晩秋から初冬

2023年11月26日 | 日記
私の母の難病日記オンリーではないんだからいろいろ書いていくぞ~とか言っていながら、2週間更新してなかった。

季節はすっかり晩秋から初冬へ…

積もるほどではなく日中は融けたけど、昨日と今朝は雪も降った。


大学病院に入院していた母は、11月19日に退院し、迎えに来た弟(母にとっては長男)の車で自宅へと帰って行った。



看護師さん達などお世話になった病院の方々へ母が一筆書いて、ベッド脇のテーブルに置いて行ったようだ。


ALSという難病になってしまい、もう完全に喋ることが出来なくなった母だが、まだ手足は動くから書くことは出来る。

「まだ」って…ALSは進行性の難病。いつかは手足はおろか全身が動かなくなっていく… 本当に辛すぎるけど、この病気の現実。



母の退院の日、私は母の荷物の整理に来て、あとは車に乗った母を見送ったのだが、なんだか手を振ってるのは私だけで、ちょっと寂しかった…

いや、すごく寂しかった!

2ヶ月間を越える入院生活、ほぼ毎日のように片道1時間近い道のりを病院へと通ったのに、母よそれはないんじゃない?😅

とにかく帰りたい、早く帰りたいという気持ちでいっぱいだったのかもしれないけど、なんとなく母の性格が変わってきたような気がしてならない。

病気だけではなく、少し認知症に似たようなものも出てきたようにも感じる😣

表情も前の穏やかな明るい母ではない。それこそ病気の症状からきているものなのかもしれないけど。


先日、妹とLINEで話していて、母のことで、ある同じことを最近思っていることがわかった。

私も妹も結婚して母の元を離れ、それでも母から守られてる気を、そこに居ないのに側に母が居る気配みたいなものを感じていたということ。

そして、最近そういう気を感じなくなったということ。

他の人が聞けば、何をいい年をして甘えたことを、と思うかもしれないけど、離れて暮らしていても、確かに感じていた。


私がすごく悩んでいる時、苦しい時、辛い時、まるで母にそれが通じたかのように不思議と電話が来た。

心配なのを隠すように明るい声で。

「もしもし、おい、元気か?」

そして、悩んでいることを打ち明け弱音を吐くと、母は笑いながら元気に言ってくれた。

「ハハハ悩め悩め、生きてる証拠だ」

明るく元気にそう励ましてくれた母。



あ、

結局また母のことばかり書いてしまった。




晩秋。。



















明日はやっと予約が取れたから、冬タイヤに交換して来る。












相方はいないが結婚記念日

2023年11月13日 | 日記
1994年11月13日に結婚して、丸29年。

「明日から30年目に入るんだねぇ」なんて言いながら、夜は乾杯でもするんだろうけど、その相手はもう居ない。

2年前に天国へいってしまった夫。
今年の8月は三回忌だった。

昨年は義母の三回忌だった。

なんかこのところ、そんなことばかり。

そしてここにきて今度は母の難病。

難病にはなったけど、母にはまだまだ生きていて欲しい。

母は今もまだ入院していて、明日でちょうど2か月になる。

退院したい気持ちでいっぱいで、限界がきている母だけど、ほぼ毎日病院に行ってる私も正直疲れてきた。

でも胃ろうの手術後の状態もすっかり良くなり、いよいよ退院が近づいている。

入院した時は、まだ辛うじて話しが出来ていたが、今は全くといっていいほど喋れなくなってしまった。

ただ、手足は入院前と変わらず動く、ふらつきはあるが歩ける、そういうことは大丈夫。

いつまで動けるか、いつまで自発呼吸ができるか、そしていろいろ心配は尽きないけど、

その日その日、気持ちを明るく希望を持って過ごしたい。

母の病気がわかった時は絶望感しかなく、このままじゃあ自分が鬱に陥ってしまうという気分だったけど、その時期は乗り越えた。

今はどう母を支えていこう、どうすれば母に少しでも楽しい気持ちを持ってもらえるか、そんなことを考えている。

だから落ち込んでる場合じゃない。
私自身も明るく元気でいなくちゃ。

このブログだって、この先も母の難病日記のつもりはない。

普通に私自身の日常や、楽しいことムカついたこと、そしてくだらないことだって書いていくんだから。


とりあえず、なんか無理やりタイトルに戻すようだけど、本日結婚記念日。
これを機に(?)ブログの雰囲気も少し戻そう。


(昨日今日の雨風で散っちゃたけどこの秋に撮った紅葉🍁)



































難病になった母(入院生活のトラブル~現在)

2023年11月03日 | 日記
前回までの続きになります。


ALSになってしまった母の入院生活だが、母が居る病棟から数名コロナ陽性者が出てしまい、ただでさえ制約が厳しかった面会が、10月9日より完全に禁止となっしまった。

それでも母の洗濯物の受け渡しのため、そして新聞や飲料など届け物を持って、私はほぼ毎日病院に出向いた。

病棟に行っても全病室の扉が閉まっていて、母に会うことは出来ず、看護師を通じての受け渡しや、母の様子を聞く日々だった。

胃ろうの手術後、かなり痛そうだった母が心配だった。

そんな或る時、いつものように病棟に行くと、たまたま母の部屋の扉が開いていた。そして、通路側のベッドだった母が見えた。

母は無表情で何をするわけでもなく、ベッドに座り、ボーッとしていた。

「お母さん」

そっと廊下から声をかけた。

母は、「あ…」という顔で私に気がついた。

「お母さん、お腹痛いの大丈夫?」

と聞くと、母は「うん」と頷いた。

良かった。それだけでもわかってと思って、面会禁止なので部屋に入るわけにも行かず、その日は帰った。

面会禁止が解かれたのは10月19日だったが、解除になった日と翌日は実家の商売の手伝いを頼まれていたので面会には行けなかった。

明日は久し振りに会えると思った10月20日、病院から来た連絡で、また心配な事態になった。

手術後の経過がよくないという。

ウミになっているという。

(え!ちょっと、何!?)

「それで、本日20日より10日間、絶食をして抗生剤を投与します」とのことだった。

なんだか病院に腹が立った。

弟からもLINEが来て、

「入院して悪くなっているってどういうこと?ちゃんと見てくれてたのかなあ。姉ちゃん、明日病院に行ったら強く言ってきて欲しい」

と来た。

妹も同様の不信感を持っているようなLINEだった。

今までの看護師の対応を少なからず見てきた私は、言いたいことが溜まってきていた。

手術後の体を起こしたり寝せたりする時にかなり痛がっているので手を貸して欲しいと頼んでいたのに忘れられ、痛み止めの薬の投与も忘れられ、

そしてこういうこともあった。

手術後、3,4日した頃だっただろうか。

いつものように母の所に行くと、母が肌着のままベッドに座っていた。

「お母さんどうしてそんな格好なの?パジャマを着たら?」

と言うと、

「シャワーを浴びた後、消毒をするからそのまま待っていてくださいって看護師さんに言われて」

と言う。

そっか、そういうことかと母と二人、少し話をしながら待っていた。

しかし、来ない。

「お母さん、シャワー浴び終わったの何時頃?」と聞くと、なんと2時間も前の時間だった。

「お母さん、それって忘れられてるよー!」と言って、私は看護師を呼びに行ったことがあった。

手術後の傷口がちゃんと塞がれるまで、キチンと消毒をしてくれていたのだろうか。そんなだから傷口にバイ菌が入ったのではないか、

本当にそんな不信感でいっぱいだった。

大きな病院で、看護師が忙しいのはわかる。それでもこちらは命を預けているんだから、やることはちゃんとやって欲しい。

私は病院側に(けんか腰ではなく)今までの疑問を伝え、ちゃんと見てもらいたいことをお願いした。

その後、病院側も反省してくれたようで、正式に謝られた。

遠慮していたが、いろいろ言えて良かった。

良かったけど、10日間の絶食は結構辛かったと思う。いくら栄養の点滴をしているとはいえ、口から何も入れないのは考えるだけでストレスだ。

水さえも禁止だったので、本当に可哀想だった。


そして今日は、11月3日。

10日間の絶食期間は、10月30日のお昼で終わり、抗生剤やウミを取り除く管は昨日11月2日の夜に外された。

やっといろいろ繋がっていた物が外され、母は自由の身になった気分だろうなあと思う。

ただ、今はもう喋りは完全にといっていいほど出来なくなり、筆談しか出来ない。

ALSはこのまま済む病気ではなく、これから進行に伴い、その手足の力も全部失っていく。

本当にこの先を考えると辛い。

辛いしか無い。

でも先を考え過ぎると母に不安しか与えないと思うので、少しでも明るい気持ちで接しようと思っている。

二日遡るけど、一昨日11月1日は母の84歳の誕生日だった。

娘である60歳の私と同じうさぎ年の84歳。

その日、誕生日プレゼントと、100均で買った材料でお誕生日カードではなくお誕生日ボードを持って、母に届けたら涙ぐんで喜んでくれた😄


 

この先、母も私達周りの者も辛いことや大変なことがあるのはわかってる。


でもそんな中でも、少しでも母が笑顔になれることがあればなあと思う。