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コジキジゲン

借音漢字は「般若=prajnā=波若・般羅若 ・斑若・鉢若・鉢羅枳嬢」・・・枳嬢=橘の娘?

2020-09-20 12:30:01 | 古事記字源
 蝦夷(カイ・えぞ・えみし)・・・ヱミシ・・・
 ・・・turned a whiter shade of pale・・・?
 ↓↑
 黄昏=たそがれ=誰彼=だれかれ・・・?
 ↓↑       ↓↑
        2016年6月(63歳)辛亥偏財~
        2026年6月(73歳)庚戌正財~
 ↓↑       ↓↑
 ┏癸巳(戊庚丙)偏官・正財帝旺⇔庚子正財 2020
 ┗戊午(丙 丁)傷官・劫財建禄⇔丙戌劫財 10
  丁酉(庚 辛)   ・正財長生⇔辛卯偏財 15
  丙午(丙 丁)劫財・劫財建禄⇔甲午印綬 12
   辰巳空亡
   星宿
 ↓↑
 名=夕+口・・・「夕暮れ・黄昏=たそがれ=誰彼」には、視覚が鈍り
          呼び名で「誰彼(だれかれ)」を確認する必要がある
 ↓↑
 苗字=みょうじ=名字・・・命名・令名・指名・称名・唱名
 ↓↑           姓名・氏名・家名・大名・戒名・人名
              実名・虚名・有名・無名・代名
              襲名・芳名・悪名・売名・高名
              渾名・綽名・仇名・俗名・属名
              別名・異名・題名・著名・汚名
              改名・仮名・偽名・匿名・浮名
              御名・法名・声名・古名・月名・星名
              醜名(しこな)・四股名・雑名
              忌名(諱・いみな)
 ↓↑           贈名(諡・おくりな)

 妙字・・・・・・奇妙・妙案

 妙見・・・・・・「妙見菩薩」の略・国土を守り貧窮を救う神
          こぐま座α星の仏教語
          北辰妙見とも呼ばれる
          世阿彌の能楽論で
          絶妙の芸・この上なくすぐれた芸

 妙見信仰・・・・インドに発祥した菩薩信仰が
         中国で道教の北極星・北斗七星信仰 と習合し
         北斗は天帝を守る剣
         仏教の天部の一つとして日本に伝来
         習合した
         天台宗園城寺(三井寺)では
        「吉祥天」と同体と説く・・・?
         吉祥院天満宮
         吉祥院
         菅原清公卿、菅原是善公、伝教大師、孔子
         と共に祀られる
        「菅原道真」の幼名 吉祥丸
         道真の祖父
         清公の
         遣唐使
         霊験譚以降
         菅原家は代々
         吉祥天信仰になった

         道真の正室
        「島田宣来子(しまだ  の  のぶきこ
               嘉祥三年(850年)~?」・・・?
               嫡男・菅原高視や
              「宇多天皇」の女御
              「衍子(エンシ)」らを生んだ・・・?
         阿衡事件
         887年(仁和三年)十一月二十一日
         の詔書~888年(仁和4年)十一月
         藤原基経
         と
         宇多天皇
         政治紛争
 「衍子(エンシ?)or・・・?」
 ↓↑ ↓↑
 衍=行+氵
   彳+氵+亍
   彳+氵+一+丁
   エン
   あまる
   余分にあまる・余計な
   衍字・衍文
   延び広がる・押し広げる
   衍義・敷衍
   ↓↑
   名のり
  「のぶ・ひろ・ひろし・みつ=衍」+子
   ↓↑
   はびこる・あふれる
   蔓衍(マンエン)
   しく・ひろげる・ひろがる
   衍義・敷衍
   あまり・余分な
   衍字・衍文
   類字「羨(セン)」
   ひろい・おおきい
   平らな土地・平地
   洲・なかす
 侃=亻+口+川+言
   カン
   つよい
   正しくひたむきで怯(ひる)まないさま
   のびのびとやわらぎ楽しむさま
   異体字「偘」
   侃い(つよい)
   侃諤(かんがく)
   侃侃諤諤(かんかんがくがく)
   相手に遠慮することなく
   激しく議論を戦わせる様子
   遠慮することなく
   自分が思っていることをはっきりと言うこと
   ↓↑
 衍曼流爛(エンマンリュウラン)
 衍漫流爛
 悪人が多く世の中全体に蔓延ること
 衍曼=どこまでも広がる様子
 流爛=離れ離れになること
 ↓↑
 鄒衍降霜(スウエンコウソウ)
 天に無実を訴え
 真夏に霜を降らせたという鄒衍の故事
 ↓↑
 愆=衍+心
  =諐=侃+言
     侃=亻+口+川+言
   ケン
   あやま(ち)
   あやま(つ)
   あやま(る)
   あやまちをおかす
   度をこす
   あやまち・つみ・とが・しくじり
   異体字「諐」

 ↓↑   ↓↑
 妙音・・・・・・美しい声・音楽
      ・・・妙音菩薩=東方の一切浄光荘厳国に住み
              霊鷲山 (りょうじゅせん) に来て
              法華経を聴聞した菩薩
              美しい声で十方世界に教えを広める
      ・・・         弁才天=弁財天=辯才天=辨財天
         (梵)Sarasvati=インド神話の河川の
                 女神
         音楽・弁舌・財福・智慧の徳があり
         吉祥天とともに信仰され
         仏教・ヒンズー教の女神
         琵琶 (びわ) を弾く天女の姿
         日本で財福の神として
         「弁財天」
         七福神の一
         ↓↑
         妙音院
         藤原師長の院号
         足利義視の正室
         妙音院一鴎軒=外交僧
         小田原征伐の前に
         豊臣秀吉の
         使節(富田信広・津田信勝)の
         1人として派遣
         後北条氏に内通し
         逮捕・処刑
         ↓↑
         妙音比丘尼
         ?~?
         室町時代の尼僧
         信濃(長野県)の人
         文明年間(1469~1487)
         紀伊(きい)
         伊都郡(和歌山県)
         慈尊院をおとずれ
         洪水の害を予言
         弥勒菩薩と堂を
         山側の地に移転させた
         天文(てんぶん)九年(1540)
         紀ノ川の洪水で
         旧寺地は川床となった
         ↓↑
         妙音寺
         岡山県
         吉備中央町
         ↓↑
         妙音寺
         広島県
         尾道市
         ↓↑
         七宝山
         妙音寺
         香川県
         三豊市
         ↓↑
         妙音寺遺跡
         埼玉県
         秩父郡
         皆野町
         大字
         下田野
         ↓↑
         妙音寺洞穴遺跡
         埼玉県
         秩父郡
         皆野町
         大字
         下田野
         ↓↑
         出町
         妙音堂
         京都市
         上京区
         青竜町
         ↓↑
         妙音寺
         静岡県
         静岡市
         清水区
         村松
         ↓↑
         妙音十二楽
         導師の読経する中
         松風、村雨、杉登などの曲を
         琵琶、太鼓、笛、手拍子、ホラ貝
         など8種類の楽器で
         演奏する古典音楽
         日置市立吹上
         鹿児島県
         日置市
         吹上町
         中原
         ↓↑
         妙音寺(妙経殿)
         神奈川県
         横浜市
         南区
         三春台
         ↓↑
         妙音寺
         東京都
         台東区
         松が谷
         ↓↑
         医王山
         不動院
         妙音寺
         東京都
         江戸川区
         一之江
         ↓↑
         安房 高野山
         妙音院
         千葉県
         館山市
         上真倉
         ↓↑
         平等山 慈光院
         妙音寺
         桐生市西久方町
         ↓↑
         妙音沢
         埼玉県
         新座市
         東部
         黒目川沿いの雑木林の中
         黒目川へと流れる湧き水の支流
         大小2つが合わさった沢
      ↓↑
      大須観音
      愛知県名古屋市中区大須
      ・・・名護屋・名古屋・名児耶・那古屋・・・観音・漢字
      観音菩薩(Avalokiteśvara)
           アヴァローキテーシュヴァラ
          =観世音菩薩=観自在菩薩=救世菩薩
      チベットで
      観音菩薩は「spyan ras gzigs(チェンレジー)」
     「観自在」を意味する
     「spyan ras gzigs dbang phyug」の省略
      『妙法蓮華経』観世音菩薩 普門品 第二十五
     (『観音経』)
      ↓↑
     『妙法蓮華経』観世音 菩薩 普門品 第二十五
    (『観音経』)
     ゾロアスター教で
     アフラ・マズダーの娘
    「アナーヒター」
    「スプンタ・アールマティ」
     との関連づけられた女神・・・
ーー↓↑ーー
 サラスヴァティー=弁財天
 『大日経』で
 「妙音天・美音天」
 と呼ばれる
 ブラフマーの妻
 ↓↑
 肌は白
 額には三日月の印
 4本の腕
 2本の腕には数珠とヴェーダ
 もう1組の腕に
 ヴィーナ(琵琶に似た弦楽器)
 白鳥
 孔雀
 白い蓮華
 の上に座る
 白鳥・孔雀はサラスヴァティーの乗り物
 ↓↑
 サラスヴァティー
 水辺に描かれ
 サンスクリットで
 サラスヴァティー=「水(湖)を持つもの」
 水と豊穣の女神
 聖典『リグ・ヴェーダ』で
 初めは
 聖なる川、サラスヴァティー川
 の化身
 流れる川が転じ
 流れるもの全て
 言葉・弁舌や知識、音楽
 などの女神となった
 言葉の神=ヴァーチ
 と同一視され
 サンスクリット
 とそれを書き記すための
 デーヴァナーガリー文字
 を創造した
 後に
 韻律・讃歌の女神
 ガーヤトリー
 と同一視された
 ↓↑
 本地垂迹
 宗像三女神の一柱
 「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」
 と同一視
 「七福神」の一員
 宝船に乗る縁起物
 明治初頭の神仏分離以降
 宗像三女神
 または
 市杵嶋姫命
 を祭っている
 「瀬織津姫」
 が弁才天として祀られる例もある
 ↓↑
 神名の「宇賀」
 「宇迦之御魂神(うかのみたま)」
 に由来
 仏教語で「財施=宇迦耶(うがや)」
      鸕鶿草葺不合尊
     (うがやふきあえずのみこと)
      地神五代の五代目
      日向三代の三代目
 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(古事記)
     彦 波瀲武鸕鶿草葺不合尊(日本書紀)
          烏賀陽富貴和えず?
          穿っても付記合えず?
 ↓↑    
 に由来・・・
 人頭蛇身
 蜷局(とぐろ)を巻く形
 頭部も
 老翁や
 女性で一様ではない・・・女媧(Nuwa)
             人類を創造した女神
             姓は風
             伏羲と
             兄妹&夫婦
 ↓↑
 「宇迦之御魂神」などと同様
 穀霊神・福徳神・・・
 「蛇神・龍神」の化身・・・
 「蛇神」は
 比叡山・延暦寺(天台宗)
 の教学に取り入れられ
 仏教の神(天)である
 「弁才天」と習合、合体した
 「宇賀弁才天」
 ↓↑
 「竹生島・宝厳寺」
 に坐する弁天像
 「宇賀神」は
 「弁才天」の頭頂部に小さく乗る
 「鳥居」も添えられる
 ↓↑
 鎌倉の宇賀福神社
 宇賀神として祀っている
 ↓↑
 石川県金沢市
 永安寺
 毎年9月23日に大祭
 ↓↑
 「宇賀神」という
 姓名が日本中に存在する
 ↓↑
 妃 玉依姫(たまよりびめ=玉依毘売命)
   海童の娘で
   豊玉姫の妹
   鸕鶿草葺不合尊の叔母
 ↓↑
 彦五瀬命(ひこいつせ の みこと)
 第一子
 神武東征で矢にあたって薨じた
 ↓↑
 稲飯命(いない の みこと)
 第二子
 『日本書紀』第二・第四の一書で
 第三子
 神武東征の際に
 鋤持神となった
 三毛入野命(みけいりぬ の みこと
       別名
       御毛沼命・稚三毛野命)
 第三子
 『日本書紀』第二の一書で
 第二子
 第三・第四の一書では第四子
 神武東征の際に
 常世郷へ行った
 ↓↑
 彦火火出見尊(ひこほほでみ の みこと
        別名
        狭野命
        若御毛沼命
        豊御毛沼命)
 第四子
 『日本書紀』第三の一書では第三子
 第四の一書では第二子
 『日本書紀』第一書での幼名は
 「狭野命」
 初代天皇
 「神日本磐余彦天皇」
 漢風諡号「神武天皇」
 ↓↑
     サンスクリットの
     アヴァローキテーシュヴァラ
    (Avalokiteśvara)
     を
   「玄奘」は
   「観察された(avalokita )」
    と
   「自在者(īśvara)」
    の合成語と解釈し
   「観自在」と訳した
   「鳩摩羅什」は
   「観世音」とし、
   「玄奘」の
   「光世音・観世音・観世音自在」
   などの漢訳は語訳とした・・・
   古いサンスクリットの『法華経』
   アヴァローキタスヴァラ
  (avalokitasvara)
   となっており
  「観察された(avalokita)」
   +
  「音・声(svara)」
   と解され
   古訳に
  『光世音菩薩』の訳語もある・・・
   現在発見されている
  「写本」に記された名前は
  「avalokitasvara」
   がもっとも古形・・・
  「観音菩薩」は・・・「般若=智慧の象徴」
  「大慈大悲」を本誓・・・
   代字対比(替比・他意比)を
         本章(翻性)・・・?
   すべての物事の特性
   三相=無常・苦・無我
      務定・句・武画(雅・兼・臥)?
      を理解する力
   大乗仏教では
  「空(シューニヤ)=宀(宇宙)
            +
            八(捌)
            +
            工(巧)」の理解・・・
   空蒼・繰う・倥・・・脳ミソ=認識思惟空間?
  「般若=prajnā」
   であり借音漢字は
  「波若・般羅若
   斑若・鉢若・鉢羅枳嬢」
   とも書く    枳(からたち・シ・キ)
   漢訳は「慧・智慧・明」
   枳=木+只
     木+口+八
     十+八+口+八
     シ・・・史・詞?
     キ・・・記・紀?
   からたち
   ミカン科の落葉低木・・・橘(たちばな)
   わかれる・枝分かれする
   只=口+八
     シ
     ただ
    「ただ・・・のみ」
    「ただ・・・だけ」
     助字
     句中や句末に置いて
     語調を整え
     訓読では読まない
     ただ・無料
    ↓↑
   『摩訶般若波羅蜜経』=『二万五千頌般若経』
   「鳩摩羅什」による漢訳
    90品
    高麗大藏再雕本は27巻
    思溪資福藏
    普寧藏等は30巻
    通常
   『大品般若経(大品)』
    と呼ばれている
    ↓↑
   「鳩摩羅什」の訳した経の中に
   『摩訶般若波羅蜜経』
   『八千頌般若経』
    の漢訳(408年)で
    大品に対し29品(10巻)で
   『小品般若経(小品)』
    と呼ばれる
    ↓↑
   「ナーガールジュナ(龍樹)」
    が著した
   『大智度論』は
   『大品般若経』に対する注釈書
ーー↓↑ーー
 笽(そうけ)
 国字
 そうけ
 竹製の皿
 竹を編んで作ったざる
 ↓↑
 笽=竹+皿
   笽(そうけ)
   お米を研ぐ笊(ざる)
   竹で編んだ半円形のかご
   ↓↑
   富山市には昔
   笽山(そうけやま)
   の地名があった
   笽島=そうけじま
   富山県婦負郡八尾などにみられる
 ↓↑
 㳑=水+皿
   イツ・イチ
   あふれる
   溢=氵+皿=㳑
   一杯になって
   もうそれ以上は
   収(おさ)まらなくなる
   入り切らずに零(こぼ)れ出る
   過大な・過ぎる
   満ちる・一杯になる
   齊国(周代~春秋・戦国代の国)
   ↓↑   ・・・齊・齋・斉・斎
         ・・・斎王=皇族の皇女=みこ=巫女
         斎王(さいおう)=斎皇女(いつきのみこ)
         伊勢神宮、賀茂神社に巫女として
         奉仕した未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)
             女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女
                    親王の王女)
         内親王=斎内親王
   ↓↑    女 王=斎女 王
   の量の単位
   片手一杯分の量
  「孔叢子:小爾雅:量」
  「一手之盛 謂之溢两手 謂之掬掬一升也
   掬四 謂之豆豆四 謂之區區四謂
   之釜釜二有半 謂之藪藪二有半
   謂之𦈢二𦈢 謂之鍾二鍾
   謂之秉秉十六斛也」
  (2溢=1掬=1升
   4掬=1豆
   4豆=1區
   4區=1釜)
 ↓↑
 㿽=兮+皿
   ケイ・ゲ
   八一𠃌丂兮皿=㿽
   小さな盆・口が開き底が平らな容器
 ↓↑
 諡=言+㿽
   シ・ジ
   おくりな
   言八一𠃌丂兮皿㿽=諡
   おくりな
   生前の功績や徳行を称え死者に贈る名
   同「謚」
 ↓↑
  Whiter Shade
 『A Whiter Shade of Pale』
 ↓↑
 turned a whiter shade of pale
 白く儚(はかな)い影へと変わっていた
 はかない=墓内・葉和(懸・掛)名意・墓無い
 ↓↑
 turned a whiter shade of pale
 白く儚い影へと変わっていた
 ↓↑
 「but・although・even though・however」
ーーーーー
 ・・・???・・・


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兎に角、結論をさきに聞きたいヒトは騙されやすい・・・カモ・・・

2020-09-17 02:22:50 | 古事記字源
 東尋坊・・・唐(問)を訊ねるコトを望む・・・?
 「テン」と「セン」・「Points」 & 「Lines」・「天與撰」

  ↓↑
 兎に角、結論をさきに聞きたいヒトは騙されやすい・・・
 兎に角、理屈をさきに聞きたいヒトも騙されやすい・・・
 畢竟、就中、取り敢えず・・・しつこいヒト、ひつこいヒトも・・・
 だが
 台所で夕飯の支度に忙しいママに纏(まつ)わり付いて
 子供が
 「どうして、どうして?」
 「なぜ、なぜなの?」の連発
 ・・・面倒くさいけれど
 理屈の筋と結果に至るコタエを
 ママは
 「起→承→転→結」
 「5Wと1H」
 で「答=竹+合」えてヤルべきである・・・が
 「どうして、竹の子(了+一・終始・始終)なの?」って、か・・・
  ・・・竹(たけ・チク)=筑紫(つくし)に
              合(𠆢+𠮛)わせろって?・・・
              𠮛=旨(うま)い
              甘(うま・あま)い
                   阿毎=熊本
              𠫔=𠮛の異体字
              𠫔=一+ム
              𣅀=亠+日
                シ・むね・うまい
       異体字「うまい=旨・㫖・𣅌・𠤔・𤮻・𠩊・𠮛」
 「音=立(亠+ㅛ)+日」が
     「亠=亼=食器の蓋」ならば
     「䒑=ㅛ」は
     「ㅛ=鍋の器=䒑」だろう・・・
      ㅛ=丷+一=䒑(ソウ)=草=屮・艸・芔・茻
  ↓↑
 「カイ」・・・
 「甲斐の武田(竹田)」・・・回答・解答・海道?・・・
 明治二年(1869年)八月一五日
 「蝦夷地」を「北海道」と改称
 「松浦武四郎」が提案した六案の一
 「北加伊道」の「加伊(カイ)」を「海」と 変更し
 「北海道」とした・・・
 ↓↑
 「松浦(まつうら・まつら・ショウホ)」
 の地名は令制国における
 「肥前国(佐賀県)」に属す・・・佐賀県(Saga Prefecture)
  松浦潟=東松浦半島と
      糸島半島に
      挟まれる潟
 ↓↑
 明治十一年に
 東西南北4つの郡に分割された
 ↓↑
 北松浦郡
     松浦市 新設された長崎県の市
 ↓↑
 南松浦郡
 ↓↑
 東松浦郡
     1883年(明治16年)
     長崎県から分割された佐賀県へ
 西松浦郡
 ↓↑
 唐津湾
 ↓↑
 福岡県
 糸島市
 志摩
 仏埼
 と
 糸島市
 志摩
 姫島
 東端を結ぶ線
 ↓↑
 姫島西端
 と
 佐賀県
 唐津市
 荒埼を結ぶ線
 ↓↑
 唐津市
 兜鼻
 と
 唐津市
 女瀬鼻を結ぶ線
 及び陸岸により囲まれた海域
 「荒埼、兜鼻」は
 「神集島」の地名
 ↓↑
 湾内に
 佐賀県側に「神集島、高島、鳥島」
 福岡県側に「姫島」
 がある
 ↓↑
 唐津神社・・・唐の津・・・?
 1449年(文安六年・己巳年)=寶徳元年七月二十八日~
 寄進状に
 唐津大明神の記述
 ↓↑
 松浦は
 末盧国(まつろこく・まつらこく・魏志倭人伝)
 梅図邏(めづら・神功皇后傳)国
 の訛り
 ↓↑
 松浦党
 一族は48つに分かれており
 松浦四十八党とも呼ばれた
 水軍・・・海賊
 ↓↑
 渡辺 綱
 にはじまる
 渡辺氏を棟梁とする
 摂津の滝口武者の一族
 水軍として
 瀬戸内を統括した
 渡辺党の分派
ー↓↑ーー
 「蝦夷(えぞ・えみし)」も音読は「カイ」だが・・・
 「簂(カイ)=竹+國」=異体字「䈅・𫂆」
 この漢字、以前、調べたけれど、漢字構成からは
  簂=竹+國・・・「筑紫・筑豊・筑前・筑後」の國
   カイ・ケ・カク・キャク
   竹+囗+或
   竹+囗+口+一+弋+丿
   竹+囗+口+一+戈=簂
   竹製の
   四角い箱状の容器
   籠(かご)
   同「筐」
   婦人が頭巾(冃)
  (ズキン、頭を包む幅広で長めの布)
   で髪を包んだ後
   それを留めるために
   髪に刺す飾りの付いた簪(かんざし)
   などの髪飾り
   同「蔮」
  (後漢書:烏桓鮮卑列傳:烏桓)
      ・・・烏桓・鮮卑・列傳
  「婦人至嫁時 乃 養髮分
   為 髻著句 決飾 以金碧
   猶 中國有簂步搖
  (簂音吉悔反字 或 爲幗 婦人 首飾也」
  「婦人が喪中
  (死者を悼み慎む期間)
   に被(かぶ)る
   頭巾や帽子の類
   同「幗」
 ・・・竹簡=本・書籍・・・ふで=筆=文字・・・
    竹製品
 ・・・ふえ=管簫笙笛管=管楽器の音・・・
 ・・・かご(籠・篭)・ざる(笊)・びく(魚籠・魚篭)
    はこ(箱・笥・筥・簂)
 「こたえ(答)」の・・・「荅(こたえ)=艹+合」
  異体字「𥲥・嗒・𣌭・畗・畣 ・荅・哒・噠・𢟉」
 「応=广+心=應=广+イ+隹+心」・・・応仁・応神・応身
 ↓↑
 𥯦=竹+建・・・・筑紫の建?
   ソウ・ショウ・ケン・コン
   竹+廴+聿=𥯦
   楷書(カイショ)を
   崩した
  (点画を略したり繋いだりした)
   書体で
   行書(ギョウショ)
   と
   草書(ソウショ)
   の間程の書体
   同「箑・𨖷」
  (集韻:卷十:入聲下:洽第三十二:𨖷箑)
  「行書也 秦使徒隸 助官書艸𨖷
   以爲行事 謂艸行之間取
   其疾速 不留意楷法也」
   竹名
  (齊民要術:卷三:雜說第三十)
  「及臘日祀炙𥯦
  (𥯦一 作𦾚燒 飲治 刺入肉中
   及 樹瓜田 中四角 去䗣蟲)」
 ↓↑
 倠=亻+隹
   キ
   みにくい・容姿が醜い
 䧹=广+倠
   广+亻+隹
   ヨウ
   鷹(たか)・タカ科の鳥
 ↓↑
 鴈=厂+倠
   厂+亻+隹
   ガン
   かり・カモ科の水鳥
 異体字「鴈・鳫」
 ↓↑
 噟=广+亻+隹+口=
 膺=广+亻+隹+月=オウ
          ヨウ
          うける
          うつ
          むね(胸)
          当たる
          受ける・引き受ける
          攻撃する・征伐する
          馬のむねあて・馬の腹帯
 應=广+亻+隹+心=応
 㒣=イ+广+亻+隹+心=
 㶐=氵+广+亻+隹+心=
 譍=广+亻+隹+言=ヨウ
          答える・応ずる
          問いかけに対応する
 㣹=彳+广+亻+隹+心=
 㶝=氵+氵+广+亻+隹+心=
 鷹=广+亻+隹+鳥=ヨウ
          鷹(たか)・タカ科の鳥
 軈=身+广+亻+隹+心=まもなく・ほどなく・やがて
           国字
ーー↓↑ーー
 ・・・アレ、れ、ㇾ、れッ!・・・
 台所で夕飯の支度に忙しいママに
 纏(まつ)わり付いている子供の
 「どうして、どうして?」
 「なぜ、なぜなの?」の連発に
 理屈の筋と結果に至るコタエを
 ママは
 「起→承→転→結」
 「5Wと1H」
 で「答=竹+合」えてヤルべきのハナシだった・・・
 ・・・「A+B=C」で、「C=B+A」なんだ、とさ・・・ドウシテぇ~?
 ・・・1982年~2001年・・・の旅・・・モノリス・・・?
ーー↓↑ーー
 モノリス(monolith)・・・物理素=ものりす=模之利素?
                  物部・物延・物述
     (mono)=単一の・単独の
          「伝染性単核球症・infectious mononucleosis」の略語
       +
     (lith)=石(stone)
         lithe=lith・er;lith・est
            人・動物がしなやかな・柔軟な・骨の柔らかいl

 建築物や遺跡の内で
 配置された単一の大きな岩や
 幾つかの山々のように
 一枚の塊状の岩や石から成る
 一枚岩(いちまいいわ)

 ↓↑
 語源
 古典ギリシア語
 μόνος (monos)=一つ
 λίθος (lithos)=石・岩
 複合語
 μονόλιθος (monolithos)
 の古典ラテン語形
 monolithus
 に由来
 ↓↑
 非常に硬い固形の
 変成岩
 火成岩
 から成り立つ地質が
 侵食によって露出したもの
 ↓↑
 建築学において
 モノリスは
 先史時代の
 巨石建築物(megalith)
 と共通の部分が見られ
 モノリシック教会のような岩を
 切り出した建築物の一部として使われた・・・
 オベリスクや彫像
 モノリシック柱
 のように例外的に
 大きな石
 巨大なアーキトレーブ
 については
 採石した後に
 かなりの距離を移動したか
 または
 自然の力によって運ばれてきた
 巨大な迷子石を利用した可能性がある・・・

 太陽の石(スペイン語:Piedra del Sol)
 古代アステカのモノリス
 アステカの暦石(Calendario Azteca)
 と呼ばれることもある・・・
 約24トンの玄武岩に
 直径約3.6メートルの
 円形のモチーフが彫刻されている
 アシャヤカトルの治世
 西暦1470年代のものとされたが・・・
 モクテスマ2世の治世
 1502年~1521年ごろに造られた・・・
 ↓↑
 1790年12月17日
 メキシコシティの中央広場から発掘
 ↓↑
 円筒土器

 奥瀬の
 新羅神社
 建久二年(1191)
 の創建
 ↓↑
 住 所 十和田市大字奥瀬字北向10
 御祭神 新羅三郎義光
 例 祭 8月25日
 由 緒 慶長年間
     後陽成天皇治世
     十二年 (1607)
     甲斐の国より
     小宮山内善故有りて
     此地に趨向小祠を
     草創神霊を奉祀せるに起因
 延宝十 辛 酉 年
 府君
 奥瀬治 大夫 善定
 再興
 明和八年
 奥瀬定職公の命を拝し
 遷座導師
 現大僧都尚純 稲荷大明神を合祀
 文化五 戊 辰 年
 奥瀬内藏崇儀公
 武運 長久諸願 成就の為
 本社及御内社を建立
 毎歳五石を賜る
 嘉永年中
 山火に遇し災焼
 嘉永六 癸 丑 年 再築
 昭和二十五年三月三十一日
 国有境内地の譲与許可
ーー↓↑ーー

 ・・・~ブログ日記、記し始め・・・2006年~ですか・・・
 めでたく、14年間・・・光陰矢の如し・・・
 ・・・探求してきたのはコジキの躄(膝行)って放浪してきた痕跡・・・
 ・・・手懸かりは「カンジ」・・・
 「テン」 と「セン」
 「Points」 & 「Lines」
 「典」  與「撰」
 「天」  と「亘」
 「・」  と「--------」
  ↓↑
 「サクラ」は「詐欺師」
 「チェリー・ボブ」は「二股・背信・裏切り」
 「ピンク」は「ピ-チ(桃・もも)」
           ・・・股・腿・百桃・百々・李(素桃)
 「ピーチ」は「密告者・讒訴 ・ 告げ口 ・ 内通 」
 で、「子(こ・シ)」、「丑(うし・チュウ)」
 「寅(とら・イン)」・・・「イン=音(韻)」
  の対冲は
 「申(さる・シン)」
  ・・・「石申」=石申 (紀元前4世紀頃) は中国の天文学者
         「甘徳」と同時代の人
          魏 で生まれ
         「石申先生 (Master Shin Shen・石申夫) 」とも
         「甘 徳(紀元前4世紀頃)」
          戦国時代の天文学者
          斉の人
          魏の石申(中国語版)とともに
          世界最古級の
         「星表」を記した
   ・・・隕石・引責・姻戚・陰石
      因碩=江戸・明治時代の囲碁棋士
         家元
         井上家の
         十三世
         井上因碩
         本名は
        「松本錦四郎」・・・松本の錦の四郎
         林柏栄門入門下、七段
        「松本錦四郎」の後援者には
        「江藤新平」・・・?
   ・・・漱石?・白石?・玉石?・碁石?・・・

   「和氏の璧(カシのヘキ・カシのたま)」
            日置 瑕疵・可視
   「卞和(ベンカ)の璧」・・・
   「伝国璽(デンコクジ)」
    春秋時代・戦国時代の故事の名玉
   『韓非子(和氏篇十三)』
   『史記(連城の璧)』
    に記される
 「卞和(ベンカ)」の「卞」
 卞=亠+卜・・・音の占い
   丶+下・・・テン下・天下・日下?
 ↓↑
 卞=弁=厶+廾
   ヘン・ベン
   わきまえる
   ム厶一丿ナ十廾=弁
   冕(ベン)=礼装用の冠
   同「冕・𠭛・㝸・冕冠}
   冠を被(かぶ)る
   同「𠭛」
   元服する
   元服の際に冠を被ることから
   「元」は「頭」
   「服」は「着用」の意
   同「𠭛」
   判別する
   疑う余地がないように
   はっきりと区別する
   同「辨」
   けじめ・はっきりとした区別
   同「辨」
   治(おさ)める
   筋(すじ)を通す
   筋を正(ただ)す
   同「辯」
   論(ロン)じる
   筋道を立てて話す
   同「辯」
   話の筋が通っているさま
   話や話し方が巧みなさま
   同「辯」
   ウリ(瓜)類の果実の中身
   果実の中にある種と種を
   包んでいる柔らかい部分
   同「瓣」
   花びら
   「花弁(カベン、花瓣)」
   同「瓣」
   ↓↑
  「卞」を構成に含む漢字
   汴=氵+卞=川の名
     異体字「汳」・・・「卞=反」?
   忭=忄+卞=喜ぶ・喜び楽しむさま
   抃=扌+卞=手をうつ・手をうって喜ぶ
   犿=犭+卞=海豚(いるか)?
         野豚・狗獾
     異体字「𤝏・獾・貛・貒」
      狸・貉(むじな)
      穴熊・フクロ熊
     バジャー (badger) =アナグマ
     しつこく言う・しつこく質問する
     しつこくせがむ
     Stop badgering me!
   苄=艹+卞=ベンゼン?
   炞=火+卞=火+冠
   玣=王+卞=異体字「㺹」・冠装飾の玉
   笇=竹+卞=数える・計算する
         異体字「笲・𥳪・算」
         算盤・十露盤
   飰=食+卞
    =飯
     ハン
     めし
     いい
     くらう
     まま
     ごはん
     くらわす
     めしを食べる
     めしを食べさせる
 ↓↑
 卞=ヘン
   ベン
   かんむり・弁
   せっかちなさま・かるがるしいさま
   のり・決まり
   一定している方法
 亘=一+旦
   一+日+一
   コウ・セン
   わたる・めぐる
   「亙(コウ)」の俗字
   亘の旧字体は亙
   亙は互とは別字
   終わる・極まる
   連なる
   時間的、空間的に
   わたる・あまねく・尽きる
   「説文解字・巻六」
   本字は
   「㮓=木+恆(恒)
       木+忄+亙
       木+忄+互+丶+丶
       竟(きわ)まるなり」・・・
    畢竟=必竟
         「畢」も「竟」も終わる意
         究極・至極・最終
         さまざまな経過を経ても
         最終的な結論としては
         つまるところ・結局
         つまり
    就中=なかんずく・中でも・特に・とりわけ
    恒常
    つね・変わらない・一定している
    つねに・いつも・たえず
    異体字「𣘰・𣕲・亘・亙・宣」
    恒常
    易(エキ)の六十四卦の一
    弦を張った弓のような月の形
  ↓↑
 「サクラ」は詐欺師
 「チェリー・ボブ」は二股
 「ピンク」は「ピ-チ」
 「ピーチ」は「密告者」
 で、
 「寅(とら)」さんは「イン」
 ↓↑
 扁(ヘン)・・・左に付く(┠)
 旁(ボウ)・・・右に付く(┨)
 冠(カン)・・・上に付く(┯)
 脚(キャク)・・下に付く(┷)
 構(コウ)・・・囲い込む(凵・冂)
 垂(スイ)・・・右上から下にタレル(厂)
 繞(ニョウ)・・左上から下へ、そして右へ(辷)
 ↓↑
 日常生活の「ミミ」で聴けば・・・
 ↓↑
 変貌、観客、香水、(が)、尿、(だって!?)
 ↓↑
 亘=一+旦
   一+日+一
   コウ・セン
   わたる・めぐる
   「亙(コウ)」の俗字
   亘の旧字体は亙
   亙は互とは別字
   終わる・極まる
   連なる
   時間的、空間的に
   わたる・あまねく・尽きる
   「説文解字・巻六」
   本字は
   「㮓=木+恆(恒)
       木+忄+亙
       木+忄+互+丶+丶
       竟(きわ)まるなり」・・・
    畢竟=必竟
         「畢」も「竟」も終わる意
         究極・至極・最終
         さまざまな経過を経ても
         最終的な結論としては
         つまるところ・結局
         つまり
    就中=なかんずく・中でも・特に・とりわけ
    恒常
    つね・変わらない・一定している
    つねに・いつも・たえず
    異体字「𣘰・𣕲・亘・亙・宣」
    恒常
    易(エキ)の六十四卦の一
    弦を張った弓のような月の形
 ↓↑
 手宮洞窟・フゴッペ洞窟
 古代文字ペトログリフの謎
ーーーーー
 ・・・ランダム(random)・・・亂拿夢すぎる仕業・・・

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邪メモ の 序名撰(竄・蚕・簒・篡)・・・「やもめ」の「ジョナサン」?

2020-09-12 21:47:08 | 古事記字源
  うらやましい・・・「裏山・浦山」+「椎茸・思惟・恣意」
    ↓↑
 「やもめ」の「ジョナサン」・・・
  邪メモ の 序名撰(竄・蚕・簒・篡)・・・?
  ↓↑
 ジャックフロスト(Jack o' Frost ジャック・オ・フロスト)
 イングランドの民間伝承の霜の妖精、怪物
 「霜男=北欧のヨクル(Jokul)=フロスティ(Frosti)」
  ↓↑
 寡・寡婦・孀・鰥・鰥夫(やもめ)
 寡・寡婦・孀=女+霜=夫のいない女・未亡人
        後家 (ゴケ)・寡婦 (カフ)
    ・・・「女+雪」・「氷雨」⇔「氷女」・・・
   元正天皇=氷高(ひだか)=日高=新家(にいのみ)
   和風諡号=日本 根子 高瑞 浄足 姫 天皇
      (やまと ねこ たかみず
                 きよたらし
                    ひめ の
                       すめらみこと)
  ↓↑
  ・・・イカン官房長官がイカン・・・???・・・菅・須賀・管・・・
  いかん・イカン・・・如何・・・医官・・・奈何・・・移管?
  遺憾・惜しい・悔しい
  心外・口惜しい・愁い・・・regrettable(リグレタブル)?
  遺憾・・・・・・・・・・・deplore(ディプロァ・デェポゥラ)?
  うらめ・・・しい・・・reproachful(リプロウチフル)・・・?
  芋等埋   旨意   rueful(ルーフル)・・・?
  浦     盲い   regretfu(リグレトゥフル)・・・?
  ↓↑     ↓↑     ↓↑
  うらやま・・しい・・・you are so jealous・・・???
  烏羅邪麻  詞意   you envy them・・・I   envy   you
                      アイ エンヴィー ユウ
                      合  縁卑意  瑜得
                      姶  艶美意  由有
 「Jealous」=「嫉妬深い・焼きもち・妬ましい」・・・???
 「裏山・浦山」+「椎茸・思惟・恣意・四囲・旨意・志位・私意・示威」

 ↓↑
 羨=𦍌+㳄
 ↓↑
 羨=羊+㳄=涎=氵+廴+ノ+止
   羊+氵+欠
   異体字「羡=羊+次」
 ↓↑ ↓↑
  「㳄」=物がほしくてよだれを垂らすこと
      うらやむ・うらやましい
      エン
      セン
      ゼン
      よだれ
      よだれ・つば
      ねばりけのある液体
 ↓↑     ↓↑
    ・・・なめこ(滑子)汁・・・名女子?・鞣子?
    ・・・摺ったトロロ芋?・・・トロイ奴?
 ↓↑  ↓↑
    攪拌(カクハン)したタマゴ?
    攪(ま)ぜる
    攪乱(カクラン)
    ↓↑
    する=擦る・摩る・摺る
    物を他の物の面に触れ合わせて動かす
    擂り鉢・摺り鉢
    すり鉢(擂り鉢・すりばち)
    食物をすりつぶしながら混ぜるための鉢
    粒子状に砕いたり
    ペースト状にすりつぶす加工を行う
    内側に凸凹の線状の刻みを入れた器
    溝(櫛目)を付けた
   「備前焼・すり鉢」
   「伊部焼(いんべやき)すり鉢」
    は別名
    岡山備前地域の焼き物
    ・・・小型の薬味用乳鉢も同類・・・
    すりこぎ棒=擂粉木・擂り粉木・摺り扱ぎ
          山椒の木を素材にした棒
    磨る・擂る・・・手で鳴らす雷(かみなり)?
    こすって細かく砕く
    剃る
   「そる」のなまり(訛り・吪・譌)
 ↓↑  ↓↑
    為る(する)=す[サ変]
    ある状態・現象の起きたことや
    その存在が
    自(おの)ずと感じられる気配、事象
   「臭いがする」
   「寒けがする」
   「気配がする」
 ↓↑      ↓↑
    する=行為・行動
    客体的対象に対して
    何等かの関係で影響を及ぼすこと
 ↓↑   ↓↑
    スルメ=鯣・鰑・・・烏賊(いか)の乾物
    スル女=味深い女性・アジな女性
 ↓↑   ↓↑
     味な事をやる
     気のきいた
     しゃれた
     おもしろい
     生意気な
     こしゃくな
     ことをやる
     粋(いき)なことをする・・・?
     粋(いき・スイ)=米+卆(にわか・おわる・ソツ)
                卆=九+十
                 =卒(異体字)
                  =亠+从+十⇔卒業
                     从=従 
                 䘚(本字)=衣+十
              にわ(俄)かに・あわ(慌)てる
              下級の兵士・兵卒
              しもべ・めしつかい
              従卒
              おわる・おえる
              にわか・突然に
              卒然・卒倒
              死ぬ・亡くなる
              卒去・卒年
             「倉卒・卒爾(ソツジ)」
              卒中
     「粋」は
     「意気」から転じた語?・・・生意気・・・なまいき
             気長足姫尊=帯姫大神・・・帯方郡の姫?
            (おきながたらしひめのみこと)
                大帯日姫
                大帯比売命=大足姫命皇后
            (おほたらしひめのみこと)
                神功皇后
             仲哀天皇二年一月十一日 立后
             西暦193年2月28日G 癸酉年甲寅月癸亥日
             西暦193年3月01日U 癸酉年甲寅月甲子日
                   大安・木曜日
             二月 天皇と共に角鹿の笥飯宮(けひのみや)
             三月 天皇が紀伊国の
                德勒津宮(ところつのみや)
                に向かうが皇后は角鹿に留まる
             七月 穴門豊浦宮で天皇と合流
             仲哀天皇八年
                筑紫橿日宮で神託
                天皇は熊襲攻めで死去
                皇后は
                武内(竹内)宿禰・・・筑紫宿禰?
                と
                新羅攻めで勝利凱旋
               「おほたらしひめのみこと」の
                気概(キガイ)?
 ↓↑    ↓↑        ・・・「記・紀」外?
                   意気込み・積極的な気持ち
               ・・・壱岐後視?・域込み?
                   壱岐島(いきのしま)
                   伊伎島(いきのしま)
                   天比登都柱(あめひとつばしら)
              対馬⇔壱岐=伊伎⇔玄界灘⇔唐津(九州)
                           糸島半島
                    糸島半島・・・怡土・伊都・意図
                    律令制下
                    怡土郡・・・・怡=忄+台(臺)
                           土=十+一
                    志摩郡・・・シマ大臣=蘇我入鹿
                    に分かれていた
              壱岐の領域区分名
              農村=在(ザイ)・触(ふれ)
              漁村=浦
 ↓↑    ↓↑
      気質・態度
      身なりなどが
      さっぱりと
      垢抜(あかぬ)けして
      色気があること
      粋な姿・粋な柄・粋な店
      野暮 (やぼ)
      無粋でないこと」・・・?
     「人情や世情を解し
      物分かりの良いこと」
     「粋な計らい
      気が利いていたり
      相手が喜びそうなことを
      さりげなくすること」・・・?
 ↓↑    ↓↑
     「小粋(こいき)」
     「小綺麗」
     「小癪」
     「小憎らしい」
     「小汚い」
     「小間使い」
     「小姓・扈従」
      varlet(バレット)
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          宮廷小姓
          小間使い
          ボーイ・給仕
          ガニメデ
          Jupiter III Ganymede
            木星第3衛星名
          およそ7日かけて
          木星を公転し
          エウロパとイオと
          1:2:4
          の軌道共鳴を起こしている
          ケイ酸塩岩石
          水の氷がほぼ半々の組成
          鉄が豊富な
          液体の核を持った
          完全に分化した天体
          地球の海よりも
          多くの水を保持し
          内部海を持っている
          可能性有り

          ガニュメーデース
          ギリシア神話
          トロイアの王子
          ガニメデ・・・蟹目出?
 ↓↑    ↓↑
      Button up!=黙れ
            ~を完全させる
            ~を完全に仕上げる
 ↓↑    ↓↑
      page(ページ)中世の貴族の小姓
      pageboy(ページボウイ)宮廷小姓
 ↓↑    ↓↑
      pageant(パジャントゥ
           パジェント
           ページェント)
      中世ヨーロッパの
      祝祭日に演じられた
      宗教劇の移動舞台
      祝祭日に行われる
      大規模な仮装行列やショー
      野外劇
 ↓↑    ↓↑
      patient(ペイシェント)
      患者。病人
      ラテン語で
      耐え苦しむ人
      忍耐強い、勤勉、根気強い
      病人、患者

   『羊たちの沈黙』・・・?
   羨(うらや)ましい
   羨=𦍌+㳄
   ↓↑
 羨=羊+㳄=涎=氵+廴+ノ+止
   羊+氵+欠
   異体字「羡=羊+次」
 ↓↑ ↓↑
 羨=水の細く流れるさま
   呉音=エン・ゼン
   漢音=エン・セン
      うらやむ・あまり
      羨望(センボウ)
      欽羨(キンセン)
      羨道(エンドウ)=墓の地下道
      羨余(センヨ・あまり)
      神道ともよばれ犠牲を供えて祭る所
      羨門(センモン)=古墳の石室
      羨余(センヨ・あまり)
 ↓↑
 未=ひつじ=羊・日辻・燈辻・・・
     姜=羊+女
       陝西省の川の名・水(キョウスイ)
      「斉(セイ)」の国の姓
      「生姜(しょうが)」
       ショウガ目ショウガ科の多年生植物
       根茎は香辛料や生薬として使用
    「姜(キョウ・カン)」姓
     上古期の中国
     チンギス(成吉思)・カン(汗)
     の「カン(汗)」と同じ・・・?
     羊の女が「汗=氵+干=水+干」・・・河川の水を
     ↓↑
    「成吉思(セイキツシ・世紀通史)」の「汗(カン)」
    「吉(きち・よし)と
     思(おも)い
     汗(あせ)を
     成(なす)」・・・?
    「上に立つ、尊大な」の原義の尊称
     説・・・「汗をかく人」・・・?
     地名説
     三皇五帝の一人
    「炎帝・神農」氏が
     姜水のほとりで長じた
    「姜水」=清姜河(渭水の支流)
         岐山県の「岐水」・・・説
     合字説
    「姜=癸+女」の合字・・・癸(みずのと)の女?
    ・・・羊(ひつじ)=癸(みずのと)・・・?
         火通字    水 之譯
         秘通事    水野(瑞野・水埜・美津濃)
                   瑞皐之譯=高野 長英?
 ↓↑       ↓↑ ↓↑       ↓↑
         高野 長英
         文化元年五月五日(1804年6月12日)
         ~
          嘉永三年十月三十日(1850年12月3日)
                 大運1842年11月(38歳)
                甲戌 傷官
         甲子(壬 癸)⇔庚戌 印綬
         庚午(丙 丁)⇔丁亥 偏財
         癸巳(戊庚丙)⇔戊子 正官
         戊午(丙 丁)⇔戊午 正官
          午未空亡
          星宿・癸巳
 ↓↑

ーー↓↑
 「姜(キョウ・カン)」姓
 上古期の中国
 チンギス・カンの「カン(汗)」と同じ
 「上に立つ、尊大な」の原義の尊称
 説・・・
 地名説
 三皇五帝の一人
 炎帝神農氏が
 姜水のほとりで長じた
 「姜水」=清姜河(渭水の支流)
      は岐山県の「岐水」・・・説
 合字説
 「姜=癸+女」の合字
 上古期の皇帝が
 「女癸」を娶り
 子孫に
 「姜姓」を与えた
 「壬」が「戊」を畏れたため
 妹の「癸」を娶らせる
 五行思想(戊娶癸)・・・
 「羌=羊+人」同様
   「羊+女」の合字で
    西北中国で羊を放牧していた
    チベット系民族が
    羊にちなむ姓をつけた(藤堂明保)
 ↓↑
 著名な人物
 古代~中世
 姜嫄  周の始祖后稷の母
 姜尚  斉の始祖
    「太公望」
 姜小白 桓公
     春秋時代の
    「斉」の第十六代君主
 姜維  蜀漢の将軍
 姜夔  南宋の文学家・音楽家
 姜士楨 明末の福建布政使
    「李西泉」の継子となり、改姓
 ↓↑
 生薑・生姜(しょうが)
 ショウガ目ショウガ科の多年生植物
 根茎は香辛料や生薬として使われる
ーー↓↑ーー
 成吉思汗(ジンギスカン)
    ↓↑
 汗=氵+干=あせ
 干(ほ)す
 ↓↑
 甘干(あまぼ)し
 皮をむいて少し干した渋柿
 ↓↑
 干支(えと)
 十干と十二支を組み合わせ
 六十干支
 年や月、方角などを表す
 ↓↑
 陰干(かげぼ)し
 日光が直接当たらない場所で
 乾燥させること
 ↓↑
 潮干(しおひ)
 海水が引くこと・引き潮
 ↓↑
 潮干狩り(しおひがり)
 海水の引いた浜辺で
 アサリ(蜊・鯏)などの貝を取ること
 ↓↑
 十干(じっかん)
 五行を陰陽を示す
 弟と兄に分けたもの
 物の等級
 名称の略称などに使う
 甲(木の兄)・乙(木の弟)
 丙(火の兄)・丁(火の弟)
 戊(土の兄)・己(土の弟)
 庚(金の兄)・辛(金の弟)
 壬(水の兄)・癸(水の弟)
 ↓↑
 射干(しゃが)
 アヤメ科アヤメ属の植物
 五月ごろ
 紫を帯びた
 白い菖蒲のような花が咲く
 森などの木の陰などに群生
 ↓↑
 若干(じゃっかん)
 はっきりとした数量はわからないが
 それほど多くない様子・いくらか
 まぁ、まぁ
 ↓↑
 水干(すいかん)
 平安時代以降の公家が着ていた狩衣
 元は狩りをする時に着ていた
 菊とじと胸ひもがある
 糊を使わずに
 水に浸して
 干した絹で作っていた
 ↓↑
 素干し(すぼし)
 日の光や火を当てずに乾かすこと
 ↓↑
 生干し(なまぼし)
 完全にかたくなるまで干さないこと
 ↓↑
 干上がる(ひあがる)
 すっかりと渇く・水分が渇ききる
 ↓↑
 干魚(ひうお)
 魚の干物
 魚の内臓を取り出して乾燥したもの
 ↓↑
 干菓子(ひがし)
 水分の少ない乾いた和菓子の総称
 落雁(らくがん)
 金平糖 (こんぺいとう)
 など
 ↓↑
 干魚(ひざかな)
 魚の干物
 魚の内臓を取り出して乾燥したもの
 ↓↑
 日干(ひぼ)し
 日光に当てて乾燥させること
 日干し煉瓦
 ↓↑
 干ぼし(ひぼし)
 食べるものがなく、飢えて痩せること
 ↓↑
 干乾し(ひぼし)
 食べるものがなく、飢えて痩せること
 ↓↑
 干物(ひもの)
 干した魚介類
 ↓↑
 干魚(ほしうお)
 魚の干物
 魚の内臓を取り出して乾燥したもの
 ↓↑
 丸干し(まるぼし)
 魚などを、切らずにそのままの形で干すこと
 干したもの
 ↓↑
 梅干し
 ↓↑
 虫干し(むしぼし)
 夏の土用のころ
 衣類や書物を
 日に干したり
 風を通したりして
 かびや虫の害を防ぐこと
 土用干し
 ↓↑
 欄干(らんかん)
 橋や廊下などで
 人が落ちたりしないようにするため
 設置する柵のようなもの
 手すり・勾欄

ーー↓↑ーー
 未艶=処女マリア・聖母マリア・・・景教(ネストリウス)碑石漢字文字
 ↓↑
 䍨=羊+市・・・「亠+巾=市」とは別字
   羊+一+巾
   羊+十+冂
   ハツ・ハチ
   羊一十巾市巿=䍨
   羊を去勢する
   去勢した羊
   同「羯」・・・羯啼・・・般若心経?
   姓
   同「𦍜」
 ↓↑
 羒=羊+分
   フン・ブン
   牝の羊
 ↓↑
 䍭=羊+母
   ソウ
   𦎆=羊母=䍭
   牝の羊
   同「䍧・牂」
 ↓↑
 sheep=シープ・・・思惟符?・・・思考譜?・・・恣意府?
  a wolf in sheep’s clothing
  aries=アリエス・ありえす
 swallow a sheep’s eyeball
 swallow=飲み込む
 スヮァロォゥ=スゥォル
 食べ物・飲み物を飲み込む(下す)
 「嚥下」
 ↓↑
 swallow=martin, barn swallow
 スワロー= スワロウ
 燕(ツバメ・鳦・鷰・つばめ)
 ↓↑
 sparrow
 スパロウ
 雀(スズメ)

ーーーーー
 ・・・???・・・嫉妬・・・憧れ・・・?
 long for・hanker for・・・
 慕う
 しきりに~したがる・切望する
 yearn for(after)・・・「ヤーン・ヤァーン・ヤァールヌ」・・・
 yearn(ヤーン)・・・やめてェ~ッ?
 yarn(毛糸)・・・・・ヤム=ヤム芋( yam)=山芋
              =薯蕷(ショヨ)
              =とろろ芋(薯蕷藷・薯蕷芋)
              =山薬(サンヤク)
              =ナガイモ(長芋)
              =ジネンジョ(自然薯)?
 yawn(あくび)・・・・欠伸・悪日?
 ədmaiər(アドゥマイア・アドマイア)・・・respect(リスペクト)・・・
ーーーーー
 ???・・・
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劀=矞+刂=矞+刀=切り取る・削り取る・刮(こそ)げる・・・橘(たちばな)

2020-09-09 18:01:58 | 古事記字源
 たちばな なんけい・・・「傷寒外伝」・・・伝染病外伝?
 ↓↑
 昔も今も政界、政局は「出世競争・派閥競争・権力闘争」・・・お変わりなし・・・
 「人々」の「立ち場」・・・金庫番(官房機密費)が立候補って・・・?
 ・・・故盧名・古炉奈・コロナで居座る、御座る???
 ・・・4800圓の「劀化例(カツカレー)」・・・「劀」?・・・「橘」?
 ↓↑
 劀=矞+刂=矞+刀
   矛+冏+刂
   龴+𠄐+ノ+冂+儿+口
   カツ・ケチ
   𠟽・𠟗=龴乛亅𠄐予矛冂ノ儿八口㕣冏矞刂=劀
   切り取る・削り取る・刮(こそ)げる
 ↓↑
 劀=矞+刂=矛+冏+刂=刮
   刮削
   劀=刮・刮除・刮去
   劀=矞+刀
     カツ・ケチ
   𠟽・𠟗=龴乛亅𠄐予矛冂ノ儿八口㕣冏矞刂=劀
   切り取る・削り取る・刮(こそ)げる
   ↓↑
   劁=焦+刂
     ショウ
     隹+灬+刂=劁
     去勢する
 ↓↑
 𠜜=𠯑+刂=刮
   氏+口+刂
   カツ・ケチ
   こそぐ・こそげる
   刮=舌ノレ氏口𠯑刂=𠜜
   削る・削り取る・削ってきれいにする
   剥(は)ぎ取る
   風・風が吹く
   同「颳」
 ↓↑
 𠜱=卑+刂=𠞇
   甶+十+ノ+刂
   ヒ・ヘイ・ハイ
   𠞇=ノ田甶十卑刂=𠜱
     削る・削られて少しずつ細くなる
 ↓↑
 剮=咼+刂=刂
   冎+口+刂
   カ・ケ
   剐=口内人冂冋咼刂=剮
   削(そ)ぐ・削ぎ取る
   同「冎」
   肉を削ぎ落した骨
   同「冎」
 ↓↑
 剾=區+刂=𠛅
   匚+品+刂
   コウ・ク
   𠛅=匚口吅品區刂=剾
   抉(えぐ)る
   穿(うが)つ
   同「剜」
   削る・削り取る
   同「剜」
 ↓↑
 𠞄=虒+刂
   𠂆+虎+刂
   𠂆+虍+儿+刂
   𠂆+⺊+乛+丿+七+儿+刂
   テイ・チ・ジ
   削る・剥ぎ取る
  ↓↑

 SI
 1957年2月4日~
        大運2017年2月(60歳)乙未偏印
 ┏丁 酉(庚 辛)比肩・正財長生⇔庚子正財
 干合
 ┣壬 寅(己丙甲)正官・食神 死⇔乙酉偏印
 干合
 ┗丁┏未(丁乙己)  ・比肩冠帯⇔庚申正財
   支合
  丙┗午(丙 丁)劫財・劫財建禄⇔壬午正官
    寅卯空亡
    胃宿・丁未⇔星宿・庚申
  ↓↑
 YK
 1948年12月6日
        大運2019年4月(70歳)辛未偏官
 ┏戊┏子(壬 癸)正財・偏印 病⇔庚子正官
 干合 方合
 ┗癸┣亥(戊甲壬)偏印・印綬 死⇔乙酉比肩
    方合
  乙┗丑(癸辛己)  ・偏財 衰⇔庚申正官
  壬 午(丙 丁)印綬・食神長生⇔壬午印綬
    戌亥空亡
    壁宿・乙丑⇔星宿・庚申
  ↓↑
 FK
 1957年7月29日
        大運2014年9月(57歳)辛丑印綬
  丁 酉(庚 辛)正財・印綬沐浴⇔庚子偏印
 ┏丁 未(丁乙己)正財・正官 養⇔乙酉食神
 干合
 ┗壬┏寅(己丙甲)  ・食神 病⇔庚申偏印
   支合
  丙┗午(丙 丁)偏財・正財 胎⇔壬午比肩
    辰巳空亡
    軫宿・壬寅⇔星宿・庚申
ーー↓↑ーー
 立ち場 奈 成務 化 意
 たちば な なん け い
 ・・・立ち場は如何(奈・いかん)、名の似るを懸る意味か・・・?
  ↓↑
  橘     南 谿・・・谿=奚+谷
 (たちばな なんけい)   ケイ・た に・たにがわ
 宝暦三年四月二十一日    谿壑(ケイガク)」
 1753年5月23日       谿壑(ケイガク) ・谿水(ケイスイ)
 ~             谿声(ケイセイ)
 文化二年四月十日      異体字「渓」・渓谷
 1805年5月8日        類字 鶏・鷄・・・彑・彐=鶏冠=とさか
  ↓↑             鶏・鷄・雞・・・
                  600年
                  阿蘇山麓の「阿毎王朝」が
                  遣隋使派遣
                  俀王姓 阿每・字 多利思北孤
                    號 阿輩 雞 彌
                         ↓↑
               にわとり・かけ・くたかけ
               キジ(雉)科の家禽
               ・・・記事化・加金(下筋・瑕瑾・科禁)?
               卵(ラン)や肉(ジク)を食用(ショクヨウ)
                 覧・亂   字句・自句・竺 書句要(用)
               由来「庭鳥・二和鳥」から
               鶏冠(とさか)があり
               雄は大きい
               飛べない
       かけ・くたかけ・くだかけ=鶏(ニワトリ)の古名
      「かけろ」と鳴く声から・・・?
ーー↓↑ーー
 橘 南 谿
 1753年5月23日
 ~
 1805年5月8日
      大運1799年3月(45歳)壬子偏官
 癸酉(庚 辛)正官・正財 死⇔乙丑印綬
 丁巳(戊庚丙)劫財・比肩建禄⇔辛巳正財
 丙午(丙 丁)  ・傷官帝旺⇔癸亥正官
 甲午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔戊午食神
  寅卯空亡
ーー↓↑ーー
 橘 南 谿
 医者・国学者
 紀行文
 『東遊記』・『西遊記』
 随筆
 『北窓瑣談』
 ↓↑
 伊勢久居(三重県津市久居)
 西鷹跡町で誕生・・・西(にし)の鷹(かり・ガン)
 ↓↑
 久居
 藤堂藩・・・「藤堂漢字辞典」
  ↓↑
 伊勢
 安濃郡
 安濃津(三重県津市)に置かれた藩
 安濃 津藩(あのつはん)
 外様大名
 藤堂氏(とうどうし・とうだうし)
 近江国
 犬上郡
 藤堂村(滋賀県犬上郡甲良町在士)発祥
 戦国時代
 「藤堂高虎」
 が出て発展
 ↓↑
 藤堂氏
 出自についての諸説
 中原朝臣説(「歴名土代」)
 ↓↑
 宇多源氏・・・宇多源氏=宇多天皇臣下子孫
        宇多天皇
       「阿衡事件」
       「政事要略・巻第三十・阿衡事」
        ↓↑
       『宇多天皇御記(日記抄出)』
        887年(仁和三年)十一月二十一日詔書
        ~
        888年(仁和四年)十一月
        菅原道真
       『奉昭宣公書
        菅丞相讃州刺史時』
        までの関係文書収録
        ↓↑
        887年(仁和三年)十一月十七日
        臣籍降下の
        源 定省
       (みなもとのさだみ)が
       「藤原基経」の推薦により
        皇太子に
        次いで
       「宇多天皇(21歳)」
        と即位し
        左大弁
       「橘広相(たちばな の ひろみ)」
        に命じて
       「藤原基経」に
        関白に任じる詔勅を書かせ与えた
        先例により
       「藤原基経」は26日に一旦辞退し
        天皇は
       「橘広相」に命じて
        二度目の詔勅を出したが
        その詔勅に
       「宜しく
        阿衡の任を以て
        卿の任とせよ」
        との一文があった
       「阿衡」は
        中国の殷代の賢臣
       「伊尹」
        が任じられた官で
        この故事を
       「橘広相」は引用
        これを
        文章博士
       「藤原佐世」が
       「阿衡は位貴くも、職掌なし
       (地位は高いが職務を持たない)」
        と
       「藤原基経」に告げ
        基経は一切の政務を放棄
        国政渋滞
       「池田晃淵」によれば
       「藤原基経」は
       「厩馬を放散して
        京中を驚かす如き
        亂暴の擧動もなせしなるべし」
        と評した・・・
        心痛した天皇は
       「藤原基経」に丁重に了解を求めるが
        確執は解けなかった・・・


       「藤原佐世」が
       「橘広相」の出世を妬んだための讒言・・・


        888年
        四月
        天皇は
        左大臣
       「源融」
        に命じて博士らに
       「阿衡」に職掌がないか研究させた
       「藤原基経」の威を恐れた博士らの見解は
       「藤原佐世」と同じであった
       「橘広相」はこれに反駁するが
        六月二日
        天皇は先の詔勅を取り消し
       「橘広相」を罷免・・・したが
       「藤原基経」は執拗に
       「橘広相」を
        遠流(島流し・追放刑)に処すよう求め
       「橘広相」
        の無実を知る天皇は窮するが
        十一月
        讃岐守
       「菅原道真」が
        これ以上紛争を続けるのは
        藤原氏のためにならない旨の書を
        基経に送り
        基経が怒りを収め、事件は終息
 ↓↑
 佐々木氏族説(「輿地志略」)
 ↓↑
 平朝臣説(「中興系図」)
 藤原朝臣説(『寛政譜』)
 ↓↑
 藤堂虎高
 武田信虎に仕えて偏諱を受けた
 のち
 浅井亮政に仕えた
 (『寛政重修諸家譜』
   太田亮『姓氏家系大辞典』)・・・太田亮?
 ↓↑
 虎高の子
 高虎は
 浅井氏・阿閉氏・磯野氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏
 と主を次々と乗り換え
 最後は
 伊勢国
 津藩三十万石を得た
 ↓↑
 幕末
 「鳥羽・伏見の戦い」
 当主
 藤堂高猷
 は真っ先に
 幕府方から
 官軍に寝返って
 幕府方に砲撃を加え
 「津藩は藩祖の教えがよく受け継がれている」
 と称された・・・
 ↓↑
 維新後
 本家は伯爵
 大名の分家は子爵に列した
 ↓↑
 藤堂氏は
 高虎の子孫たる津藩藩主家と支藩のほか
 高虎の兄弟と
 高虎養子・高吉の子孫が連枝
 藩主夫人の実家も藤堂姓
 血縁関係に関係なく
 高虎の草創期からの
 功臣にも藤堂姓が与えられていた
 ・・・甲賀忍者武芸帳・・・
 ・・・中野学校、諜報員・・・???
ーー↓↑ーーーー↓↑ーーーー↓↑ーー
 藤堂 明保(とうどう あきやす)
 1915年9月20日
 ~
 1985年2月26日
       大運1979年6月(63歳)戊寅偏財
 乙┏卯(甲 乙)劫財・劫財帝旺⇔乙丑劫財
 乙┗酉(庚 辛)劫財・正官 胎⇔戊寅偏財
 甲 寅(己丙甲)  ・食神建禄⇔丙申食神
 庚 午(丙 丁)偏官・正財 死⇔甲午比肩
   子丑空亡
 ↓↑
 中国語学者・中国文学者
 三重県
 阿拝郡(上野市・伊賀市)生まれ
 家系 津藩
    伊賀
    上野城代の藤堂家
 大連で育つ
 1938年
 東京帝国大学
 支那哲学科卒業後
 外務省研修員として
 北京留学
 1941年
 現地で除隊
 通訳として軍務に従事
 敗戦を南京で迎え
 翌日
 軍命でハノイへ飛び
 1947年
 中国経由で復員
 第一高等学校教授
 1950年
 東京大学文学部専任講師
 1954年
 同助教授
 1963年
 同教授
 東大紛争で
 全共闘支持
 1970年
 強行排除に抗議して辞職
 その直後から
 『11PM』に出演
 「女へんの漢字」を解説
 1971年
 NHKテレビ
 『中国語講座』講師を担当
 1972年
 早稲田大学政治経済学部客員教授
 1976年
 日中学院長
 専門は音韻学
 1962年
 「上古漢語の単語家族の研究」で
 東京大学から文学博士号を授与
 漢字の意味(語源)の遡及において
 字形の異同から
 共通する意義素を抽出しようとする
 伝統的な文字学の手法ではなく
 字音の異同を重視し
 字形が異なっていても
 字音が同じであれば
 何らかの意義の共通性があると考える
 「単語家族説」を提唱
 1970年
 白川静の
 『漢字』を全否定
 白川の反論を受けた
 「単語家族説」の発想に基づいて
 発音と意味の一部を同じくする漢字を
 統合することにより
 字数を削減できると主張
 独自の観点で
 『学研漢和大字典』を編纂
 新しい漢和字典の嚆矢となった・・・
 by https://ja.wikipedia.org/wiki/藤堂 明保
ーー↓↑ーーーー↓↑ーーーー↓↑ーー
 橘 南 谿
 ↓↑
 久居
 藤堂藩・・・
 250石の
 宮川氏の五男
 宮川春暉(はるあきら)
 字 恵風
 通称 東市
 『橘』は妻の姓
 号 南谿・梅華仙史
 14歳のとき、父死亡
 ↓↑
 明和八年(1771年)
 19歳
 医学を志して京都に上り
 母と住んだ
 大阪、伏見に転居し
 28歳のころ
 京都に戻った
 ↓↑
 天明元年(1781年)夏
 29歳
 医書『痘瘡水鏡録』を出版
 母死亡
 後数年、旅
 天明二年春~翌年夏
 西国・鹿児島
 天明四年秋
 信濃
 天明五年秋~翌年夏
 北陸・奥羽・富山
 「臨床医としての見聞」
 各地で治療
 ↓↑
 天明三年(1783年)六月
 31歳
 小石元俊に指導され
 伏見で刑死人の解剖を執刀
 その所見が
 絵師
 吉村蘭洲による
 『平次郎臓図』として残る
 ↓↑
 天明六年(1786年)十二月
 内膳司(天皇の食事を調達する役所)史生
 天明七年(1787年)二月
 正七位下
 三月
 石見介に任じられ
 十一月
 光格天皇の大嘗祭に連なった
 ↓↑
 天明八年一月
 類焼の難に遭って伏見に仮寓
 寛政二年秋
 京都に新居
 消化器と喘息を病む
 寛政六年九月(1794年)
 従六位下
 ↓↑
 寛政七年(1795年)三月
 『西遊記』
 八月
 『東遊記』
 を版行
 嘗ての旅の記録の筆写本が回覧され
 それの上梓を
 書肆が望んだ
 『西遊記』には
 伴蒿蹊
 『東遊記』には
 松本愚山が序を寄せた
 ↓↑
 寛政八年(1796年)四月
 44歳
 石見介の職を辞し
 翌月剃髪し
 『梅仙』の法名を称した
 ↓↑
 寛政九年一月
 『東遊記後篇』刊行
 冬の南紀を巡った
 翌年六月
 『西遊記続篇』刊行
 ↓↑
 文化二年(1805年)四月十日
 転居先の
 京都東山安井(京都市東山区)で
 死没53歳
 『南谿院殿陽岳義明』
 墓碑は
 京都市左京区黒谷町
 金戒光明寺の墓域
 ↓↑
 著書
 天明元年(1781年)『痘瘡水鏡録』
 天明三年(1783年)『薩州孝子伝』
 寛政三年(1791年)『傷寒論邇言』
          『傷寒論分注』
 寛政七年(1795年)『西遊記』
          『東遊記』
          『国語律呂解』
          (和音階の解説)
 寛政八年(1796年)『傷寒外伝』
 寛政九年(1797年)『東遊記後編』
          『神丹秘訣』
 寛政十年(1798年)『西遊記続編』
 文政二年(1819年)『雑病紀聞』
 文政十二年(1829年)『北窓瑣談』(随筆・遺著)
 ↓↑
 医者・国学者
 本姓は宮川氏
 名は春暉
 号は梅華仙史
 医学を
 香川修庵
 賀川玄悦
 畑柳安
 に学ぶ
 天明三 (1783) 年
 彼の主宰で行なった
 解剖の記録「平次郎臓図」 (吉村蘭洲筆) は
 解剖絵巻として初期のものに属し
 江戸時代の解剖図の描き方の原型となった
 医学書のほか
 地誌も著わした
 主著
 『傷寒論分註』
 『東遊記』 (95~97)
 『西遊記』 (95~98)
 『北窓瑣談』 (1825~29)
 ↓↑
 江戸時代中期-後期の医師。
 天明三年
 小石元俊らと人体解剖
 医学修業のため諸国を歴遊
 後
 朝廷の医官
 著作に
 「傷寒外伝」
ーーーーー
 ???・・・「傷寒論」・・・
 傷ついて全身悪寒、寒気が走る・・・
 伝染病で全身悪寒、寒気が走る・・・
 伝染病で全身高熱、寒気が走る・・・平清盛の熱病病身?
          マラリア罹患の南方戦線帰還兵?
          マラリア原虫を持っている
          メスの ハマダラカ(羽斑蚊)が産卵のため
          人の体を刺して吸血する際、マラリア原虫
          マラリア(麻剌利亜=悪い空気
               古イタリア語: mala aria
                  ドイツ語: Malaria
                   英語: malaria)
          瘧(おこり)=日本語
         「和良波夜美(わらわやみ)・衣夜美(えやみ)」
          熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫感染 症
          高熱や頭痛、吐き気などの症状を呈する
          悪性の場合は脳マラリアによる 意識障害、腎不全
 後漢末期~三国時代
 「張仲景」
 が編纂した伝統中国医学の古典
  伝染性の病気に対する治療法が中心
 「唐代に医師の国家試験テキスト」
 「現代中国語ではチフスのことを傷寒という
  傷寒とはさまざまな説があるが
  現在医学でいう
  チフス、インフルエンザ、マラリア
  に似た疾患ともいわれる」・・・
 「温熱を含めた一切の外感熱病」
 「風寒の邪を感じて生体が傷つく」
 意味の扱いの違いは
 林億(りんおく)
 孫奇(そんき)
 らの校正・復刻による
 宋改の結果起こった
 傷寒論の解釈の違い
 薬物療法を診断学と結びつけ
 煎じ薬を主体に
 薬物療法を組み立てたこと
 by https://ja.wikipedia.org/wiki/傷寒論
ーーーーー
 ・・・???・・・煎じ薬・・・
 「傷寒論」・・・「薬剤論」・・・薬剤調合・・・漢方医薬・・・
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歴史のカンヅメ・時軸・解き字句・ミカンの「蜜柑・蜜橘・樒柑・柑橘・柑桔・温州蜜柑」

2020-09-06 21:09:03 | 古事記字源
 蜜柑・柑橘・・・橘・・・た・ち・ば・な・・・
 2019年~2020年~
 ・・・似ているのは奈良時代の「橘      宿禰  諸兄」の時代
               (たちばな の すくね もろえ)
 ↓↑              立場 奈 之 鋤く根 諸 重?
    蜜柑・柑橘・・・橘・・・た・ち・ば・な・・・
                多 知 葉 名?
                多 千 葉 納?
 ミカンの缶詰・・・歴史のカンヅメ・・・時軸・解き字句・・・
 漢字で「蜜柑・蜜橘・樒柑」・「柑橘・柑桔」
 中国名で早生温州蜜柑(わせうんしゅうみかん)
 原産地 日本・・・田道間守は何處へ行ってキタンだか・・・?
 明治以後の名称・・・
 それ以前は「紀州蜜柑」・・・「紀伊国屋文左衛門」のミカンだった!

 肥後国八代(現熊本県八代市)に
 浙江省から小ミカンが伝り
 高田(こうだ)みかん
 として栽培され
 肥後国司より朝廷にも献上されていた
 15~16世紀ごろ
 紀州有田(和歌山県有田郡)
 に移植され発展
 柑橘=みかん・・・オレンジ色・・・橙色・・・「橙=木+登」・・・
ー↓↑ーーー
 区別=distinction
    ディィス-ティィン(グ)ク-シャン
    ディスティンクション
 差異・相違
 特徴
 特質
    動詞
    distinguish
    ディィスティィン(グ)グゥィシュ
    ディ ステ ィン   グイッシュ
    よく似た物事の間にある違い
    差異・相違
    区別する・違いが分かる
    …を見分ける・識別[弁別]する
    …を…と区別する
 There is a subtle distinction between
  the smell of an orange
  and a tangerine(lemon).
 オレンジとタンジェリン(レモン)の
 匂いには
 かすかな違いがある
    distinct=違う=different
    形容詞
    distinguished
    名高い・抜群に優れた・際立った
 ↓↑
 distinguishable
 区別できる・識別できる
 indistinguishable
 区別ができない・見分けがつかない
 ↓↑
 差別=dis-crimi-nation
    ディィス-クリィマァ-ネェィシャン
差別・冷遇・識別
 分別
 区別
   =ラテン語「分離する」
    discrimination
    discriminating
    discriminatory
    動詞
    dis-crimi-nate
    dɪs-krimə-neɪt
    ディィス-クリィマァ-ネェイトゥ
    ディス  クリミ ネイトゥ
    デス   クリミ ネイトゥ
    ディス  クリ マ ネイト
 ↓↑
 ハマグリ(蛤・文蛤・蚌・浜栗)
     「蛤御門の変=会津藩+薩摩藩VS長州藩の衝突」
      禁門の変=元治の変
      元治元年七月十九日(1864年8月20日)
      京都で起きた武力衝突
 マルスダレガイ上科
 マルスダレガイ科
 分類される
 二枚貝
 蛤
 clam
 クラム
 clam
 ↓↑
 shout
 s cream
 ex claim
 「悲鳴を上げて叫ぶ」
 scream=スクリィーム
 exclaim=イクス-クレェィム
 ・・・ボクには
   「cream(クレェィム)」
   「claim(クリィーム)」
 が 「クレム」としか聴き取れない・・・
 城達也
 「ジェット ストリーム 夜間飛行」
  Jet    St  ream=ジェット気流
  ジェット スト リーム(ストゥリーム)
 は聴き取れた・・・
 ↓↑
 creamy=クリーミィ
 クリーム状の
 クリームのような
 クリーム色の
 クリーミィ
 ↓↑
 クリームパン  =cream bun
 クリームドーナッ=cream doughnut
 ↓↑
 ・・・crime bun?
 ・・・crime doughnut?
 ↓↑
 クライム・・・climax=クライマックス=絶頂・最高潮
        緊張や興奮が最も高まった状態
 ↓↑
 climb(クライム)
 「~が登る」
 「抜け出る・はい出す」
 「(植物が)伸びる・上る」
 「増大する・上昇する」「出世する・昇進する」
 ↓↑
 「~に登る」
 「~に、手足を使って(よじ)登る」
 ↓↑
 「登ること」
 「上昇すること」
  climbing
 ↓↑
 crime(クライム)
 「犯罪・罪」
 「愚かな行い」
 「反道徳行為」
ー↓↑ーーー

 「日本書紀
  第十一代・・・壱拾壱・足位置・・・
  垂仁天皇」
 が
 「田道間守(たじまもり)」
    ・・・田道間守(デン ドウ カンシュ)
            伝  導  看 取?
            田  頭  管 守?
            田斎の王、or 王族?
 を
 常世(とこよ)の国に遣わして
 「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」
 (時を選ばずに香る果実)
 を探させた
 十年後
 橘の実を手に入れて帰ってみると
 天皇は1年前に既に亡くなっており
 彼は嘆き悲しんで死んでしまった
 ↓↑
 欽明天皇・・・欽=金+欠(あくび・欠=勹+人)
        明=日+月(つき・肉=ジク)
 第二十九代天皇
 在位
 539年12月5日?
 宣化天皇・・・表明、宣言、宣告をカエる?
 四年十二月五日   宣=宀+亘
             宀+一+旦
             宀+一+日+一
             セン
             のたまう
             のべる
             考えを広く知らせる
             行き渡らせる
             のたまう
             みことのり・天子の言葉
             あまねし・広く行き渡る・明らか
 ~
 571年4月15日?
 欽明天皇
 三十二年四月十五日
      百済より仏教が公伝(552 or 538)
      任那滅亡(562)
 先代   宣化天皇
 次代   敏達天皇・・・敏=毎+攵・・・敏捷・敏感
   每+攵
   𠂉+毋+攵
   𠂉+母+攵
   𠂉+毋+𠂉+乂
   𠂉+母+𠂉+乂
             攵=攴=ホク・ボク
                 うつ・たたく
                 軽くたたく
 誕生   509年?
 崩御   571年5月24日?
 陵所   檜隈坂合陵?
 漢風諡号 欽明天皇・・・欽=金+欠
 和風諡号 天国排開広庭天皇
     (あめくに おしひらき=排開
              ・・・排除・排気・排管
          ひろにわ
          の すめらみこと)
          開広庭⇔広開土王=好太王を排除?
 諱    シキ?
      ・・・史記=シキ
           =敷=屍鬼=子規
           =巳記=邪己=ヨコシマの岐
           =詩記(万葉集・和歌
               漢詩=カンシ=鉗子
                  柑 子=柑橘)
           =志紀
 別称   志帰嶋天皇    嶋に帰ることを志ざす
      斯帰斯麻天皇   帰還する志眞?
     (しきしまのすめらみこと)
      かかる、カエル、かく、アサ
      懸かる 変える 書く 朝(朝廷・朝鮮・朝夕)
 ↓↑    ↓↑
      斯=其+斤
        卄+=+一+八+斤
        一+丨+=+丨+ 一+八+斤
        シ
        かかる
        かく
        この
        これ
        きる・切りさく・切り離す
       「この・これ・ここ」と読み
        近くの物事を指し示す意
       「かく」と読み
       「このように」の意
       「すなわち」と読み
       「~であれば~となる」
       「~したら~する」
 父親   継体天皇・・・継=糸+乚(乙)+米
 母親   手白香皇女
 皇后   石姫皇女

 子女   敏達天皇
      用明天皇
      推古天皇
      穴穂部皇子
      崇峻天皇
 ・・・天皇になった子が四人も・・・?
 皇居   難波祝宮
      磯城島 金刺宮・・・金を刺す宮?
 ↓↑
 敏達天皇
 第三十代天皇・・・三重・丗・卅・参(參)拾
 在位
 572年4月30日?
 敏達天皇元年四月三日
 ~
 585年9月14日?
 敏達天皇十四年八月十五日
 先代   欽明天皇
 次代   用明天皇・・・用(もちいる)明(アキらか)
 誕生   538年?・・・・仏教伝来説の一、他は552年
 崩御   585年9月14日?
 陵所   河内磯長中尾陵
 漢風諡号 敏達天皇
 和風諡号 渟中倉  太 珠 敷  天皇
     (ぬなくらのふとたましきのみこと)
      沼名倉  太 珠 敷  命      
 諱    他田、訳語田・・・訳語、田(た・かる・デン)
 別称   渟中倉太珠敷尊
      他 田 天皇
      訳語田 天皇・・・譯語拿?
     (おさだのおおきみ)
      訳語田渟中倉太珠敷天皇
 父親   欽明天皇
 母親   石姫皇女・・・石=岩=磐=巖

 皇后   広姫
      額田部皇女(推古天皇)

 夫人   老女子(おみなご)
      采女 菟名子(うなこ)

 子女   押坂彦人大兄皇子
      竹田皇子
      糠手姫皇女

 皇居   百済 大井宮
      訳語田幸玉宮
ー↓↑ーーー

  橘       宿禰  諸兄
 (たちばな の すくね もろえ)
 684(天武十三)~757(天平勝宝九)
 「美努王(みののおおきみ)」の子
 「栗隈王」の孫
 敏達天皇
 から
 五世(または六世)の裔
 初め
 「葛城王」と称す・・・葛城皇子=中大兄皇子
 母
 県 犬養 三千代
 橘 宿禰 三千代
 「光明皇后(安宿姫)=聖武天皇皇后」
 は異父妹
 ↓↑
 生誕 天武天皇13年(684年)
 死没 天平勝宝9年1月6日(757年1月30日)
 改名 葛城王→橘諸兄
 別名 井手左大臣・西院大臣
 墓所 京都府
     綴喜郡・・・綴(つづり)を喜(よろこぶ)
     井手町
     南開
 官位 正一位・左大臣
 主君 元明天皇→元正天皇→聖武天皇→称徳天皇
 氏族 橘朝臣
 父   美努王
 母   橘三千代
 兄弟 諸兄
     佐為
     牟漏女王
 妻   藤原多比能(藤原不比等の娘)
 子   奈良麻呂
     照夜の前 藤原豊成の後妻
         中将姫の継母
         橘諸房の息女とするものも・・・
 和銅三年(710年)
 従五位下
 和銅四年(711年)
 馬寮監
 霊亀三年(717年)
 従五位上
 養老五年(721年)
 正五位下
 養老七年(723年)
 正五位上
 神亀元年(724年)
 聖武天皇の即位
 従四位下
 神亀六年(729年)
 長屋王の変
 三月
 正四位下
 九月
 左大弁
 天平三年(731年)
 藤原宇合・麻呂兄弟
 多治比県守
 らとともに
 参議・公卿
 天平四年(732年)
 従三位
 天平八年(736年)
 弟の
 「佐為王」
 と共に母
 「橘三千代」の氏姓である
 「橘宿禰」姓を継ぐことを願い許可
 「橘諸兄」と名乗る

 天平九年(737年)四月~八月
 天然痘流行
 太政官の首班
 右大臣・藤原武智麻呂
     藤原四兄弟
     (武智麻呂・房前・宇合・麻呂)
 中納言・多治比県守
 ら議政官が次々に死去
 九月
 出仕の公卿は
 参議の
 「鈴鹿王」
 「橘諸兄」
 のみ
 「鈴鹿王」を知太政官事
 「諸兄」を大納言に任命
 天平十年(738年)
 「諸兄」は
 正三位・右大臣
 太政官の中心的存在
 国政担当
 渡唐経験者
 下道真備(吉備真備)
 玄昉
 を抜擢、聖武天皇を補佐させ
 天平十一年(739年)正月
 「諸兄」は従二位
 母の
 「県犬養三千代」の同族
 「県犬養石次」を
 従四位下に昇叙させ
 四月
 「大野東人」
 「巨勢奈弖麻呂」
 「大伴牛養」
 を参議に任じ
 「橘諸兄」政権成立
 ↓↑
 天平十二年(740年)八月
 大宰少弐の
 「藤原広嗣」が
 政権批判
 僧正「玄昉」
 右衛士督「下道真備」
 の追放上表
 九月
 「藤原広嗣」が
 九州で兵を動かして反乱
 十月末
 聖武天皇は
 伊勢国に行幸
 乱平定後、平城京に戻らず
 十二月
 「橘諸兄」
 自らの本拠地(山城国綴喜郡井手)に近い
 恭仁宮に遷都
 ↓↑
 天平十五年(743年)
 従一位・左大臣
 天平感宝元年(749年)四月
 正一位
 正一位の状態で政務にあたったのは
 「藤原仲麻呂・藤原永手」
 「諸兄」
 三人のみ・・・
 ↓↑
 八月
 孝謙天皇即位
 国母・光明皇后の威光を背景に
 大納言
 兼紫微令
 「藤原仲麻呂」が台頭
 天平十七年(745年)
 諸兄の子息
 「橘奈良麻呂」が
 「長屋王」の遺児
 「黄文王」を擁立して謀反の企図を始める
 五月十一日
 多治比国人邸
 五月十八日
 橘奈良麻呂邸
 十一月二十八日
 橘奈良麻呂邸
 十一月
 聖武上皇が病気で伏し
 酒の席で
 上皇について不敬の発言
 謀反の気配がある旨
 側近の
 「佐味宮守」から讒言
 聖武上皇が取り合わなかったが
 「諸兄」は
 翌 天平勝宝八歳(756年)二月
 辞職を申し出て致仕
 天平勝宝九歳(757年)一月六日
 薨去・享年7
 最終官位
 前左大臣正一位
 七月
 「橘 奈良麻呂の乱」を起こし
 「奈良麻呂」獄死している
 ↓↑
 母は橘三千代
 光明皇后(安宿)の同母兄
 橘 奈良麻呂の父
 葛城(葛木・唐木・桂木)王
 736年(天平八)十一月
 臣籍に下り
 母の氏姓を許されて
 「橘宿禰諸兄」と称する
 750年(天平勝宝二)一月
 朝臣姓を賜る
 731年8月
 藤原宇合
 藤原麻呂
 らとともに
 「諸司の挙」・・・諸司=諸兄(ショケイ)?
 によって
 参議となった
 737年
 天然痘の流行で
 廟堂が壊滅状態
 九月
 生き残った参議
 「鈴鹿王」は
 知太政官事(ちだいじようかんじ)
 「橘 諸兄」は
 大納言になった
 ↓↑
 聖武天皇天平八年
 諸兄は
 「和銅元年十一月二十一日
  大嘗祭が行われ
  二十五日に御宴が開かれた
  ・・・橘宿祢の姓を賜はらんことを請ひ
  即ち詔を以て
  姓 橘宿裲
  を賜つた」
 ↓↑
 冬十一月
 左大弁
 葛城王等に
 橘の氏をたまへる時の御製歌一首
 ↓↑
 橘は実さへ花さへその葉さへ
 枝えに霜降れど
 いや常葉(とこは)の木(万6-1009)
 ↓↑
 初代橘氏長者
 「仙覚」は『万葉集』を
 橘諸兄
 大伴家持
 の2人共撰説を唱えた
 『万葉集』に「七首の歌」・・・八首?
 ↓↑
 あぢさゐの八重咲くごとく八つ世にを
 ゐませわが背子見つつ偲[しの]はむ
            『万葉集』4448 橘諸兄
 ↓↑
 葎(むぐら)延(は)ふ 賤(いや)しきやども
 大君の座(ま)さむと知らば  玉敷かましを
              巻19-4270 橘諸兄
 ↓↑
 降る雪の白髪(しろかみ)までに
 大君に仕へまつれば貴くもあるか
 ↓↑
 「玉井頓宮」
 聖武天皇が
 平城宮から恭仁京へ遷都
 740年(天平十二年)十一月八日
 肆宴(シエン)され
 その際に
 橘諸兄が詠んだ万葉歌
 ↓↑
 葎(むぐら)はふ 賤(いや)しきやども
 大君の
 坐さむと知らば 玉敷かましを
              巻19-4270
ー↓↑ーーー
 橘 奈良麻呂(たちばな の ならまろ)
 奈良時代
 左大臣
 「橘諸兄」の子
 官位 正四位下・参議
    贈正一位・太政大臣
 二代目 橘氏長者
 ↓↑
 聖武天皇
 天平十五年(743年)
 従一位左大臣
 天平十二年(740年)五月
 聖武天皇
 諸兄の相楽にある別邸に行幸
 奈良麻呂は
 无位から従五位下に直叙
 十一月
 従五位上
 天平十三年(741年)
 大学頭
 摂津大夫・民部大輔
 天平十五年(743年)
 正五位上
 天平十九年(747年)
 従四位下
 天平二十一年(749年)
 従四位上
 聖武天皇の皇女
 藤原氏の血を引く
 「阿倍内親王」が皇太子
 「奈良麻呂」は
 聖武天皇の唯一の皇子
 「安積親王」の擁立を目指す
 天平十六年(743年)
 「安積親王」急逝
 天平十七年(744年)九月
 聖武天皇
 難波宮で病気に倒れる
 「阿倍内親王」を
 皇嗣と認めない
 「奈良麻呂」は事変の発生を予想し
 「多治比国人
  多治比犢養
  小野東人
  佐伯全成」
 らを勧誘し
 「黄文王」を
 皇嗣に擁立する動き
 ↓↑
 天平勝宝元年(749年)七月
 聖武天皇譲位し
 「阿倍内親王(孝謙天皇)」が即位
 「奈良麻呂」は
 「大伴兄麻呂
  藤原清河」
 と共に参議・公卿
 「黄文王」擁立に
 「佐伯全成」を誘うが拒絶される
 「光明皇后」
 「孝謙天皇」
 に寵愛された
 「藤原仲麻呂」が台頭し
 「橘諸兄」と対立
 天平勝宝四年(752年)
 但馬因幡按察使
 天平勝宝六年(754年)
 正四位下に叙任
 天平勝宝七歳(755年)十一月
 諸兄が酒席で
 聖武上皇に対して無礼な発言があったとの密告
 天平勝宝八歳(756年)二月
 諸兄は致仕
 天平勝宝九歳(757年)一月
 死没
 天平勝宝八歳(756年)七月
 聖武上皇崩御
 遺言により
 「道祖王」が立太子
 天平勝宝九歳(757年)三月
 孝謙天皇は
 「道祖王」の皇太子を廃止
 五月
 「仲麻呂」が推す
 「大炊王(淳仁天皇)」立太子
 六月
 「奈良麻呂」は
 右大弁
 「奈良麻呂」は
 「藤原仲麻呂」の専横に不満で
 「大伴古麻呂
  小野東人」
 らと
 「藤原仲麻呂」排除を画策
 「山背王」が
 「藤原仲麻呂」に対して
 「奈良麻呂」らが兵器を準備と密告
 七月二日
 「上道斐太都」が
 「小野東人」から
 「奈良麻呂」らの
 謀反への参加を呼びかけられたと密告
 「小野東人」
 らが捕らえられ訊問、拷問で白状
 ↓↑
 「奈良麻呂」らが兵を起こし
 「仲麻呂」を殺し
 皇太子を退け
 駅鈴と玉璽を奪い
 右大臣
 「藤原豊成」
 を奉じて天下に号令し
 「孝謙天皇」を廃し
 「塩焼王・道祖王・安宿王・黄文王」
 の中から天皇を推戴・・・
 翌3日
 「奈良麻呂
  道祖王
  黄文王
  大伴古麻呂
  多治比犢養
  賀茂角足」
 等は一斉逮捕
 「奈良麻呂」は
 中納言
 「藤原永手」
 の訊問に
 「政治が無道だから兵を起こして
  その上で陳情しようとした」
 と答えた
 永手が
 「何ゆえ政治が無道なのか」と問うと
 奈良麻呂は
 「東大寺などを造り人民が辛苦している」
 と答えた
 永手が
 「東大寺はお前の父の時代に造ったものだ
  お前の言うべきことではない」
 と問い詰めると「奈良麻呂」は答えに窮した
 「佐伯全成」の自白
 奈良麻呂が謀反を考え始めたのは
 天平十七年(745年)
 聖武天皇が難波に行幸したときで
 その時に初めて謀反に誘われたと答えた
 訊問後
 「佐伯全成」
 は自害・・・
 ↓↑
 孝謙天皇は
 謀反者を死罪に処すところ
 死一等を減じて流罪と詔
 「藤原仲麻呂」は
 翌日、謀反に関わった
 「道祖王、黄文王、古麻呂、犢養」
 らに対し
 「永手、百済王敬福、船王」
 らの監督のもと
 全身を「訊杖」で拷問
 既に拷問された「東人」も含め
 次々と獄死
 「奈良麻呂」も獄死・・・?
 「奈良麻呂」の孫の
 「嘉智子」が
 嵯峨天皇の
 「皇后(檀林皇后)」
 となった・・・
 「奈良麻呂」の死後に生まれた息子
 「橘清友」の娘
 「嘉智子」が
 嵯峨天皇の妃となって後の
 「仁明天皇」を生み
 承和十四年(847年)
 「橘仲麻呂」
 が失なった
 正一位
 太政大臣の官位を贈られた・・・
 ↓↑
 系譜
 父  橘 諸兄
 母  藤原多比能 藤原不比等の娘

 妻  大原明女 大原麻呂の娘?
 長男 橘安麻呂(739~821)

 妻  大伴古慈斐の娘
 男子 橘島田麻呂(750~?)

 妻  藤原宇合の娘?[3]
 男子 橘入居(?~800)

 妻  粟田人上の娘
 男子 橘清友(758~789)

 生母不明の子女
 男子 橘清野(750~830)
ーーーーー
 ・・・???・・・立場・・・奈(なんぞ)・・・?

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