もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

タピオカでDTA(だいたい合ってる)

2024年05月04日 12時48分27秒 | タイ歌謡
 MMKと言ってもコンビニの公共料金支払いの方ではない。平成の初期に流行った言葉で「モテてモテて困る」の略だった。アタマ悪そうだよね。じっさい、あの頃の日本人はアタマ悪かった。
 他人のMMK話なんて聞きたくもないのが普通だろうが、ちょっと待っていただきたい。レズビアンの男役にモテてしまった話なんである。自慢にもならないのはわかっているが、モテてしまったものはしょうがない。
 なにそれ。よくわかんないけど、しょうもない類の話だってことは、わかる。でも、奇矯なタイプの女性にも好かれちゃうおれ、みたいなアピールを意識的か無意識的かに関わらず振りまいていると思われるのも業腹で、そうとも限らぬ証拠に、ゲイの男からも言い寄られたことがあることも白状しておこう。男からの告白は過去たった一人だけど、一人いれば充分だって気もする。丁重にお断り申し上げたら、彼は翌日会社を休んだそうだ。一般的な日本人男性は生涯のうち、なん度ゲイから交際を申し込まれるものなのか。
 あと、変わりどころと言っていいのか、侏儒(こびと)の男性から「一緒に踊ってもらえないだろうか」と誘われたこともあった。これは断っていいものかわからなかった。なんか断って「差別するのですか」と詰られるのもイヤだったので、躊躇しながら一緒に踊った。ペッブリー通りのライヴハウス(モーラムの)だった。日本の侏儒の人は踊りを誘ったりしないし自宅に引き籠もりがちな印象があるがタイの侏儒は開放的だ。ていうか、おれは背が低いから仲間だと思われたんだろうか。裸だと平均身長くらいに見えるんだが、服を着ると160cmくらいのいきものにしか見えない。着ヤセ、着太り同様に着チビというジャンルがあって、おれはそこに属している。
 ともかく、ふつうの女の人にモテた経験は、ない。おれの奥さんを始め、同居した女たちは、おれがモテて付き合いを懇願されたんじゃなくて、お願いして付き合ってもらってたんだぞ。威張るこたないが。

 レズビアンの男役ってのは好きだ。もちろん友人として、ってことで、だって中身が男だもんね。喋っててもヘンに気を遣わずに済むし、そのうえ美人なら言うことない。いつも言ってることだが、美人が文句なしに好きだから。しかも恋愛対象から外れているから浮気を疑われる事もなく忖度の必要がない。既婚の美人妻ってのも良いが、あれはやっぱり女であって、女だったら自分の配偶者と喋っている方が気心が知れてて楽しいもんね。
 レズビアンのネコ(女役)は、「じつは男もいけまぁす」みたいなことを言い出しそうで、ちょっと嫌だ。ガチの人は、そんなこと言わないんだろうが、どうもレズビアンのネコは過剰な感じが苦手だ。露骨っていうか。
 そこへいくとタチ(男役)は、サバサバしてるがガサツなところもあって、「じゃ、今度カラオケ行きましょう! 約束っすよ! 指切りしましょう!」って、ゴツゴツした指輪をジャラジャラ装着したその指で指切りげんまんされて、おれの無防備な小指を、メタルの指輪の角が万力みたいにギリギリ締め付けてくる。仕草は女の片鱗を残しているのに、瞬発力は男並みだから、「いてててて……」って呻くハメになる。
 でもまあ、友人としてはラクなんだよね。
 それが、「◎◎さん(おれの名前)だったら、ヤっても、いいすよ」みたいなことを言った。
 いやいや。冗談じゃねぇぞ。ヤるとか言うな。てか何でおれがディルドのついたパンツ穿いた女に犯されなきゃいけないんだよ。ぜったいイヤだ。
「なーに言ってんすか」きゅうに甘えた声になった。「あたしが受けですよ」やばい。おんなの顔になってやがる。
 受け、とか言うな。腕を掴むな。しなだれかかるな。
 困った。これは豪雨の夜に猫の餌を買いに行くよりも、数百倍メンド臭いことになってる。

 こういうのを修行だから、とか言っちゃって受けて立つ男がいるのは知っている。でもね。おれはよく知らない人の前で全裸を晒すほどの勇気はない。予告なく発動する瞬発力でちんこ引き抜かれたりしたらイヤじゃん。痛いし。ていうかイヤとか痛いで済まないよね、それ。よく知らない人は信用ならない。
 あのね。いち度でいいから普通の女の人にモテてみたかったな。もう還暦過ぎちゃったから、そんなことは望めないでしょ。たった一人で良かったのに。ご婦人たちがウンカの如く纏わり付くなんてこともなく生涯を終えてしまうんだな。ちなみにウンカってのは雲霞のことで、うんこの未然形ではない。てか、うんこは名詞だから活用なんてない。無理に活用させて「ここんとこ、うんかないのです」って言ってもつうじない。文字通り通じない。
 ついでにウンカは、若い頃「雲蚊」と書くのだと思い込んでた。要は蚊柱だ。北海道の田舎だと珍しくもない。蚊柱ってヒトに纏わり付いて飛び続けたりもするから、遠くからだとボンヤリした巨大な人影に見えてギョッとする。タイムマシーンがあったら、だいだらぼっちの正体は蚊柱ですぜ、と柳田國男に教えてあげたい。「あー!」って喜んでくれそうな気がする。
 逃げ場のない一本道で、そんな蚊柱を纏って歩いてる人が向こうから歩いてきて、(うわぁ。こんな人とすれ違ったら、その瞬間に貰い蚊柱しちゃうのでは)と不安になって、キョロキョロ逃げ道を探そうと自分の周りを見てみると、自身も蚊柱に包まれながら移動してて(うわ!)という驚愕と、(あ。じゃ、貰い蚊柱しなくて済むな)という安心が別々にやってくる。あの蚊の大群から逃れる方法は簡単で、突如の全力疾走だ。顔に蚊がぴしぴし当たって気持ち悪いけど。あの蚊はユスリカで、実際には蚊にそっくりな虫であって吸血はしないし、とくに人体に害を及ぼすってこともなさそうだから、だったら急いで逃げる必要もなく、大群を従えて歩いていれば顔面直撃は避けられる。でも自宅まで付いてきたらイヤだな。とくに蚊柱を纏っての食事はイヤだ。虫がついでに口に入ってきそうで。ストローで流動食にすりゃ良いのか。
 しかし謎なのは吸血もしないのに虫めらは、なぜ人に付いてくるのか。守護霊的なアレではないよね。虫だもん。流れ弾なんかの防御には弱い。弱すぎる。じゃ、ヒトの体温の放射に群がってるとか、そういうことかな。あるいは生体電流とかいう生物に流れている微弱電流目当てか。貰い電流で充電してんの。「みなぎってきたな! おい!」とか言って。
 蚊柱が付いてくるような時は無風か風が微弱なときだから、なかなか風による蚊柱の飛散は望めない。あれがユスリカじゃなくて、ご婦人の大群だったらと思うと、これはイヤだ。相当イヤだ。美人ばっかりでもないだろうし、いや美人ばっかりでも困るな。つうか、可能性のない事を考察して、どうする。

 そういや、ちょっとまえに流行ったタピオカ飲料なんだが、見た目が水中のユスリカの卵みたいで、それがイヤで飲みたくない。それで思い出したが、まえに久しぶりにモリオカさんという人に会ったとき、「久しぶりですね。タピオカさん、でしたっけ?」とトボケると、くすくす笑いながら「うん。だいたい合ってます」と言うので、「じゃ四捨五入で正解だ」と念を押しておいた。「だいたい合ってる」ってのは、なんか良い感じの言葉ではあるが「だいたい合ってる(DTA)」というようにアルファベットで略すと、それは今のところ「示差熱分析」を意味するのが主流である。だが、まだ市民権を得ているという程の知名度はないから、ここは是非とも「だいたい合ってる(DTA)」を広めて乗っ取りたい。
URBOYTJ - ถามคำ (QUESTION?) - OFFICIAL VISUALIZER
 だいたい合ってる(มันเข้ากันประมาณนั้น)で歌を探すと出てきたのがこの曲なんだが、タイトルにも歌詞にも「だいたい合ってる」感じのワードは含まれてない。
 URBOYTJ(アーボーイTJ)が歌うถามคำ(訊いてみる)という曲で、そこそこヒットした。謎のラッパーで、発表曲は多いのにプロフィールなどを公開してない。名前でググっても2022年6月にโรคอารมณ์สองขั้วและภาวะซึมเศร้า(双極性障害と鬱病)で自殺を図りECT(電気痙攣療法)を受けたという記事しかみつけられない。現在は服薬で予後良好のようで、2023年に新アルバムを発表している。双極性障害ってのは、昔で言う「躁鬱病」ってやつで、なるほど、この曲の歌詞は病んでるもんね。
 しかし、鬱病に電気ショックを与えて病状が改善するものなのか。知らなかったな。これはアレか。充電ってことだよな。「みなぎってきたな! おい!」って。背ビレがある人なら青白く光るやつだ。熟練すると口から熱光線を放射できるというね。
 歌詞は訳さなくても、動画の歯車アイコンクリックからの日本語訳字幕で見られるから、興味があればそちらを。

 ところで世間はゴールデンなウイークで北海道では桜なんか咲かせちゃって、やっと暖かくなってきた。TVでは行楽の行き先の提案として2020年に開業したウポポイ(民族共生象徴空間)という施設が、予約の必要もなくなりました、とニュースで案内していて、(へえ。NHKで誘導するのか)と思った。入場料も一般大人1200円と、そう高くない。アイヌの資料館みたいな施設だと思えばいい。漫画やアニメの「ゴールデンカムイ」でアイヌに興味を持った人も多かろう。
 この施設は菅前総理の利権だったよな、と思い出して、(おれは、まあ行かないだろうな)という予感しかない。ガースーがロクでもないのは知れた事で、でもだからといって施設もロクでもないのかどうかとは別問題だ。とはいえ、建物も立派そうだし展示物の品数も多いと言っていたが、どういうわけか展示されてる刀の鞘に葵の御紋が入っていたり、鉄器にアルファベットのメーカー名が刻印されたりと、おかしなところがあるが、まあ北海道の歴史なんて百年ちょっとだからしょうがないのかもしれない。
 アイヌ協会も、まだ新規会員を募集していたり、中国出身(日本の中国地方ではなく支那のほう)のアイヌ人会員というのがいたり、世の中そういうこともある。探せばフランス系アイヌなんかもいるかもしれない。そんなことも可能性としてはあるだろうが、どうにも怪しい人々が税金にタカっている構図が見え隠れする。全員じゃないと思いたい。アイヌの人は歴史的に酷い目に遭っているのは知っているからだ。
 でもヘンなのよ。
 アイヌは19世紀後半に和人(シャモ)から持ち込まれた天然痘で人口を激減させて、追い打ちをかけたのが1920年代に猖獗を極めたスペイン風邪。現在純血(それでも混血している可能性は否定できない)のアイヌは200人ほどだったはず。まあ純血ではないが、わたしの心はアイヌなのです、と言う人もいよう。でもさすがに200人て。これからアイヌの血脈は減る一方じゃないのか心配だ。マジメにアイヌの現状を憂いているひとはいる。間違いなくいる。だって酷い状況だもん。でもインチキな人が多くて、その真贋がわからないから、アイヌのことになると、こんなふうにハッキリしないことしか言えない。
 要はエセ同和の遣り口を持ち込みやがったな、ってことだ。おまけにアイヌはロシアが日本に攻め込むときの口実になりうるから、手厚い保護も必要で、それも面倒くさい人々を引き寄せる。つまり公金を掠めるのにアイヌを道具だと思ってる人たちね。なんかいろいろ大変だよな、と思いながら書かない、ていうかうまく書けない。

 近いところでは先週、アイヌの団体が漁業権を巡って起こした裁判で、先住権訴訟を札幌地裁が退けたってのがあった。要するに「わしら昔から鮭獲ってんだから、獲らせろ」って訳で、そりゃ尤もだよな、と思うが、ここでの鮭漁は明治時代に禁止されてて、判決も「歴史的背景を踏まえたとしても河川は公共のものでありサケは天然の水産資源であることを鑑みると特定の集団が排他的に漁業を営む権利を有すると認めるのは困難」というものだ。
 もちろん「いや。あんたらエセアイヌだろ」なんて言ってない。この人たちはアイヌだ。その証拠に自分たちでアイヌだと名乗ってる。裁判所に入廷するときもアイヌ衣装着てるし。

 どう考えてもアイヌの民を激減させた原因は、病気を除くと道民だろう。北海道の子供なら知ってる話に「アイヌ算」ってのがあって、例えば和人がアイヌから鮭を買うとき、和人は「5匹くれ。じゃあ数えるぞ。始まり、1、2、3、4、5、終わり」と言いながら、始まりと終わりの時にも鮭を並べて、合計7匹を手に入れて5匹だと言う取引をしたことは有名で、アイヌも馬鹿ではないから、それがヘンだってことには気付くんだろうが、あの人たちは気立てが良い事で有名だから「えー……。でも和人の勘定って、こういうものなのか……」と納得したのだろうか。おれは子供の頃にこの話を父親から聞かされたんだが、父親の話し方がアイヌをばかにしているニュアンスが見て取れて、イヤな気分になったのを、よく憶えている。父親は差別的な発言を悪いとも思わないような男で、いっぽう母親は差別は良くないと子供に教え、しかし友人や夫と喋っているときに差別的な冗談を言ったりしていたから、まあそういう女だ。どっちが悪質ということでもない。教養が欠けているだけだ。
 ただ、意外だったのは、おれがタイ人と結婚して新婚旅行のついでに実家に帰ったとき、父親は差別的な発言もせず、蔑むような視線も送らずにおれの奥さんに接していた。それどころか「今度はいい嫁さんを貰ったな」と、おれに対してだけ失礼な発言で喜んでいて、タイ人なのに気に入ってるようだった。母親も反対などせず、普通に接していた。嫁がタイ人ということに不平を言ったこともないが、母親は不満を隠しているのではないかと、おれは密かに思っている。べつにいいんだけどね。
 かつて北海道は棄民の捨て場であり、流刑地でもあり、エリートでせいぜい屯田兵だ。あとは食い詰め者や、逃げてきたついでに一発当ててやろうと目論むプチ山師か。教養なんて持ち合わせてない。おれの子供の頃、文盲の大人がたくさんいた、という話を書いた事があったが、それは北海道だからという条件もあったと思う。要は辺境の吹き溜まりだ。そんな連中がアイヌを差別しないわけがなく、絶滅と言っていいほどに少なくなって、今の北海道民は「北海道には差別問題なんて、ない」と言う。とぼけてるんではなくて、そんなの見た事も聞いた事もないからだ。だから「アイヌは?」と訊いても、「あー……。そういうの、あるらしいけど、どっか田舎の片隅じゃない? 田舎の人って平気で差別しそうだし」くらいの認識だ。

 道東に十勝地方と呼ばれるエリアがあって、酪農や小豆なんかが有名なんだが、この「十勝(とかち)」ってのはアイヌ語の「トカpチ」が語源だ。タイプミスではなくpの子音が挟まる。意味は「乾いた」みたいな感じで、年間降水量が少ないから酪農や豆栽培なんかの畑作が盛んだ。稲作ができるのは、ほんの少しの地域だけ。あとワインも有名。そんな豊穣な土地の恵みを御賞味あれ、みたいな惹句を見かけることもあるが、何で十勝なんて名前になったかというと、アイヌの民がそう呼んでいたからだ。
 アイヌ民話にコロポックルが出てくる話は多いが、この十勝の命名にも関わっていて、諸説あるがコロポックルが十勝の民(アイヌ)に食材の施しをしたが、施しを受けた民に不手際があって、温厚で慈悲深いコロポックルを怒らせてしまい、怒ったコロポックルが「(こんな土地)乾いてしまえ!」または「乾いてしまえ! 魚は腐ってしまえ!」と吐き捨てた呪いの言葉が語源になっていた。
 え。そんな酷い由来なの? と和人が知ったときにはもう地名が定着したあとで、だからかどうか地元民でも知らない人が多いはなしだ。諸説あると言ったが、いろいろある筋書きでもリアリティーがあるのが「コロポックルという侏儒の民(神様であることも。先住民とも)が、十勝の干魃で住民が飢えているのを見かねて、さまざまな食物を住民に届けにきた。しかしコロポックルは裸族だったので、食物は家の玄関口に置くけれども、決して私たちの姿は見てくれるな、と言っておいたにも関わらず、好奇心に負けた若い男が、裸の若い娘コロポックルを見てしまい、激怒した娘が捨て台詞を吐いて、それっきり絶縁してしまいましたとさ」という話か。裸を覗いたバージョンが有名で、手込めにしたバージョンもあると聞いた。そりゃ怒る。念のためにググったらWikipediaにも項目があって、詳細がちょっと違ってて面白い。

 アイヌの民話は、神様がてんこ盛りで出てくるファンタジーかと思ったら、下ネタ満載の身も蓋もないような話が多くて、基本的に笑い話だ。大した教訓もないのがいい。岩波文庫から出ている「アイヌ民譚集」は、知里幸恵の弟でかつて北大教授だった知里真志保がアイヌ民話を収集・和訳したもの。アイヌ語のローマ字表記もあって、アイヌ語を憶えるなら足がかりにもなる一冊。こういうアプローチでアイヌを知ると、良い人たちだなと思うはずだ。

 かつての同化政策もあって、アイヌ語をネイティヴに話す者は、ほぼ絶滅したと言っていい。1996年の調査で15人だったのが、2007年の調査で10人に減っていた。当時でも皆高齢者だったから、現在0人だとしても不思議ではない。もう調査結果を見つけられないのも、調査する必要がないってことなんだろう。
 顔が似ているという根拠だけで大東亜共栄圏の名の下に植民地の民に日本語を押しつけた国民だからね。支配が早々に破綻して良かった。まあ、明日は我が身ってことで、日本語だっていつまでも存続できる言語とは限らない。話者が1億人ちょっとだからね。言語の消滅は占領だけとは限らない。民族が滅亡することもある。
 とりあえず、おれが生きてるうちに日本語が消滅するような可能性は低いだろうから、急いで外国語を憶える必要はないかもしれない。が、どうせ憶えるなら話者人口が多い言語がいいだろう。多い順に英語、北京語、ヒンディー語、スペイン語だ。憶えるならヒンディー語かな。競争相手が少なそう。ヒンディー語を憶えたら、森の中で歌を歌いながら踊ったりもできるな。
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