向が変わらないとダメなままなのかね。日本史年表眺めてても、この国はばかが動かした歴史しかない。てか世界史もそうか。
 あ、でも頭が良くても育ちが悪かったり苦労人だったりするとダメなんだよね。どうしても欲と二人連れになっちゃう。上昇志向がなくて、公正な考え方で、育ちが良くて、頭がおっそろしく良いって人が良いんだろうが、上昇志向がないと頭って良くならないような気もする。
 これじゃ未来も人の世はロクでもないのが決定じゃないか。でなきゃ、もの凄くちゃんとした人の独裁が望ましいが、ちゃんとした人は独裁なんか考えないよね。こうして凡人は国家単位の幸福なんて考えるのは諦めて、じぶん家だけでいいか、と小さく纏まってしまう。小人閑居して不善を為すの理通り、役にも立たないことを書き散らしているんだが、小人も極めると世の中のタメにならず、世の中をダメにするということだろうから、精進に励もうと決意するジジイだった。ダメでごめん。
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