(前回までの続きになります)
いつかは必要になるからと、主治医に勧められた母の胃ろうの手術を、10月2日に受けた。
手術は午前9時からだったのだが、面会時間はいつも13:00以降という病院の決まりがあり、たとえ手術の日であってもそうだった。
それでその日も午後から母に会いに行った。
行った時、母は点滴をした状態で寝ていた。
小声で「お母さん」と呼びかけてみたらゆっくり目を開けた。
「どう?」と聞くと、ぼうっとした表情で「痛い…」とひとこと。
「そうだよねぇ、手術したんだものねぇ、切ったんだもの、しばらくは痛いよねぇ…」。
あまり母に喋らせてはと思い、洗濯物の交換だけして、その日は早めに部屋を出た。
なんでこんな痛い思いをして手術しなきゃならないのか、どうして真面目に生きてきた母がこんな病気にならなきゃならないのか、ただただ母が可哀想で私も辛かった。
数日間は痛いと看護師から聞いていたので、とりあえず痛い時期が過ぎて欲しいと思った。
翌日、手術直後よりはいくらか痛みが落ちついたかなと思い母の様子を見に行くと、昨日よりも痛そうな様子だった。
痛みでますます喋る力が無いようで、紙に痛みの様子を伝えてきた。
「昨日よりも痛い。昨日とは違う痛み」
え、そうなんだ。
そして、筆談と拙い母の話と組み合わせて知って驚いたことがあった。
お昼から食事が普通に出されてベッド脇に看護師が置いて行ったらしい。手術の痛みがある母は、自力でなんとか起き上がり、少しだけ食べ、また自力でベッドに横になろうとした瞬間、ドン!とひっくり返ってしまい、それから更に痛みが増したらしい。
手術したばかりの高齢者で、しかもALSの患者に対して、ただ食事を置いていくなんて!
私は腹が立った。
そしてナースステーションに行き、看護師にお願いをして来た。
申し訳ないけど痛みがあるうちは、食事の際には体を起こしたり寝せたりの手を貸して欲しいと。
すると看護師は、「あ、食事の時はベッドを起こしてベッド上で食べるようにしますね」と言った。
「お願いします」
そして母の所に戻ると、相変わらず痛そうで心配だった。それでまた看護師に言いに行った。
「すみません、母がかなり痛そうなんですが…」
「あ、でも午前中に痛み止めを点滴から入れたので、6時間は間隔を開けなきゃならないんです。もう少し我慢してくださいね」
そう言われ、母に伝えた。
母は常日ごろ痛みにもどんなことにも我慢強く、それなのにこんなに痛がるのはよほど痛いのだろうと思うと居ても立ってもいられなかった。
あとから聞いたのだが、今まで受けた手術、脊柱管狭窄症よりも腹膜炎の時よりも、今回が一番痛かったらしい。
そうこうしていたら、看護師がやって来てこう言った。
「すみません、今日はまだ痛み止めを入れてなかったみたいです。今、入れますね」
え!?
何、そのミス。
痛み止めならまだしも、普段も薬のミスとかしてないでしょうね!
呆れてそう言いそうになった。
しかも、これも後から知った。
食事の時にベッドを起こすなり手を貸してくれると言っていたのに、結局いっさいやってもらえてなかった。
病院に対して、不満というか不安、心配ばかり募ってきていた。
そして手術後の経過に対しても心配だった。
ほぼ毎日母の肌着のシャツを洗濯に持って来ていたのだが、いつも手術をした場所にあたるシャツの所が、血液など付着していてた。
看護師に聞きに行くと、「数日間は仕方がないんです」と言っていたが、数日間どころか1週間経っても付着していた。
そんな中、また予想していなかったことが起きた。
10月9日、いつものように面会に行くと、病棟の受け付けの人に言われた。
「ここの病棟からコロナ陽性者が出まして、しばらく面会は禁止となります」。
え!?
「何か持って行く物があれば、看護師を通じての受け渡しになります」。
そんなあ…
本当に次から次といろんなことがある入院生活だ。
そしてまた更にその“いろんなこと”が起きた。
(いっきに書けず、続きはまた次回になります)