2週間の研修も終わり、自分の勤務する特養へ戻った。
研修後は、研修報告書をまとめて提出しなければならない。
勤務先の報告書と研修実施主体への報告書と2つもある。
文字が埋まっていればいいと勝手に思い込み、私の感じたことを上り下り書いた。
あまり手抜きすると起こられるので、少しは起承転結でのらりくらり書いた。
大事な要点を探しては、繰り返したり、強調したりして文字を埋めていた。
職場の環境も特に変化無く、相変わらずである。
私が2週間いなかったので、穴埋めで困ったわよと嫌味も言われた。
確かに夜勤の欠員や入浴介助も不足するだろう。
早番・遅番などのやりくりもあったかもしれない。
あたま数という人足の部分では、迷惑を掛けてしまった。
でも、一日の要員が確保できれば大したことはない。
だって当時の入所者は、今で考えれば要支援1から要介護1レベルが圧倒的だ。
もちろん要介護5の寝たきりの人も数人はいる。
要介護2から4レベルの人もいたかもしれないが少ない。
完全自立と思われるひとは、結構いたような感じ。
中には、職員以上に手伝ってくれる入所者だっていた時代だ。
ADLが高い人も多く、措置時代と介護保険の契約入所とは比べ物にならない。
ベッド買いもあり、区・市との契約ベッドが空けばそこの住民が入所になる。
でも、直ぐに入所にはならず、数週間空いていたこともあった。
施設側が総合的判断をして、入所予定者のADL逆指名もあった。
将棋をする時間・釣りに出掛ける時間・買い物に行く日もあった。
措置費・援護費・各種補助金で、要介護6か要介護7の金額が施設収入だった。
けれども、入所者は要支援1から要介護1レベル。
施設全体に、ゆとりがあった時代である。
でも女性陣には、人間関係のゆとりはなかったかもしれない。
さて、研修後に当時の寮母長や寮母主任が、こんなことを言う。
○○さん、本当に変わったわね! と。
えっ、 私は本当に何も変わっていないはずである。
約1年間は、介護のことが分からず、怒られたりしながら教えてもらった。
嫌味も言われ、時には反論もした。
嫌々の毎日を過ごし、2週間の研修も行きたくはなかった。
そんな状況で、私の意識が変わっているはずがない。
ちなみに、寮母長も寮母主任も、優しいおばちゃんで本当に良い人だった。
人格も良かった人に、予想外で褒められた。
これが、当時の生活指導員や事務長に伝わって、偽・変化バブルが生じた。
他施設へ行った2週間の研修が年間(年度)で終わる時に報告の発表がある。
悪いことは重なるもので、その発表者に選ばれてしまった。
先に、発表予定として施設に連絡が入ったようだ。
これで、偽・変化バブルに火がつくことになってしまった。
当時は、まだまだの時代で試行錯誤の時代だった。
そこに、偽バブルが生まれてしまい、偽メッキを被せられた。
都内数ヶ所の老舗特養で行われた研修参加者が、その日に集まった。
初めて、茗荷谷にある研修施設に行った日でもある。
1年間、数ヶ所で行われてた研修なので、人がたくさんいるではないか。
そこで発表するのは、本当に緊張してしまった。
福祉業界に入って、その時は2年目。まだまだ何も知らない。
何をどう発表したらよいのか分からない。
研修報告書を基に、その内容を読み上げるだけであった。
その後、偽バブルをどうするか考えた。
本当に困ってしまい、メッキを被され堅苦しくて困っているが、それをまた脱げない。
そうだ、消費税増税や値上げの時の便乗値上げを思いついた。
もう、こうなったら偽バブルに便乗するしかない。
生活指導員・寮母長・寮母主任も褒めてくれた。
理事長も、その配偶者の施設長も、事務長も評価してくれている。
こうなったら、必死に頑張ってメッキ状態から純度を上げようと考えた。
職員会議では、建設的な意見を述べたり、入浴介助で汗を書いた。
夜勤に欠員が出れば、積極的に名乗り出た。
全館ワックス日でも、雑巾がけとモップだけを頑張り、ポリッシャーは男の先輩へ。
その後、なんちゃって副主任になった。給料が1号級上がってしまった。
数ヵ月後、ポリッシャー役のマイクロバスを運転する介助員に言われた。
○○君、大型免許取ってくれるかな! 事務長からも、そう言われると思うからね!
どうやら、買い物日や施設行事・一泊旅行でマイクロバスの運転は重要らしい。
運転そのものが重要ではなく、この介助員の勤務表に合わせることが難しいようだ。
もう一人、大型免許を持っている職員がいると、勤務表作りが楽になるとのこと。
事務長からは、免許費用は自分のお金と言われた。
その代わり、毎月8000円の手当てを付けると言う。
表面利回りと実質利回りが同じ、約50%だが了承した。
だんだん、職場の雰囲気にもなじんできた。
職員の研修旅行が予定されている。
いつもは大人しい理事長が、盛んに職員旅行の説明をしている。
連日、理事長のテンションも上がり、旅行の豪華さを寮母さんにも説明していた。
説明中は、寮母さんの肩をポンと叩いたり、お尻を触ってガンバレと言っている。
この時代は、アセスメントとか、ハラスメントとか言う言葉も使わなかった。
アサノセメントということは、私も知っていた。
旅行当日は、日の丸観光だか日の丸自動車だか忘れたがベンツのバスだった。
理事長から説明を聞いていたので、驚きもしなかった。
職員旅行は、ちょっと豪華にしないと理事長の機嫌が悪くなるらしい。
もちろん、トイレも階段下に設備されている。
バスが発車すると、経理担当の職員から封筒が配られた。
中には壱万円札が1枚入っているではないか!
職員の研修旅行のお小遣いまで支給される。本当に特別だ!
↓↓↓↓↓↓ 応援クリックお願いします。 皆様の1票がやる気にさせます。
← ←こちらもお願いします。更新の励みになります。
研修後は、研修報告書をまとめて提出しなければならない。
勤務先の報告書と研修実施主体への報告書と2つもある。
文字が埋まっていればいいと勝手に思い込み、私の感じたことを上り下り書いた。
あまり手抜きすると起こられるので、少しは起承転結でのらりくらり書いた。
大事な要点を探しては、繰り返したり、強調したりして文字を埋めていた。
職場の環境も特に変化無く、相変わらずである。
私が2週間いなかったので、穴埋めで困ったわよと嫌味も言われた。
確かに夜勤の欠員や入浴介助も不足するだろう。
早番・遅番などのやりくりもあったかもしれない。
あたま数という人足の部分では、迷惑を掛けてしまった。
でも、一日の要員が確保できれば大したことはない。
だって当時の入所者は、今で考えれば要支援1から要介護1レベルが圧倒的だ。
もちろん要介護5の寝たきりの人も数人はいる。
要介護2から4レベルの人もいたかもしれないが少ない。
完全自立と思われるひとは、結構いたような感じ。
中には、職員以上に手伝ってくれる入所者だっていた時代だ。
ADLが高い人も多く、措置時代と介護保険の契約入所とは比べ物にならない。
ベッド買いもあり、区・市との契約ベッドが空けばそこの住民が入所になる。
でも、直ぐに入所にはならず、数週間空いていたこともあった。
施設側が総合的判断をして、入所予定者のADL逆指名もあった。
将棋をする時間・釣りに出掛ける時間・買い物に行く日もあった。
措置費・援護費・各種補助金で、要介護6か要介護7の金額が施設収入だった。
けれども、入所者は要支援1から要介護1レベル。
施設全体に、ゆとりがあった時代である。
でも女性陣には、人間関係のゆとりはなかったかもしれない。
さて、研修後に当時の寮母長や寮母主任が、こんなことを言う。
○○さん、本当に変わったわね! と。
えっ、 私は本当に何も変わっていないはずである。
約1年間は、介護のことが分からず、怒られたりしながら教えてもらった。
嫌味も言われ、時には反論もした。
嫌々の毎日を過ごし、2週間の研修も行きたくはなかった。
そんな状況で、私の意識が変わっているはずがない。
ちなみに、寮母長も寮母主任も、優しいおばちゃんで本当に良い人だった。
人格も良かった人に、予想外で褒められた。
これが、当時の生活指導員や事務長に伝わって、偽・変化バブルが生じた。
他施設へ行った2週間の研修が年間(年度)で終わる時に報告の発表がある。
悪いことは重なるもので、その発表者に選ばれてしまった。
先に、発表予定として施設に連絡が入ったようだ。
これで、偽・変化バブルに火がつくことになってしまった。
当時は、まだまだの時代で試行錯誤の時代だった。
そこに、偽バブルが生まれてしまい、偽メッキを被せられた。
都内数ヶ所の老舗特養で行われた研修参加者が、その日に集まった。
初めて、茗荷谷にある研修施設に行った日でもある。
1年間、数ヶ所で行われてた研修なので、人がたくさんいるではないか。
そこで発表するのは、本当に緊張してしまった。
福祉業界に入って、その時は2年目。まだまだ何も知らない。
何をどう発表したらよいのか分からない。
研修報告書を基に、その内容を読み上げるだけであった。
その後、偽バブルをどうするか考えた。
本当に困ってしまい、メッキを被され堅苦しくて困っているが、それをまた脱げない。
そうだ、消費税増税や値上げの時の便乗値上げを思いついた。
もう、こうなったら偽バブルに便乗するしかない。
生活指導員・寮母長・寮母主任も褒めてくれた。
理事長も、その配偶者の施設長も、事務長も評価してくれている。
こうなったら、必死に頑張ってメッキ状態から純度を上げようと考えた。
職員会議では、建設的な意見を述べたり、入浴介助で汗を書いた。
夜勤に欠員が出れば、積極的に名乗り出た。
全館ワックス日でも、雑巾がけとモップだけを頑張り、ポリッシャーは男の先輩へ。
その後、なんちゃって副主任になった。給料が1号級上がってしまった。
数ヵ月後、ポリッシャー役のマイクロバスを運転する介助員に言われた。
○○君、大型免許取ってくれるかな! 事務長からも、そう言われると思うからね!
どうやら、買い物日や施設行事・一泊旅行でマイクロバスの運転は重要らしい。
運転そのものが重要ではなく、この介助員の勤務表に合わせることが難しいようだ。
もう一人、大型免許を持っている職員がいると、勤務表作りが楽になるとのこと。
事務長からは、免許費用は自分のお金と言われた。
その代わり、毎月8000円の手当てを付けると言う。
表面利回りと実質利回りが同じ、約50%だが了承した。
だんだん、職場の雰囲気にもなじんできた。
職員の研修旅行が予定されている。
いつもは大人しい理事長が、盛んに職員旅行の説明をしている。
連日、理事長のテンションも上がり、旅行の豪華さを寮母さんにも説明していた。
説明中は、寮母さんの肩をポンと叩いたり、お尻を触ってガンバレと言っている。
この時代は、アセスメントとか、ハラスメントとか言う言葉も使わなかった。
アサノセメントということは、私も知っていた。
旅行当日は、日の丸観光だか日の丸自動車だか忘れたがベンツのバスだった。
理事長から説明を聞いていたので、驚きもしなかった。
職員旅行は、ちょっと豪華にしないと理事長の機嫌が悪くなるらしい。
もちろん、トイレも階段下に設備されている。
バスが発車すると、経理担当の職員から封筒が配られた。
中には壱万円札が1枚入っているではないか!
職員の研修旅行のお小遣いまで支給される。本当に特別だ!
↓↓↓↓↓↓ 応援クリックお願いします。 皆様の1票がやる気にさせます。
← ←こちらもお願いします。更新の励みになります。