ホントに沢山の二胡弾きの方に来ていただいた日でした。
面白かったのは、今まで、このような場がなかったというのが、すごく不思議です。
皆さんのブログなど読ませていただくと先生を老師というのだそうですね。
とにかく、様々な先生方の教室の生徒さんが、
このように、集まるという場が無かったみたいです。
確かに、みなさん、仕事や学校のお付き合いも多いでしょうし、
もちろん教室のお付き合いのほかに、他の教室の方が集まる場所があるわけでもなく、
あえて、集まるいわれも、無いのでしょう。
しかしこうやって、光舜堂のような、とにかく二胡、弾きまくるようなところが出来ました。
それぞれみなさん、二胡弾きあうのも良し、
様々な、二胡談義に花咲かせるのも良し、
楽しい場になったかなという思いがした一日でした。
これは、私も、言動に、いささか気をつけなければいけないかな、と反省したことは、
やはり、このように、日本人が二胡作って、あるいは修理しますよと、店を立ち上げると、
特に修理のことでは、批判ではなくとも、
「この二胡は、此処に問題がありますよ」
という指摘はせざるをえません。
これを言うことは、もし此処に楽器を売るということの関係者の方が、
いらして、このブログを読んでいたとしても、
二胡を直すということでは、言わざるを得ない言葉と、御理解していただきたいのです。
いらしていただければ解りますし。
御来店した方に聞いていただければ、解ることではありますが、
誰が作ったものでも、光舜堂は、修理いたします。
と言いますのは、基本的に、私は、二胡が、かわいい、ということです。
長年、私自身が、物作りをしてきています。
必ず誰かが手をかけ時間をかけて、作り上げた1品です、
それが量産の、1万円台の二胡であろうと、100万する二胡であろうと、
怪我し、患った二胡は、全て直してやりたいというのが私の、
というより物を作る人間全てが感じることなのだと御理解下さい。
幾らで買おうと、誰から買おうと、
どんなに雑音だらけだろうと、
落として傷ついていようと、それを誰かが直さなければ、
健全な二胡、みんなに楽しんでもらえなければ、
それこそ、二胡を楽しんでくれる生徒さんも、先生方もどんどん少なくなるということです。
ですから、売る側の責任として、メンテナンスは、必需なこととして欲しいのです。
もし御自分で出来なければ、それこそ、光舜堂にいらしていただければよいのです。
私は、どんな二胡も、けなすというのはあり得ません。
むしろ雑音だらけで鳴りも良くないと、ほうり出される二胡があることに、心を痛めます。
そして、売り手には、こう言いたいのです。
もしその二胡が、不健全であると解っていたら、売らないでほしいということです。
作られた二胡には、それこそ罪はありません。
具合の悪いところを解っていて売るとしたら、それは良いことなのでしょうか?
それは、折角二胡の世界に入ってきた人を、二胡から遠ざけ、
それこそ、二胡を、売るという商売を邪魔することになるのではありませんか?
生徒を失うことの一つのきっかけに、ならないでしょうか?
病気の胡を、そのまま外に出すのは、良いことではない、ではないでしょうか?
少し手入れをして、出してやれば、この胡かわいいと、沢山弾いてもらえ、
どんどん良い音になり、やっぱり良い二胡いただいたと、
より良い関係に発展するのではないですか。
今や中国と日本は、切っても切れない関係になりつつあります。
経済だけで、繋がってきたような関係から、
二胡を通して文化といい、人間の関係といい、
良いつながりが更に濃くなる時期に来ているのではないですか?
中国との関係の中で、かなり、目にし、耳にすることで、
やっぱり中国人は、、、と言われるようなことも、商業の習慣の違いからも多々ありますが、
私は、そうは思っていません。
と言いますのは、私がお願いしている、中国での商品の取引の代理をしてくれている、
Yさんを私は絶対的に信頼しているからです。
もちろん運送の問題や、多少の発注の問題が無いとは言いませんが、
それでも、毎回話し合って、かなり良い関係をつづけていると、私は思っています。
それから、二胡を買うということが、以前とはかなり条件が変わってきています。
と言いますのは、sitesをかなり楽に取れるようになり、
二胡弾きたちが、直接中国の楽器屋さんから仕入れることも多くなったということ。
そして二胡弾き達もかなりレベルが上がり、
私なんかが言わなくとも、良い二胡、悪い二胡の判断が出来る人が、かなり増えたということ。
そして、日本人で二胡を作る人も出てきはじめ、
(これは私一人ではありません)正確あな知識が、出始めてきているということです。
今までは、正確な知識と言うのが、
こうではないか、ということが、かゆいところに手が手が届きにくい感じで
ウェブ上などで言われていましたが、
今のこのような、情報社会です。
どんどん正確な知識と思われる事が広まりつつあります。
これもまだ完全ではありません。
ですから、私をも含め、心して、健康な、健全に鳴る二胡というのを、
ともに二胡弾き達に手渡していきたいですね。
また今日の光舜堂のように、
買ったところは違え、先生は違っても、
お互い自分の二胡をやりとりし、
互いにその音、その曲楽しめるような、場が出来上がり、
二胡弾き達が愛してやまない、二胡の音楽を互いに楽しめる場所が沢山出来上がればいいな。
という想いが、残った一日でした。
西野和宏。
面白かったのは、今まで、このような場がなかったというのが、すごく不思議です。
皆さんのブログなど読ませていただくと先生を老師というのだそうですね。
とにかく、様々な先生方の教室の生徒さんが、
このように、集まるという場が無かったみたいです。
確かに、みなさん、仕事や学校のお付き合いも多いでしょうし、
もちろん教室のお付き合いのほかに、他の教室の方が集まる場所があるわけでもなく、
あえて、集まるいわれも、無いのでしょう。
しかしこうやって、光舜堂のような、とにかく二胡、弾きまくるようなところが出来ました。
それぞれみなさん、二胡弾きあうのも良し、
様々な、二胡談義に花咲かせるのも良し、
楽しい場になったかなという思いがした一日でした。
これは、私も、言動に、いささか気をつけなければいけないかな、と反省したことは、
やはり、このように、日本人が二胡作って、あるいは修理しますよと、店を立ち上げると、
特に修理のことでは、批判ではなくとも、
「この二胡は、此処に問題がありますよ」
という指摘はせざるをえません。
これを言うことは、もし此処に楽器を売るということの関係者の方が、
いらして、このブログを読んでいたとしても、
二胡を直すということでは、言わざるを得ない言葉と、御理解していただきたいのです。
いらしていただければ解りますし。
御来店した方に聞いていただければ、解ることではありますが、
誰が作ったものでも、光舜堂は、修理いたします。
と言いますのは、基本的に、私は、二胡が、かわいい、ということです。
長年、私自身が、物作りをしてきています。
必ず誰かが手をかけ時間をかけて、作り上げた1品です、
それが量産の、1万円台の二胡であろうと、100万する二胡であろうと、
怪我し、患った二胡は、全て直してやりたいというのが私の、
というより物を作る人間全てが感じることなのだと御理解下さい。
幾らで買おうと、誰から買おうと、
どんなに雑音だらけだろうと、
落として傷ついていようと、それを誰かが直さなければ、
健全な二胡、みんなに楽しんでもらえなければ、
それこそ、二胡を楽しんでくれる生徒さんも、先生方もどんどん少なくなるということです。
ですから、売る側の責任として、メンテナンスは、必需なこととして欲しいのです。
もし御自分で出来なければ、それこそ、光舜堂にいらしていただければよいのです。
私は、どんな二胡も、けなすというのはあり得ません。
むしろ雑音だらけで鳴りも良くないと、ほうり出される二胡があることに、心を痛めます。
そして、売り手には、こう言いたいのです。
もしその二胡が、不健全であると解っていたら、売らないでほしいということです。
作られた二胡には、それこそ罪はありません。
具合の悪いところを解っていて売るとしたら、それは良いことなのでしょうか?
それは、折角二胡の世界に入ってきた人を、二胡から遠ざけ、
それこそ、二胡を、売るという商売を邪魔することになるのではありませんか?
生徒を失うことの一つのきっかけに、ならないでしょうか?
病気の胡を、そのまま外に出すのは、良いことではない、ではないでしょうか?
少し手入れをして、出してやれば、この胡かわいいと、沢山弾いてもらえ、
どんどん良い音になり、やっぱり良い二胡いただいたと、
より良い関係に発展するのではないですか。
今や中国と日本は、切っても切れない関係になりつつあります。
経済だけで、繋がってきたような関係から、
二胡を通して文化といい、人間の関係といい、
良いつながりが更に濃くなる時期に来ているのではないですか?
中国との関係の中で、かなり、目にし、耳にすることで、
やっぱり中国人は、、、と言われるようなことも、商業の習慣の違いからも多々ありますが、
私は、そうは思っていません。
と言いますのは、私がお願いしている、中国での商品の取引の代理をしてくれている、
Yさんを私は絶対的に信頼しているからです。
もちろん運送の問題や、多少の発注の問題が無いとは言いませんが、
それでも、毎回話し合って、かなり良い関係をつづけていると、私は思っています。
それから、二胡を買うということが、以前とはかなり条件が変わってきています。
と言いますのは、sitesをかなり楽に取れるようになり、
二胡弾きたちが、直接中国の楽器屋さんから仕入れることも多くなったということ。
そして二胡弾き達もかなりレベルが上がり、
私なんかが言わなくとも、良い二胡、悪い二胡の判断が出来る人が、かなり増えたということ。
そして、日本人で二胡を作る人も出てきはじめ、
(これは私一人ではありません)正確あな知識が、出始めてきているということです。
今までは、正確な知識と言うのが、
こうではないか、ということが、かゆいところに手が手が届きにくい感じで
ウェブ上などで言われていましたが、
今のこのような、情報社会です。
どんどん正確な知識と思われる事が広まりつつあります。
これもまだ完全ではありません。
ですから、私をも含め、心して、健康な、健全に鳴る二胡というのを、
ともに二胡弾き達に手渡していきたいですね。
また今日の光舜堂のように、
買ったところは違え、先生は違っても、
お互い自分の二胡をやりとりし、
互いにその音、その曲楽しめるような、場が出来上がり、
二胡弾き達が愛してやまない、二胡の音楽を互いに楽しめる場所が沢山出来上がればいいな。
という想いが、残った一日でした。
西野和宏。