もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ちょうど良い長さ

2023年10月03日 18時50分38秒 | タイ歌謡
 味噌汁の話をしよう。前回の予告に従って味噌汁の話だ。おれは約束を守ることもある男なのだ。せめて年にいち度くらいは約束を守りたいじゃないか。
 じつはタイにはแหนม(ネーム)という食品があって、豚挽肉が主体の乳酸発酵料理だ。恐るべきことに豚挽肉の生食なんだが乳酸発酵で酸性になるため、腐敗を引き起こす雑菌と寄生虫は死滅しているので安心だ。見た目はソーセージ状だが腸詰めではない。ほんらいバナナの葉(藁には必ず納豆菌が付着しているように、樹木の枝や葉には乳酸菌がある)などに包んで成形されたものだが、今では合成樹脂のケーシング(魚肉ソーセージの皮みたいなの)が多い。視覚に訴えかけるビジュアルが見間違えようもなく生の豚肉なんで、なけなしの理性が(ダメ! 絶対! 食べちゃ! きけん!)と脳内で警告を発するが、美人の配偶者にงือ กินซิ(ほら食べてごらん)と字面は命令形だが優しく言われると、うん、と頷いてつい食べてしまう。これが旨い。でも味噌は使ってないし、汁物ですらない。つまり、ぜんぜん味噌汁じゃない。味噌汁の具にすることもない。味噌汁はタイ料理じゃないからね。でも、その代わりと言っては何だが唐辛子が効いている。やっぱり味噌汁要素が皆無だ。แหนม(ネーム)ってのは英語のアルファベット表記に倣うと「Hnem」が妥当か。H音が頭に来ているが、このHは、次に来る文字の声調を低音で発せよという声調記号みたいなものだからハヒフヘホ的な発音は関係ない。
 以上、味噌汁の話をしようと思ったが、そうはならなかった。よくあることだね。味噌汁については、また気が向いたら書こうと思う。
 そんなことより長さの話だ。
「ちょうど良い長さの棒の、さらに10cm長い固い棒で、これから叩きます。全力で8回叩かれるのと、8割の力で10回叩かれるのと、どっちが良い?」って訊かれたら、どっちを選ぶべきか。
 いや。ちょうど良い長さのさらに10cm増しでビシバシ打とうとする奴だ。「じゃあ8割の力で10回の方を」と答えたら、「そうか。全力はイヤか。じゃ、全力な」って言うに決まってる。なんだったら7回打ったときに「今なんどきだい?」って訊いて、子分が「へい。よっつです」って答えて、5から再開ってこともあるだろう。(えー! ここでまさかの時蕎麦かよ)って思ってたら、7つ目を打ったところで、もういち度「なんどきだい?」「へい。まだ、よっつです」「そうか。……いつーつ!」地獄である。
 ちょうど良い長さの棒、ってのは木刀やバット、ゴルフクラブを思い浮かべて貰えば良く、これらは大体同じ長さだ。木刀は剣道連盟の規格で三尺三寸五分(およそ101.5-102cm)と決まっており、一般の軟式大人用バットが84cm前後、ゴルフクラブは男子プロのドライバーの平均が44.5インチ(およそ113.03cm)と、誤差は30cmくらいしかない。長いのは座禅の棒(警策)だが、宗派によって長さが違ってて、短いのは90cmくらいからあって、平均は150cmくらいか。もちろん、それを超える物も多いという。
 ただ、こういうのも国民性があるかもしれない。というのも昔のフランス小説(19世紀の)を読んでいたら、欧州各国の人々が集う席でロシア人に「お国では笞刑がお盛んだそうで」と言い、ロシア人に嫌がらせをする場面があった。何のことだかわからないのでググったら笞刑(ちけい)というのはムチ打ちの刑のことで、19世紀のロシアでは二列に並んだムチを手にした懲罰執行人がズラリと並んで、その間に罪人を歩かせ、皆でムチ打つという刑だ。ムチといってもSMの女王様やカウボーイが持ってるような柔らかい鞭じゃなくて、細くて堅い棒でできた笞(ムチ)だ。ほとんどの受刑者が死亡してしまうので19世紀後半にはロシアでも廃止になっちゃうくらい残忍な刑で、この場合の棒は2~3mはあったんじゃないか。根拠はないが。やっぱりあの人たちは残忍の種類が違う。日本の残忍も相当なものだが、どの国も少しずつ残忍のベクトルが違っている。
↑昔の図解だと笞は短いね
 そういえば日本の戦国時代の槍の戦い方は、えい、と前方に突き刺すのではなく、上からたたきつけるように振りかぶったそうだ。団体戦だから槍を横方向に振り回す訳にもいかない。味方が斃れるでしょ。突き刺す型は余程の手練れでないと無理だったそうで、確かに考えてみると突き刺す攻撃はせいぜい数十cmの腕の振りのアクションでダメージも大したことなさそうだ。頭上高くから振り下ろされた方がどう考えても破壊力が高い。振り下ろすエネルギー+穂(金属の刃物部)の重力エネルギー(位置エネルギー)だから、頭を直撃したら、ちょっした冑(かぶと)なら破壊しそうだ。「いてぇ」じゃ済まない。
 話はずんずん脱線するが、冑といえば好きな冑の話があって、骨董商の目玉商品として「源義経が幼少期で牛若丸と名乗っていた頃の冑」という珍品があって、これが贋作ではない証拠に、義経が子供の頃の頭蓋骨も付いてくるって話で、それを聞いた金持ちはゲラゲラ笑ってそれを買うというのね。値段設定もちょうどいい所を突いてくるんだろうな。小林秀雄という何だか評論家みたいな著述家が持っていた骨董品のひとつが贋作と判明したとたんに、それを日本刀で真っ二つに斬ったという話があるが、秀雄のダメな所が如実に表れた話で、自分のことは真っ二つにしなかった。そういう奴だ。
 たとえばサザビーズなんかでローリングストーンズが売りに出されたとする。「うーん。本物のローリングストーンズかぁ」「てことはニセモノってことだな」というね。こんなことばっかり言ってると友達が減って、新たにヘンなトモダチが増えちゃう。
 
 何の話だっけ。あー。味噌汁の話か。いや、ちょうどいい長さの話だった。
 前もって言っておくが、おれは紳士なんで、ちんこの話にはならんぞ。期待しても無駄だ。
 気になっていたのは麺の長さで、でも饂飩・冷や麦・素麺の麺の太さはJAS規格で決まっていても長さの規定はない。スパゲッティなら、あれは茹で時間がキッチリ決まっていて誰が作っても同じになるように作ってあるから、長さも決まってるんだろうと思ったら、そんなことなかった。あれはスパゲッティの木に麺の形状で、たわわに生るもので、その年の気候などの条件で毎年長さは変動する。太さは品種によって変わる、というのはもちろんウソで、デュラム小麦から作るもので、麺の長さが多少変わったところで茹で具合や味に変わりがないだろうし、要は「そんなこと、どうでもいい」のだった。
 ただ、まちまちではあるが、スパゲッティの長さにはそれほどの違いはなく、25cm前後ってところか。スパゲッティには専用のケースが売られていて、あれに収納するのが保管がラクなんだが、たしかにあのケースからはみ出したとか蓋が閉まらないということはなかった。
 むかしから「饂飩一尺蕎麦八寸」といって、だいたい決まってるけど、厳密な規格ではない。1尺は30.303cm。8寸は24.2424cmだが、「だいたいそんなかんじ」だ。饂飩が少し長いのは、白いからだ。もちろんウソだ。南西日本の饂飩が長く、東北日本の蕎麦が若干短いのはメルカトル図法的なアレだろうか。少なくともベルクマンの法則的なものではない。ていうか麺類は生物ではないからベルクマン関係なかったね。
 スパゲッティが25cmくらい。短いのは春雨で22cmくらいか。春雨って、あれボンヤリしてるとダマになっちゃうから若干短いのかな。長いのはラーメンの麺で、家系や豚骨白濁スープ系は30cmくらいと短いが、普通のラーメンだと40~50cmが標準らしい。もっと長いのが即席のいわゆる袋ラーメンで、65cmくらいが普通。短くても50cmくらい。ラーメンの麺だけ長めなのは、縮れてるからじゃないかな。家系と豚骨白濁スープ系はストレート麺が主流だから短いんだね。たしかに即席ラーメンの麺は過剰に縮れてるし、まあ体感的には同じくらいなのか。
 ということで、麺の長さは25cm~30cmってことで結論づけて良いんだが、これはあくまで日本の話で、よその国に行くともっと短い。理由は簡単で、日本以外の国では麺をズルズル啜らないで噛み切るからだ。日本と変わらないのはスパゲッティくらいで、あれは日本に入ってきたのが最近だから向こうの長さに合わせたんだろうってことと、そもそものスパゲッティが他の国の麺に比べて長いのは、フォークで巻き取って食べるから、多少長くても良かったんだろう。数本を巻き取ればちょうど良い一口分だもんね。あれ、ごっそり巻き取って縁日のリンゴ飴みたいに大きく巻くと、どんな人でもばかに見えるからね。大きく巻き取ったフォークを構えてカワイコぶった裏声で「魔法少女の杖♡ おいしくなぁーれ」とかいう一発芸かましても、ばかにしか見えない。

 ところで、ほのぼのニュースを賑わした「岸田首相 増税メガネという渾名にご立腹」という話題だが、「じゃぁレーシックにしろってことか!」の発言がいただけない。ばかじゃないから、そういうことじゃないのはわかってて、増税の方の話題を逸らしたいんだろうが、増税メガネってのは、正しくは「バラマキ増税クソメガネ」の略だ。でも面白いからレーシック手術を受けて「増税レーシック」という渾名になってもらいたい。と書いた翌日ネットのトレンドに「増税クソレーシック」というワードが急上昇していて、皆考えることは同じなんだなと安心した。こう見えて、おれは非国民ではないってことだね。
 ついでに思い出したのが、もうずいぶん昔のことで、選挙の事前投票場を出たところで集計表を持った男に「どちらに投票されました?」と出し抜けに訊かれたことがあった。
 教えない!
 おれがそう言い放つと、男は「へ?」と一瞬だけ固まって「あの。出口調査なんですけど」と言った。
 いやだよ。そんなの。……あ。ウソでも良いなら教えるけど。
「いやいや。ウソはダメですよ。あの、NHKですよ。NHKの調査なんです」
 ……なんでNHKふぜいに教えなくちゃなんないんですか。
「え……」
 あ。じゃぁね。全部の党に入れた! ぜんぶ! これでいいよね!
「……あ。はい。ありがとうございました……」
 ということがあったのを思い出した。おれは紳士だけど、若い頃は大人げなかったので、たまにこういう失礼なことをしでかすダメ男だった。今じゃ、あんまり失礼ではないダメ紳士だと思っている。攻撃的になってはいかん。穏やかな心。こういうのをタイ語でน้ำใจ(ナムチャイ)という。直訳で「水の心」だけど、落ち着いた人や、優しい人を指して言うタイ人の目指す生き方のひとつだ。おれは日本人だけど、こうありたいものだ。古代ギリシャ哲学の祖、タレスが言ったという「万物の根源は水」ってやつか。ちょっと違うかもしれない。稲作とともに生きてきた民だから、川の如く流れる水の方か。「ゆくかはの流れはたへずして 然ももとの水にあらず」だな。よどみに浮ぶうたかたは かつ消え かつ結びて 久しくとどまりたるためしなし。これだ。
 イエス! 長明! イエス! ってかんじ。イエイ! 長明! イエー!
 やっぱ水だよ。基本は水。液体が万物の本質だ。

 よし。満を持してって程のことじゃないが、液体といえば味噌汁だ。昔の病人は味噌汁を点滴で摂取して命を繋いだ。塩分濃度0.9%の生理味噌汁だ。そんなわけない。
 味噌汁は、そんなに好きじゃない。
 滅多に食べないな。こないだ食べたのは2023年だ。と話を終わらせてもいいが、暑い暑い言いながらももう10月で、秋はサイレントインストールされていて店に並んだ茄子を見て、「あ。茄子の味噌汁たべようかな」と思った。で、久しぶりに作って食べたら旨かった。
 むかし友人と味噌汁の具についての話題になり、味噌汁はそんなに好きじゃないけど、大根の千六本と油揚げのやつ、あとザクザク刻んだキャベツと油揚げ、茄子と油揚げの組み合わせもいいな。茄子のは汁がすっごくヘンな色になって気持ち悪いけど旨い、と言うと、「へえ。下品な味噌汁が好きなんだ」と返されて、そこにまったく悪意がなかったので、へぇー……、と思った。下品なのか、おれの好みは。
 いっぽう、うちの奥さんはタイ人なのに味噌汁が好きで、いち番好きなのは、豆腐とワカメのオーソドックスなのが料理として完成されていると主張する。えー……、おれ味噌汁好きじゃないんだよ、と言うと「あなたそれでも日本人ですか」と言われちゃう。タイ人に。ヨメがあんまり味噌汁が好き過ぎて、新婚の頃作り方を教えたんだが、味噌汁だけは手抜きせずに、日高昆布と業務用の厚手のかつを節から出汁をひいて作る。さすがにじぶんで鰹節を削ることまではしない。でも、顆粒のほんだしなんて邪道だ、と言い切った。ごくたまに味噌汁のご相伴に預かるが、旨い。その辺の食堂の味噌汁では太刀打ちできない。
 あの人が味噌汁だけは異常に巧いのは、おれが味噌汁を作るのを面倒くさがるからだ。そんなもの世の中に必要ない。あと、玉葱の味噌汁とか、ジャガ芋の味噌汁など、おれがイヤがる味噌汁が好きなのね。もやしの味噌汁なんて、どうかしてる。そんなの日本人の食い物だぞ。ていうかどこで憶えたのかと訊いたらテレビでみたりネット経由で知ったと言う。
 新婚の頃はあんまり味噌汁を喜ぶものだから、おれがいろいろ作った。日本で作ったことはないが、空心菜で味噌汁を作ると旨いよ。ただ茎がストロー状だから、気をつけないと箸でつまんだ茎から汁がダラダラ垂れてきて驚いたりする。そういえば空心菜ってタイのスーパーではผักบุ้ง(パックブン)てタイ語の他にmorning gloryって英語で併記されていて、(え。これ朝顔なの?)と思っていて、今ついでにググったら「朝顔菜」って別名もあるんだね。でも植物学上ではアサガオ科じゃなくてヒルガオ科じゃねぇか。これもついでにググったらアサガオ科ってのは分類上存在しなくて、朝顔もヒルガオ科なんだね。音だけ「ヒルガオカ」っていうとロシアの財閥の名前みたいでカッコいい。
 あと、尿路結石になるまえはホウレンソウの味噌汁も好きだったな。今でも好きだが、あれはシュウ酸が豊富なんで結石ができやすい体質の人は食べちゃダメなんだ。ホウレンソウのも汁がヘンな色になるよね。
 でも子供の頃は普通に食べていたんだよな。小学生の頃なんて、どうぶつみたいに腹が減って、台所を見ると味噌汁があったから、冷や飯に味噌汁をぶっかけて「猫飯」にして食った覚えがある。あれは旨いもので、行儀作法としては、立ったままジルジルとむさぼるのが正式だ。延髄を直撃するような旨さだったな。この歳になると、そんなの食べても感動しないんだろうが。そういえばうちの実家の味噌汁は煮干し出汁で、いち度「鰹節の出汁にしてください」って言って「いやぁ、なにこの子」って母親にイヤがられたのを思い出した。ちくしょう。あれで味噌汁が好きじゃなくなったのだろうか。わかんないけど。
เเกงหราง - ธีเดช ทองอภิชาติ (Official Music Video)
 歌のタイトルเเกงหราง(ゲーンラーン)ってのは自動翻訳にかけると「パンティ-」と出てきて呆れたんだが、そんな意味はまったくない。เเกง(ゲーン)はタイカレーなどのスープのこと。หราง(ラーン)は、この場合は監獄。つまり「臭い飯」ってやつだ。臭い飯を食うような羽目に陥るな、って歌で、説教臭いと言えば説教臭いが、その説教が「ムショ暮らしはキツいからやめた方がいいぜ」って中身で、決して意識高い系の説教ではない。
 この歌を歌ったธีเดช ทองอภิชาติ(ティーデット・トンガピチャット)って歌手はスラータニ県出身ってことぐらいしかわからない。他にもいくつかの曲を歌っていて、評判は良いようだ。
 歌は巧い。決してタイっぽくない歌い方とサウンドなんだが、悪くない。バックバンドも巧い。いつも思うんだが、タイのロックバンドってフェンダーのストラトキャスターを弾く奴が多いんだけど、ストラトなのにトレモロアーム外しちゃってる奴ばっかりで、それじゃストラト使う意味ないと思うんだよね。うちの息子もストラトが欲しいって言うから買ったんだけど、やっぱりトレモロアームを使わない。それだとチューニング狂いやすいだろうからブリッジのバネ抜くとか増やすとかすりゃ良いのに、それもしない。それでもストラトなの? って訊いたら、「この音。これがストラト」って譲らない。それならギブソンのレスポールの方が良くないか、って訊いたら、「あれは重いから(物理的に重量が)」と、予想もしない答えが返ってきてたまげた。まあストラトの方が安いから、それで良いんだけど。
 なんかそういう国民的な好みってのは、あるね。ピザもタイ人はクリスピーなのをイヤがるし。厚みのあるフカフカのが好きなんだよね。まあスパゲッティのアルデンテがわからないのはしょうがない。アルデンテがわかるのはイタリア人と日本人と、うちの奥さんだけだ。息子は半分日本人なのに、「この麺かたい」って不満そうだ。どうなってんだ。
 そんなこたぁどうでもいいか。歌詞だ。アタマ悪そうだけど言ってることはマトモだね。

最終的にどうなるのか わかってるよな
正直言って この生活はラクじゃない
刑務所の生活なんて 快適なわけないだろ
だから 手遅れになるまえに
考え直したほうがいい
学生生活の期間ってのは
どこにいるよりも快適なんだぜ

やるべき義務があるだろ 両親は子が勉強をするために カネを稼ぐよな
勉強 勉強 勉強
扶養 扶養 寄生なんてイヤだよな それはわかる
表面はたたんだ布みたいにキチンとしてる 中身はくしゃくしゃだけど

家を出て きちんとした服を着ろよ
だが おれは一度も学校に行かなかった
友達を大事にして 人生を生きたほうがいい
一年中ケンカばかりだったけど ただボロボロになっただけだ

あんたはまだ若いんだから ムチャはするな
老いた僧が 言うんだぜ
あんたのいる学校は
どこか遠い場所にあるような 贅沢なんだ

叉焼飯に飽きたかい
それとも カレーを食べるかい
旅行 楽しい旅行 威張れる旅行みたいな生活だってわかってるかい
このままじゃ抑えつけられて逮捕されちまう 残された母は未亡人になって立ち往生

グズグズ文句ばっかり言ってるダチは
ケンカに明け暮れて 問題しかない
顔が黄色くなるまで 酒を飲もうぜと誘うけど
でも 知識を求めて学べるってのは 気持ちがいいもんだ
言っておくが それを無視しちゃダメだ
 凶悪犯にならないようにするんだ

 これをマイルドにしたのがヤザワさんの「トラベリン・バス」かな。ヤザワのオトーサンは良い曲も作るよね。作詞は松山猛だと思い込んでいたが、ぜんぜん違って西岡恭三だった。どこで勘違いしたのか。なんとなく勘違いの理由はおぼろげに思い当たったが、そういうことを思ってはいかん。とにかく松山猛はヤザワのオトーサンには一曲たりとも作詞などしていない。
 それにしてもこのMVは面白い。ほんとヤザワさんてかんじ。
【EY TV】矢沢永吉 ライヴ定番曲!「トラベリン・バス」特別Ver!
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