ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

桜井智恵子『子どもの声を社会へ』(岩波新書)を読む。子どもと共に今を生きる。

2012年03月08日 08時35分33秒 | 日記
もう、どのページをめくっても、あぁ、そうなんです。そうですよね。
うん、そういう風に子どもに接してくれてありがとう。

と、言いたくなる一冊でした。

子どもに寄り添う、とか、
子どもの育ちを支える、とか、
子どもを主体に、とか。

子どもとの関わり方をそういう表現に落とし込んだ途端に、
なんだかとてもウソが増える気がして、
これらの言葉でしか表現できない場面で、用いるたびに小さく落ち込む。

この本を読みながら、
寄り添うことはどういうことか、
支えることはどういうことか
主体に考えながら動くとはどういうことか、
ひとつひとつを見て行きながらならば、これらの言葉で表現しても大丈夫、と思えた。

川西の子どもの人権オンブズパーソンからの報告です。
http://www.city.kawanishi.hyogo.jp/shimin/jinken/kdm_onbs/kodomonojinkennonbuzupersondesu.html
読みながら、子どもに関わる姿勢そのものがチャイルドラインとぴったり同じで、
文脈のなかに、チャイルドラインでは、と置き換えて読んで、すっと通る文章が散見する。
おどろくくらいに。

ただ、匿名を超えて、電話越しを超えて、子どもと出会い、
子どもをとりまく場に、リアルに働きかけていく実践に基づいての
メッセージは力強い。
今を「しのぐ」こと、関係がほんのすこし「ゆるむ」ことが、大事、と。


もやもやとした苦しさや、なんだかそぐわない感じ、うまくいかない感じ、
じわじわとひたひたとさびしい感じ、疲れる感じ、かなしい感じ、
どれもこれも、ぜんぶスッキリ!ということは生きている限り無い。

うれしいこと、楽しいこと、安心すること、が、ときどきあって
ほんの少し今をやり過ごせそうな、
今を生きてみて、ちょっと良かったと思える瞬間が織り込まれて、
生きるということそのものの根源的なしんどさを越えていける。
だから、特にとりわけ苦しい時間に、そこを「しのぐ」という発想は、生きのびる基本的な術。

そして、ひとりひとりを見ていくと「しのぐ」ことで生きるのだけれど、
全体を見ていくときには、
過剰に、生きる苦しさを感じずにはおれない社会の流れを
どうやって変化させていくかに、心を傾け続ける。
この社会にうまれて、この社会を構成するひとりひとりであるから。

子どもたちの息苦しさ、生きる苦しさのメッセージを
たどりなおしていくと、何をどう変化させていくことが必要か
シンプルに見えてくる。
子どもたちは頭でこじつけないから。

桜井さんの導く方法が出す、この社会をどうするか、の結論は、
多くの人たちの提案する内容と同じなのだけれど、
子どもたちの声をどのようにすくいとりながら、
それをどのように読み解きながら、
この結論に達していくのかというプロセスは、
この社会の中の子どもたちの位置を変えていく。

すごい一冊です。
どのページの、どの言葉も、すべて。
ほんものの、子どものそばで耳を傾けるおとなの姿。
ここにあり。






--
*~*~*~*~*~*~*
加藤志保
kkshiho@gmail.com

最新の画像もっと見る