もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

まぜるなきけん

2024年04月20日 11時49分45秒 | タイ歌謡

 胡瓜と若布の酢の物を食べて思い当たった。
 これ、ピンクレディーだ。
 詳しく説明しよう。胡瓜と若布の組み合わせを酢の物にしたのが、ピンクレディーってことだ。ジンベースのカクテルの方じゃなくて、昭和歌謡のほうの娘ふたり組。
 胡瓜と若布の、どっちがミーちゃんかという話ではない。
 まず、若布だ。海の中でゆらゆらして生涯を全うしようと思っていたのにヒトに収穫されて干されたり塩漬けにされてしまう。かと思うと浜辺に打ち上げられ、それを見つけた犬が正気をうしなうほどに高揚して身体に擦りつけ、ぐるぐる巻きに纏い、転げ回る。
 おおよそ然るべく生きていた若布なら、胡瓜と出会うことなどなく文字通り海の藻屑と消えるはずだったのが、何の因果か台所で胡瓜と出会う。
 若布ってのも使いどころの少ない食材で、豆腐と共に味噌汁にされるのがポピュラーだが、あとは酢の物か、筍と組まされて若竹煮くらいしか思いつかない。ごくたまに蕎麦やウドン、ラーメンなんかの麺類と組むこともあって、例えばウドンのサンプル写真に蒲鉾と仲良く写り込んでいたら(あ。若布か。それもいいな)と食べることもあるが、ただ醤油ラーメンを頼んで、思いがけなく若布がごっそり添えられたりしていると、あれは磯の香りが強いので、その気分じゃないときには(余計なことすんじゃねぇ)と残念な気持ちになる。
 胡瓜だって「おれ浅漬けになれるのかな」などと漠然と思っているところに、棒々鶏だったら大抜擢。冷やし中華か冷やしタヌキあたりでも威張って良い胡瓜の行く末なんだろうが、これが縦四つ割りなんかにされて竹輪の穴にぐりぐりと仕込まれたいと思って成長する胡瓜はいないと思うのだ。竹輪でもどうかと思うのに、まさかの若布。想像だにしていない筈だ。「えー! ワカメ? あの。おれ胡瓜なんすけど」
 わかってる。
 いいから、まかせろ。
 そう言われて、てきぱきとスライスされたと思う間もなく塩を振られてシナシナである。ど、どうなっちゃうの? と泣きそうなところで若布と混ぜられ、砂糖と醤油少し、酢が振りかけられ、さらに混ぜられたところで、胡瓜と若布の酢の物の完成だ。胡麻をあしらったり、蟹肉を散らしてもいいが、カニカマの良いやつも捨てがたい。
 これが、旨い。
 胡瓜だけの酢の物なんて食ったことはないな。西洋のピクルスが近いのか。ピクルスは酢液をいち度沸かす調理法だ。つん、と来ないのが物足りない。胡瓜単体だと寂しいかんじか。
 若布だけの酢の物もイヤだ。食おうとして、べなべなと変な音がしそうなのもダメだ。
 ところが、この二つが合わさると、いい。とてもいい。すごくいい。
 そういうことだ。
 ピンクレディーが、そうだったでしょ。ミーちゃんだけだと、なぁーんも考えてないボヨーンと焦点が合わない女の子がニコニコしてるだけだし、ケイちゃん単品だとなんか爬虫類ぽい上に禍々しい。単品だと弱い、なんて水準じゃない。単品だと放送コードに引っかかりそうな異形の危うさしかない。
 しかし一転して、この二人が合わさるとお互いがそれぞれの触媒みたいな反応があって、一気に輝く。とはいえプラチナと炎の出会いみたいなもんじゃない。プラチナは純粋な酸素が少なくても空気中の酸素を還元して炎を燃やす触媒であるが、ピンクレディーは、そういう回りくどいタイプではない。魔法少女と魔導杖の組み合わせみたいなもので、それぞれ単体だと大した実力はないのに、その二つが出会うと魔法を生み出す。それがピンクレディーだ。魔力がハンパじゃない。

 こういう出会いが幸運なのか不幸なのかは本人たちにもわからない。世の中、ミシンとこうもり傘の出会いみたいな幸福な取り合わせだけではないのだ。尤もミシンとこうもり傘が解剖台の上で出会ったのが良かったわけで、場所のお膳立ても重要なのだった。何を言ってるのかわからない人は、それで結構。こんなことを知ってても令和の世では役に立たないと思う。ただ高校生の時に、これを知っていたら読書感想文のテキストにしたのに。ウソだけど。16歳と4ヶ月ねえ。異質なものの衝突ってのは良い。その異質具合のチョイスと組み合わせも良い。でもそればっかりで延々と長いのが、どうにも困る。こっちは、つい江戸時代まで菜食ばかりで、体力的なしつこさが薄味なんだ。お膳立てだけでなく、受け手の体力も考えてほしいものだが、ロートレアモン伯爵は、そんな国の民のことなど想定せずに書いただろうから、おれがとやかく言っても仕方がない。

 日本にもシュルレアリズムってのはあって、たとえばリンゴと蜂蜜か。その組み合わせはわかる。が、次に来るのがバーモントで、(え? なんで?)と混乱したところにカレーだよー、と畳み掛けてくるというね。毎日なにを食べていたらそんなことを思いつくのか知りたいものだが、イメージキャラクターに西城秀樹なんか呼んじゃって感激させたりしてるから、日本も相当なものだ。ロートレアモンだけ読んでると(シュルレアリズムわっかんねぇー)って思うけど、じつは日常に溢れていて、子供の頃に聴いた森山加世子の「白い蝶のサンバ」が「あなたに 抱かれてわたしは 蝶になる あなたの胸 あやしい くもの糸 はかないいのち さだめなの」と歌ってて、(それ、食われちゃうじゃん)と思ったが、21世紀の今、ググって歌詞を読むと、それで合ってた。蜘蛛に食われちゃう蝶の悦びを謡っていた。シュールでもなきゃ破綻もしてない。さすが阿久悠先生。
 もう少し遡って小林旭アニキの「ダイナマイトが百五十屯」って歌がデタラメすぎて良い。あれはシュルレアリズムだったのだな、と今になって思う。歌詞は1番でギリギリ理性を保っていたのが2番で崩壊寸前。そして3番。関沢新一先生の言霊が咆える。

命も賭けりゃ 意地も張る
男と男の 約束だ
いくぜ兄弟 カンシャク玉だ
ダイナマイトがヨ ダイナマイトが百五十屯
カックン ショックだ ダムの月
 すげぇ。なんてダイナミックなんだ。ただ意味がわからないだけならフランク永井歌唱の「西銀座駅前」という曲の歌詞の冒頭が「ABC・XYZ これはオイラの 口癖さ」で始まって(いねぇよ! そんな奴!)と突っ込んで終わりという吉田正先生の作品が、その代表か。ちょっと意図するところがわからない。
 そのへんのギリギリは、やっぱり阿久悠先生が素晴らしく、「カルメン‘77」では、いきなり「私の名前は カルメンです あー勿論あだ名に 決まってます」の歌い出しが凄い。(いねぇよ! そんな奴! ……あ。いるのか……)って、突き放すと見せかけて引き寄せる。
 ピンクレディーなんだよね。こんな歌詞を歌わせて破綻がない。だって歌手の見た目が既に破綻を消化してるんだもん。スカ札集めてフケてアガっちゃったような疾走感。これは当時の少女も勇気づけられたと思うんだ。(あ! スカでオーケーなんだ!)って。ただ、スカのアウフヘーベンってのは、しょっちゅうあることではなく、相互に働く特別な作用がないとただのスカ集団なんだよね。

 まあ、作用がないのなら、それはそれでまだ良い。問題は酵素系洗剤と塩酸系洗剤を混ぜちゃったときみたいなやつで、これはヤバい。第一次世界大戦でドイツが使った毒ガス(塩素ガス)が出る。ひところ、この洗剤の混合で死ぬ人が続出したんだが、周知したことで激減した。まさか家庭の日用品で殺人兵器ができるとは思わないよね。

 そういえば湾岸戦争終結の数ヶ月後にイスラエルに行ったら、知人の家でガスマスクを見せてくれて、こないだの騒ぎの時に国から支給されたのだ、各家庭に人数分あるんだぞ、と言っていた。
 ふうん、と聞いていたが、ガスマスクで防げるのは塩素ガスだけじゃなかったっけ、マスタードガスや、そのあとに開発されたガスには効かなかったのでは? てか塩素ガスは気体に色が付いてて匂いも強く空気よりも重くて対処しやすいから現代では兵器として使われることはないのでは? という疑問が脳裏を過ったが、最新式の毒ガス対応型だったのかもしれず、いたずらに不安を煽るのもどうかと黙っていた。
 まあ、この「まぜるなきけん」はどっちの洗剤も単体では有能なのがピンクレディーとは違って、その有用な二つが混ざると、とんでもなく凶暴で危険なものに生まれ変わるというのが恐ろしい。
 人間関係でも、こういうのがないわけではなく、古くはボニー&クライドなんかがそうなのか。出会わなきゃ、ここまで悪いことはしなかったような。それよりもダイナミックで極悪なのは毛沢東&江青で、この二人が殺した人の数は4000万乃至7000万人といわれており、あの残虐非道のポルポトの20乃至40倍だ。ヒトラーのホロコーストでも600万人だっけ。こういうのは多寡ではないのだろうが、ひどいものだ。
 そんなことを考えたのも、こないだおれが最初に結婚した女のことを思い出したからで、途端に「ちっ!」と、黒い気持ちが噴出した。おれみたいな温厚な人間に憎まれるなんて、よっぽどだぞ。そんなよっぽどな女だったから、ふだん記憶が蘇ったときはイヤでイヤで、すぐに心に蓋をして掻き消すんだが、さすがに時間の経過がそうさせたのか、(出会ってはいけない二人だった、ってことだよな……)と感慨に耽ってしまった。まあそれも含めて考えるのをやめてしまったので、それ以上のコメントはない。ないぞ。
 有り体に言って、そういう関係ってのはあるよね、ってだけのよくある話だ。
 根拠の希薄な推測ではあるが、あの女も生まれついての悪魔ではなく、あの狂気を引き出したのはおれなのかな、と思ったりもする。他の男だったら、ああはなってなかったのかな、とか。そんなことを今さら考えても意味がないんだが、別れて30数年を経て、ようやく、ふと思いを巡らせるくらいには客観視できるようになったってことか。それにしても楽しい考察ではないので、あまり長くは考えたくない。
 まえにも言ったかもしれない。おれには言いたくないことは明確にあるが、言いたいことなど何もない。言いたくないことは書けないし、書かないから、このブログって、ほんとにどうでもいいようなことばかりだ。言いたくないことを言葉にするのは難しいことで、だから、ここまでは言えるという、つまり言いたくないことの輪郭を言える言葉で貼り付けてコーティングする作業みたいなかんじなのかな。

 胡瓜と若布の酢の物のレシピを見ていたら、胡瓜は湯通ししてから、という方法が幾つか紹介されていて、その方が味が染み込みやすいし滅菌もできるとあって、へえ、と思った。クタクタに煮たりしなければ、浅漬けなんかも歯応えが悪くなるどころか良くなるとまで書いてあった。ほんとかよ。まあ、酢の物の場合は酢の殺菌効果が高いから、殺菌のための湯通しってのはどうでもいいが、味が染み込むってのは魅力的だ。とくに浅漬けはちょっと加熱したほうが良い。電子レンジの加熱でもいいが、マイクロウェーヴは加熱ムラがあるから、多少の滅菌しか期待できない。とはいえ、普通だったら洗っただけの野菜を漬けるだけで、それに比べりゃ(殺菌に関しても)電子レンジの方がマシということになる。とにかく加熱した胡瓜だと味の染み込みが良いってことは、漬け時間が短縮されるってこともあるんだそうだ。
 漬物は歯応えもポイントだよね。
 ところで、TVなんかで「柔らかくって、おいしーい♡」と言うのをもう30~40年まえから聞くことがあって、その度に(けっ!)と思うジジイは多いだろう。おれだけじゃない筈だ。(柔らかいのと、旨いマズいは関係ねぇだろ)と。まあ「柔らかくて(しかも)おいしい」ってことなんだろうが、イライラするお年頃なんだよ。せめて「柔らかいのに、おいしい」って言ってくれないか。じっさい文句言ってないで、すぐにTV消せって話なんだけどね。
 それから柔らかい食い物っていうとハンバーグとかね。あれビンボーくさいよね。なんで挽肉にした、っていう。昔から額の肉とか喉の肉なんて脂身が多いから挽肉にしてて、その利用ってことなんだろう。スペアリブのそのまた脇のパイカと呼ばれる軟骨混じりの部位とか。パイカなんて本場の肉骨茶(バクテー)で使う以外は、日本だと秋田民や北海道民くらいしか塊では食わないよね。

 日本の他の地域ではミンチにしている。確かに旨い部位ではあるが、ビンボ臭い。喉肉なんて、最近は豚トロって認知されてきたけど、タイでは昔から豚トロのあぶり焼きをคอหมูย่าง(コームーヤン - 豚喉焼き)っていって、イサーン料理のご馳走だ。
 世界の豚肉の7割くらいは中国系が食ってるというんだけれど、タイ人ってのは陽に焼けた中国人(これ言うとイヤがるからダメだぞ)だから豚肉が大好きだよね。ちなみに前述の肉骨茶(バクテー)は、タイ語でもบักกุ๊ดเต๋と書いてバクッテーと読む。発音は「交換してくれ」という意味の北海道弁「ばくってー♡」と全く同じだ。タイ人が作ったと思えないくらい薄く儚い味付けが身上で、料理人によってスープの色が真っ黒だったり淡かったりいろいろだが、おれは薄い色のが好きだ。

 まえにも書いたけどタイ人の豚肉への水準は高くて、肉屋で「豚ロース500g。雄の肉で」と囁くと眉を、くい、と持ち上げて「รอเดี๋ยว(ちょっと待ってね)」と言いながら豚肉の匂いを嗅いでチェックしてくれる。で、これだ、ってのを見つけると、親切な店員さんなら肉の塊を、ぐい、と向けておれに匂いを嗅がせてくれる。うん、いいね、と親指を立てて交渉成立だ。最初に小声で囁くのは、匂いで雌雄の区別ができないタイ人が圧倒的多数派で、そういう人たちは雄の豚肉の方が旨いということも知らない。雄の豚肉→去勢した雄の豚肉→雌の豚肉の順に味が落ちる。他の動物は知らないし、匂いで区別なんかできない。
 これも、ずいぶんまえにタイのスーパーで、肉売り場のオジサンに「豚肉っておいしい肉とそうじゃない肉は料理するまえから匂いが違うよね」って言ったら、「え。わかるのか?」って訊き返されて、「じつはな」と肉オジサンが小声になった。「旨い豚肉ってのは、雄なんだ」と聞かされて、まーた、しょうもない冗談を、と肉親父の顔を見たら顔つきがจริงจัง(本気)と書いて(マジ)とルビを振る顔だったので信用した。
 肉屋の親父も「ニホンジンって、そう(雌雄を嗅ぎ分けられる)なのか?」と訊くから、いや。おれはとくべつ鼻が良いのです、と答えると「なんだ。日本人を雇おうかと考えちゃったよ」と笑っていた。タイの肉屋は全員が嗅ぎ分けられるのかというと、そうでもなくて「ごめんね、おれはわからないんだ」と言われることもある。
 さいしょ、これをうちの奥さんに話したら、ぜんぜん信用せずに笑ってたが、肉屋で雄の豚を小声で頼むのを見て、またそれが外れなく旨いので「ホントだったんだー」と感心していた。まあ雄と雌の間に去勢した雄が挟まるのは、肉屋から教わった知識で、おれはそこまで嗅ぎ分けられない。あと、スライスした豚肉は塊をスライサーにかけて薄切りにしてるんだけど、肉の塊が切り替わったところで雌雄が混ざることがあって、料理していて「あ! この肉、雄と雌が混ざってるぅ!」と中華鍋を煽りながら叫ぶと、奥さんはめっちゃ笑ってた。スーパーで売ってる肉は日本と同じように発泡スチロールの容器に乗せてラップフィルムで包んであって匂いがわかりにくい。それでもラップ膜の上から匂いを嗅いで選んでる姿は「ヘンな人」にしか見えないから、そんなとき奥さんは知らない人オーラを醸している。日本のラップフィルムは性能が良いのか、パッケージの上からでは匂いを嗅ぎ分けられない。残念だ。あ。あと日本の肉屋で「雄の豚肉ちょうだい」って言っても「へ? 何て?」って余所の国から来た行商人でも見るような不審な眼全開で言われて終わりだから、それは諦めてる。
 ついでに輸入物なんかの安い豚の塊肉を買うと、リン酸塩なんかの結着剤で肉を貼り合わせて塊を大きくしてる肉がよくあって、たまに(あ。ここから上の色の濃い所が雄で、下が雌だ)という場合があって笑っちゃう。食べてて、はっきりと味が変わる豚肉があるでしょ。そういうことかもしれないよ。
 リン酸塩は肉を繋げるだけじゃなく、コーヒーやお茶を淹れるときに粉や茶葉に混ぜると、湯だけの場合の3倍量くらい抽出できるから凄い。雑味も抽き出してしまうけど、それはしょうがない。自分で普通に淹れたほうが旨いのは、そういうわけだ。ボトル詰めのそういう飲料はリン酸塩使ってるのも多いかもしれない。昔、おれがコーヒー業界の片隅にいた頃のボトルコーヒーはそうだった。今は知らない。
Medley น้ำตาหอยทาก | ตังเก - หมู พงษ์เทพ กระโดนชำนาญ : นักผจญเพลง
 พงษ์เทพ กระโดนชำนาญ(ポンテープ・クラドーンチャムナーン)という歌手の歌うน้ำตาหอยทาก(カタツムリの涙)という歌だ。この人は、タイのロックバンドの大御所カラバオと屡々共演するのだが、正式メンバーではない。参加を請われてもレギュラーメンバーとしての活動は断ったらしい。だから、この人が出るとなればタイ国民は大喜び。人気は凄い。
 普段はナコンラチャシマの森に隠遁していて、気が向いたときだけ音楽活動を行う。基本的に仙人ぽい暮らしなんだそうで、タイ人にときどきいるタイプだ。もう70歳だが、患った癌も完治して元気で何よりだね。
 今回この歌を選んだのはหมู(豚)で検索すると出てきたからで、なぜかというと、この人のあだ名がน้าหมู(豚おじさん)だから。まえにも書いたが、タイで豚と呼ばれることは「カワイイ」と同義語で、愛されてることだから、タイ人に豚呼ばわりされたら喜んだ方が良い。
 自作の歌で、ちょっと不思議な歌詞だ。どういうわけかนักผจญเพลงตอน(音楽冒険家)と呼ばれている。よくわからないが、この人が嫌いだというタイ人はいない、と断言できるような人で、たしかに見るからに良い人そうだが、ここまで愛される理由が、おれにはわからない。

愛は食べられないと 彼女は言った
愛していれば 空腹なんて感じないのに
満腹だ 空腹だと いちいち文句を言う
こんなに あなたを愛しているのに

心は重く あちこちを彷徨う
長い間 彼女は愛していると言い そして泣く
彼女にも泣く理由はわからず ただ泣きたいだけ
いつまでも愛が続くように 心がそれを望むことの恐怖

夜は静かで 星も見えない
心の中で 鳥が歌うのを聞こう
カタツムリの涙が 流れるのを見た
踏みつけられると、薄い殻が割れる

心が折れそうだ
ひび割れて壊れている 我慢の限界だ
心を込めて握る 黄金を頂く杖
お金でもない 美しい顔でもない

美しい顔 若い頃は美しかった
長い目で見れば 青春なんて短いもの
一日の終わりには 体がだるくなり 動けなくなる

ゆっくりしよう おばあちゃん 私はあなたを愛している
私たちは とても長い間 一緒にいたよね

 タイの豚肉料理で、ちょっと日本人には馴染みがないのがแคปหมู(ケープムー)とหมูหย็อง(ムーヨーン)か。どっちもタイではポピュラーなもので、ケープムーってのは豚の皮を揚げた物だ。サクサクと軽いスナックで、塩味がついている。コンビニで買えるが、バミーの屋台でサイドオーダー用に袋がぶら下がってたりもする。バミーに浮かせて食べる人も見たことがある。永谷園のお茶漬けに入ってるアラレみたいに食感のアクセントになる。あれは置いてある店とそうでない店があって、置いてある店は豚の皮でスープを取ってるんだと思う。豚の皮から出るスープは旨いからね。で、その出涸らしのクタクタになった豚の皮を乾燥させて揚げてるんだろう。でないと、あのサクサクはありえない。タイで三枚肉のブロックを買うと皮付きのことが多くて、その方が旨いと喜ぶタイ人もいるけど、食感が好きじゃないと嫌う者も多い。ていうか皮付きの三枚肉は毛が生えてて、それを毛抜きで抜いてると何だか悲しい気持ちになるのがイヤだ。この皮の揚げたのを置いてない屋台の方が圧倒的に多いけど、それは普通の屋台は味のこだわりなんて希薄で、マギーのスープの素をベースにしたりしてるから、そんな手の込んだことはしないんだろうね。
 だから豚皮の揚げた袋詰めがぶら下がってる屋台を見つけたら頼んでみる価値はある。個人的な経験だとハズレはなかった。

 あと、ムーヨーンってのは細く切った豚肉を味付けと共に煮込んで柔らかくしたのちに乾燥させて繊維をほぐした中華発祥の食い物だ。これもコンビニで買える。中文で「肉羊毛」というように毛糸状になってる。日本人にわかりやすく説明するには、ひとこと「田麩(でんぶ)」と言えば済む。日本の田麩は白身魚が殆どだけど、味付けも日本の田麩ににて甘みが強い醤油味だ。
 タイ人は、これをおかずに餅米を食べたり、パンに挟んだり練り込んで焼いたりもする。個人的にはあんまり好きな味ではないけど、勧められて一口食べたりしていると(あー。日本じゃないなー)と、つくづく思う。面白い気分になるから断らずに一口くらいは食べるよね。タイ人と一緒に食べるとき、料理はシェアするものだからだ。嫌いな物なら無理して食べることはないけど。

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