もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

大蜘蛛タランチュラとの対峙

2020年08月25日 22時28分35秒 | タイ歌謡
 この歌のイントロを聴いただけで、不意に涙が溢れた。昔、なん度も聴いた曲だったんだよ。とはいえ、とくべつ好きという訳でもなく、思い入れがある曲でもない。
 ただ、あの頃買い集めた数本のタイのヒット曲集のオムニバステープは、どのカセットも、この曲で始まっていたのだった。バネみたいな音色のギターのイントロが、おれの心を強引に三十年くらい昔に連れ戻す。
 若かった。もう三十歳だぜ、なんていっぱしの大人ぶっていたが、今から思うと髭の濃い高校生みたいなもんで、こういうのは人によるんだろうが、三十歳の頃の俺は、文句なしにガキで、自分で思うほど頭が良いわけでもなく、育ちの良い飼い犬程度の分別くらいしかなかった。毎日が、そりゃもう楽しかったけれども、もう一度あの頃に戻してあげようと言われても、それはもう勘弁してもらいたい。
 あの、じりじり痛い日差しも、赤土の埃の匂いも、ソムタムの味も、お気に入りだった半袖シャツのペイズリー柄も、いっぺんに一つの塊になって俺に衝突してきた。それを受け止めるおれの身体は、もう六十歳を超えている。そりゃ涙くらい滂沱と流れるってものだ。

เรามีเรา - แหวน ฐิติมา【OFFICIAL MV】

「そうでもない。私は今、北に行かなくてはならなくて、時間がないのである」と、おれは答えた。
 部屋が気に入らなかったのか? と訊かれて、そうだ、と正直に言うことはできなかったからだ。ヒトの形に凹んだベッドや、どこか他所の国の生き物みたいな臭いのする枕で寝てられっかよ、とは言えなかった。彼は、じぶんのゲストハウスが気に入っているようだったからね。
 本当は、きっぱりと否定するつもりだったのに、口を衝いたのは「Not really」という婉曲な否定だった。本心が出た言い間違え。ゲストハウスの主人が「そうか」と微笑んだ。
 よかった。彼は英語が得意ではなかったようだ。知らないと、Not reallyは強い否定の感じがする。
 いや。ほんとうは彼はNot reallyの使い方くらい知っていて、おれの本心にも気付いていたのかもしれない。数時間の仮眠ののち、出ていく男。そんなの、普通に考えて部屋が気に入っているわけないじゃないか。でも彼はオトナだから、事を面倒にしたりしない。そんな事を暴いたって誰の為にもならない。
「ありがとう。ピヨピヨにもグッド・バイと伝えてくれ」そう言い残して去ろうとした。
「ちょっとまってくれ」ピヨピヨの父親が言った。「きみは日本人だろう。きみの友だちがもう何日間も部屋に籠もったまま出てこないで心配なんだ。少し様子を見てくれないか」
 そう言うと、ピヨピヨ父は強引におれの手を引いてゲストルームの一室の前に案内した。
「おおい!」ピヨピヨ父はドンドンと乱暴にドアを叩く。「きみのフレンドが来ているぞ!」
 数秒の沈黙。ピヨ父は構わずドアを叩いた。
 がちゃ、とドアノブがゆっくり回って、目を細めた日本人の若者がドアの隙間から外を覗いた。痩せてはいるが、手当が必要なほどではないように見える。
 いや、しかしひどく怯えている。おれが距離を詰めると、その距離を保つかのように不自然な動きをする。あー。これはだめだ。アヘンだか何だかわからないが、イッちゃってる。この目はダメだ。とりあえずおれは「だいじょうぶ?」と訊いてみた。
「あ、はい……」そう答えながら、ゆっくりとドアが閉まった。要するに、構わないでくれ、って事なんだろう。
 どうなってんだ、とでも言いたげにピヨ父が俺の顔を見る。
「He’s gone(あいつ、イッちゃってるよ)」そう俺が言うと、「あー」とピヨ父が困ったように答えたんだけど、今思っても酷い言い方だ。「Stoned(キマっちゃってるよ)」でも同じだが、薬物へ逃げた人への容赦というものがない。「彼は彼をロストしちゃってるのかな」くらいで良かったのに。おれは若い頃、今よりも傲慢だったのだ。 
「数日のうちに」ドアの向こうまで聞こえるように、おれは言った。「ポリスでも呼ぶのかい?」
「それはダメだよ」小声でピヨ父。「彼は世界が嫌いになってしまう」
「ま、今の会話で出ていくんじゃないか」俺も小声で応えた。
「いや。あの日本人、英語がほとんどできないんだ。無理じゃないかな」
「ポリスぐらいは知ってるだろう」声を張り上げた。「ポリース」
「よしなよ」ピヨ父が、おろおろする。「ナーバスなんだ」ピヨピヨの父はホント良い人なんだろうな。
「テークケアするつもり?」
 しょうがないだろ、というように片眉を、くい、と持ち上げて肯定した。
 同胞だというのに(こんなのがフレンドなものか。こんなニホンジン、どうにかなってしまえばいいのに)と思ってしまったおれは自らを恥じた。この人は、正しい。
「もう行くよ。幸運を」おれに言えるのは、そのくらいのものだった。「バイナウ」
「君もな」

 ピヨピヨの親父は、とても良い人だ。
 だが、それとシャワーが水しか出ないことやトイレが共同で落ち着かないことは別の問題だし、ベッドがヒトの形に凹んでいたり枕やタオルが変な臭いがするのは問題外なので、おれは出ていく。
 クルマを捕まえて旧市街まで行ってもらった。ラーンナー王国時代に築かれた城壁の内側だ。クルマを降りて振り向くと、小ぢんまりした良い感じのホテルがあった。

「私は幾つか質問を持っています(I have some questions.)」おれは息せき切って尋ねた。「ここのシャワーはお湯が出ますか? あとそれから、グッドアフタヌーン」
 「もちろん。お湯は出ます。ナイストゥミートユー」受付のお嬢さんは、練り歯磨きの広告のポスターのお姉さんみたいに、にっこりと微笑んでホテルのブローシュアをくれた。
 おお。テレビもあるぞ、と感動したが、よく考えたらそんなのあたりまえのことで、この午前中でおれのホテルの設備のレベル想定がひどく下落していたのだった。
 宿泊費が思ったよりばかに安くて値切るのを忘れるほどだったのだが、部屋は満足できるものだった。空調の冷房は、バチン、と火花の音とともに過剰に起動したし、ベッドは、どこまでも平らだったし、枕も臭わず、便座の大きさも丁度良く、身も心も温めてくれる温水が止めどなく迸り、バスタオルも仄かに甘い香りがして、あろうことか卓上には蘭の花など飾っちゃってくれていたのだ。
 こういうのを、幸福って言うんだっけ。禍福は糾える縄の如し。雲の切れ目から漏れた日光が一筋、ホテルの窓を通過して、おれの足許をスポットライトみたいに照らした。ような気がした。
 良かった。まずは仮眠だ。

 目が醒めたら、陽の傾きで午後の色に染まった壁に、ぽつん、と、なにかがいた。
 20cmほどの生き物。
 びっしりと、毛で覆われていた。
 蜘蛛だ。
 タランチュラみたいな。
 これは困った。
 おれはヤクザと蜘蛛と静電気が苦手なのだ。
 だって、どれも命に関わるだろ。
 蜘蛛といっても東南アジアのやつだ。胴体が、おれの握りこぶしと変わらない大きさ。毛だらけの4対の足は、おれの指と長さも太さも同じサイズだ。
 こんなもんアレだぞ。ぐっと沈み込んでジャンプしたら、そんなの6メートルくらいは、びゅーん、て優に飛ぶはずだ。そんで、エグい毒とかあって、首筋に食らいついたら、おれはあっという間に痛覚とかなくなっちゃって、そんで逃げようにも動くことのできない神経系の毒が回ってるから、蜘蛛がちゅうちゅう、っておれの体液を吸い尽くす音を聞きながら、意識が遠のいて、干からびて死んでしまうんだ。蜘蛛なんかおれの体液で1メートルくらいに膨れ上がってるに違いない。
 うひー。
 いや、だめだ。
 生きるんだ。おれは生きるぞ。
 だだだだだ、とフロントへ駆け下りると愛想の良いお嬢さんに替わって、頑強そうなオッサンが座っていた。これは心強い。おれの顔を見てただ事ではないと思ったのか「どうかしたか?」と訊くので、おれは説明した。
「ほらアレだ。アレが出た。アレは英語で何だっけな。あの、毒があるやつだよ。危険なんだ。すこぶる危険なのである」と騒ぎ立て、オッサンを部屋まで連れて来た。
 ドアの解錠ももどかしく部屋に入ると、壁には何もいなかった。
 えー。
「いや、ここにいたんだ。あ、そう。スパイダーだ。思い出した。スパイダー。こーんな大っきいやつ。そんで、足なんか、この指みたいな。こう。わしわしわし、って動いて行っちゃったのかな」
「アー。すぱいだーカ。コノクライ大キナヤツ」わははは、と笑いながらオッサンはおれの肩をぽん、ぽん、と叩いた。「ゆー・あー・らっきー」
 オッサンが言うには、その蜘蛛は悪さをしないし、毒もない。ヒトを襲ったりもしないし、神様の使いみたいなものだから、とても縁起が良いということだった。
 ……そうかい。ラッキーなのか。蜘蛛が。
 いやいやいやいや。あんなに大きくなるまで毎日何かを食っていたはずだ。ふつうに考えれば、それは何かの生き物。それも体液とか血液とかそういうのに違いあるまい。でも、ラッキースパイダーだしな。神様の使いだからな。あるいは毎食マンゴスチンとかマックのハッピーセットばかり食べていたのかもしれない。デザートのアップルパイにシナモンを追加で振りかけたりもしたのかもしれない。
 そういうことなら、まあいいか。とりあえず蜘蛛はどこかへ行ってしまったようだし。
 その夜はチェンマイの街を散策し、ビールなど飲んで気持ちよく眠りに就いたのだったが、翌朝目が醒めて、ふと壁を見ると、昨日と寸分違わぬ位置に、蜘蛛が、いた。
←こういうの
 後年、カンボジアの食い物が、どうも口に合わず、でもバナナだけは旨くて毎日バナナだけを「これは完全食だった筈」と食い続け、たしか2週間目くらいに突然飽きたと言うには唐突に、しかも身体が全力で嚥下を拒否して、喉を通らなくなった。そうなると、いよいよ食うものがなくて、3日ほど何も食わずにいたのだが、あー、ハラ減ったなー、とヨタヨタと街を歩いていると、この大蜘蛛が丸焼きだの素揚げだのと、そこら中で売られていて、それが蟹肉そっくりな味で随分と旨いものだと感激するとは、このときは知る由もない。まあ考えたらタラバガニみたいな3対の足を持つカニもどきと蜘蛛は、どちらもエビ目ヤドカリ下目で、両者は親戚そのものだ。カブトガニの方がさらに蜘蛛に近いけど。
 蜘蛛が食えたら、あとは何でもアリで、カンボジア料理も難なく食えるようになり、あまつさえ「旨いじゃん、これ」とすら思えたのだった。もともと好き嫌いはない方だったが、随分と範囲が広がったように思う。とはいえ、拾い食いや、生きた蜘蛛を捕まえて、そのまま貪り食ったりはしない。私は理性的でもあるが、タイに戻るともう、ぬるま湯みたいな環境に引き戻されて、「やっぱ虫とかグロいから、食うのヤだなー」と元の軟弱さが戻ってきた。「蜘蛛、食いてぇー!」などとは思わない。「やっぱ蜘蛛、苦手だな」と思う。
←カンボジアの蜘蛛丸揚げ
←蜘蛛バーガー
 さて、おれは、そんな蜘蛛に追い立てられるようにホテルを飛び出し、この後チェンライ、メーサイとビルマ国境を目指し、そしてピンボールの玉が反射して目まぐるしく弾き返されるようにランパンの街などを猛烈に駆け回るのだ。
 旅はぜんぜん終わらない。この続きは気が向いたら、またいつか。

 ああ、そうだ。歌詞を訳しておくか。
 เรามีเรา(ラオ・ミー・ラオ)という曲で、直訳すると「私達は、私達を持っている」ということだが、まあ「私達にはお互いがいるじゃない」みたいな感じか。歌っているのはウエン・ティティマー(ティティマー・スッタスントーン)で、ウエンは渾名。指輪とか眼鏡を意味する「輪っか」のことですね。タイ人の渾名はホントに謎だ。またの名を「ราชินีเพลงร๊อค(ラッチニープレーンロック)」と言い、ロックの女王という意味だが、この歌い方のどこがロックなんだと思うよね。バックバンドがロックだったから、そうカテゴライズされちゃったんだろうが、歌い方はフォークソングぽい。でもまあタイで最初の女性ロックシンガーということになってます。
 まあ日本でも、もんた&ブラザースなんてのがいて、初めて聴いたとき、「この演歌、何でバックバンドがロックなんだ?」と思ったし、硬いこと言うなってことか。硬いのは井村屋のあずきバーだけでいいって事だ。いや違うか。どうでもいいが、あずきバーは何であんなに硬いのか。あれより硬い食物を、おれは知らないぞ。
 あ。歌詞だった。

だけど前から、あまり安心なんてできなかった。
彼の傍らには誰もいなくて寂しい
冒険的な人生を過ごして
独りで雨と風の中

もういいでしょう 彼女に連絡なさい
一緒に居てくれて 心の支えになります
何か間違えても 私はあなたの味方
私たちの人生は孤独でした

そして ひどく疲れて落胆していました
道はまだ遠いけれど
これからの道のり
恐れずに忍耐強く手をつないで歩いて行こう

 2011年に大腸癌を患って、その5年後乳癌を併発。晩年は癌とともに生きていく事についての講演を精力的に続け、テレビなどにも出演。タイには、こうしたボランティアを個人で行う人が多くて、もちろん手弁当です。変な理屈で揶揄したりする者も少ないし、タイ人のこういうところはホントにカッコいいと思う。これが仏教の影響だというなら、仏教も悪くないかもしれない。タイのは上座部仏教(ポリティカリー・コレクトで、今は小乗仏教と言ってはいけないのだ)だけどな。
 ウエンさんは2017年の7月7日、とても静かに亡くなったそうです。

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