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コジキジゲン

りんご・リンゴ・林檎・・・林語

2017-07-06 23:32:19 | 古事記字源

 ・・・大雨、大洪水・・・日田・朝倉・・・「第三十五代皇極天皇=第三十七代斉明天皇=寶女王=宝皇女=天豊財-重-日足姫天皇(あめとよたから-いかし-ひ-たらし-ひめのすめらみこと)・・・「いかし=重=かさねる(襲・累・縲・褶)」=「(名乗りの)あつ・あつし・いかし(活し・活用?)・おもし・かさね・かず・かたし・しげ・しげし・しげる・のぶ・ふさ」・・・ナゼ、「りんご(林檎)」を喰うと「罪」になるんだろう・・・「無花果=fig tree」をナゼ、「イチジク」と訓(よ・クン)ますのか?・・・「一軸=イチジク=位置字句」・・・「無花果≒花の果実が無い」?・・・「花はある。無花果(いちじく)は実の中に小さな花をつけ、外からは確認できない・果実を半分に切ると赤いつぶつぶつまっているモノが花」、「花が実の中に隠れて咲く」、「クルアーン(アッ・ティーン・柵、壁により囲まれたもの・95無花果・イチジクは薬で胃に優しく痔病薬・不老長寿の実)」、「カミキリムシの被害が多く、植えておくだけでは枯れる」、「イチジク(無花果・映日果)は、クワ(桑)科イチジク属の落葉高木、またはその果実・原産地はアラビア南部。不老長寿の果物とも呼ばれる」・・・
ーーーーー
 キリスト教徒
 「禁断の果実=イチジク」
 イチジクの樹
 長年、女性の性的特質のシンボル
 イタリア・ルネサンス
 リンゴの代わりにイチジクが描かれた
 ↓↑
 東欧のスラブ語圏
 禁断の果実=ブドウ(葡萄)→無道
 ユダヤ教神秘思想の書籍
 「ゾーハル」で
 「禁断の木の実=ブドウ(無道)」
 「葡萄=ぶどう=武道=無道
     萄・蒲萄
 ↓↑
 スラブ語
 トマト=「rajčica」
     (raj=楽園
      paradajz=楽園)
 トマト=禁断の果実とする地域もある
     トマトは南米産
 ↓↑ 
 ユダヤ教
 禁断の果実=コムギ(小麦)
 ヘブライ語で
 小麦=khitahで
 罪を意味する
 「khet」に通じる・・・
 マルメロ=禁断の果実
 ↓↑ 
 ザクロ
 キャロブ
 シトロン
 ナシ
 ダチュラ
 などが「禁断の果実」・・・?
 の可能性がある果物に挙げられる。
 ↓↑
 「禁断の果実」
 不法・不道徳
 有害な快楽や耽溺を表す
 メタファー
 人間の性に関連する
 快楽に関連付けられてる
 ↓↑
 イチジクはバラモン教ではヴィシュヌ神
 古代ギリシャではディオニュソス
 への供物であり
 ローマ建国神話の
 ロムルスとレムスは
 イチジク(無花果)の木陰で生まれた・・・
 ↓↑
 イチジクの実は内側に
 空洞の
 袋状になってい
 内側に小さな花がたくさん並ぶ
 花弁(はなびら・カベン)がない花
 イチジク=アラビアや小アジアが
      原産
      野生状態で、
      イチジクコバチと呼ばれる
      小さな蜂(ハチ)が
      無花果の尻の穴から入り込み
      卵を産む
      孵化して幼虫になる
      幼虫はそこで成長し
      イチジクコバチは
      花粉を付け外に出て
      他のイチジクに産卵し
      受粉させる
 日本で栽培されているイチジク
 は単為結果性
 ↓↑
 葉は大型の3裂または5裂する掌状で互生
 日本では、浅く3裂するものが
 江戸時代に日本に移入された品種
 深く5裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは
 明治以降に渡来した
 葉の裏には荒い毛が密生
 葉や茎を切ると
 白乳汁が出る
 ↓↑
 新枝が伸びだすと
 葉腋に花を入れた袋である花嚢がつく
 下のものから順に花嚢は果嚢となって肥大化
 花嚢は倒卵状球形で
 厚い肉質の壁に囲まれ
 初夏に、
 花嚢の内面に無数の花(小果)をつける
 (隠頭花序(イントウカジョ)
 雌雄異花
 イチジク属には
 雌雄同株で同一の花嚢に両方花をつける種
 雌雄異株で
 雄株には同一の花嚢に雌雄両方の花
 雌株には雌花のみを形成する種がある
 自然では花嚢内部には
 イチジクコバチ(Blastophaga spp)の蜂が共生し
 雌雄異株の種では雄株の花嚢に形成される
 果実は秋に熟すと
 濃い紫色になる
 甘みのある食用とする部分は
 果肉ではなく
 小果
 と
 花托(カタク)
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 数字の読み
 と
 語頭が一致する名前の食材や植物の歌
 無花果(いちじく)
 人参(にんじん)
 山椒(さんしょ)に
 椎茸(しいたけ)
 牛蒡(ごぼう)に
 無患子( むくろじゅ)
 七草(ななくさ)
 初茸(はつたけ)
 胡瓜(きゅうり)に
 冬瓜(とうがん)
 ↓↑
 四以下の別なモノ
 ↓↑
 紫蘇(しそ)
 牛蒡に
 零余子(むかご)
 七草
 薑(はじかみ)・白菜(はくさい)
 九念母に
 蕃椒(とうがらし)・唐辛子
 ↓↑
 熟した果実、葉を乾燥したものは
 無花果(ムカカ)
 無花果葉(ムカカヨウ)
 生薬として用いられる
 胃に優しく痔病に効く
 ↓↑
 ローマ建国神話
 ロムルス
 と
 レムス
 は
 イチジクの木陰で生まれた・・・
 ↓↑
 「映日果(イチジク・インリークオ)」
 13世紀頃に
 イラン(ペルシア)~インド地方~中国に伝わったとき
 中世ペルシア語
 「アンジール(anjīr)」
 を中国語で音写した
 「映日」に「果」を補足したもの
 日本語名「イチジク」
 17世紀初めに日本に渡来し
 「映日果」を
 唐音読みで
 「エイジツカ」とし、転訛した
 ↓↑
 当時の日本で
 「蓬莱柿(ほうらいし)」
 「南蛮柿(なんばんがき)」
 「唐柿(とうがき)」
 などと呼ばれた
 ↓↑
 無花果(いちじく・ムカカ)   ???
 ラテン 語  Ficus(ficus)・・・フィカス→附意掛素
 イタリア語  fico ・・・・・・・フィコ →附意乎
 フランス語  figue・・・・・・・フィグェ→附意具得
 スペイン語  higo ・・・・・・・ヒゴ  →日語・比語・肥後
 英   語  fig・・・・・・・・フィグ →鞴・附意語
 ドイツ 語  Feige・・・・・・・フェィゲ→附重意解
 ↓↑
 無花果(いちじく・ムカカ)の 
 中国の古語で
 「阿駔(アソ)」
 「阿驛(アエキ・アヤク)」
 などと音写
 「底珍樹(テイチンギ)」
 「天仙果(テンセンカ)」
 などの別名が
 「酉陽雑俎(ユウヨウザッソ)」に記録・・・
 ↓↑
 中国唐代に荒唐無稽な
 怪異記事を集録した書物
ーー↓↑ーー↓↑ーー
 「リンゴ(林檎)」
 バラ(薔薇)科の落葉高木
 の果実
 ↓↑
 「malus=邪悪な」を意味する形容詞
 「リンゴ=malus」は名詞
 創世記
 2章17
 ↓↑
 「人間の咽喉にある
  男性の喉頭隆起(のど仏)を
  アダムのリンゴ
 と呼ぶ
 ↓↑
 「林檎・苹果」
 の表記は
 西洋リンゴ普及以前の
 和リンゴなどの総称
 「りんき・りゅうごう」
 日本へは江戸末期に渡来
 ↓↑
 英 アップル   apple
 英 アプル    apple
 独 アップフェル Apfel
 仏 ラポーム  la pomme
 仏 ポム     pomme
 仏 ポミエ    pommier
         (リンゴの木)
 伊 メーラ    mela
 西 マンサーナ  manzana
 西 マンサナ   manzana
 羅 マールム   malum
 希 メーロン   μηλον
 露 ヤーブラカ  яблоко
 ↓↑
 マレーシア語  エパル  epal
 オランダ語   アップル APPEL
 タミル語    アープル
 ルーマニア語  マル   măr
 リトアニア語  オーブオリース
              obuolys
 アイスランド語 エプリ  epli
 リトアニア語  オーブオリース
              obuolys
 ペルシア語   スィーブ سیب
 ヒンディー語  セーブ  सेब
 デンマーク語  エペル  æble
 ノルウェー語  エプレ  aple
 スウェーデン語 エプレ  aple
 フィンランド語 オメナ  omena
 チェコ語    ヤブルコ jablko
 ヘブライ語   タプアフ תפוח
 スロヴァキア語 ヤブルコ jablko
 ポーランド語  ヤブウコ jabłko
 エスペラント語 ポーモ  pomo
 ネパール語   シャウ  स्याउ 
 ブルガリア語  ヤーブルカー
            ябълка
 ハンガリー語 アルマ   alma
 ↓↑
 日本語 林檎
        りんご・りゅうごう
 西洋林檎   せいようりんご
 苹果     ヒョウカ・ヘイカ、りんご
 唐梨     からなし
 英語     apple
        アプル・アップル・アポル
        pome ポウム
 フランス語  pomme  ポム
        pommier ポミエ(リンゴの木)
 ドイツ語   Apfel アプフェル・アップフェル
        Apfelbaum アプフェルバオム(リンゴの木)
 イタリア語  mela メーラ
        melo メーロ
 スペイン語  manzana
        マンサナ・マンサーナ
 ポルトガル語 maçã マッサ
 オランダ語 appel アッポル
 ラテン語 malum マールム
        malus マールス
 ↓↑
 Malus pumila
 マールス・プミラ
 マルス・ピュミラ(学名)
 古代ギリシャ語
 μηλον
 melon
 メーロン
 現代ギリシャ語
 μήλο
 ミロ
 μηλιά
 ミリャ(リンゴの木)
 ロシア語
 яблоко
 ヤーブラカ
 яблоня
 ヤーブロニャ(リンゴの木)
ーーーーー
 禁断の果実
 (Forbidden fruit)
 メタファー
 (μεταφορά・metaphorá
  羅語metaphorá
  独語Metapher
  英語metaphor
  は、隠喩、暗喩)
 ↓↑
 旧約聖書の
 創世記
 禁断の果実=善悪の知識の木
       知恵の樹の果実
       イヴは
       禁じられている果実を
       ヘビ(蛇)に
       唆(そそのか)されて
       食べ、
       アダムにも分け与えた
 果実を口にした結果
 アダムとイブの
 無垢は失われ、
 裸を恥ずかしいと
 感じるようになり
 局部を
 イチジクの葉で隠した・・・位置字句・一字句・壱時句=丑
              亥知字句・李知事句・一軸
 この時、
 「人間の行動(先行き)」の
 「前知・全治」出来なかった
 神は
 「全能の存在」ではなく、
 予期せぬ
 人間の反抗に神は怒り
 アダムとイブを楽園から追放し
 個々の生物と同じ
 生きていくプロセスで
 個体維持の為にエネルギー源を
 採取、狩猟し、新陳代謝をし
 排出し
 命の限界あるモノ
 死すべきモノとした・・・?
 ↓↑
 「禁断の果実」=「リンゴの実」?
 ラテン語で
 「善悪の知識の木」の
 「悪の」の部分にあたる
 「malus」を、
 同じつづりの
 「リンゴ」の意味と取り違えたか
 二重の意味が
 故意に含まれているとする
 「malus=邪悪な」=「リンゴ=malus」
 創世記2章17
 「善と悪の知識の木」
 ヴルガータ
 (標準ラテン語訳聖書)で
 「de ligno autem
       scientiae boni et mali」・・・?
 で
 「mali(マリ)=malus(マルス)の属格」?
 ↓↑
 キリスト教徒
 「禁断の果実=イチジク」
 イチジクの樹
 長年、
 女性の性的特質のシンボルとされ
 イタリア・ルネサンスでは
 リンゴ(林檎)の代わりに
 イチジク(無花果)が描かれた・・・
 ↓↑
 東欧のスラブ語圏
 禁断の果実=ブドウ(葡萄)→無道
 ユダヤ教神秘思想の書籍
 「ゾーハル」で
 「禁断の木の実=ブドウ(無道)」
 「葡萄=ぶどう=武道=無道」・・・ワインが無道の元?
     萄・蒲萄         大虎の酔っ払い
 ↓↑
 スラブ語
 トマト=「rajčica」
     (raj=楽園
      paradajz=楽園)
 トマト=禁断の果実とする地域もある
     トマトは南米産
 ↓↑ 
 ユダヤ教
 禁断の果実=コムギ(小麦)・・・?黴→狂わせる?
 ヘブライ語で
 小麦=khitahで
 罪を意味する
 「khet」に通じる・・・?
 マルメロ=禁断の果実
 ↓↑ 
 ザクロ
 キャロブ
 シトロン
 ナシ
 ダチュラ
 などが「禁断の果実」・・・?
 の可能性がある果物に挙げられる・・・
 ↓↑
 「禁断の果実」
 不法・不道徳
 有害な快楽や耽溺を表す
 メタファー
 人間の性に関連する
 快楽に関連付けられてる
ーーーーー
 ・・・???・・・どうも、「林檎=リンゴ=林語」らしい?・・・「林の語」とは「陽明学=中国、明の王陽明が唱えた儒学説・形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた。心即理・知行合一・致良知の説が主要な思想」・・・
 日本では
  林述斎
 明和五年六月二十三日
 (1768年8月5日)
   ~
 天保十二年七月十四日
 (1841年8月30日)
 儒学者
 林家八代
 父は
 美濃国
 岩村藩主
 松平乗薀
 祖父は
 享保の改革の
 老中
 松平乗邑
 諱は
 初め
 松平乗衡(のりひら)
 後に
 林衡(たいら)
 字は
 熊蔵・叔紞・徳詮
 号は述斎・蕉軒・蕉隠
 晩年は
 大内記と称す
 ↓↑
 渋井太室らに師事
 寛政五年(1793年)
 林錦峯の養子
 幕府の
 文書行政の中枢として幕政に関与
 文化年間に
 朝鮮通信使の応接を
 対馬国で行う
 聘礼の改革にもかかわった
 柴野栗山・古賀精里・尾藤二洲
 (寛政の三博士)らとともに
 儒学の教学の刷新にも力を尽くし
 昌平坂学問所(昌平黌)の
 幕府直轄化を推進
 (寛政の改革)
 述斎の学問
 朱子学を基礎とし
 清朝の考証学に関心を示し
 『寛政重修諸家譜』
 『徳川実紀』
 『朝野旧聞裒藁
 (ちょうやきゅうもんほうこう)』
 『新編武蔵風土記稿』
 など幕府の編纂事業を主導
 和漢の詩才にすぐれ、
 歌集『家園漫吟』
 などがある
 中国で散逸した
 漢籍(佚存書)を集めた
 『佚存叢書』
 別荘に
 錫秋園(小石川)
 賜春園(谷中)
 岩村藩時代に
 「百姓身持之覚書」
 を発見
 幕府の「
 慶安御触書」
 として出版
 死後
 嫡男の
 林檉宇が林家を継ぎ
 三男は
 鳥居耀蔵
 六男は
 林復斎
 娘には
 設楽貞丈の妻
 堀利堅の妻
 外孫に
 岩瀬忠震(設楽貞丈の子)
 堀利煕
 らがいる
 ↓↑
 江戸後期の儒者
 名は衡(たいら)
 字(あざな)は
 徳詮
 号は
 述斎・蕉隠・蕉軒
 美濃国(岐阜県)
 岩村藩主
 松平乗蘊(のりもり・1716~1783)
 の三男
 林家七世
 信敬
 (1767~1793)
 に
 1793年(寛政五)幕命で
 林家を継ぐ
 大学頭(だいがくのかみ)
 幕府による
 「寛政異学の禁」で
 昌平黌
 幕府の官学化
 幕臣に対する学問吟味の制度の創設
 正学たる朱子学の振興
 林家中興の祖
 著書に
 『蕉軒雑録』
 など
ーーーーー
 ・・・リンゴ・・・「リンゴ・スター(Ringo Starr、MBE、1940年7月7日 ~)=元 ビートルズのドラマー・本名リチャード・スターキー(Richard Starkey」・・・七夕生まれ・・・指輪が好きで、複数はめていたので、“Rings(リングス)”と呼ばれていた・・・
 「林檎」は「猛禽類」の「禽=とり=鳥」、甘いの果実の林に鳥が集まっってくるところから「林檎」と呼ばれた・・・

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あづまはや・・・

2017-07-04 23:50:25 | 古事記字源

 ・・・台風三号・・・「アッチとコッチ、そして、ソッチの物語」・・・「足摺岬(あしずりみさき)」・・・「高知県南西部土佐清水市、太平洋(フィリピン海)に 突き出る足摺半島の先端の岬」・・・「北緯32度43分24秒=阿蘇山山頂・横島」、東経133度1分12秒。「宿毛(すくも)」市に属する「沖の島」があり、岬付近の低緯度には小島が散在、四国本島としても、「長碆(ながはえ)」地区等の存在から、実際には四国最南端ではないが、一般には四国「最南端の地(岬)」とされ、本来は「あしずりざき」が正式呼称だった・・・南方にある浄土へ渡るという「補陀洛(ふだらく・補陀落・Potalaka=光明山・海島山・小花樹山と訳す仏語=インド南端の海岸にあり、観音が住むという八角形の山)渡海信仰」・・・日本の南なら「琉球(流求・瑠求・流鬼=供武(洪武十六(1383)年、十六年流求と日い、賜うに金符印を以てす)=沖縄」、「比律賓(Philippines・フィリピン)=菲律賓=ルソン(Luzon)=呂宋」、「ハワイ(Hawaii・布哇・羽合)」か、「タヒチ(Tahiti・対比地)」か・・・「足摺岬・・・ちょっと待て、もう少し考えよッ」・・・「万次郎の足湯」・・・「碆=波(氵+皮)+石」=「ハ・バ・矰(いぐるみ)に石をつける・矰の石・鏃(金+族=やじり=矢尻)の石」、「矰繳(いぐるみ)=射(い)包(くる)み・飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛け・矢に網や長い糸をつけて、当たるとそれが絡みつくようにしたもの」、「鳥を射るイグルミ・矢に糸や網を付け、から ませて捕る道具」・・・?
 「弋=ヨク・イキ・いぐるみ=鳥をとる道具・いぐるみ(弋射)・ぐるぐる動き回る・遊弋(ユウヨク)」
 「いぐるみ・狩る・杙(くい)・黓と通じて黒・また㚤と通じる・いぐるみとは矢に糸をつけ鳥や魚を捕らえる狩猟道具」
 「弋=繳射・繳(いぐるみ)」
 「橜なり・折木の衺(なな)めに銳く著く形に象る
  物の之れに挂(かか)るに象るなり(説文解字)」
 「隿(弋+隹)は、いぐるみで鳥を射つという字の弋」
 「弋=木の杭・枝のある立てた木ぐいに物を掛けた形
    杭=くい=杙・繳=いぐるみ=矰
  弋=𢍺(七+丶)」
 「㚤=女+弋」
 「忒=違える・異なる・間違い・誤り
    甚だしく・あまりにも・とても・めっぽう
    伎忒(キトク)=逆らい妨げ害をなす
            反抗し、害する」
 「鳶職=弋(とび)職人」
 「鳶=とび=訳備=鵄・鵈・鴟」・・・登美比古?
 「弋+α」=「弎・式・弐・貮・武」
      =戈=ほこ=「矛・桙・鉾・鋒・戟・戛」
         ホゴ=保護・補語・反故・反古
 ↓↑
 台風三号のハナシがどっかへ行っちゃった・・・「室戸岬(北緯33度14分34秒 東経134度10分35秒)」、「岬の洞窟御厨人窟・大化の改新の後、室津郷が置かれ、弘法大師により最御崎寺、津照寺、金剛頂寺がひらかれた。藩政時代には網捕鯨の振興、津呂、室津港の開削がなされた」・・・捕鯨・・・「鯨神=くじらがみ=久志羅神・鯢神・櫛羅神=宇能鴻一郎」・・・
 櫛(くし)の羅(あみ)の髪(かみ)・・・櫛名田比売、奇稲田姫・・・「弟橘媛=弟橘比売命=乙橘姫=おとたちばなひめ」・・・「音立花秘め」・・・
ーーーーー
 さねさし・・・・・・佐泥佐斯
 相武の小野に・・・・佐賀牟能袁怒邇
 燃ゆる火の・・・・・毛由流肥能
 火中に立ちて・・・・本那迦邇多知弖
 問ひし君はも・・・・斗比斯岐美波母
 と
 うたひたまひき。
 かれ、・・・・・・・故
 七日の後、・・・・・七日之後
 その后の・・・・・・其后
 御櫛・・・・・・・・御櫛
 海辺に依りき。・・・依于海邊
 すなわち・・・・・・乃
 その櫛を取りて、・・取其櫛
 御陵を作りて・・・・作御陵
 治め置きき・・・・・而治置也
 ↓↑
 日本(倭)武尊は、
 「碓日の嶺(日本書紀)」で、・・・碓=小碓(をうす)命
 「足柄の坂本(古事記)」で、・・・足柄の坂本
 「吾妻はや」と嘆いた・・・・・・「阿豆麻波夜」
ーーーーー
 ・・・

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「学士(バッチラー)=博士・bachelor」・・・「独身」→独神←独逸人

2017-07-03 23:45:01 | 古事記字源

 ・・・数字の「十一」・・・合体すれば「土(つち・ド)」と、「士(さむらい・おちこ・シ・ジ・さむらい・あき・あきら・お・おさむ・こと・さち・ただ・つかさ・と・のり・ひと・まもる」で、「士女・隠士・義士・国士・兵士・武士・志士・紳士・人士・壮士・学士・文士・名士・助士・衛士・楽士・棋士・義士・剣士・居士・策士・修士・闘・同士・博士・弁士・力士・烈士・法士・方士」、「修道士」・・・
 「学士(バッチラー)=博士・bachelor」・・・「独身」
 「日本の律令制下において皇太子に経書の講義をした教官を東宮学士・位階は従五位下」・・・
 「バッチラー=bachelor=独身者」・・・
 「独身=ドクシン=読唇=ドクシン
    =独神(ひとりがみ)」
 ・・・「土句申(申命記)」・・・「獨申」=独逸(German)の申(さる=猿・狙・猨・猴・沙流)」・・・
 「ひひ=狒々・霏々」・・・「トート(ギリシャ語・Θωθ・トト)・オシリスの兄弟・トト=Thoth」は古代エジプトの知恵、書記の神。「ジェフティ(エジプト語:ḏḥwty)=トト神=月の神」・・・「Papio anubis アヌビスヒヒ(ドグエラヒヒ、オリーブヒヒ) Olive Baboon」・・・「baboon; drill(黒面の)マントひひ・好色漢・ヒヒじじい(randy man)」・・・
 「とき=朱鷺(牛八足各鳥)・桃花鳥・鴇(ヒ十鳥・七十鳥)・鴾(ム牛鳥)・鵇(年鳥)=雉(きじ)」・・・
 「日本書紀・万葉集」で漢字で「桃花鳥」と記された・・・
 「桃花癸水=女性の月経・桃花=女性を意味する雅語
       癸=十干の十番目のミズのトで、
      「癸水=月経」・・・
 「桃林処士=牛の別名
       桃林は中国の河南省にあった城塞
       処士は能力があるが、役人、官僚ではない
       桃林に住んでいる牛の名前で
       中国の周の武王が
       二度と戦場にならないようにと
       桃林に牛を放ち、その牛をそう呼んだ」
 「二桃三士=策略によって人を自滅させること
       春秋時代、宰相の晏嬰という人物が
       わがままな三人の勇士を排除しようと策を練り
       君主から二つの桃を贈らせて
       三人の勇士の中で功績が大きい二人が食べよ
       と言って
       三人のうち二人が自分の功績が大きいと誇って
       桃を食べたが、実は桃を食べなかった人物が
       一番功績が大きかったと知り、二人は自害
       残った一人も
       自分だけ生きるのは義にもとる
       と自害した」
 「鴇・鴾・鵇=きじ=雉=記事」・・・「鵇」、この鳥の古称「つき・たう・タウ(桃)のトリ(鳥)」からの字解、「年を告げる鳥」と字解、「牟(ム・ボウ)」が「年」に日本で変換された?・・・「鵇」は国字・・・「鷺(さぎ)は首を曲げて飛ぶが、鴇(とき・雉=きじ)の場合は、鸛(コウノトリ)や鶴(ツル)と同様に首を伸ばしたまま飛ぶ。羽ばたき方は鷺(サギ)よりもやや小刻みで、直線的に飛翔する」・・・「詐散・詐偽」は「首を曲げて飛ぶ」んだ・・・

ーーーーー
 方士=呪術、卜筮などの方術、
    神秘性を帯びた者
    神仙術に通じた者
    秦の始皇帝や
    漢の武帝は不老不死を求めた
    徐福(徐市=ジョフツ)
    李少君
    という方士を重用
 権力や富を手にした
 始皇帝・武帝
 「寿命からの解放」を望んだ
 「現世」がイイのだ・・・
 「死・老衰・病気」は忌むべきモノ
 「方士」と「仙人」の違い
 方士=常人・知識技術者
 仙人=不死者、奇蹟、魔法の術者
 道士=道人・方士
    錬金術師・幻術師
ーーーーー
 言語の「レトリック(rhetoric)」・・・「物事を伝える際の 言い回しを工夫することで、相手の感情に訴えかける技術・手法です。日本語では「修辞 法」」、「修辞法,レトリック(実際には 誠実さも意味もない)華麗な文体・美辞麗句・誇張・high‐flown rhetoric 大げさな美辞麗句」、
 「レ-トリック(rhe-toric)」・・・
 「弁論術(希: ρητορική、レートリケー)」
 「toric=円環状・トーリック」は
 「トリック(trick)=罠・わな・擭」で、「縄(なわ)の和名(わな)」ではないのか?・・・スペルが異なる・・・
 もも(桃・トウ)=peach(ピーチ)=桃の花=peach blossom
          もも=腿・股・・・
             髀(もも・ヒ・ヘイ
               太もも・大腿・大腿骨)
             百(もも・ヒャク・ハク)
               百足・百済・百舌鳥
            「桃の木」とは百済
            「黄泉の國=讀の句似」
            「黄泉比良坂(よもつひらさか)」
            「根堅洲国」=契丹=北方中国の
                   鮮卑族
                   1125年
                   契丹人は
                   女真に同化
                   一部は中央アジアに逃れ
                   西遼を形成
           桃=意富加牟豆美 命
            (おおかむづみのみこと)
           桃=バラ(薔薇)科の落葉小高木
             夏に果実を実らせる
[
[
[
 バラ(薔薇)には「トゲ(朿・棘・刺)」があるけれど
 「実」は生らない・・・
 ・・・モモちゃんはドウ、思うの?・・・詐偽(詐欺)みたいな政治屋って・・・飛べないくせに飛べるって、ドウ背負うも無い・・・キッと「ニュートン(newton)」を知らないのカモ・・・

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カタラベノ・・・語り部・・・タベルナ・・・食べるな・・・taverna

2017-07-03 01:00:35 | 古事記字源

 ・・・「あまあし・あめあし」・・・「雨足=雨脚=雨降りの移動の様子・雨の移動の速さ・雨が激しく降り注ぎ・細い筋のように見える様子」・・・「小野道風」+「唐傘」+「雨」+「堀川」+「柳」+「蛙」・・・「斧(斤・己・各)同封・如何諷」、「問算・答簒・当纂・倒産」、「海人・海女・海部・海士・亜麻・尼・阿女・甘・蜑・天」、「保利撰」、「楊・龍・劉」、「カエル」・・・ちょっと庭に出て生ごみを埋めようと、土を掘るとミミズの生活を妨害し、雑草を毟ろうとすると蟻を、踏み石を歩くだけで「毛虫」の蝶へ成虫する願望を踏み潰しそうになってしまう・・・タシカに、日常性は殺生の中での自分の延命、生き残りでの命運の活殺は如何ともし難い・・・釈迦も基督も、馬哈黙も・・・地獄の奈落には落ちたくはなかったんだろうが・・・タベルことが生き物の条件である限り、無理と云うもんだ・・・
 ギリシャ語で「タベルナ=食堂=たべるな=食べるな」って?
 ・・・「タヴェルナ=タベルナ(taverna)=イタリア語で大衆食堂・タヴェルナ (飲食店)=ギリシャ料理店」・・・多分、「table(テーブル)」に関係するんだろう・・・?
 「カタラベノ=カタラベノ(分かった)」は「理解=understanding・I see. I completely understand.」であった・・・「デン カタラヴェーノ=(わかりません)=can't understand・blind」・・・なるほど、「聴こえない(deaf)」ではなく、「視えない(blind)」か・・・掛多理部之・・・語り部・・・「耳無し芳市」・・・「視視名詞方位置」・・・
 ↓↑
 耳なし芳一
 安徳天皇や平家一門を祀った
 阿弥陀寺(赤間神宮、山口県下関市)
 を舞台とした怪談
 小泉八雲の「怪談」の典拠・・・・・小泉の八の雲
 一夕散人(イッセキサンジン)著・・一の夕に散る人
 「臥遊奇談・第二巻・・・・・・・・臥して遊ぶ奇の談
  琵琶秘曲泣幽霊(1782年)」
 昔話
 徳島県の「耳切り団一」
 柳田國男の
 「一つ目小僧」等で言及
 「平家物語」
 題名は後年の呼称
 治承年間より
 「治承物語(ジショウ物語)」・・・字象の物語
 作者は
 信濃前司行長
 (信濃前司行長=信濃入道=行長入道)
 ↓↑
 祇園精舍の鐘の声、・・・・擬音背負う邪の金倭等部の聲
 諸行無常の響きあり。・・・書行務定
 娑羅双樹の花の色、・・・・沙良(讃良)送受の葉名の意賂
 盛者必衰の理をあらはす。
 奢れる人も久しからず、
 ただ春の夜の夢のごとし。
 猛き者もつひにはほろびぬ、
 ひとへに風の前の塵に同じ。・・・日訳重に掛是の馬重の地理
                 に於名字
 ↓↑ 
 「I see」は
 「Eye(目・眼・瞳・睛・眸・真奈子・真那子・真名子)」
 の
 「sea(海)」?・・・
 「アイシイ=和示威・愛志位」、
 「アイシイ=娃思惟・阿意私意」・・・
 で、「食べるな」って?・・・絶食じゃぁなくて、
 「断食=ダンジキ・fasting・食物を断つこと・一定の期間、全ての食物あるいは特定の食物の摂取を絶つ宗教的行為」・・・
 兎に角、生き物は「食べなくちゃぁ生きていけない」・・・
 多分、自分自身を含めた「食べるコトができなくなったり、食べることができない人々」の苦しみに思いをはせるため、食べるモノを目の前しながらも肝に命じた反省イベントだろう・・・
 すなわち、今現在「飽食できる人々のイベント」である。飢饉がくれば、「断食の必要」はないのだから・・・
ーーーーー
 2017年丁酉(庚・ ・辛)
 0007月丙午(丙・ ・丁)
 0001日己丑(癸・辛・己)
 ・・・7/1、23:45・・・北海道で地震、結構揺れた・・・
 ・・・7/2、00:58・・・今度は熊本で地震・・・
 みなさん、気をつけて・・・
ーーーーー
 エヴァンゲリオン
 ↓↑
 福音(Evangelion・エウアンゲリオン)
 よき報(知・しら)せ
 吉報
 ・・・吉の報告、凶の報告・・・ダレかにとっての「吉凶」の「報告」である・・・「訃報」で喜ぶ人間もいる・・・
 ナゼ、「芦・葦・蘆・葭」の漢字は「あし・よし」と訓じるのか?
 「芦=いえ・いおり・あし・よし
    ロ・カ・ゴ・コ・リョ
    芦=「艹+户」・「艹+戶」・「艹+戸」・「艹+一+尸」
    葦=「艹+韋(そむく・なめす)」
    蘆=「艹+盧」→盧=つぼ・くろ・ロ・ル・リョ
            めしびつ(飯櫃)・すびつ(炭櫃)
             廬=广+盧(虍田皿)
             廬=いおり
             粗末な家・仮小屋
             廬舎・建物・精廬
             蝸廬(カロ)・結廬(ケツロ)
             出廬(シュツロ)・草廬(ソウロ)
             田廬(デンロ)
             廬舎那仏(ルシャナブツ)
             廬山の真面目(ロザンのシンメンモク)
    葭=「艹+叚(反)」
          仮=假=イ+叚
            遐=辶+葭
              とおい・かぶさる・おおきい
              遠くに離れる
              なんぞ・疑問をあらわすことば
            霞=かすみ・かすむ・カ・ゲ
            蝦=蝸牛・・・蝦夷(えぞ・カイ)
            鰕=海老・螧・蝦 
           反=ハン・ホン・タン
            そる・そらす・そむく・さからう
            かえる・かえす
            はねかえる・はねかえす
            反映・反響・反射・反応
            繰りかえす
            反芻・反復・反撃・反転・反抗・謀反
            反面・反比例
    パピルス(papyrus)・・・「アニの死者の書」
ーー↓↑ーー
 エヴァンゲリオン
 ↓↑
 福音(Evangelion・エウアンゲリオン)
 四つの福音書・・・「吉の声・善き聲」の書物
 ↓↑
 マタイ(馬太・瑪竇) 福音書
 マルコ(馬可・瑪尓谷)福音書
 ルカ (路加)    福音書
 ヨハネ(約翰・諾望) 福音書
 ↓↑
 「ナグ・ハマディ文書」・・・「名具・葉真出意」?
 に含まれていた
 新約外典中の福音書・・・グノーシス(gnosis)=「知識・認識」
             を意味するギリシャ語(know)
             善と悪の二元論
             自己の本質の
             認識(グノーシス・脳ミソ)による
             人間の認識対象存在の
             地上=悪の世界
             これを自覚する精神で救済
 コプト語による
 114に上る「イエスの語録集」
 ↓↑
 トマス(双子・twin)・・・太陽(日)&太陰(月)
                 明     暗
                 昼     夜
              双子の兄妹(アポロン&アルテミス)
 ギリシャ語=androgynos(アンドロギュノス・アンドロギュヌス)
       両性具有
       魂魄=男女のタマシイ
       双子座=アルゴー(Argo)号の→ジェミニ(双子)
           カストルとポルクスの双子
           二元性・知性と言語の象徴
       双魚宮=身体の象徴部位は「足」・数字は七
           肉体(エロス)
           と
           精神(ロゴス)
           の象徴
           人魚と
           燕の頭を持つ魚が
           紐で結ばれた姿
 トマス=多馬・斗部)福音書・・・双子の兄弟
                 大碓&小碓(倭男具那)
                       倭建
     5月21日~6月21日=双児宮(ふたご座・双子座)
     2月19日~3月20日=双魚宮(うお座・魚座)
 トマス=双子=テオマー・トーマー
         Te'omā ・ Tōmā)
 トーマス(Thomas)→トマス=多馬→托馬斯
 ↓↑           ↓↑
 訳尾(於・緒)馬素    たま=玉・珠・霊・多摩・多磨
 ↓↑
 アグラファ(Agrapha)
      =正典以外の外典・外伝
108 イエスが言った
   「私の口から飲む者は・・・「口=くち=句知・矩値」
    私のようになるであろう。
    そして、
    私もまたその者になるであろう。
    そして、
    隠されていたモノが
    その者に現われるであろう」
 ・・・「秘密仏教=密教」の由縁・・・「景教」?
 ・・・「アーメン=amen=阿們」・・・「アモン・アメン」
 ↓↑
 伊甸園(エデンの園)
 亜当(アダム)・・・・・・亜當
 夏娃(エバ)
 大衛(ダビデ)・・・・・・大闢・大辟
 以賽亜(イザヤ)
 耶蘇基督(イエス・キリスト)・・移鼠
 馬利亜(マリア)・・・・・・・・未艶
 約瑟(ヨセフ)
 西門-彼得(シモン・ペテロ)
 保羅(パウロ=サウロ)
 菑達書(ユダ)=犹大・・・猶太(ユダヤ)
           加略人猶太(イスカリオテのユダ)
           ・・・雅各(ヤコブ)
           雅各→鴉各(カラス各々)?
               各=夂+口
           ・・・以色列(イスラエル)
 ↓↑
 福音(Evangelion=エウアンゲリオン
          ユーアンゲリオン)
 ギリシャ語
 εὐαγγέλιον
 euangelion
 良い (eu=エウ=good)
 知らせ(angelion=アンゲリオン
         =message)
 「good news」=蘇我=我、蘇(よみがえ)り
            我の読みかえ
 「happy news・lucky news」
 「happily ever after」
 「アヴェ・マリア (Ave Maria)
  ラテン語で、
  こんにちは、マリア
  おめでとう、マリア
  やぁッ、マリちゃん、元気ッ!」
  アヴェ(AVE)
  ラテン語動詞の
  AVERE(幸せである)の単数命令形
 「幸せにナッ・・・
  御ご自愛なさい・・・
  じゃぁナッ、元気でなッ」
 「ヴィヴァ (viva) マリア!」
 ↓↑
 マテオ・リッチ・・・利瑪竇
 (Matteo Ricci)
  1552年10月6日~1610年5月11日
 イタリア人イエズス会員
 カトリック教会の司祭
 中国名は
 「利瑪竇(拼音 Lì Mǎdòu
         リ-マトウ)」
 中国初の
世界地図坤輿万国全図作成
 西洋科学技術の紹介
  竇=窦(穴+土+ツ+大)→ツ=火火・・・・E爻ヨ
             臼(キョク・両手で抱える)
         爫=爪→ツ?→螢・熒・學・覺
                𤇾=火+火+冖
                𦥯=臼+爻+冖   
 「竇=穴(宀八)+賣(十一罒目ハ)・・・賣=売
   =あな・ヅ・トウ・トク
    孔・洞
   =人体の器官、組織の窪(くぼみ・凹)
    疑竇(窦)=疑わしい点
    狗竇(窦)=塀などに設けた犬の出入り口
 ↓↑
 飛脚・・・郵便配達人・電信、電報人
ーー↓↑ーー↓↑ーー
 マラソン-ランナー
 (marathon-runner)
 紀元前450年9月12日
 アテナイの
 名将ミルティアデスは
 マラトン(Marathon・マラサン)
 に上陸した
 ペルシャの大軍を奇策で撃退
 ↓↑
 ギリシャ全軍を重装歩兵でかため
 最右翼にカリマコス率いる主力部隊
 最左翼にプラタイアの主力部隊を配置
 ペルシア軍に総攻撃を仕掛けた
 アテナイ・プラタイア連合軍は
 ペルシア敵陣と同じ長さの戦線を確保
 中央部は数列の厚みで弱点であった
 ミルティアデスは
 ペルシア軍に
 駆け足で突撃する奇襲戦法を用いた
 敵陣までの
 8スタディオン(約1,480メートル)
 を一気に駆け抜けた
 弓の射程距離まで徒歩で接近し
 突然駆けだした
 ペルシア軍が行軍してきたところに
 駆け足で突撃した・・・
 ペルシア軍は
 ギリシャ軍の自殺行為としたが
 白兵戦に持ち込んだギリシア軍は
 重装歩兵密集陣
 を駆使して
 長時間戦い抜いた
 戦線を延ばしたし
 数列しか編成されなかった
 アリステイデス率いる中央軍は
 ペルシア歩兵に押し込まれたが
 両翼は十分な厚みを持っており
 両翼のペルシア軍を敗走させ
 ギリシャ軍は
 敗走するペルシャ軍を追わず
 中央部のペルシア軍を
 包囲、壊滅させ、
 撤退する敵軍を追撃
 カリマコスを含む
 ギリシア軍の死者192人
 ペルシア軍の死者は6,400人
 ペルシア艦艇七隻を拿捕
 スパルタの増援軍
 約2,000人は
 二日でアテナイに到着した
 (アテナイ~スパルタ間の距離
  200キロ以上)
 が、戦争終結後であった・・・
 ↓↑ ↓↑
 フィディピディス(Philippides)
 という兵士が伝令に選ばれ
 マラトンから約40km離れた
 アテナイまでを駆け抜け
 アテナイの郊外で
 「我勝てり」と告げた後
 力尽きて息を引き取った
 (ヘロドトスの『歴史』)
 戦いの日時は
 紀元前490年11月2日・・・説
 プルタルコスによれば
 兵士の名前は
 エウクレス(Eukles)
 ↓↑ ↓↑
 韋駄天=韋駄天(イダテン・Skanda
     塞建陀・私建陀
     違駄天)
     名前の意味は「跳ぶ者」
     仏教の仏(天部)の神
     韋陀、韋天将軍とも
     増長天の八将の一神
     四天王下の三十二将中の
     首位の天部の仏神
     伽藍を守る護法神
     Skandaを音写し
     塞建陀天
     私建陀天と漢訳
     建駄天とも略記
    「金光明経・鬼神品・第十三」
     中の誤写によって
     建駄天が
     違駄天となり
     道教の
     韋将軍信仰と習合し
     韋駄天と称される
     六面十二臂の
     少年神で
     孔雀に乗る
     六面の由来
     大自在天(シヴァ)
     の次男だが
     六人の乳母に育てられた
     捷疾鬼が
     仏舎利を奪って逃げ去った時
     これを追って取り戻した
     よく走る神
     盗難除けの神
     転じて
     足の速い人の例え
    「韋駄天走り」
    「涅槃経」後分に帝釈天が
     仏の荼毘処に至って
     二牙を拾得したが
     二捷疾羅刹のために
     一牙を奪われた
     という記述に起因・・・
     韋駄天が釈尊のために
     方々を駆け巡って
     食物を集めたとの俗信に
     由来し
    「御馳走(ごちそう)」
     という言葉が出来た・・・
 「スカンダの別名である
  クマーラ」
 に由来
 「鳩摩羅天」は
 孔雀に乗った六面の少年神の姿
 「Skanda」の音写
  塞建陀・建陀の
 「建」を「韋」に誤った・・・
 仏法の守護神だが
 もとバラモン教の神
 シバ
 または
 アグニ神の子
 仏舎利 (ぶっしゃり) を盗んだ
 捷疾鬼 (ショウシツキ) を
 追いかけて取り返した
 足の速い神とされ
 足の速い人のたとえ・・・
ーー↓↑ーー
 水足=川の水が急に
    増えたり減ったりする速さ
    用水の取り入れ口から
    特定の地域に水が達するまでの
    時間の長さ
    船体の水に没している
    部分の垂直距離
 雨足=雨脚=雨降りの移動の様子
    雨の移動の速さ
    雨が激しく降り注ぎ
    細い筋のように見える様子
ーー↓↑ーー
 あしがらヤマ
 神奈川・静岡県境にある
 足柄峠を中心とする山地
 古くは
 金時山を含めた山々の総称
 坂田金時(公時・金太郎)の伝説の地
 歌枕
 足柄山=あしがらやま
 南足柄市矢倉沢地蔵堂一帯
 金時山をさす
 足柄峠以南の稜線沿いに
 県道矢倉沢・仙石原線が通じ
 富士山、箱根外輪山の北部一帯
 北方は酒匂(さかわ)川中流の谷
 東方に足柄平野
 箱根火山系の噴出物で
 表層は富士山の火山灰土
 ウバメガシ=姥目樫・馬目樫
 別名、イマメガシ=今芽樫
 備長炭の原料
 トベラ林=扉林
      海桐・海桐花
      トビラ・トビラキ
 などが植生
 「足柄山は、歌枕(うたまくら)」
 古来
 足柄山、足柄嶺、足柄のみ坂
 などと多くの歌に詠まれている
 坂田金時・山姥の伝説は有名
 箱根山北部の
 金時山から足柄峠に至るあたりは
 足柄山とも呼ばれる。
 平安初期以前
 東海道が箱根山の西方を北上
 金時山より
 北の足柄峠を越えて
 東方へ延びていたが
 富士山の
 延暦噴火(800年~802年)
 で通れなくなったため
 箱根山の南方の
 箱根峠を通る街道が整備
 江戸時代に箱根関所が置かれた
 金太郎は足柄山中で
 赤竜と山姥の間に生まれた子・・・
 東国から上洛する
 源頼光に見出だされ家来になった
 足柄山は金時山の別名
 天暦十年(956年)五月に誕生
 彫物師十兵衛の娘
 八重桐(やえぎり)
 が京にのぼった時
 宮中に仕えていた
 坂田蔵人と結ばれ懐妊した子供・・・
 八重桐は故郷に帰り
 金太郎を産んだが、
 坂田が亡くなり
 京へ帰らず故郷で育てた
 天延四年三月二十一21日
 (976年4月28日)
 足柄峠にさしかかった
 源頼光と出会い家来となり
 名前も
 坂田金時(きんとき)と改名
 頼光四天王の一人となる
 ↓↑
 藤原道長の日記
 「御堂関白記」に
 「下毛野公時」という
 近衛兵(随身)が道長に仕えていた
 坂田公時(金時)?
 寛弘六年(1009年)八月十七日条
 「宮御馬口付
  近衛
  下毛野公時」
 下毛野(しもつけぬ)国=栃木県
 相模(さがみ)の国の
 足柄山(あしがらやま)
 摂津源氏の
 家臣
 碓井貞光(ウスイサダミツ)
 の目に留まり家来となった・・・
 摂津源は
 多田を本拠地
 摂津源氏家臣約500名を従え
 摂津の国の国司
 摂津源氏棟梁
 「源頼光」
 坂田金時
 渡辺綱
 碓井久光
 第3代
 山本荘司
 浦辺(坂上)季武
 らとともに
 「大江山の酒呑童子」
 を退治・・・
 「源氏四天王・頼光四天王」
 と呼ばれた・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・

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「ア・シ」の同音異字・・・アマアシが速い・・・

2017-07-01 20:26:51 | 古事記字源

 ・・・前回、「足=あし」にコダワッタが、今回も「あし・アシ」にコダワル・・・
ーーーーー
 足尾地名
 ↓↑
 ねずみ(鼠)の話
 「勝道上人」という僧侶が
 日光の寺にいたとき
 ある日一ぴきの「ネズミ」が
 粟や稗の穂を
 咥(くわ)えて
 どこからともなくあらわれたり
 姿を消したりしたので
 上人はこの山奥に
 粟や稗の穂があるはずがないと
 不思議に思って
 ネズミの足に
 ひも(緒・紐)を結び
 目じるしにして
 あとをつけてみると
 山の麓(ふもと)の方に
 人家があった
 そこで上人はここを
 「足緒」と名付けた
 後に
 「足尾」となった
 山の
 麓(ふもと)・・・足尾=山裾(やますそ)?
         「足」は「山」ではないが、
         「あしび-き=足曳き・足引き」は
          山(やま・やま-い)に掛かる枕詞
         「足尾」=「あしビ(き)・たりビ(き)」
         「尾=尸+毛」・・・屍の毛人(蝦夷)?
 の延びたところを
 「尾」ということや
 山の峰つづきを
 「尾根(おね)」・・・
 足尾の近くには
 「細尾」や
 「粕尾」→粕尾峠(かすおとうげ)
      栃木県鹿沼市(上都賀郡粟野町)
       から
      日光市(上都賀郡足尾町)を結ぶ峠
 という地名がある
ーー↓↑ーー
 粕尾七不思議(かすおナナふしぎ)
 栃木県鹿沼市(旧粟野町)
 粕尾地方に居た名医
 中野智玄(録事法眼・録事尊)
 の雷神の治療伝説と関連づけて語られ
 鹿沼市(中・上)粕尾の
 思川沿いの
 不思議のうちの七つを集めて言う・・・
 「粕尾の民俗」
 不思議の原因説明されている
 ↓↑
 雷による怪我(ケガ)の被害がない。
 「思川」の川筋が変らない。
 「思川」の川越えをする地点が変らない。
 川沿草地の雑草の背丈が
 1尺程度と低く
 「チチコグサ=父子草」が生えない。
 「蚤(ノミ)」のたかった「猫」が居ない。
 「鶉(ウズラ)がここでは鳴かない。
 「轡虫(クツワムシ)」や
 「鈴虫(スズムシ)」の鳴き声が小さい。
 平安時代末、or 鎌倉時代に
 ここに居たと言う名医、
 中野智玄の治療した
 雷神からの
 恩返し伝説で理由付け
 地元の寺院
 常楽寺に残る記録、
 「録事尊縁起」によれば、
 「後鳥羽上皇の病」を治して
 「録事法眼」の号を受けた名医、
 中野智玄の所へ、
 病に難渋する雷神がやってき
 治療をして貰い完治し
 御礼に、この地域へ雷害が無い事を約束
 雷神の神力による
 降雨により、
 思川の治水工事を完成させ、
 思川の川の
 流れや形が
 末代まで変らないようにさせた
 その為、
 「下・中・上粕尾」では、
 治水工事をしなくても
 水害が無い
 中粕尾の中で
 布施谷地区~森地区
 までの間だけは、
 雷神の事業から除外され、
 治水の効力は概ね
 粕尾城跡より上流の地域か、
 常楽寺のある下粕尾かに
 分断されているとの
 「但し書き伝説」がある・・・らしい・・・
 雷神より
 「龍起雷論」と言う医学書を賜った・・・
ーー↓↑ーー 
 勝道上人とゆかりのある
 鼠(ねずみ)が
 入ったという
 祠(ほこら・洞)・・・「猫ヶ洞」って名古屋にもあった
 が
 大黒橋のたもとにあり
 波之利大黒天・・・「ハシリ」or 「なみのり」か?
 として祀られている
 大黒天まつり
 川は
 渡良瀬川
 支流に袋川
 北に続く
 足尾山
 山川遺跡
 長林寺遺跡
 宮先古墳群
 前方後円の
 山川鞍部古墳群
 ↓↑
 足利
 ↓↑
 「フランシスコ・ザビエル」が
 「日本国中最も大にして有名なる坂東の大学…」
 と紹介した・・・
 「足利学校」
 「足利」=「和名抄」に
      「阿志加々」・・・「阿(毎)の志し」を
               「加えに加える」?
       足利氏発祥の地
      「アシカガ」=「葦+カガ(草地)」
             「葦か処(ガ)」
      「アシ」=崩れそうな断崖地形?
           古語「アス・アズ」+「カガ(草地)」
           足を踏み入れては
           いけない神聖な土地(禁足地)
 ↓↑    ↓↑  ↓↑
 標=神や人の領有区域で
   立ち入りを禁ずる標識
   道しるべの標識
   縄を張ったり、木を立てたり
   草を結んだりする
   標縄(しめなは)」の略
   ・・・アシを入ることを忌む領域・・・バリア(barrier)
 標野(しめの)=皇室、貴人が領有し
    一般の立ち入りを禁止した野
    狩り場 などに用いた
   「禁野(きんや)」とも
    万葉集 二〇
   「あかねさす
    紫野(むらさきの)行き
    標野(しめの)行き
    野守(のもり)は見ずや
    君が袖(そで)振る
 ↓↑
 あかねさす紫野行き
 標野行き
 野守は見ずや
 君が袖振る
 ↓↑
 天皇の、蒲生野(かまふの)に
 遊猟(みかり)したまひし時に、
 額田王の作れる歌
 ↓↑
 あかねさす
 紫野(むらさきの)行き
 標野(しめの)行き
 野守(のもり)は見ずや
 君が袖振る
 巻一(二十)
 ↓↑
 万葉仮名
 茜草指
 武良前野逝・・・逝=死ぬことを婉曲にいう語
           逝去・永逝・急逝・長逝
           夭逝 (ヨウセイ)
 標野行・・・・・行=往く
 野守者不見哉
 君之袖布流
 ↓↑
 紫草(むらさき)の
 にほへる妹(いも)を
 憎くあらば
 人妻ゆゑに
 われ恋ひめやも
 ↓↑
 万葉仮名
 紫草能
 尓保敝類妹乎
 尓苦久有者
 人嬬故尓・・・嬬=女+需=女嬬・女孺・女豎=ニョジュ
 吾戀目八方    律令制で、宮中に仕えた下級の女官
          堂上の掃除、灯油のことなどを掌どった
          女の童(わらわ)・にょうじゅ
          中国では「后・妃・夫人・嬪(ひん)」
          などに仕えた女官
     嬬恋=嬬恋村の名前由来
     第十二代景行天皇の皇子
    「日本武尊」の東征中
     愛妻「弟橘姫」が海に身を投じ
     その東征の帰路、
     碓日坂(鳥居峠)で
    「吾嬬者耶(あづまはや)=ああ、わが妻は
                 もはやいない
     という故事にちなんで
     「嬬恋(つまこい)の村」と名付けた
     妻=嬬
       嬬=女官=かんにょ・カンジョ=官女・勘如
 ↓↑
 吾戀目八方=われ恋ひ-め-やも(八方=者耶)?
 ↓↑        「目-八方」は
 ↓↑        同音異字が多数掛けられている?
 大海人皇子(おおあまのみこ)
 ↓↑
 紫の、匂(にほ)へる妹(いも)を
 憎くあらば、
 人妻ゆゑに、
 我れ恋ひめやも
 ↓↑
 紫のように美しい君
 君を憎く思うのなら
 人妻になったゆえに
 わたしの想いはつのるのだ
 ↓↑
 額田王=最初は「天武天皇の妃(采女や巫女・愛人)」で
 ↓↑  娘の「十市皇女」を産み・・・十一・拾壱・足壹
 ↓↑  後に「天智天皇の側室」となった・・・?
 ↓↑  「十市皇女」は「大友皇子(弘仁天皇)」の妃
 「日本書紀に曰く
  (天智)天皇、七年の夏五月五日
  蒲生野(がもうの)で狩が行われ
  皇太弟(大海人皇子)、
  諸王
  内臣(うちのまえつきみ)
  及び
  群臣(まえつきみたち)
  皆ことごとく従った
ーー↓↑ーー
 ・・・「足」の地名・・・
 ↓↑
 足洗
 足尾
 足門
 足川
 足久保
 足込
 足摺岬
 足高
 足立
 足谷
 足次
 足成
 足野
 足原
 足深
 足水
 足守
 足山田
 足代
 足近
 足助
 足羽
 足高
 歌津名足
 大足
 夏足
 鎌足
 金足
 上足洗
 上足寄
 上種足
 旭志尾足
 屈足
 日足
 神足
 坂足
 下足守
 下種足
 地不足道
 千足
 洗足
 立足
 足袋
 足崎
 足田
 足山
 足沢
 足見
 知足
 左足
 都喜足
 十足
 中足寄
 足保
 水足
 上井足
 下井足
 意足
 発足
 日足
 平足
 帆足
 足坂
 溝足
 足袋針
 足見
 百足屋
 茂足寄
 足駄木
 勇足
 過足
 鷲足
ーー↓↑ーー
 足尾銅山
 1550年(天文19年)に発見
 1610年(慶長15年)
 百姓二人が鉱床を発見
 足尾に幕府は
 鋳銭座(寛永通宝の発行)設置
 ↓↑
 足尾鉱毒事件
 1891年(明治二十四年)
 田中正造
 明治天皇に直訴
 衆議院議員当選6回
 幼名は兼三郎
 下野国
 安蘇郡・・・ナゼか「安蘇=あそ」?
 小中村
 ↓↑
 田中正造は
 1901年(明治三十四年)十二月十日
 「亡国に至るを知らざれば
  之れ即ち亡国の儀につき質問書」
 を
 明治天皇に
 足尾鉱毒事件について直訴
 直訴状は、
 幸徳秋水が書き田中が加筆修正
 ↓↑
 1902年(明治三十五年)
 渡良瀬川下流に貯水池計画浮上
 建設予定地の
 埼玉県
 川辺村・利島村
 の
 反対運動に参加し、
 貯水池計画は白紙撤回
 1903年(明治三十六年)
 栃木県下都賀郡谷中村に
 貯水池計画
 1904年(明治三十七年)七月
 谷中村に居住
 栃木県会は秘密会で
 谷中村買収を決議
 貯水池工事開始
 1906年(明治三十九年)
 谷中村議会は
 藤岡町への合併案を否決
 だが、
 栃木県は
 「谷中村は藤岡町へ合併した」
 と発表
 谷中村は強制廃村
 田中はその後も谷中村に住み続け
 1907年(明治四十年)
 政府は土地収用法の適用を発表
 「村に残れば犯罪者となり逮捕される」
 と威し
 村民が村外に出たが
 田中は強制破壊当日まで
 谷中村に住み続けた
 1908年(明治四十一年)
 政府は谷中村全域を河川地域に指定
 ↓↑
 1911年(明治四十四年)
 旧谷中村村民の
 北海道
 常呂郡
 サロマベツ原野
 への
 移住が開始・・・
 北海道常呂郡
 訓子府(クンネップ)町?
 常呂町(ところちょう)は、
 ↓↑
 北海道網走支庁管内の
 常呂郡に存在した町で
 ↓↑
 2006年(平成18年)3月5日
 に
 北見市、留辺蘂町、端野町
 と新設合併し、
 北見市の一部となった
 (住所表記は北見市常呂町)
 ↓↑
 「桃原墓」・・・ハライソ
 奈良県
 明日香村
 島之庄
 の
 石舞台古墳=蘇我馬子・・・馬韓=百済・・・邪馬台国
       (馬子=うまこ
          =バシ=馬史(司馬遷)→馬太
          =まご=孫→天孫降臨)
 日本古代の乳製品
 醍醐・蘇・配・乳耕 (乳月南)
 の4種
ー↓↑ーー↓↑ーー↓↑ーー
 蘇我・・・耶蘇教・・・基督教・・・景教
 ↓↑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E5%AE%9A%E6%96%B9
 ↓↑
 蘇定方(ソテイホウ)
 ↓↑
 592年~667年
 名を烈
 字は定方
 本貫は
 冀州
 武邑県
 蘇邕の子
 隋末に
 蘇邕は
 郷里の数千人を率いて
 叛乱の討伐にあたった
 定方は15歳で
 父の下で従軍し
 蘇邕が死去すると
 代わってその部衆を引き継ぎ
 劇県・・・・劇に懸る?
 の
 叛乱軍の
 張金称
 楊公卿
 らを撃破
 叛乱軍は郡境を犯さなくなり
 郷党はかれを頼りにした
 後、
 竇建徳・・・竇(あな)の=中国語読み「ドゥオー・dou」
            鼻窦炎副鼻腔炎
            疑窦疑わしい点
            狗窦(塀などに設けた)
            犬の出入りする穴
            情窦未开初(ウブ)
            男女間の性的関係について
            ウブ・・・
       建(たける)の
       徳(とく)
 の麾下に入り
 竇建徳
 の部将の
 高雅賢・・・高の雅(カラス)は賢(かしこい)?
 に気に入られ
 高雅賢の養子となった
 高雅賢
 と
 劉黒闥
 が死ぬと、
 定方は郷里に帰った
 ↓↑
 唐の
 貞観初年
 匡道府折衝となり
 李靖の下で
 二百騎を率いて
 突厥を攻撃の先鋒をつとめ
 霧の中で
 牙帳・・・牙帳=將帥所居的營帳
      前建牙旗、故名
     (周書・異域傳下・突厥)
      可汗恒 處於都斤山
      牙帳東開、蓋敬日之所出也。
      陣地・帳幕・ゲル
 ↓↑
 を襲撃
 突厥の
 頡利可汗
 は狼狽して逃亡
 李靖が到着すると
 取り残された
 突厥の一党はことごとく降伏
 凱旋すると
 定方は
 左武候中郎将に任ぜられた
 永徽年間に
 左衛勲一府中郎将に転じた
 程名振・・・程(ほどよく)名(なまえ)を振(ふる)
 とともに
 高句麗を攻撃
 (唐の高句麗出兵)
 して、これを破った
 右屯衛将軍に任ぜられ
 臨清県公に封ぜられた
 ↓↑
 656年
 程知節に従って
 前軍総管をつとめ
 阿史那・・・・阿史那(アシナ)?・・・足名・葦名・蘆名
            Athena=Athens=アテネ=雅典=当て音
 賀魯・・・・・賀魯(ガロ)
 を攻撃
 鷹娑川にいたり
 阿史那賀魯
 が2万騎を率いて対陣すると
 蘇定方は総管の
 蘇海政・・・蘇(よみかえる)海(あま)の政(まつり)
 とともに連戦
 決着はつかず
 突厥の
 別部の
 鼠尼施・・・鼠(ねずみ)の尼(あま)の施(ほどこし)
 らが
 2万騎を率いて敵方に来援
 定方は騎兵の精鋭500を率い
 山嶺を越えて敵陣に討ち入り
 大いに破り
 1500人あまりを殺害
 多くの武具や牛馬を鹵獲
 唐の軍中では
 副大総管の
 王文度・・・王(おう・ワン)の文(あや・ふみ)の度(たび)
 が味方の
 疲労と士気の低下を見て
 深入りを諫め
 定方は追撃を主張して争った
 程知節・・・程(ほどよく)知(しる)節(ふし)
 が
 怛篤城にいたり、
 胡人を降伏させると、
 王文度は
 降胡を殺して
 財貨を奪うことを主張し
 定方はこれに反対
 王文度は聞き入れず
 財貨を分配したが
 定方はひとつも取ることがなかった
 高宗がこのことを知ると
 程知節らが帰還した後
 王文度を庶民に落とした
 ↓↑
 657年
 定方は
 伊麗道行軍大総管に抜擢
 再び
 阿史那賀魯を攻撃
 任雅相・・・任(まかす)雅(からす)相(あい・ソウ)
 と
 回紇の
 婆閏が副大総管をつとめた
 定方
 は
 アルタイ(金)山
 の北に出て
 処木昆部を撃破
 俟斤の
 嬾独禄
 を降した
 定方は
 麾下の1000騎と
 回紇の1万人を率いて
 曳咥河に進軍
 阿史那賀魯
 は大軍を率いて会戦し
 定方の兵が少ないのをみ
 左右両翼を伸ばして
 包囲
 定方は歩兵に
 高所に拠らせ
 自らは精鋭の
 騎兵を率いて
 北原に陣した
 阿史那賀魯の軍は
 三たび
 唐の歩兵の陣を突き崩そうとしたが
 崩すことができず
 定方は乱戦に乗じて
 騎兵で三十里をめぐって戦うと
 阿史那賀魯の軍は崩れて
 潰走にうつり
 唐軍が追撃すると
 数万の人馬を殺した
 翌日、定方が兵を進軍させると
 五弩失畢
 が部族こぞって唐に降伏
 阿史那賀魯
 と
 処木昆の
 屈律啜の数百騎は西方に逃走
 定方は副将の
 蕭嗣業
 と
 回紇の
 婆閏に
 邪羅斯川
 に向かわせて追撃させ
 定方と任雅相は
 新たに帰順した兵をまとめて
 後詰めに続いた
 大雪にあって
 軍吏に進軍の中止を求められたが
 定方は強引に兵を
 雙河まで進め
 阿史那弥射
 や
 阿史那歩真
 の軍と合流して
 阿史那賀魯の陣に迫った
 阿史那賀魯は
 油断して狩猟の最中であり
 定方はこれを襲撃して破った
 阿史那賀魯はさらに
 石国・・・・・・石国?
 に逃れたが
 阿史那弥射の子の
 阿史那元爽
 が
 蕭嗣業
 と合流し
 阿史那賀魯
 を捕縛
 これにより
 唐の勢力圏は
 中央アジアに広がった
 定方は功績により
 左驍衛大将軍に任ぜられ
 邢国公に封ぜられた
 子の
 蘇慶節
 も
 武邑県公に封ぜられた
 ↓↑
 659年
 思結闕俟斤都曼
 が諸部を扇動し
 疏勒・朱倶波・渇槃陀
 の三カ国が
 唐に叛くと
 定方
 は安撫大使となって討伐にあたった
 兵を率いて
 葉葉水にいたり
 都曼
 が
 馬頭川を守ると
 定方は
 歩兵の精鋭1万と
 騎兵3000を選抜し
 昼夜分かたず
 三百里を駆け抜け
 都曼の陣の前に現れ
 都曼は驚いキ
 戦うこともなく城に逃げ込んだ
 唐軍がこれを攻めたて
 都曼は窮迫し
 自らを縛って降伏
 パミール高原より
 西の地方も
 唐の勢力圏に入った
 定方が捕虜を
 乾陽殿に献上すると
 邢州鉅鹿の
 三百戸の食邑を加えられ
 左武衛大将軍に転じた
 ↓↑
 朝鮮半島
 ↓↑
 660年
 熊津道大総管
 軍を率いて
 百済の征討にあたった
 城山から海をわたって
 熊津口に上陸
 沿岸の
 百済軍を撃破し
 真都城に進軍
 百済の主力と決戦して勝利
 百済王
 義慈
 太子
 隆
 は北方に逃走
 定方が
 泗沘城を包囲すると
 義慈の子の
 泰が自立して王を称した
 泰は抗戦を続けようとしたが
 義慈は開門し
 降伏することを決意
 泰はこれを止めることができなかった
 百済の将軍の
 禰植
 と
 義慈
 は唐軍に降り
 泰も捕らえられ
 百済は平定され
 百済王
 義慈
 隆
 泰
 らは
 東都洛陽に送られた
 ↓↑
 定方は
 三カ国を滅ぼし
 いずれもその王を捕らえ
 賞与の珍宝は数えきれず
 子の
 蘇慶節
 は
 尚輦奉御の位を加えられた
 定方
 は
 遼東道行軍大総管となり
 平壌道行軍大総管に転じた
 高句麗の軍を
 浿江
 で破り
 馬邑山
 の敵営を落とし
 平壌を包囲
 大雪に遭って
 包囲を解いて帰還
 涼州安集大使に任ぜられ
 吐蕃
 や
 吐谷渾
 とも戦った
 667年
 76歳で死去
 高宗
 はかれの死をいたんで
 左驍衛大将軍
 幽州都督
 の位を追贈し
 諡を
 荘
 とシタ
 ↓↑ ↓↑
 伝記資料
 『旧唐書』巻八十三
 列伝第三十三
 「蘇定方伝」
 ↓↑ ↓↑
 『新唐書』巻一百一十一
 列伝第三十六
 「蘇定方伝」
ーーーーー
 回鶻(カイコツ)
 鉄勒(漢音:テツロク
    拼音:Tiĕlè)
 6世紀~7世紀
 中央ユーラシア北部に分布した
 突厥以外の
 テュルク系遊牧民の総称
 この中から
 回鶻(ウイグル)が台頭
 「鉄勒」という表記は
 「勅勒・丁零」などと同じ
 「Türk」を音写

 烏介可汗
 烏介可汗
 (ウゲ・カガン・Ügä Qaγan)
 (呉音:ウケカガン
  漢音:オカイカカン
  拼音:Wūjièkĕhàn、?~846年)
 回鶻可汗国崩壊後の可汗
 昭礼可汗の弟
 彰信可汗の叔父
 初めは
 特勤(テギン、Tägin・皇子)
 回鶻可汗国が崩壊すると
 錯子山
 に割拠して可汗となった
 ↓↑
 開成5年(840年)頃
 渠長(キョチョウ・将軍)
 の
 句録莫賀
 (句録末賀・キュリュグ・バガ)
 は、
 北の
 黠戛斯(キルギス・Qïrqïz)軍
 10万騎を招き寄せ
 回鶻城(オルド・バリクか?)
 を破り
 㕎馺可汗
 と
 掘羅勿
 を殺してその
 牙帳(陣地・陣営)
 を焼き払った
 回鶻可汗国
 は崩壊
 国人たちは
 各特勤(皇子)を奉じ
 各地に散らばった
 可汗庭(カガンテイ=可汗の牙帳)
 近くの13部は
 烏介特勤(ウゲ・テギン、Ügä Tägin)
 を
 可汗に推戴し
 南の
 錯子山に割拠
 途中
 烏介可汗らは
 太和公主
 を
 唐まで護送する
 黠戛斯
 の
 達干(タルカン、Tarqan)
 らと遭遇し
 烏介可汗
 は
 達干らを殺し
 太和公主
 を奉じて
 代わりに
 唐の天徳界まで護送
 ↓↑
 宰相の
 赤心
 僕固(ボルク、Borqu)
 特勤の
 那頡啜
 (ナイル・チュル、Nair čur)→ナイル?
 がおり
 烏介可汗
 に臣従せず
 犯塞
 を欲していたため
 烏介可汗
 は先に王子の
 嗢没斯(オルムズ、Ormz)
 を
 天徳軍戍将の
 田牟の所へ赴かせ
 唐と接触をはかるとともに
 赤心
 を殺害
 那頡啜
 は赤心の7千帳をあわせて
 東へ逃れたが
 烏介可汗
 によって殺された
 ↓↑
 会昌3年(843年)春
 特勤の
 厖倶遮
 阿敦寧
 の二部
 回鶻公主密羯可敦
 の一部
 外相の
 諸洛固阿跌
 の一部
 牙帳大将の
 曹磨你
 らの七部
 共に3万衆が相次いで
 幽州に降った
 文宗
 は詔で諸道に配してやった
 特勤の
 嗢没斯
 阿歴支・・・アレックス・Alexander?
 習勿啜
 の三部
 回鶻相の
 愛耶勿弘順
 回鶻尚書の
 呂衡
 らの諸部が
 振武軍に降った
 三部首領には
 唐の国姓である
 李姓を賜い
 名をそれぞれ
 思忠
 思貞
 思恵
 思恩
 と改めさせ
 帰義軍使に充てた
 その他
 唐に帰順しなった者もおり
 特勤
 葉被沽兄李
 の二部は
 南の吐蕃に奔走
 特勤可質力
 の二部は
 東北の
 大室韋
 に奔走
 特勤荷勿啜
 は東の
 契丹との戦いで戦死
 回鶻
 尚書の
 僕固繹
 は幽州に至り
 太和公主
 を幽州に帰すことを約束
 ある夜
 河東の
 劉沔が兵を率いて
 烏介可汗の営に迫ったので
 烏介可汗は驚いて
 東北の約400里外にまで逃げ
 室韋の営に依った
 太和公主
 も同時に逃げ去ったが
 烏介可汗
 に追いつけずにいたところを
 豊州刺史の
 石雄の
 兵と遭遇し
 唐に帰国できた
 ↓↑
 会昌6年(846年)7月
 烏介可汗の部衆が
 幽州に降った
 烏介可汗
 は妹を
 室韋に降嫁させた
 回鶻相の
 美権者
 逸隠啜
 は
 諸回鶻に迫って
 烏介可汗
 を
 金山
 (アルタイ山脈)・・・金山=アルタイ
 で殺し
 その弟である
 遏捻特勤
 を可汗に推戴
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 『唐会要』巻98廻紇
 特勤(テギン、Tägin)は
 突厥や回紇における皇太子、王子
 可汗の兄弟に与えられる
 『新唐書』では特勒と誤記
 「㕎」=「厂+盍」
 帳幕(ゲル)=陣幕
 達干(タルカン、Tarqan)は
 テュルク系遊牧国家における官名
 『資治通鑑』卷第二百四十八
 『新唐書』では
 「黒車子(室韋)に殺された」
 とある。
  ↓↑
 『旧唐書』
 (列伝第一百四十五 迴紇)
 『新唐書』
 (列伝第一百四十二下 回鶻下)
 『資治通鑑』
 (卷第二百四十八)
ーーーーー
 ・・・???・・・

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