今までの仕事に比べ、この二胡を作って販売をするというのは、
私にとってある意味、楽な部分が有る。
私の今までの本業は、(まだ完全に止めているわけではないが)、価格の見えにくい世界であった。
もちろん物を作るのだから、原価と言う物が有り、それを作り出す、日数という物も有るから、ある程度は、妥当な価格と言う物が有る。
しかし、来る仕事、来る仕事、毎回のように、同じものを作らない。
それこそ毎回、新しい技術なり、感覚なりを、工夫していかなければ、仕事にならない。
その毎回違う工夫をし、新しい感覚を盛り込めるからこそ、仕事が来る部分が有る。
片や、ジブリ美術館の、ポエティックな、造形物やサイン等が有ると思えば、
夜の世界を演出する、クラブ、だったり、バーであったりするときも有る。
スポーツなどの世界での、100分の数秒差というような、判然とした、価値観が有るわけではない。
もちろんこの仕事にも、コンペという形の、勝負の世界はあるが、
勝ってその仕事を取れたにせよ、取れなかったにせよ、
何故取れたか取れなかったかという、はっきりした理由は、解らない。
いくら安ければ、取れたのかという価格の安さだけの世界では無く、
むしろ、オーナーとの感性や、相性、また、印象の大きさなどが、大きく影響する世界でしかない。
そういう意味では、確かに楽器を作って販売するというのは、今までの仕事よりは、多少楽になる。
そうとも言えないか?楽器と言うのは、人にとって、友ともなり、
恋人ともなり、
パートナーともなる。
もっと言うと、体一部ともなる。
二胡弾きたちがたまに(大いにか)言うのは、わが胡。
そういう意味では、人に近いものを生み出す。
と言うところで、更に大変なことに嵌ってしまったのかもしれない。
がしかし、ただ感性の判断だけを待つという今までの仕事より、自分自身で、先ず、これはなるか、雑音はあるか、高音はなるか、という価値基準を一度は持てる。
鳴るか鳴らないか、というのは大きい要素である。
また雑音(二胡特有としか言いようがないが)などが有れば、それは論外となるだろう。
先ず、最低でもそのことをクリアーし、
次に、お客様との、相性ということになると思う。(この意味では、今までの仕事と変わらない)
また、いくら音色や、響きが気に入ったとしても、突然高音のところで、音が小さかったり、雑音が出たら、
皆さんどう判断されるだろう。?
最初の二胡、皆さんはどのように買われたのか?
教室に、入って、先生から買った場合、殆どの教室では、
はい、これは貴方の二胡です、と手渡されたのでは、なかろうか?
あるいは、通販で、送られてきたもの、受け取ったのだろうか?
また、あるいは、日本の楽器屋さんに行き、予算を伝えて、
これは、こんな感じの音、と弾いてもらい、こちらは、老紅木ですから、このくらいしてしまいますが、良い楽器ですよ、という形ではなかったろうか?
それが数年弾き込んで、様々な、二胡弾き達との出会いも有り、また様々に、ウェブ等での情報も入り、良し、次買う時には、もう少し良いものをと、
自分で、弾いて買えるようになったのではないだろうか。?
それで皆さんは、買われた値段、妥当だと納得されているのだろうか?
もちろん、予算と言う物が有る以上、その妥当性は十分納得されているとは思う。
がしかし、楽器を買うということには、長年月を、その楽器と楽しみたいということが有ると思う。
それには、メンテナンスと、保障という問題が有る。
皆さんが二胡を買われた時、いずれこの楽器には、メンテナンスが必要になるし、
何時かは、皮を張り替えなければならないと、思って買った方が何人ぐらい、いらっしゃっただろうか?
日本の中の楽器屋さんでは、ソロソロその多くが、楽器に保証をつけるようになってきた。
1年であったり、3年であったり、様々だが、
その保障の中身、ちゃんと御理解いただいているのだろうか?
流石に、転倒や、落下による破損は入ってはいない。
しかし、木の縮みや変形などによって、皮が、変形したなどと言う時の保障はどうだろう・
もちろん、皮と言うのは、以前にも書いたが、10数年たつと劣化する、
緩みもすれば、硬化もする、その時には交換しなければいけないものだが、
木も生き物、皮も生き物、どのように変化するか、読み切れているのだろうか?
木で作られた弦楽器には、メンテナンスは、付き物である。
まったく、10数年メンテナンスをしないで済むと言う楽器は、皆無であろう。
もしあなたが、中国で、二胡を買ったとする。
そこには、保障はついているのだろうか?
あるいは、メンテナンスは、どうするのだろう?
日本の中でも、メンテナンス、皮の張り替えまでやる、と言うところは多くは無いし、
自社の販売したもの以外は、修理受け付けないと言うところも多い。
それでも、今までに、日本の中で販売された二胡の数は、20万台を超えると言われる。
今でも一時のブームは去ったとは言え、年間数千台が売れていると言われる。
幾ら、練習しても、あのCDから聞こえる音には、程遠く、
雑音だらけの、音に悩まされ、上手にはならないと、あきらめて行った人はどれほどの数がいるのだろうか?
とにかく、20万人を超える方が、一度は二胡を手に取り弾いた時代にはなった。
また、ワシントン条約の輸出入許可証(sites)等も、比較的容易に、中国でも出してくれるようになり、御自分で、中国から買われてくる方も増え、
中国での、二胡の生産や、販売などの様子も、かなり皆さんの中に行きわたってきた、この時代、
そろそろ、日本の中での、二胡の販売というものに、変化が表れてきても良いのではないか?
その意味でも、(二胡で楽しくみんなで遊ぶという意味は、別の項で)
私は、此処に、光舜堂を開いた。
健全に鳴る二胡の販売、全ての二胡のメンテナンス、修理いたします。
無償での保証は5年間。(内容は別の項、とHPに書きます)
お前先行き何年持つのと思われるかもしれない、ただ私の家系は、全ての人が90歳以上それも現役でと、言う実績に、安心はしている。
しかしそれでもまだ危ないと、思われる方もいるかもしれない。
そこで次代の養成は、もう始めているし、もし、ご希望が有るなら、教えることもやぶさかではない。
確かに、作り始めて1,2年、お前そこまで言えるのかと言われる方もいらっしゃるだろう。
私でも部外者だったら思うと思う。
しかし、最近になって、数名の、日本人のプロの演奏家の方が、私の作った光舜二胡メインの楽器として弾いてくれていること。
あるいはまた、ジョージガオ氏から、制作依頼が有ったこと。
また、まだお名前は上げることはできないが、他に、3人中国人の演奏家からの依頼や、
メインの楽器として使っていただく話が有ること。
ということで、皆さんに、このような強気な発言、どうぞ、お許し願いたいのと、
私自身で何もかも作り上げたわけではなく、
たまたま木場の中に生まれ、若いころから、木工を志、たまたま縁あって、
今の光舜堂を作り上げてくれたスタッフ(私は、仲間だと思っているがどうしても年の差があるので、親分と言ってくれている)達の二胡に対する想いと、
それぞれに秀でた力の集まりが、この光舜堂を作り上げている。
その程度にはなったのか、という寛容な、お気持ちが得られることを、お願いいたします。
確かに本来中国製の物、物価の高い日本でわざわざ作る必要はないでしょ、という御意見も有った。
でもあえて、日本人の技術だから、感性だから、という気持ちも有る。
また、バイオリンや、ギターなどの制作は、本来日本の物では無いにも関わらず。
世界のトップレベルを日本人制作者が占めているのは、皆さんも御存じだと思う。
それこそ、日本人に伝わってきた木工の技術と言うのは、世界でも有数の物が有る。
その技術を、二胡作りという形で、伝え繋げて行くのも、私の役割の一つではないかと
最近考えている。
また、伝え聞くところによると、中国の上海で、日本人の方が、中国の伝統的な二胡作りを学ばれ、既に日本人の感性を活かした、二胡作りなさっていると聞く。
様々に工夫もなされているとの事、
たまたま、時期を同じくして、日本人による二胡の工房が始まったということは、
日本における二胡の販売の新たな形の時期が来たのだと、確信できるような気がする。
所は遠く離れているとは言え、本場の技術と日本人の感性活かした二胡作りで在ってほしいし、
私も良きライバルを得て、より一層の研究に邁進でき、二胡作りの励みにもなる。
大変日本の二胡業界にとって嬉しいことでは無いだろうか。
この項、終わります。
西野和宏
私にとってある意味、楽な部分が有る。
私の今までの本業は、(まだ完全に止めているわけではないが)、価格の見えにくい世界であった。
もちろん物を作るのだから、原価と言う物が有り、それを作り出す、日数という物も有るから、ある程度は、妥当な価格と言う物が有る。
しかし、来る仕事、来る仕事、毎回のように、同じものを作らない。
それこそ毎回、新しい技術なり、感覚なりを、工夫していかなければ、仕事にならない。
その毎回違う工夫をし、新しい感覚を盛り込めるからこそ、仕事が来る部分が有る。
片や、ジブリ美術館の、ポエティックな、造形物やサイン等が有ると思えば、
夜の世界を演出する、クラブ、だったり、バーであったりするときも有る。
スポーツなどの世界での、100分の数秒差というような、判然とした、価値観が有るわけではない。
もちろんこの仕事にも、コンペという形の、勝負の世界はあるが、
勝ってその仕事を取れたにせよ、取れなかったにせよ、
何故取れたか取れなかったかという、はっきりした理由は、解らない。
いくら安ければ、取れたのかという価格の安さだけの世界では無く、
むしろ、オーナーとの感性や、相性、また、印象の大きさなどが、大きく影響する世界でしかない。
そういう意味では、確かに楽器を作って販売するというのは、今までの仕事よりは、多少楽になる。
そうとも言えないか?楽器と言うのは、人にとって、友ともなり、
恋人ともなり、
パートナーともなる。
もっと言うと、体一部ともなる。
二胡弾きたちがたまに(大いにか)言うのは、わが胡。
そういう意味では、人に近いものを生み出す。
と言うところで、更に大変なことに嵌ってしまったのかもしれない。
がしかし、ただ感性の判断だけを待つという今までの仕事より、自分自身で、先ず、これはなるか、雑音はあるか、高音はなるか、という価値基準を一度は持てる。
鳴るか鳴らないか、というのは大きい要素である。
また雑音(二胡特有としか言いようがないが)などが有れば、それは論外となるだろう。
先ず、最低でもそのことをクリアーし、
次に、お客様との、相性ということになると思う。(この意味では、今までの仕事と変わらない)
また、いくら音色や、響きが気に入ったとしても、突然高音のところで、音が小さかったり、雑音が出たら、
皆さんどう判断されるだろう。?
最初の二胡、皆さんはどのように買われたのか?
教室に、入って、先生から買った場合、殆どの教室では、
はい、これは貴方の二胡です、と手渡されたのでは、なかろうか?
あるいは、通販で、送られてきたもの、受け取ったのだろうか?
また、あるいは、日本の楽器屋さんに行き、予算を伝えて、
これは、こんな感じの音、と弾いてもらい、こちらは、老紅木ですから、このくらいしてしまいますが、良い楽器ですよ、という形ではなかったろうか?
それが数年弾き込んで、様々な、二胡弾き達との出会いも有り、また様々に、ウェブ等での情報も入り、良し、次買う時には、もう少し良いものをと、
自分で、弾いて買えるようになったのではないだろうか。?
それで皆さんは、買われた値段、妥当だと納得されているのだろうか?
もちろん、予算と言う物が有る以上、その妥当性は十分納得されているとは思う。
がしかし、楽器を買うということには、長年月を、その楽器と楽しみたいということが有ると思う。
それには、メンテナンスと、保障という問題が有る。
皆さんが二胡を買われた時、いずれこの楽器には、メンテナンスが必要になるし、
何時かは、皮を張り替えなければならないと、思って買った方が何人ぐらい、いらっしゃっただろうか?
日本の中の楽器屋さんでは、ソロソロその多くが、楽器に保証をつけるようになってきた。
1年であったり、3年であったり、様々だが、
その保障の中身、ちゃんと御理解いただいているのだろうか?
流石に、転倒や、落下による破損は入ってはいない。
しかし、木の縮みや変形などによって、皮が、変形したなどと言う時の保障はどうだろう・
もちろん、皮と言うのは、以前にも書いたが、10数年たつと劣化する、
緩みもすれば、硬化もする、その時には交換しなければいけないものだが、
木も生き物、皮も生き物、どのように変化するか、読み切れているのだろうか?
木で作られた弦楽器には、メンテナンスは、付き物である。
まったく、10数年メンテナンスをしないで済むと言う楽器は、皆無であろう。
もしあなたが、中国で、二胡を買ったとする。
そこには、保障はついているのだろうか?
あるいは、メンテナンスは、どうするのだろう?
日本の中でも、メンテナンス、皮の張り替えまでやる、と言うところは多くは無いし、
自社の販売したもの以外は、修理受け付けないと言うところも多い。
それでも、今までに、日本の中で販売された二胡の数は、20万台を超えると言われる。
今でも一時のブームは去ったとは言え、年間数千台が売れていると言われる。
幾ら、練習しても、あのCDから聞こえる音には、程遠く、
雑音だらけの、音に悩まされ、上手にはならないと、あきらめて行った人はどれほどの数がいるのだろうか?
とにかく、20万人を超える方が、一度は二胡を手に取り弾いた時代にはなった。
また、ワシントン条約の輸出入許可証(sites)等も、比較的容易に、中国でも出してくれるようになり、御自分で、中国から買われてくる方も増え、
中国での、二胡の生産や、販売などの様子も、かなり皆さんの中に行きわたってきた、この時代、
そろそろ、日本の中での、二胡の販売というものに、変化が表れてきても良いのではないか?
その意味でも、(二胡で楽しくみんなで遊ぶという意味は、別の項で)
私は、此処に、光舜堂を開いた。
健全に鳴る二胡の販売、全ての二胡のメンテナンス、修理いたします。
無償での保証は5年間。(内容は別の項、とHPに書きます)
お前先行き何年持つのと思われるかもしれない、ただ私の家系は、全ての人が90歳以上それも現役でと、言う実績に、安心はしている。
しかしそれでもまだ危ないと、思われる方もいるかもしれない。
そこで次代の養成は、もう始めているし、もし、ご希望が有るなら、教えることもやぶさかではない。
確かに、作り始めて1,2年、お前そこまで言えるのかと言われる方もいらっしゃるだろう。
私でも部外者だったら思うと思う。
しかし、最近になって、数名の、日本人のプロの演奏家の方が、私の作った光舜二胡メインの楽器として弾いてくれていること。
あるいはまた、ジョージガオ氏から、制作依頼が有ったこと。
また、まだお名前は上げることはできないが、他に、3人中国人の演奏家からの依頼や、
メインの楽器として使っていただく話が有ること。
ということで、皆さんに、このような強気な発言、どうぞ、お許し願いたいのと、
私自身で何もかも作り上げたわけではなく、
たまたま木場の中に生まれ、若いころから、木工を志、たまたま縁あって、
今の光舜堂を作り上げてくれたスタッフ(私は、仲間だと思っているがどうしても年の差があるので、親分と言ってくれている)達の二胡に対する想いと、
それぞれに秀でた力の集まりが、この光舜堂を作り上げている。
その程度にはなったのか、という寛容な、お気持ちが得られることを、お願いいたします。
確かに本来中国製の物、物価の高い日本でわざわざ作る必要はないでしょ、という御意見も有った。
でもあえて、日本人の技術だから、感性だから、という気持ちも有る。
また、バイオリンや、ギターなどの制作は、本来日本の物では無いにも関わらず。
世界のトップレベルを日本人制作者が占めているのは、皆さんも御存じだと思う。
それこそ、日本人に伝わってきた木工の技術と言うのは、世界でも有数の物が有る。
その技術を、二胡作りという形で、伝え繋げて行くのも、私の役割の一つではないかと
最近考えている。
また、伝え聞くところによると、中国の上海で、日本人の方が、中国の伝統的な二胡作りを学ばれ、既に日本人の感性を活かした、二胡作りなさっていると聞く。
様々に工夫もなされているとの事、
たまたま、時期を同じくして、日本人による二胡の工房が始まったということは、
日本における二胡の販売の新たな形の時期が来たのだと、確信できるような気がする。
所は遠く離れているとは言え、本場の技術と日本人の感性活かした二胡作りで在ってほしいし、
私も良きライバルを得て、より一層の研究に邁進でき、二胡作りの励みにもなる。
大変日本の二胡業界にとって嬉しいことでは無いだろうか。
この項、終わります。
西野和宏
毎回拝読させていただいて、大変勉強になりました。
わたしも少ないですが、何人かのプロの演奏家に紹介したいと思っているのですが、おこがましいのと、反応が怖いので躊躇してます(ww
また伺いますので、いろいろ教えてくださいませ。
ありがとうございます。
とりあえずこの項は、閉じますが、まだ続きはありますので。
演奏家の方は、どなたも独自の美学お持ちですから、お気になさらずに、どんどん光舜堂へいらしてください、御一緒に。
様々な人に弾いてもらいたいのです、まだまだ駆け出しですから。