こっちゃんと映画をみまちょ♪

レビューと呼ぶほど中身なし。しかし中身が無いのも中身のウチよのぅ。・・・なんちって。

タイヨウのうた (2006)

2006年05月12日 | しびれるMovie

こっちゃんポイント ★★★★★

鑑賞環境  試写会 
上映時間 119分
製作国 日本
公開情報 劇場公開 (松竹)
初公開年月 2006/06/17
ジャンル ロマンス

雨音薫(YUI)、16才。学校に行かず、夜になると駅前の広場で歌い続ける毎日。彼女は、太陽の光にあたれないXP(色素性乾皮症)という病気を抱えていた。昼と夜の逆転した孤独な毎日。彼女は歌うことでしか生きていることを実感できないのだ。そんな彼女の秘密の楽しみ、それは、彼女が眠りにつく明け方からサーフィンに向かう孝治(塚本高史)を部屋の窓から眺めることだった。太陽の下では決して出会う事のない二人だったが、運命は二人を引き寄せる…。

 


(goo映画より抜粋)

なんて泣かせるんでしょう...。.(つд⊂)ううっ

この物語の女の子は、 太陽の下で無邪気に遊ぶことも、お天気の良い空の下で大好きな人と手を繋ぎ仲良く歩くことも出来ない。生まれつきの”悲しい病気”を抱えた女の子だったのです。

これは 歌が大好きなそんな少女のお話です.....。

泣けます。とにかくあちこちで泣けます。
別に無理に泣けと言われてなんかいないのに、それでも泣けてきます。

たしかに、何も映画を観るたび泣く必要もないですし、またそんな映画ばかり探して観るのも一体いかがなものか?と思うのですが、それでもこんな作品に出会った時には、頭で考えるのではなく、”心”が先に泣き出します。本来、人間と言うのはそういう生き物なんですね。

映画「タイヨウのうた」は、そんなことを教えてくれる作品でした。

明け方、まだ街が目覚めるその前___。

自分の部屋の窓からちょっと離れたバス停を見つめる女の子。そこにはサーフボードを積んだスクーターと一緒に仲間を待つ高校生の男の子の姿がありました。女の子はまだ名前すら知らないその彼に密かな想いをよせ、そしてその男の子の姿を、いつまでもいつまでも ただじっと見続けます。

ところが、そのうちベンチに座った青年は、バス停の標識の影に隠れて見えなくなってしまう・・。

「あ・・・。」

一体なんということでしょう。これは女の子にとっては大問題。
女の子は大きさの限られたその部屋の窓から精一杯首を動かし、なんとか男の子の顔を見ようとするのですが、でも見えない。そのうち男の子の”早朝サーフィン”仲間がやってきて、彼は海へスクーターで走り去って行くのでした。

やがて女の子は、今日もひとりベッドへ入り、毛布に包まるように眠りにつくのです....。

こんなシーンが、セリフもなく淡々と映像だけで繋がれてゆくオープニング。

これを観ただけで、この映画がいかに良いか”予感”した人も多かったのではないでしょうか?
そして、小さなキャンドルに火を灯し、ギターで唄い始める彼女の歌が可愛らしいオープニング・タイトルに繋がっていくあたりで、早くもその”予感”はより確かなものへと成長してゆきます。

この「タイヨウのうた」は、2時間ほぼキッチリの映画ですが、その時間の使い方がとても上手いですね。別に間延びするわけでなければ、必要以上に詰め込むわけでもない。とにかく時間はゆったりと、そして時には緊迫感をもって迫ってきます。観終る頃にはスッカリこの映画の中へ惹きこまれてしまっていました。

こっちゃんにとっては、それくらい感情移入してしまった映画だったのです。

女の子の大好きなもの。
それは「うたを唄うコト」と「まだ名前も知らない男の子を窓からただ眺めるコト」。

昼夜が完全に逆転してしまった生活の中で、彼女は今日も人通りの少ない夜の駅前広場で歌い続けます。

映画の主人公:雨音(あまね)(YUI)は、治療法の見つからない難病を持つ女の子。
XP”と呼ばれるその病気は、日光に当たると、皮膚が色素沈着を起こして著しく乾燥し、角質化する疾患。皮膚癌を生じることもあるという劣性の遺伝病です。簡素化して言うならば、太陽の光を浴びると”死んでしまう”かもしれないという恐ろしい病気。しかしこれは、現実にこの世にある病気です。
太陽の下に出なければそれで良いかといえば、実はそうではない。その病気はいつかきっと発症し、その人の神経を蝕(むしば)んで行きます。そして結局は死に向かっていくという....。

わたしは人とは違う だからわたしは”恋”なんて出来ない

生まれ持ったその病気と16年間も闘いつづけ、やがて訪れるであろう”自分の悲しい未来”を予感しながら毎晩想いを込め、自作の歌を唄う女の子。そんな主人公を歌手のYUI(ゆい)が演じています。

まず、この女の子のキャラクターがとても可愛らしいのが、この映画最大の魅力。
いや、そうは言ってもこれは むしろ男ではなく”女性から見た可愛らしさ”なんだと思います。だから彼女を見ていると”恋心”というよりも、何だかクスクスッと笑みがこぼれ、微笑ましい気分にさせられてしまうんですね。

いつも邪魔するバス停を、ちょっとだけ(?)引きずって移動してみる。

路上ライブ中に見かけた彼を走って追いかけ、いきなり踏み切りで体当たり。
その後、一方的に意味不明な自己紹介を押し付ける。

ビデオカメラの中の”彼”を見ながら、夜 自分も同じ道を歩き、同じバス停のベンチに座ってみたりする。

こんなどこか少女漫画のような感覚の女の子を観ているうちに、いつしか”彼女”のことが好きになってゆきます。

たしかに、映画初主演のYUIや、唯一の女ともだち役の通山愛里ちゃんなど、演技だけを見れば「チョットそれは....」と言えなくもないのですが、それでもYUIに関してはさすがシンガー!と言わせるものがありました。良いですよ、彼女の歌。
この映画の主題歌「Good-bye days」は、彼女自身がこの映画の撮影を進行させながら同時に書き上げたものと聞きました。それだけに、この映画にピタリとハマっています。そしてこの映画のイメージに深く刻み込まれていました。

父親役:岸谷五朗さんや、母親役:麻木久仁子さんも必要なところでしっかりツボを押さえた流石の演技。相手役の塚本高史クンも歯切れ良く、中々の好演です。今回は”優等生ではない好青年”を上手に演じてくれていましたね。

更に、この映画の監督:小泉徳宏氏により、綿密に そして巧みに練られた構成と演出によりとても良い映画に仕上がっています。正直、普通の映画ではネックとなってくるような演技力を、ここまでカバーできる演出はスゴイ!いつの間にやら「あ、この演技はむしろ自然なカタチなんだ」とすら思わせてくれますからね。イッツ・マジックですよ。(笑)

何だか監督に興味が沸いちゃって「この小泉徳宏って方、いったい何者?」そう思って調べてみたんですが、この方なんとまだ25歳(2006.05.12現在)しかしあのROBOT映画部の所属なんですって!

高校在学中の課題で映像制作と出会い、大学進学と同時に自主映画の制作活動を開始。2001年、映画監督篠原哲雄氏のワークショップをきっかけとして、自主制作映画チームI’s film(アイズフィルム)を結成。その代表を務めながら、5本のショートフィルムを監督し、水戸短編映像祭をはじめとする国内外の数々の映画祭で入賞。篠崎誠監督が発案者となり、多数の有名監督が参加した『刑事まつり』でも、自身監督作である『行列のできる刑事』が高い評価を得、注目を集める。2006年劇場長編映画『タイヨウのうた』でデビュー。ROBOT映画部所属。(ROBOT MOTION PICTURE DIVISIONより抜粋)

【ROBOT映画部とは】94年岩井俊二監督の映画デビュー作品「Undo」「PICNIC」を皮切りに、「踊る大捜査線 THE MOVIE」「サトラレ」等 今や日本で最も有名な映画制作会社のひとつとして、多くの映画ファンそしてクリエイターを轢きつける会社。(Japan Design Netより抜粋)

へぇ~~~~ッ!なるほどですねー!スゴイですよ、この人。この映画で長編デビューっていうのに、何という安定感でしょうか!つまりソレは、こんな経歴から来ていたのですね!こういう人がドンドン出てくれれば、邦画の未来は決して暗くないのだと思います。
早速 こっちゃん的には、これからも目を離せない監督さんの一人になりました。

そんな監督によって生み出されたこの映画「タイヨウのうた」は、エンドロールに至るまで、その丁寧な作りが光る作品です。

 

ただこの映画でひとつ残念なことは、公開がまだまだ先ということ。一般公開は6月中旬以降です。こんな良い映画が勿体無い!気持ち的には明日にでも一般公開して欲しいくらいです。

実はこっちゃんは、この度 ある方の「ご好意」でお誘い頂き、この映画を観ることが出来ました。そんなこの映画がとても良かったりして、今ではその方に感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

そういえば、先日感想に書いた「青いうた のど自慢 青春編」も同じ「~うた」の付くタイトルでしたが、こちらを観終わったときに心に残るものはまるで違います。この「タイヨウのうた」は、切なく悲し過ぎる話なのに 不思議と暖かく嬉しい気持ちにもなれる映画なのです。

そう遠くない未来にやってくる「死」を感じていたこの時に、主人公の女の子は「初めての恋」と「精一杯”死ぬまで生きる”という気持ち」を手にしました。

どうか悲しい結末にだけはならないで....

そう願いスクリーンに釘付けになった人もきっと多かったでしょう。こっちゃんもそうでした。
しかし”現実”は容赦なく彼女を迎えにきます。

”タイヨウに向かって伸びる花”  向日葵(ひまわり)。

いっぱいのその花に囲まれてタイヨウのもとへ帰って行った彼女。
タイヨウとはともだちになれなかったけど、今度生まれてきたら大好きなおとうさんやおかあさんと一緒に思いきりタイヨウの下で笑って欲しい。そして愛する恋人と美しい朝日を一緒に眺めて欲しい。

彼女が残してくれた切ない歌は、そんなこっちゃんの気持ちに答えてくれるような優しい歌でした。そして、その歌は”彼女がそこに生きていた証”であり、そして愛する人たちの”心の中にいつまでも残るもの”であると信じたいですね。

彼女がいなくなっても耳を傾ければホラ。あの歌が....。
”姿”は見えなくても”声”はこれからもみんなの側にいます。

この歌声を、もっともっと多くの人に届けたい。そんな気持ちになる映画です。

 

《2006.08.17記事一部改訂》

【作品】タイヨウのうた