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ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

チョコを食べつつ。

2012年03月09日 09時01分19秒 | 日記
チョコレートが作られるプロセスの、カカオの収穫に子どもたちがかり出される。
いわゆる児童労働。

森永のダースと、
プランジャパンと
ACEとが組んだ、
「1チョコ for 1スマイル」

ダースの売上の一部が寄付されて、
ガーナなどのカカオの国の子どもたちの
教育に使われるのだそうです。

チョコ好きとしては、好きなものを食べて、
子どもたちの学びに貢献できるのは嬉しいかぎり。

私が食べるこのチョコレートの原料は、
児童労働で作られてないよね。
と、一抹の不安。

いやいや、ACEに限ってそれは無いだろう。
と、即否定。

森永ダース、ACEと組んで得してます。

桜井智恵子『子どもの声を社会へ』(岩波新書)を読む。子どもと共に今を生きる。

2012年03月08日 08時35分33秒 | 日記
もう、どのページをめくっても、あぁ、そうなんです。そうですよね。
うん、そういう風に子どもに接してくれてありがとう。

と、言いたくなる一冊でした。

子どもに寄り添う、とか、
子どもの育ちを支える、とか、
子どもを主体に、とか。

子どもとの関わり方をそういう表現に落とし込んだ途端に、
なんだかとてもウソが増える気がして、
これらの言葉でしか表現できない場面で、用いるたびに小さく落ち込む。

この本を読みながら、
寄り添うことはどういうことか、
支えることはどういうことか
主体に考えながら動くとはどういうことか、
ひとつひとつを見て行きながらならば、これらの言葉で表現しても大丈夫、と思えた。

川西の子どもの人権オンブズパーソンからの報告です。
http://www.city.kawanishi.hyogo.jp/shimin/jinken/kdm_onbs/kodomonojinkennonbuzupersondesu.html
読みながら、子どもに関わる姿勢そのものがチャイルドラインとぴったり同じで、
文脈のなかに、チャイルドラインでは、と置き換えて読んで、すっと通る文章が散見する。
おどろくくらいに。

ただ、匿名を超えて、電話越しを超えて、子どもと出会い、
子どもをとりまく場に、リアルに働きかけていく実践に基づいての
メッセージは力強い。
今を「しのぐ」こと、関係がほんのすこし「ゆるむ」ことが、大事、と。


もやもやとした苦しさや、なんだかそぐわない感じ、うまくいかない感じ、
じわじわとひたひたとさびしい感じ、疲れる感じ、かなしい感じ、
どれもこれも、ぜんぶスッキリ!ということは生きている限り無い。

うれしいこと、楽しいこと、安心すること、が、ときどきあって
ほんの少し今をやり過ごせそうな、
今を生きてみて、ちょっと良かったと思える瞬間が織り込まれて、
生きるということそのものの根源的なしんどさを越えていける。
だから、特にとりわけ苦しい時間に、そこを「しのぐ」という発想は、生きのびる基本的な術。

そして、ひとりひとりを見ていくと「しのぐ」ことで生きるのだけれど、
全体を見ていくときには、
過剰に、生きる苦しさを感じずにはおれない社会の流れを
どうやって変化させていくかに、心を傾け続ける。
この社会にうまれて、この社会を構成するひとりひとりであるから。

子どもたちの息苦しさ、生きる苦しさのメッセージを
たどりなおしていくと、何をどう変化させていくことが必要か
シンプルに見えてくる。
子どもたちは頭でこじつけないから。

桜井さんの導く方法が出す、この社会をどうするか、の結論は、
多くの人たちの提案する内容と同じなのだけれど、
子どもたちの声をどのようにすくいとりながら、
それをどのように読み解きながら、
この結論に達していくのかというプロセスは、
この社会の中の子どもたちの位置を変えていく。

すごい一冊です。
どのページの、どの言葉も、すべて。
ほんものの、子どものそばで耳を傾けるおとなの姿。
ここにあり。






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*~*~*~*~*~*~*
加藤志保
kkshiho@gmail.com

遠見才希子『ひとりじゃない』(ディスカバー21)を、読む。ひとりじゃない、と、思う。

2012年03月08日 08時33分49秒 | 日記
最近、読む本読む本、良い本に巡り合うことができてしあわせです。

良い本は、一冊一冊がずっしりと重くて、安易に感想を書きとめられないのです。
もう、どのページもどのページも、全部読んでくださいって、言いたくなる。

この本はちょうど一年前に出版された本。
女子大生のえんみちゃんが、自分より若い子たちに向けて
お話しつづけた性についての本。

こういうふうに書くと、『恋空』みたいに、
レイプとか、望まない妊娠とか、ショッキングな性みたいなのを
思い浮かべるだろうか。

ぜんぜん、違う。
愛されること、と、さびしさ。
そのはざまで「恋をしている」と、思いこんでしまう
フツーに誰にでもある、
フツーのなんだかうまくいかない恋愛と、うまくいく恋愛とを
語りながら、セックスについて語る。

等身大の恋ばな、だから、近寄って行くことができる。

そして、その中に、妊娠のこと、中絶のこと、HIVのこと、
医学生のえんみちゃんから、正確な知識が伝えられる。

えんみちゃんは、だれもせめない。
うっかり、さびしさに流されてしてしまうセックスを、責めない。
妊娠を回避するための手だてをとれないことを、責めない。

ただただ、自分を大事にしてね、と。
伝え続ける。
自分の体も心も、ごまかさずに大事にしたいな、と思わせてくれる。

たくさんの10代の女の子たちに、えんみちゃんと巡り合ってほしいな。
えんみちゃんは、昨年の4月から研修医になったそうです。
女子大生だったから伝えられたこと、たくさんあると思います。
今度は医師だから伝えられること、も、加わるのでしょう。

でも、どんな立場も関係なくて
ひとりの女の子だったから、伝えられること、に、こだわってほしかったりします。

えんみちゃんのブログ
http://ameblo.jp/emmskk/

今夜は、おにぎりパーティー

2012年03月06日 19時27分39秒 | 日記



マルに近いお月さまがぽっかりと浮かぶ。

おだんご食べたぁい!
と、ぷうちゃん。

そこで今晩はおにぎりだんごのお夕飯に。

ノリノリのぷうちゃんむむちゃん。
エプロン姿に着替えて、やる気満々。

ゆかりと鮭フレークの二色おにぎり。

おはぎみたいに、ぽってり美味しくできました。

楽しいね~、美味しいね~、ニコニコの夜。

映画「しあわせのパン」を観に行く。しずかな、ちいさな、しあわせを。

2012年03月02日 13時27分25秒 | 日記
やっと観に行くことのできた
「しあわせのパン」

静かに、しあわせな時間を過ごした。

小説を読んで描いていたシーンとは異なる情景も、
人々たちも、それはそれで十分に、
カフェマーニの世界の中に包み込まれていて
満足でした。

パンをちぎって分け合う仲間たち。

手の届くところにいて、
食べることをともにして、
多くの言葉は交わさなくても、
同じ時間に、同じ空間の中に、互いを気遣いながら
生きている、その息づかいそのものが
生きていることの尊さであり、
しあわせそのもの。

じんわりと、しみじみと、身にしみて感じることができた。

夢から覚めてしまいたくないように、
映画の終わるのをできるだけ引き延ばしたかった。


水島君が、あらわれないかな・・・。
この目の前の現実から、
月浦に連れ出してくれるような。

ある面でみると、スローライフを希求する
今どきの白馬の王子様ストーリー。

そして、だけれど、りえさんは、
連れ出されただけでは、しあわせには、
なれなかった。

そのことを、りえさんも、
水島君も、知っている。
そして、りえさんが、
しあわせを手のひらのなかに見つけていくまでを、
水島君が静かに待ち続けることができ、
見つけていくことを急がないりえさんでいられた、
ということが、この物語に深みを添えている。


映画のおともはむむちゃんだった。
むむちゃんに、水島君のような人と結婚するとしあわせだね、
と言ったら、髪がもじゃもじゃだから、ヤダよ~、と。

スキップしながら前を歩く。
お店から流れてきた木村カエラのバタフライ、
この曲いいね、と口ずさみながら、手をつなぐ。

そうね、月浦の静かなしあわせが心にしみるには、
まだまだまだ早すぎるね、むむちゃん。

りんごと蜂蜜のパン、おいしそ~だったなぁ。
と、つぶやく。

つないだ手のあたたかさと、
あっけらかんとした明るさと。
私のパンを分け合う仲間は、ここに居る。
白馬の王子様を待たずとも。