もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

金目鯛とゴジラ

2024年05月11日 15時52分29秒 | タイ歌謡

 スーパーの魚売り場で金目鯛を見つけたときのこと。「นี้เรียกว่ากินไม่ได้(これ、キンメダイっていうんだよ)」とヨメに教えたら、「えー……」と訝しがった。
 กินไม่ได้(キンメダイ)ってのは、カタカナで書くと日本語の金目鯛と同じだが、「餡、苦い(あん↓に→がい→)」のイントネーションで発音していただきたい。そうすると「食べられない・食べることができない」という意味のタイ語になる。
 それが、どうした。と訊かれたら、この話は終わりだ。だって、それだけのことなんだもん。
 キンメダイは意味が反対寄りになってるけど、日本語としても近いのに「ใช่ไหมคะ(チャイマイカ)」があって、「~かどうか」みたいな意味なんだが、上方で「ちゃいまっか」と尋ねる言い方と互換性がある。ネイティヴな上方の発音で言ってもタイ人に通じると思う。たとえば透明な瓶に入った魚醤を指して「นัมปูลาใช่ไหมคะ(ナンプラーチャイマイカ)」と言えば、これは「ナンプラーでしょうか?」みたいな意味で、これは上方で「ナンプラーちゃいまっか」と言うのと意味がほぼ同じだ。
 まあ、「チャイマイカ(ใช่ไหมคะ)」は女性言葉で、男言葉なら「チャイマイカップ(ใช่ไหมครับ)」になるんで、男は女装しないと使えないんだけどね。
 もちろん、たまたまだ。言葉のルーツが同じという話ではない。

 国が違えば料簡も違ってくるのは当然で、ボンヤリしていると(え! そうなの?)と驚くこともある。こないだ夫婦別姓要求のニュースを読んで、記憶が蘇った。
 おれがタイ人と結婚するにあたって、双方の苗字はどうなるのか、なんて考えなかった。なぜかというと、そこまで気が回らなかったからで、生来のボンヤリのうえに、(わーい! 結婚しちゃうんだもんね!)と浮かれていたから知能の水準は平常時の3割もなかったと思う。おまけに日本大使館での婚姻申請にも「新しい姓」なんて欄はなく、思い至る機会もなかった。おれの戸籍謄本には妻の欄があるわけではなく、国際結婚をする者は親の戸籍から切り離されて、ひとりの戸籍になるのだった。日本のシステムから外れた非国民気分が味わえるので、そういうのが好きな方は外国人と結婚すると良い。しかし、それはそうと妻の欄がないのでは国際結婚だとわからないのでは、と思うかもしれないが、こういう場合は身分事項欄に外国人配偶者の氏名(旧姓)と国籍が記載されるだけだった。のちに必要があって戸籍謄本を取り寄せたら、離婚歴のバツが消えていて、へえ、と思った。バツを消したい人も外国人と結婚するといい。

 さて、おれたちは日本大使館での婚姻届を済ませた翌月に、タイの役場で婚姻の申請をしたんだが、おれは迂闊にもこの時点でも妻の姓ということについて何ひとつ考えていなかった。おれの奥さんの住民票(ทะเบียนบ้าน - タビアンバーンといって、戸籍も兼ねている。てか戸籍の制度があるのは日本・韓国・台湾の3カ国だけで、韓国と台湾についても日本に統治されるまえは戸籍制度などなかった)のある役場の出張所に赴くと、おれたちの他にはもう一組の初老の男女がいて、「わたしたちは結婚して20年経つんだよ。だから記念に籍を入れるんだ」と言っていて、そういえばタイ人って結婚と入籍は別物だったな、と思い出したりして、ここでも姓については何も思い至らなかった。
 この男女の受付が終わると、次はおれたちの番で、あなた達はこちらへ、と窓口から所長室みたいな部屋に通されてインタビューを受けた。「タイ語ができたほうがいいからな」と所長は言っていたが、タイ人との婚姻にタイ語の能力は必須ではなく、小さな出張所にそんな届け出は珍しかったから所長が面白がって出てきただけだった。
 所長はとても嬉しそうで、歓談ののち記念写真なども撮らされて恙なく婚姻届は受理されたんだが、終わって書類を見せてくれたら、おれの奥さんの姓は、おれの姓と同じものになっていた。え……。別姓じゃないのか。(カッコ)書きで旧姓が入ったりしないの? と訊くと、「あー。そんなこと考えませんでした。あなたの苗字になるのが嬉しくて」と言っていて、これはちょっと意外だった。タイ人って自分の家族を大切にするからね。後々わかることだが、どうもおれの奥さんはタイ人としては少し変わっていて、自分の家族よりも旦那の方が大切だと思ってるようで、それを指摘したら、「あーぅ。それは家族よりも大切なひとを見つけた者は、みんなそうだと思う。家族がいち番大切というひとは、大切なひとがいないひとよね」と言い放って、ちょっとカッコいいと思ってしまった。
 ときどき言うことだが、タイ人てのは色の黒い華人という側面があって、中華文化圏だから、中国と同様に夫婦別姓があたりまえな感じがしていた。中国では普通に婚姻の届け出をすると別姓になる仕様で、「同じ姓になりたいのです」とリクエストしない限り慣例として別姓にされてしまう。ところが、実際におれの奥さんはタイでおれの苗字になっていたばかりか、それが嬉しいとまで言う。まあ、これはあくまでもおれの奥さんの言ってることで、これが一般的なタイ人の料簡かどうかはわからない。ていうか一般的なタイ人は結婚はするけど入籍はしない、というのがポピュラーだから、事実上はほぼ別姓だ。籍を入れて某かのメリットでもあれば違うんだろうが、そんなものはないから、だったら面倒くさいじゃん、ってことか。ときどき「キャンペーン! 今◎◎をお申し込みのお客様には、漏れなくハーゲンでダッツなアイスをプレゼント!」みたいなメールが来ることがあるが、アイスで釣ったら籍を入れちゃおうかしら、って人もいるかもしれない。将来、こどもに「ねえ、ママは何でパパと結婚したの?」と訊かれて、「暑い日だったのよ。だから結婚したの」って。こどもは勝手に「太陽が眩しかったから! 結婚したの? ムルソーか!」と思ってくれるかもしれない。

 ていうかタイ人が法的に籍を入れないことが多いのは姓が変わるのをイヤがっての人もいるのかもしれない。じっさいのところはわからないけれども。

 そういえば昔友人のそのまた友人の名前が「海野くらげ」とか「土手野たんぽぽ」とか「山野マツ」みたいなフルネームで情景が浮かぶような名前で(うわー。東京ってすげぇ)と感心したんだが、今考えると東京が凄かったわけじゃない。とにかく、そういう名前の人が結婚して改姓してしまうのはたいへんに残念だから、そういった場合は夫婦別姓の制度はあったほうがいい。
 あと廃姓制度も必要か議論が必要だ。宮武外骨先生が廃姓して、ただの外骨を名乗った例もある(筆名だけど)。皇居方面にも姓のないお方もいるし、5月からアマプラで見放題になったゴジラもそうだ。苗字がない。「海野ゴジラ」? いや陸にも上がるしな。
【予告】映画『ゴジラ-1.0』《大ヒット上映中》
 ということで、ガッズィーラじゃなくてゴジラの方は、いつも日本に上陸して大暴れするんだが、正直いって筋が違う。お門違いだ。
 だいたいですよ。そもそもゴジラの生態をあんな風にしちゃった原水爆が悪いわけだ。だから、おれが考えた次の新しいゴジラのストーリーは、まず広島に上陸して原爆ドームをバリバリ壊して、クシャクシャと丸めて小脇に抱えたら太平洋を渡ってですね、そんでワシントンD.C.に上陸してホワイトハウスかペンタゴンに原爆ドームだった塊を投げつけて壊す。熱線も吐く。複利の利息付きで放射能まみれに返済して、それから大暴れで更地に戻してあげるサービスっていう還元型復讐劇(日本の復讐ではなくて、あくまでもゴジラの復讐だよ)の方が良くないか。日本国民はいつものように皆で声を合わせて日本語で「だめだぞー、ゴジラー。そんなことしちゃダメじゃないかー」って、なるべく抑揚つけて言うんだけど、ゴジラは言うこときかないの。怪獣だから。ゴジラが合衆国に対して破壊に破壊を重ねても、核を持たない小国たちは他人事で「自業自得だよ。しょうがない」とワクワクしてる。
 うわー困った。そうだ! コング呼ぼう! おれたちのコングに追っ払ってもらおう! って合衆国大統領がキングコング呼んだら、コングも「あ。思い出した。おれも無理矢理連れてこられて撃たれたり、アメリカンには恨みしかなかったわ! ウホウホ! おれはニューヨーク壊すウホ」って一緒に暴れちゃうという。ね。ついでに転んだ拍子にコングとゴジラの中身が入れ替わるのも入れよう。「おれたち! 入れ替わってるぅ?」って。ゴジラすばしこくなっちゃって、するするとビルに登って行って熱線吐いたり。あと記憶喪失要素も入れとくか。「また破壊しに来た!」「昨日も来たよね」「もう壊す物ないよ」「記憶喪失ゥ?」って。怪獣相手だと記憶喪失っていうよりただの知能低下だな。ポリコレとかLGBTなんかも怪獣には要らない要素だね。ていうか差別のない殺戮なんだけど、無差別ってのは差別の反義語ではないよね。まったく嬉しくない平等。

 あ。あと日本では夫婦別姓ではないのが常識なんだが、国際結婚の場合の日本の戸籍は自動的に夫婦別姓だ。いろいろと面倒くさいことがあるから別姓でいいや、ってことになってるんだろうが、憲法を改正して夫婦別姓を! と叫んでいる人たちは、ここを突けば良いのではないか。国際結婚だと否応なく別姓になっちゃうのは憲法違反ではないのか! って。うちは奥さんの苗字が日本のおれの戸籍ではタイの苗字だけど、タイでは日本の苗字になってるんで、これを騒がれてもちっとも困らない。
 じゃあ、おまえはどっちの意見なんだと詰め寄られても、これはまえから言ってるように「どうせ名前じゃねぇか」ってことに尽きる。何だっていいよ。どうせ名前なんだ。
เดินมาส่ง (BYE) | First Anuwat x SARAN 「Official Mv」
 เดินมาส่งという歌で、副題に(BYE)とあって、要は別離の歌なんだけど、意味は「歩いて行くのを見送る」みたいなニュアンスだ。(クルマを)降りて歩き出す、もと恋人を見送る内容で、これから善き人々に出会うよう祈りながらも未練タラタラって歌詞だ。今回も歯車アイコンを右クリックからの自動翻訳で、なんとなく意味はわかる。
 歌っているのがFirst Anuwatで、フルネームは「เฟิร์ส อนุวัตน์ แซ่โจว(ファース・アヌワット・セージョ)」。ファースってのは英語のFirstのタイ文字表記で末尾のtが消滅したもの。初代アヌワット・セージョ。意味がわからないね。ファーストサマーウイカみたいなものか。これ、(なんだこの名前)と思っていたけど、もとは初夏(ういか)という名前だったそうで、あー! だからファーストサマーなのか、と納得して良いのかどうか判然としない思いだった。ブルーフォレスト青森みたいな。誰だそれ。
 そんなことよりアヌワット君だが、アサンプション大学の附属高校を出てすぐにデビューして、下積みなしの人気者になった。曲は自作で、歌詞はともかく曲作りは巧いと思った。ラップ歌唱のSARAN君は、よくわからん。ググるのも面倒くさい。
 歌詞でとくに詳しく解説すべきところはないが、「ฉันแม่งโคตรเสียใจที่ฉันถนอมเธอไม่ได้」という文句があって、「十分に世話することができなかったのが心苦しい」みたいな意味だけど、この「ถนอม(タノーン)」てのが日本人にはわかりにくい。世話する、と書いたけど、「お仕えする」と言った方が近い。が、封建的なアレではなくて、上下関係のない奉仕で、お互いに仕えるのがタイの男女に多い関係だ。ドラマなんかでも最期の言葉で「もう、あなたにお仕えすることはできません。お元気で……」みたいな台詞はあって、この台詞はタイ人の琴線に触れまくるようで観客は貰い泣きの嵐になる。基本的に母系社会だけどね、必ずしも女性の方が強いってわけでもない。ごく自然に話し合いで解決を望むから、知能に問題のない男女なら平和だ。ていうか昭和テイストの亭主関白な日本人男性だと、話し合いを口答えだと認識して喧嘩になっちゃうかもね。議論と喧嘩の区別がつかない日本人って多くて、そういうひとは嫌われるから外国人と意見を交換しない方がいい。
 タイでフェミニズムっぽい勢いの人々を滅多に見かけないのは、女性が成熟してて男の操縦に長けてるから、ってケースが多いのが原因かもしれない。タイの女性につきまとう「なんかわかんないけどオトナ」っていう、持って生まれた母性。どぉーんと受け止めてあげる♡ っていうね。英語で言うと“The catcher in the Thai”だね。言わねぇか。

 タイ人がオトナだと思う要因のひとつに、他人の意見を聞くってのがある。そんなのあたりまえのことだと思うだろうが、日本人で自分と違う意見の人の発言を、頭ごなしに「そうじゃねぇよ」と否定するひとは多い。タイ人にもいないことはないが、「ふん、ふん。あなたはそう思うのですか。なるほど、わたしとは違うのですね」と面白がる人が多い。料簡が違ってても否定したりしない。だから、議論というものが成立する。意見の違いを互いに披露するが、どっちが正しいということは決めない。だってそれは発言者が互いに自分は正しいと思っていることが多いからで、それを押しつけたりねじ曲げるのは越権行為とは言わないまでも、そんなことはしない。議論なのだ。勝ち負けではない。
 たとえばサルミアッキみたいなリコリス菓子を「あんなもの食べるのは味覚障害」「ばかのたべもの」などと言うのを聞いたことがあって、あれはおれも好きではないが、ただ「好きじゃない」と言っていればよくて、なにもリコリスを食う人たちの人格を否定するのはどうかと思う。昔は雷おこしなんて世の中に必要ないと思っていたが、歳を取るとああいうものが旨くなったりして自分でも驚く。そのうち、きな粉を固めて捻ったような菓子や毒キノコ色のゼリー菓子なんかも旨くなってしまうのだろうか。リコリス菓子だって、ある日とつぜん旨いと感じる日が来るかもしれない。

 そんなわけで、思考や嗜好、指向のあり方は一方通行よりも双方向、もっと柔軟に多方向に対応するほうが良いんだろう。それで思い出したが、昔知人と合衆国の道路をクルマで走っているときに、一方通行のサインを見て「へえ。あっちに行くとオネワイって街か」って言ったら、すっごく優しい声で「あ、あれはねぇ、One wayって読むんだよ」と教えてくれて、その言い方がホントに親切だったもんで、知ってらぁ、冗談だよ、と言えなくて「あー。そう読むのですか……」と引き下がったことがあった。確かに、それのどこが面白いのですかと訊かれると、一層困る。

 なんていうか、まっすぐにマジメな人にはかなわない。
 まあ、タイ人はまっすぐで誠実なところがあるが、口がムチャクチャに悪くて、言いがかりみたいな酷いことを言う奴もいて、おれの奥さんの友人のひとり、メムなんかは「あのひと、うんこが臭そう。臭すぎて隣の家の人に怒鳴り込まれるくらい臭っさいの」とか「結婚指輪なんかしちゃって。休みの日は蛇が巻き付いてるデザインの指輪とかしてそう」などと言い放って、それを聞いた友人達は笑い転げていた。一緒に笑っていた犬っぽい顔の元国連職員のプックは「メムの言うことは酷いけど、事実ではなくて想像だから否定しかできない。筋道だって反論できないのよ」と冷静に分析してて面白かった。
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