扉の交換と玄関の花

2021年12月06日 | 日記
今日はいよいよウチの玄関の扉の取り替え工事。

長年の劣化から真冬になると扉が凍ってしまい、2、3年前から開け閉めがしづらくなっていた。

昨年の冬など日中に雪かきをしていた間に扉が凍ってしまい、まったく開かずに焦った。

たまたま息子が中に居たので開けてもらえたが、今は息子はアパート暮らし。私は一人暮らしになってしまった。

ということで高い出費はつらいが、思い切って扉を取り替えることにした。

でも、8月にダンナが亡くなり、まだ4か月しか経ってないのにリフォームとかしていいのかな。

そのことが引っかかっていた。

ネットで調べると「関係ない、大丈夫」と書かれているサイトもあれば、「いや、喪中のうちは控えなければならない」と書かれていたり…

うーん…

でも、もっと寒くなってきて、扉が開かなくなったら大変なことだ。

そもそも喪中とは?

と調べたら、「1年」、「四十九日」、あるいは「自分の気持ち次第」といろいろあった。

じゃあ、「四十九日」「自分の気持ち」としよう。

四十九日は過ぎている。

自分の気持ちは、

そうね。寂しいとか悲しいとか後悔とかは今もある。

でもこの感情はきっと一生あるもの。きりがない。

それに今は、寂しいけど悲しいけど、私の人生も大事にしようという気持ちにもなっている。

それはきっと、気持ちに整理ができたということなんだろう。

だからね、古い扉よさようなら。

(中から撮るとほんと暗い~)

前から見たら、

(下の方なんてボロボロ)

玄関の扉の取り替えなんて、ただ扉を交換するだけでしょ?と簡単に考えていたがそうではないらしい。

昔と違って今の扉はサイズが大きいらしく、そのサイズに合わせて壁を壊すらしいのだ。

それに寒い地方仕様の扉は、どうしても簡単には済まないのかな。

断熱材のしっかりとした扉にしないとね。


それでもまだ気になって、昨日はダンナとダンナの両親が眠るお墓参りをして来た。

車で片道1時間半。

お墓参りをして、玄関先の工事をさせていただきますねと伝えて来た。

いいよ、ドアが開かなくなったら大変だものね。

と、きっとダンナは言っていると思う。


お墓参りのあと、空き家になっているダンナの実家を見に行った。

あの家がダンナの実家。


あの黒い車はお隣の家の車。

この2m弱の狭い道を通って行かなければならない場所。狭くて車は通れない。

裏から見ると、あの古~い家や小屋がそう。

この、よそ様の裏の空き地が売り地になっているため、ここに建物が建っちゃうと、解体工事もままならなくなる。

玄関先に行った。



2年前、義母が亡くなり、今は誰も居ない家。

玄関先のナンテンの木に、綺麗な真っ赤な実がなっていた。生き生きとして、まるでまだ誰か住んでる気さえ感じる。

あれ?

玄関前に黄色い花?


えー!コンクリートのすき間から可愛い黄色い花1輪。

なんだか泣けてしまう。

まるで義母がここに帰って来てるんじゃないかと。


この家の今後のことは、まだ持ち越しだな。