もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

これはハナクソではなく ホクロです

2023年02月07日 21時54分31秒 | タイ歌謡
 ジャズとクラシックだけでなく、じつはマリアッチも好きで、高校生の頃からロス・パンチョスなんかを聴いて「うひー」って喜んでいたクチだから、有名どころは歌えたりする。いちばん最初はナット・キング・コールの少し間違ったスペイン語発音の歌唱で歌詞を憶えたが、その後ロス・パンチョスの訛りのあるスペイン語に矯正した。ぜんぜん意味がわからずに歌っていて、意味が気になって調べたのは30歳くらいの頃だったか。
Aquellos Ojos Verdes
 12歳のとき、どうした経緯か知らないが「緑の瞳」という邦題の楽曲が収録された楽譜集が家にあって、知らない曲ながら弾いてみるとこの曲で、「いいな」と思った。同じ本には「天然の美」もあって、なんだかビンボ臭くてイヤな曲だなと、そっちは二度と弾かなかったのを思い出した。田中穂積先生には申し訳ないと一応言っておく。
 それから月日は流れ、「緑の瞳」のタイトルは、おれが高校生の頃には「グリーン・アイズ」と英訳のカタカナ表記になっていた。いい曲だよね。でも、だいたいのマリアッチがそうであるように、この曲も歌詞はただのラヴソングだ。タイ歌謡みたいな感心しちゃう言い回しは、ない。
 もう一曲、マリアッチで好きなスタンダードというと、「Estrellita」だ。むかしまだメキシコが、それほど危険ではなかった頃、シウダーッデメヒコ(Ciudad de México - メキシコシティのこと)のホテルを出て星空があんまり綺麗だったので、思わず口ずさんだら、それを聞きつけたホテルの従業員や通行人もわらわらと路上に集合して一緒に歌い出し、大騒ぎになったことがあったんだが、これ、そういう歌じゃないのにね。でもメキシコのいちばんの思い出になった。オテル・アマソーナス(Hotel Amazonas)といったな。あのホテルは、もうないんだろうな、と思いながらググってみたら、まだ健在どころかリノヴェーションして立派になってた。でも、もう一緒に歌ってくれるようなプロ意識の欠片もない人はいないんだろうな。
Estrellita (Trio Los Panchos)
 マリアッチはいいんだが、言いたいのはそういうことじゃなかった。
 まだ、もうすこしおれが今よりも若かったころ、ぐうぜんラジオでかかったマリアッチが知っていた歌で、それに合わせ、ふとスペイン語で歌を口ずさんでしまったら、まえの同居人が聞きつけ、だしぬけに「Esto es un lunar, no un moco」と言った。
 え?
 にこにこしていた。
 今の、スペイン語だよね。
「そう。私が知ってる唯一のスペイン語」
 ……。ああ……。
「意味はね」ふふふ、と笑う。「これはハナクソではなく、ホクロです、って言うの」
 うん。
「ホセって子が教えてくれたんだ」ロンドンに留学していた頃のクラスメイトだそうだ。
 それ、役に立ったことがあるの?
「うん! スペイン語圏の人に言うと、すっごくウケるの」
 なるほど。そりゃ、憶えていたほうがいいね。

 そんな会話から2年くらい経って、おれの目の下にあったイボのホクロが大きく成長しだした。年末にイボを指先で押して「お歳暮(押せイボ)」って言う駄洒落にも飽きて、同居人は「やだぁ。そのイボどんどん肥大して等身大になっちゃったら、どうすんのよ」という疑念に駆られたのか、「それ、手術で取っちゃったら?」と言われ、シーロムのクリニックで切除してもらうことになった。「あそこの医者の評判が良いのよ。わたしも付き合ってあげるから。ね。わたしは、ここのホクロを取っちゃうんだ♪」彼女の鼻の下にも小さなイボっぽいホクロがあった。そんなに気にしてないと思っていたが、やっぱり好きではなかったのか。おれは好きだったんだけどな、あのホクロ。ていうか、自分のホクロを取りたくて、おれに手術を勧めたのではないかと、今でも睨んでいる。だとしても、べつにいいんだけど。
 じゃあ、もうEsto es un lunar, no un mocoって言ってもウケないね。
「あー。あった、あった。そんなスペイン語、よく憶えてたわね。私は忘れちゃってた」
 そのくだらない冗談も気に入っていたので、ちょっと残念だったが、本人がホクロを嫌ってるんじゃ、しょうがない。除去の費用はホクロもイボも1個につき500バーツだった。たぶん高くはなかったと思う。
 まえの同居人は、今となってはもう「これはハナクソではなく ホクロです」ってスペイン語は憶えてないだろう。でもおれは忘れられない。大事な思い出ってことではない。まったくない。
 でもなんていうか、かつて共に暮らした人の思い出って、そういうものだよね。

 この思い出があったからか、以前スワヒリ語を話すという人に会ったとき、「スワヒリ語で、これはハナクソではなくてホクロです、ってのは、どう言うの?」と訊いたことがある。
「え……。そんなの使うことないし、わかんない」と言われて、そりゃそうだよね、と笑い合ったんだが、できると言っても大したことないんだな、と思った。
 少なくとも、おれはタイ語と英語とスペイン語と日本語でなら、言える。何の自慢にもならないし、一生遣うことはないだろうが。
 あと「オカマだと思ってナメんじゃないわよ」ってのもタイ語と英語でなら言える。北海道弁だったら「いっしゃぁー! オカマだと思っておだってんでないのさ」だべか。なまら年寄りのオカマだべや。若いもんは、こったに訛らないもね。これも生きてるうちに言うことはないだろうな。そもそもオカマじゃないし。
 でも、外国の言葉ができる、って言うのなら、そのくらい言える水準じゃないと、とは思っている。
 よく、英語が上手いんだって? と訊かれて「いいえ。日常会話くらいです」などと恐ろしいことを答える人がいるが、日常会話って、相当だぞ。おれはそこまで行ってない。なんでも「ヤバい」の形容で済ましちゃうし、知らない単語を言われて「なにそれ」って訊き返すのもアリなレヴェルで良いなら合格かもしれないが、それは日常会話とは言わないでしょ。
 
ทักครับ - Lipta Feat. GUYGEEGEE [OFFICIAL MUSIC VIDEO]
 ทักครับって曲だけど、日本語だと「よろしく」が近いのかな。むかし、知人が仕事でアメリカ人と会うことになって、通訳の人がいるけれども挨拶だけでも英語で言いたいと、「こんにちは。はじめましてサカモトです。よろしくお願いします」を英語でなんて言うの? と訊かれ、Nice to meet you, My name is Sakamotoで良いんじゃない? と答えると、「いや。それ、よろしくお願いします、がないじゃん。ちゃんと訳してくんないと」と言う。
 あーのね。英語では「よろしくお願いします」なんて言わないよ。そんな発想はないもの。気にしなくていい。とおれが答えると、「えー……。それ、失礼じゃん。言わないわけないよ。じつは英語、そんなにできないんじゃないのォ?」みたいなことを疑わしそうに言うので、うん。そうだね。じつはおれ、英語は得意じゃないんだ、と話を打ち切ったことがあった。
 よろしくお願いしますなんていうのは日本語世界だけなのかと思っていたら、タイ語にも、そういう言い回しがあった。ขอฝากเนื้อฝากตัวด้วยっていうんだけどね。憶えなくていい。王室の人なんかに言うのはアリかもしれないけど。使わないから。だって意味は直訳だと「どうか私の肉体を、あなたに預けさせてください」ってことで、意味のベクトルは「よろしくお願いします」と方向は一緒だけど、意気込みがぜんぜん違う。意訳でも「あ、どうも。サカモトです。命、預けます」みたいな何言ってんすか的な感じ。実際に使うのを聞いたことがない。でも一応知ってはいたから、ずいぶんまえにうちのヨメに言ってみたことがあって、そのときは腹抱えて笑ってたもんね。「よその国の人が、そんなこと言うの初めて聞いた」って。少なくとも日本のギャルが言う「よろー」とはぜんぜん違う。
 よろー、に近いニュアンスが、この歌のタイトルにもなってるทักだ。語尾にครับがついて丁寧なทักครับになって「よろしくね」って感じか。コントゆーとぴあか。
 ゆーとぴあのピースさんとは数度会ったことがあっても、短い会話しか交わしたことがないからピースさんはまるで憶えていないだろうが、とても良い人だった。今度会ったら、ゆーとぴあを組むまえに橋達也さんとこの「笑いの園」のメンバーだった時期がありましたよね、と確かめようと思っているうちに会う機会もなくなってしまった。Wikipediaにも、そんな記述はなく、謎のままだ。
 いや。歌の話に戻ろう。Liptaってグループだが、ふたり組だ。リードヴォーカルのอารมณ์ โพธิ์หาญรัตนกุล(渾名はカットー)とキーボードのธารณ ลิปตพัลลภ(テン)で、テンはプロデューサーとしてのほうが有名かもしれない。二人とも独自に作品を作り、音源も自分で打ち込んでいる。いちおうR&Bと名乗ってはいるけれど、あんまりジャンルにはこだわってないようだ。この曲を作ったのはリードヴォーカルのカットーの方で、1981年生まれの41歳。歌は独学。タマサート大卒のインテリで、歌手の他にも俳優や、エッセイの著作も出版されたもので4冊。ラジオのDJなど、趣味で生きている感じ。歌が巧い。趣味も良いと思う。歌詞は、ほんとにどってことがないが、小難しいことは言わないぞ、って決意は伝わってくる。タイのインテリに多いよね、こういうの。

恋人はいらない
そしてあなたも 誰も好きになってほしくない
そんなの 信用できない
信頼できるのは 自分だけ
恋人はいらない
そしてあなたも 誰も好きになってほしくない
自分ひとりだけに なりたい?

よろしくね
あなたの名前は 知らないけど
でもあなたは かわいい
あなたが誰なのかも わからない
でも そんな感じは好き
水の中を潜らせたいのかな それとも火の中を潜らせたい?
もちろん
でもね 議論なんてメンド臭い

笑うな 死ぬぞ
あなたが笑うと 僕は溶ける
あなたが笑って 誰が死ぬか
あなたは 僕じゃない

よろしく ベイビー 元気かい
初めて会ったとき 僕たちの心は高鳴った
僕のスタイルに あなたは夢中だろうか
一緒に行かないか?
僕があなたに挨拶したのに あなたは姿を消した
ここに座ってマイクで あなたを見つめる
あなたに暗号を伝えよう

そしてベイビー あなたが欲しいもの
何がのぞみ
僕だけがあなたのために 見つけようじゃないか
ダイヤモンドと宝石だよね
家に帰ろう
使わせて
でも あなたは誰にも依存してない
そういうことなら 僕は幸せでいられる
恋人がいるわけじゃ ないんだよね
ずっと歩いてる
タクタダクタダクタク

 ものごとの断面や、自分のことを書くのが詩で、他者との関係を書くのが小説、と捉える考えがあって、大きくは間違ってないのかもしれない。この人の歌詞に他者は出てきても関係は淡くあろうとする姿勢が見えて、何だか新海誠のアニメみたいな、マジメな童貞っぽい透明さがある。本人の生活がそうであるかどうかとは別の話で、あくまでも作品の傾向だ。小説ではありえないけれど、強烈なポエジーのない、でも透明で良い感じの世界。
 わりと、こういう傾向ってウケるんだよね。タイでもそうなんだね。

 好きか嫌いかと訊かれれば、どっちでもない。あんまり興味がない。わかるけどね。でもメロディーメーカーとしては優秀。
 タイ歌謡の歌詞のレヴェルは高いし、優秀な作曲をする人にも事欠かないのに、まだタイの加藤和彦・安井かずみコンビみたいな凄い作品に出会ったことがない。まあ、日本でも加藤和彦さんは、めっちゃ誤解されてて残念だ。「あ-、帰ってきたヨッパライの人だろ」とか、せいぜい「タイムマシンにおねがいの人か」というような認識の人が多いのではないか。この人の凄いのはサディスティック・ミカ・バンド解散後の第2期ソロ活動の作品群、とくにヨーロッパ三部作と呼ばれるアルバムなんかだ。名曲しかない。ただ、もう忘れ去られているよね。だって「ヨーロッパ三部作」なんて呼ばれてるようなの、聴こうと思わないよね。ネーミングが悪い。悪いけど、聴いた後では、「あー。うん。ヨーロッパ三部作、だね」ってなる。

パリはもう誰も愛さない(ニュー・リマスター・ヴァージョン)
 マイナス方向に誤解されている人を見るのは、かなしい。じぶんがそう思われてるってのなら、それはどうってことはないんだが、他人が誤解されるのはヘンに手を貸す訳にもいかず、もどかしい。過小評価ならまだしも、いわれなき誹謗だったりすると義憤にかられる。かられるだけで、行動に移すことはないんだが。
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